177.王太子
オウイン・ミラノ視点です。
考えてみれば、あれは悪夢だった。いや、悪夢のような現実だった。
セージュとカイル、そしてカイルのもとに身を寄せている『異邦人』の彼女がいなければ、悪夢は覚めないまま王都は滅んでしまっていただろう。
……で、覚めた今は。
やっぱり、あれは悪夢だった。何しろ、覚めた後の現実こそが地獄だったから。
「……やれやれ」
正気に戻った僕を待っていたのは生々しい臭いに包まれた王城と、民の半分以上が現実を忘れた都。それと、双子の姉による言語及び物理的な説教だった。
僕は生まれてからこの歳になるまで、なぜ姉と逆の性別に生まれなかったのかとよく言われる。その通り肉体的にはあんまり強くなくて、そこらの軍人よりも力のある姉による物理的な説教は正直骨身にしみた。
まあ、下働きと称して城に入り込んだ黒の魔術師に身も心も溺れて、姉や腹違いの弟を黒に売り渡そうとしたんだものな。おとなしく受け入れるしかないよ。
「……悪かったな。どうか、太陽神様の御下に帰れるよう」
小さな棺を、ついてきてくれた数少ない部下と共に神官の墓所に収める。そうして、簡略ながら祈りを捧げた。
王家の墓を守るためにこの島に住まっていた神官は、黒に落とされた挙句魔力を吸い尽くされ干からびていた。黒の魔女、シーナという恐らくは偽名で城に入り込んだ彼女によって。
死んでしまった以上、彼をどうこう言うつもりはない。ただ、本来崇めていた太陽神様のもとに無事に向かえるよう、祈るだけだ。
「殿下」
手漕ぎ船で城の裏手にある港に戻ったところで、部下に声をかけられた。「あちらです」と手を差し伸べられた方を見ると、ああ。
「カイル!」
「兄上」
名を呼んで駆け寄ると、カイルは苦笑を浮かべて迎えてくれた。
母親の違う弟が、僕を兄と呼んでくれるのはいつ以来だろうね。少なくとも、カズヒサおば様の墓参りに来た時は『ミラノ殿下』だったし。
手を振って部下を先に帰し、カイルと一緒にゆっくり歩く。本当はこんなことしていられないのだけど、せっかく弟が迎えに来てくれたんだから少しくらいは、いいよね。
「ごめんな。後始末、手伝ってもらっちゃって」
「いえ。生まれた国ですので」
謝ると、首を振られた。
ズタボロになった王都の後始末と復活の手伝いを、カイル率いるユウゼ守備部隊がしてくれている。警備隊長の子供たちやシーヤの双子もいるから、この街のことはよく知ってくれているからね。
一緒にシノーヨの北方軍もやってきていたのには驚いたけど。カイルの部下に赤い髪の男がいたから、そっちつながりなんだろう。
さて、この弟だけど。
「ムラクモにこっぴどくやられたんだって?」
「はは……」
あ、顔ひきつった。だよねえ、ムラクモのアレ、食らったんだよねお前。
僕も手伝っちゃったとはいえ、『異邦人』の女の子を黒の神の生贄にしようとした。ムラクモはそういうのすごく嫌ってるから、いくら仕えてる主とは言えまあ、お仕置きは仕方ないことだと思う。
「そういう兄上こそ、姉上に手ひどくやられたとか」
「僕は現在進行中だよ?」
返してきたカイルに、そう答えた。うん、これから城に戻ればセージュの説教の続き。多分次は、父上の私室の掃除だろうね。臭いがついてしまった寝具は全部捨てるか洗濯だけど、ベッドの解体とかはやらされるらしい。今まで使用人にやらせてたから、もうきついのなんのって。
さて。
僕とカイル以外誰もいないなら、気になったことを聞いてしまおうか。
「ところでさ、カイル」
「はい?」
「あの子、ジョウだっけ。白の魔女」
「はあ」
「お前、彼女好きだろ」
「ぶっ」
そこで、何で吹くかな。もしかして、誰にも気づかれていないと思っていたのか。
ほんと、カズヒサおば様の息子だよ、お前は。
「な、なぜそのようなことをっ」
