317.神の顕現
ムラクモ視点です。
どん、という地響きに、はっと顔を上げる。瞬間地面が激しく揺れて、慌てて手をつき姿勢を維持した。
周囲では、間抜けな兵士が敵も味方もすっ転んでいる。中には無論、私と同じように倒れなかった者もいるのだけれど。
しかし、今の地響きと揺れは何なのだろう、という疑問は一瞬で氷解した。目の前で、ゆっくりとコーリマ王城の屋根が、塔が崩れ落ちていく。
「……お城が」
「おい、若と姫あそこにいるんじゃねえのか!」
呆然と呟く副隊長の声をかき消すように、コクヨウががなりたてる。そうだ、ジョウはあそこにいるから助けに来い、と言っていたはずだ。
まずい、と駆け出そうとした瞬間、瓦礫と砂埃が湧き上がる城の中から黒い影が姿を現した。ばさ、と翼を羽ばたかせて瓦礫も、砂煙も吹き飛ばしたそれは、長い長い身体をぬうと空へ伸ばしながらしずしずと進み出てくる。
黒い2組の翼、黒い蛇の身体、黒く太い獣の腕。身体の先端についているのは、頭に角が生えてはいるがどうやら女の顔だろう。クワリと開かれた口がやたらと赤く見えて、私は思わず身構えた。
「我こそは神。黒の神である」
女の顔が、女の声でそう宣った。次の瞬間、黒帝国側の兵士たちがあっという間に武器を取り落とし、大地にひれ伏す。対して我がシロガネの兵は武器を構え直し、油断なく自らを神と名乗ったバケモノを睨みつけた。
しかし……黒の魔女め。これが貴様の目的だったか、と軽く歯噛みする。今更、何を言ってもどうにもならない。
問題は、今目の前にいる自称神をどうするか、だ。
「人の世に呼ばれた以上、我がなすべきことはひとつ。この世を我がものとし、人間どもを頭の働かぬ獣に戻すことぞ。それでこそ、世は安泰となる」
神を名乗るそれは、ごぼごぼと濁ったような声で己の主張を繰り広げる。それから「だが」と一瞬間を置いて、こちらを睨みつけた、気がする。
「この場に群がる人間どもよ。そなたらは少しばかり、数が多すぎる。うるさくてかなわぬ」
「うるせえ。てめえを切り倒すために来たんだよ、これでも少ねえなあ」
コクヨウの悪態が、アレに届いているとは思わない。あの手の存在は、ちっぽけな人間の1人や2人など気にしてはいないだろうから。
「よって、我はそなたらに無を与えることにした。生命は消え去り、魂は我が魔力として全て食らってやろうぞ」
「あああ、ありがとうございます我らが神よ!」
「どうぞ、我が魂をお使いくださいませえ!」
バケモノの言葉を、黒の兵士たちはありがたいご託宣と受け取ったようだった。すぐそばにいる兵士など、涙を流して喜んでいる。既に、我々のことは意識の中にもないようだ。
そうしてバケモノ自身、信者の歓喜をさほど気にしないまま続けてこう、命じた。
「その前に我が信徒よ、快楽に溺れよ。獣に返り欲望に走り、そうして我が力となれ」
自称神がそう言い放った瞬間、黒帝国の兵士たちが一斉に地面に転がった。というか、ハアハアと息を荒くしている。ガクガク身体を震わせているさまは、正直言って見苦しい。
だが一方、シロガネ軍の兵士はそういうことはない。一瞬ぽかんとしていたが、すぐに目の前で顔を紅潮させた黒の兵士たちを切り倒し、殴り飛ばす。
私も、目の前でがばあと立ち上がった男の急所に即、蹴りをくれてやった。何かが折れた感触があったがまあ、気にするまでもないことだ。
「下品だなあ。これが神のやることか」
「黒の信者どものやり口を見ていれば、これでこそ黒の神だろうな」
呆れながら兵士を続け様に切り倒すハクヨウに、私はもう数名ほど蹴り折ってやりながら答える。そうとも、信者が男を狂わせ女を狂わせたこれまでのやり方を見ていれば、さすがは奴らの神だといえる。
しかし、カイル様とジョウは、どうしたのだろう。
「そこまでだな、黒の神」
「あいにく、俺たちはこの通り余裕なんだけど」
はっと、黒の神が振り返った。その向こう側に、白く光る存在が浮かび上がってくる。
響く声は間違いなく、カイル様とジョウのものだ。白いその背中に、2人が当たり前のように立っている。全身が淡く光るそのさまは、きっと太陽神様のお力だろう。
それに、それよりも何よりも、あの白い身体と赤い目の伝書蛇は、間違いない。
「タケダくん!」
「え」
「しゃあ!」
ぎょっとしてこっち向いたグレンには申し訳なくもないが、それよりもちゃんとタケダくんが私の声を捉え答えてくれたのが、私には嬉しくてしょうがない。勢い余って黒の兵士を5人ほどなぎ倒した後になって、グレンが改めて見上げながら確認してきた。ついでに半分ほどになった腕で、別の兵士の首に一撃くれている。
「マジか」
「この私が、たかがサイズ違い程度でタケダくんを見間違えるものか」
「……まあ、確かに」
なぜそこで冷や汗をかく?
タケダくんとも、ソーダくんともさんざん遊び仲良くなってきたこの私が、ちょっぴり巨大化したくらいでタケダくんが分からなくなるはずがないではないか。
「そりゃ、あれがタケダくんなら若と姫乗せてるのも当たり前だよな……」
「そういうこと、だろうな」
コクヨウが冷や汗をかき、ハクヨウが苦笑を浮かべる。
さあ、これからだ。我らの王と王妃が戻ってきたのならば、我らは勝たねばならぬ。
「どうする?」
「下を片付けてしまおう。正直、タケダくんのもとに向かうには、邪魔でならん」
「さすが使い魔スキー。ま、確かに邪魔だねえ」
グレンの問いにそう答え、肩をすくめたコクヨウの足を軽く踏みつける。それを見ながら敵兵士を蹴り飛ばした副隊長が、私の方を向いた。
「好き放題縛り倒して構わんぞ、ムラクモ。先ほどの黒の神の言い分から察するに、殺さないほうが良さそうだからな」
「承知いたしました!」
許しが出た。よし、存分に縛り存分に折ってやろう。
その代わり、あの神とやらの相手は頼んだぞ。カイル様、ジョウ。




