164.秘密
ふっと、武田の表情が変化した。怖い笑顔じゃなくて、男を誘惑する悪女の笑顔。いや、どっちもどっちで怖いけどさ。
それはそれとして、武田は俺をぽいと放り出しながら背後に、命令を出した。
「イカヅチ、この女を押さえておきなさい。美味しそうだからって、手を出してはダメよ」
「は」
音もなく現れたのは、黒髪短髪の割と見るからに忍者っぽい兄ちゃんだった。あっという間に俺の腕を背中側に捻じ曲げて、床に押し付ける。ま、床のじゅうたんふかふかしてるからあまり痛くないけれど。
この兄ちゃん、その身のこなしといい聞いた名前といい、多分ムラクモの兄ちゃんだろう。王姫様がここから逃げ出す時に、助けてくれた人だ。その後どうなったか分かってなかったけど……まあ予想通りというか何というか、どっぷり黒にはまってたみたいだな。
「失礼致します、白の魔女様」
「失礼だっつーんなら放せよ。……ムラクモの兄貴だろ、あんた」
「妹をご存知でしたか」
さすがにムラクモの名前を出すと、一瞬だけ反応した。あーでも、そうほいほい解けるなら苦労はしねえっての。押さえる力、緩める気ないみたいだし。
……あれ? 何で、俺触ってるのにイカヅチさん、黒ゲロとかしねえんだ?
「ジョウ!」
「不思議か? 自分が触っても、そいつが黒のままだってのが」
俺の反応に気がついたように、武田がくくっと喉の奥で笑った。視線だけで追うと、がっつり捕まったままのカイルさんの髪の毛を弄んでいる。さらさらしてて手触りいいとは思うけど、普通は男女逆じゃねえか、それ。
にしても、俺のあの力っていうのか、バレてたのか。それに、今使えない理由も分かってるみたいだし。
「簡単だ。黒の気を排除する力はお前のじゃない、お前の伝書蛇の力だからだよ。お前はただ、その手伝いをしてるだけだ」
「伝書蛇って……」
「……伝書蛇は太陽神様の御使い。ジョウは、その力を伝書蛇から受け取って行使していたということか」
「あら、イケメン王子様は頭の回転も早いのですね」
ええい武田、イケメン王子はその通りだがカイルさんに色目使いまくるな。何かむかつく。
それにしても、だ。
真っ白な伝書蛇、タケダくん。武田の名前から取って名付けたタケダくんが、本当はあの力を持ってたってこと、か。
「……俺の力じゃ、なかったわけか」
「そうだよ。だから、フウキに転移の接触魔術をかける時に伝書蛇は排除するように仕組んだんだ。まさか、別の野郎を連れてくるとは思わなかったけどなあ」
思わず呟いた俺に、武田はほんとに楽しそうな声でぶっちゃけてくれた。ああもう、本当にお前は武田なのかよ。本人がそうと言ってる以上、俺に確認するすべはねえんだけどよ。
軽くもがいてみたけれど、やっぱり動けねえわ。ただでさえ男から女になって体力落ちてる上に、ムラクモの兄ちゃんってことはめちゃ強い忍びってことだろうし。
その兄ちゃん……イカヅチさんが、これまた楽しそうな声を上げた。
「……ご心配めさるな、黒の魔女様。そのうち白の魔女様も我が妹も、黒の神の御前で喜んで足を開くようになります故」
「そうね。もう、こいつらに為す術はないのだから」
「冗談じゃねえや」
「冗談じゃない!」
俺は吐き捨てるように文句つけただけだけど、カイルさんがえらく感情的になって叫んでる。武田に言い寄られてる感じなのが嫌なのか、な。
……ところでムラクモ、お前の兄ちゃんえらいこと口にしてるぞ。無事に帰れたらがっつり証言してやるから、得意の縛りと特定部位攻撃かましてやってくれ。
帰れたら、な。
「……ん」
そんな俺の目の前で武田は、眼帯を外した。そうしてゆっくりカイルさんに顔を近づけていったんだけど、一瞬顔を歪めて少し離れる。ち、と舌打ちの音が聞こえて、それから。
「太陽神の守りか。……ミラノ」
「はい。カイル、そんなの似合わないよ?」
命令に誘導されるまま、ミラノ殿下がカイルさんの額からサークレットを外した。あれに、武田は反応したらしい。
とっさに目を閉じるカイルさんの腕を片腕でしっかり捕まえたまま、ミラノ殿下はそのサークレットをぽいと放り投げる。じゅうたんのないところに落ちた音が、からんからんと響いた。
「守りなんてね、外してしまえば効果はなくなるのよ? 美形の王子様」
「黙れっ」
どう考えても悪女が男を誘惑してる図です、ありがとうございました……じゃねえ。
武田はゆっくりとぎゅうと目を閉じたままのカイルさんの頬を撫でて、それからいきなり噛みつくようにキスをした。
「ん、ふっ!」
「カイル様、たっぷりと味わってくださいませ。黒の甘美な味を」
嫌がるカイルさんの顔を、ゲキさんがしっかりと掴んだ。そのうちカイルさんの身体がビクリと震えて、ゆっくりとまぶたが開く。やべえ、がっつり視線合ってんじゃねえか?
「んふ、ふう、んんっ」
そのままキスし続けながら武田が軽く手を振ると、ミラノ殿下とゲキさんが手を放した。そのまま後ずさって壁際に立つと、2人はぴたりと動かなくなる。まじで人形かなんかか。
「ん、んんん……っ」
カイルさんは……2人の手が離れたのに、武田から離れようとしない。というか、すがりつくように武田の肩に手を置いて余計に……えーあーえーと、多分舌絡めてるよな、あれ。知らない人が見りゃ、恋人同士のキスシーンにしか見えねえぞ。
何か、むかっときた。武田のやつ、人前で何やってんだてめえ。いくらエロ美人になったからって、イケメンにほいほい手出ししていいと思ってんのか。
「ふう。美味しい」
やがて、武田が顔を放した。何だあの満足顔、お前本当に武田四恩か? いや、間違いねえと俺の勘は言ってんだけどな。
姿勢を正した武田の前で、カイルさんがひざまずいた。頭を深く下げて……そうして上げられた顔は、うっとりと武田を見つめている。駄目だ、完全に落ちてる。
くそ、俺自身にあの力があれば。
タケダくんが一緒にいてくれれば。
あんな顔なんてさせなかったのに、こんちくしょう。
「あなた、お名前は?」
「……タチバナ・カイル……」
「そう」
相変わらず身動きできないままの俺をほっといて、武田は改めてカイルさんの名前を聞いた。答えたカイルさんに満足そうに頷いて、それからこっちを見る。その顔が、いわゆる邪悪な笑顔で。
武田、あんな奴だったっけ。一体どうしたんだ、って思ったんだけどあれか。黒に染まって、染まって、染まりすぎた結果が、あれか。
1つ間違えたら、俺がなってたかもしれない姿。
「黒の魔女が命じます。タチバナ・カイル、住良木丈をオンナにしてやりなさい。私と違って孕めるはずだから、たっぷりと子種を流し込んでやってね。お腹の中に、満タンになるくらい」
「はい、黒の魔女様」
その姿の武田は、カイルさんにそんなことを命じた。