「声ひっくり返ってるよ」
分かりやすい反応で助かるよ。これでバレてないと思えるのがすごいよね、と思う。
「何でバレてないとか思ってんだよ。気がついてないの、彼女自身と彼女の使い魔くらいじゃないか?」
「……」
そこを指摘すると、耳まで真っ赤にしてしまってる。うんうん、いい子だ。
「で、ですが兄上、なぜ……」
「だって彼女、カズヒサおば様とよく似てるもん。母上が忙しい時は僕もセージュも、お世話になったからねえ」
気がついた理由、というよりはカイルが彼女を好いた最初のきっかけだろう、そこも指摘してやるよ。
カイルを産んだ母親、カズヒサおば様。母上の側仕えになった彼女はさっぱりした性格もあって仲の良い友人となり、正妃である母上が公務などで忙しい時はセージュ共々よく預けられたものだ。いやー、いたずらしてお尻ひっぱたかれたのは今でも記憶に残ってるよ。
彼女の息子であるカイルも、同じように育てられたわけだ。最初は王の子とも呼ばれなかったけれど、でも僕とセージュにとっては可愛い弟だ。だから普通に兄弟として育って、2人の母親に見守られて。
僕たちにとってももう一人の母親であるカズヒサおば様のことは、だから僕もよく知っている。そのおば様と、白の魔女とも呼ばれるようになった彼女は、よく似てると思う。
「性格さっぱりしてるしさ、僕たちのこと畏まって見たりしないだろ。それに、好意に鈍感なところまでそっくり」
「……兄上、意地悪ですね」
だから、何で素直に好きとか何とか言わないのかな、こいつは。
ああ、でも良かった。カイルにも、そういう彼女ができたのなら。
アオイやムラクモたちは、こいつにとってはあくまでも部下。彼女たちもカイルを隊長、主として接するから、どうしても一線を引く関係になってしまう。
でも白の魔女、ジョウは『異邦人』で、その一線を踏み越えられる……というよりは線があるのかどうかもわからない。だから、カイルのそばに踏み込んで行ける。
これならもう、大丈夫だね。
「カイル」
だから僕は、弟に素直に話すことにした。
「正直言うとね、もうコーリマは長くないと思ってる」
「え?」
ほら、立ち止まらない。さっさと歩こう、カイル。
これでも僕はね、現実くらい見えているんだよ。
「いくら白の魔女のおかげで解放されたからと言っても、黒に浸っていた時の記憶は残ってる。民の中からはきっと、あの記憶に溺れて今度は自分から黒く染まる者も出てくるだろうね」
黒の神を信ずるのが悪いとは言わないけれど、生活も家族も忘れて溺れるのは良くない。それで、幼子たちがもう少しで死ぬところだったという報告を聞かされては、余計にそう思う。
「あの記憶を振り切ろうとしても、振りきれない者も多いだろう。その者たちが、やりきれない思いをぶつける先はどこだと思う?」
「……王家、ですか」
「そう、僕たちだね。黒の魔女に真っ先に溺れて、王都を魔力供給源として提供してしまった僕たちオウイン王家」
理由はともかく、はっきり見える原因に敵意を向けるのは当然のことだと思う。そして、僕たちも受けなくてはならない。それに。
「民の反感を買ってそれでも国としてやっていけるほど、もうコーリマは強くない。父上も母上も、黒の魔女に与えられた快楽の夢にしがみついてしまってる」
すっかりしぼんでしまった父上は、それでも毎夜女をねだってカイルの部下を困らせているらしい。
母上なぞは男でも女でも、姿を見ればすぐにベッドに引きずり込もうとする。実の息子である、この僕までも。
「僕が最後の王になって、この国をちゃんと終わらせてやりたいんだ」
もう、コーリマは終わる。
最後の責任は、父や母と共に王都を腐らせた、この僕が取る。
カイル、可愛い弟。
お前は白の魔女と一緒に、それを外から見守ってやってくれ。




