暁の都が沈む時⑥
「大分落ち着いてきましたし、もう大丈夫でしょう。」
大方の治療を終えた司暮がそう言うと、金色の竜はグルルと小さく唸って、眩い光に包まれながら姿を変えた。
それは体だけでも2階建ての家ほどの大きさになり、先程よりも腕が退化した代わりに、翼と尾が巨大になった。
「近くの医療チームが居る仮設診療所に向かいましょう。
酸素ボンベも、残りの移動分ぐらいしか残っていないでしょうし。
……あと水もありませんし。」
「お前の所為だろうが」
少年を抱えながら川から出た怜司が言うと、司暮は”貴方が無茶をした所為です”と返した。
ディルーノはその大きな鼻に司暮を乗せ、慣れた様子で司暮を自らの背中へと誘うと、続けて少年と怜司も同じように運んだ。
怜司が大きな金色の背に乗り、万が一に備えて自分と少年をロープで結んでいると、
突然司暮が思い出したかのように声を掛けてきた。
「そういえば怜司、怪我は?」
今更自分の主人の心配かと、怜司は不機嫌極まりない顔で司暮を睨み付けると、
司暮は逆に何を怒っているのだと、不思議そうに首を傾げて来た。
その従者らしからぬ行動と思考に、怜司はいつものことだと思い直し、面倒臭そうに返事をした。
「ケツに枝が刺さった。」
「そうですか。 もっと他に痛がる場所があるかと思いましたが、その様子なら大丈夫そうですね。」
顔や腕に幾つか切り傷を作っていた怜司は、そのことに関しては触れずに、あえて冗談を言った。
しかし、心配されない事を前提に冗談を言ったつもりだったのに、司暮はクスリともしない。
それどころか、逆に醜い者を哀れむかのような、侮蔑的な視線を向けてきた。
それを見て怜司は更に不機嫌になり、少年と自分の体を結ぶローブを力任せに硬く結んだ。
それを見た司暮が合図を出すと、ディルーノは少年の体を気遣うように、出来る限り静かに黒い空へと飛び立った。
飛び立ってからすぐに、司暮が怜司に白い布と消毒液を差し出してきた。
「川の中は雑菌が多いです。治療の魔法を使う前に、ちゃんと傷口を水で洗って消毒しておきなさい。」
相変わらず素気の無い淡々とした口調に、怜司はつい嫌味を言ってしまう。
「水くれよ。」
「水の魔法は貴方の専売特許だと思いますが。」
しかし、怜司はすぐにそれを後悔した。
魔法で作り出した水は、魔法が解けてしまえば当然その水も消えてしまうので、飲み水には適していない。
という事は、先ほどの場面ではボトルの水を飲んで、ここでは魔法の水を使って傷口の洗浄をするのが正しい。
加えて司暮は炎の魔法を得意とする魔術師で、怜司は水の魔法を得意とする魔術師だった。
反論する余地がなく、しかしどうしても司暮に仕返しがしたかった怜司は、
白い布と消毒液を差し出して、逆にわざとらしく甘えてみる事にした。
「俺には傷のケアとかしてくれないの?」
「それは貴方の無茶が祟ってできた傷でしょう。どうして私が貴方の尻拭いをしなければならないんですか。」
「え、これ尻に」
「お馬鹿」
言葉が言葉だっただけに、怜司は違う意味と勘違いしたが、司暮はそれを一喝した。
子供の頃からそうだったが、一体いつになったら怜司のこの下品癖は治るのかと、司暮は少し頭を痛めた。
しかしながら愛想のない従者だと、怜司は渋々と傷の洗浄をしながら、深く溜息をついた。
厳密に言えば、14の時に家を飛び出して何もかもを捨てた自分にとって、
その家に仕えていたこいつは、もはや従者でも何でもないが。
何故か一緒になってこいつまで家を出て来てしまったのだから、もうただのストーカーに近い部分があった。
それでいて愛想の欠片もないのだから、全く頭が痛い。
もしこいつが日雇いの従者であれば、半日でクビにしてやるのにと怜司は心の中で思いながら、
目の前に座っている司暮の背中を軽く蹴飛ばした。
自分が子供を抱えているので、司暮は大した反撃は出来ないだろうと怜司がニヤついていると、
すぐにお返しの裏拳が眉間に飛んできて、怜司は顔を押さえながら暫く苦悶した。
少し経ってから怜司が「今のはケツのより痛い」と言うと、司暮は「うるさい」と叱った。