最終章 終わらない戦い
17
「――生きてる……のか。」
暗い病室の中、ベッドから発せられた声に反応して佑は目を覚ます。
広い個室内にあるベッドには將一が横たわっており、佑はベッドから離れた位置にある安っぽいソファーに座っていた。
「良かった。意識もはっきりしているみたいだな。」
佑はソファから立ち上がり、將一の寝ているベッドの脇に移動する。
將一兄さんの腕には点滴の針が刺さっており、ベッドの頭部分には心拍数と血圧を表示しているモニターがある。
モニターは正常な値を示しており、一定間隔で電子音を発していた。
將一兄さんは自分の周囲の状況を暫く見た後で、改めて発言する。
「そうか、全て終わったんだね……。」
將一兄さんは感慨深そうに呟くと、小さくため息をついて後頭部を枕に預けた。それは、長い間続いた緊張から解放されたことを表しているように思えた。
リラックスしている將一に対し、佑は一応怪我の状態を伝える。
「医者が言うには胸の傷は内臓までは届いていなかったらしい。1,2週間で退院できるだろう。」
「それは良かった。」
將一兄さんは病衣の上から自分の体を軽く撫で、再度こちらに顔を向ける。
「……でも、どうせなら、クロクラフトで治してくれたらよかったのに。」
「移動中、試そうとも思ったんだが、どうやら俺はクロデリアほど万能にクロクラフトを扱えないらしい。この目で見て理解したクロフトを真似る程度が精一杯だ。」
「それも、慧眼のクロクラフトの恩恵なんだろうね。」
「そうかもしれないな……。」
まだ俺の体内には魔女の眼が埋め込まれている。ある程度この力に慣れれば、クロデリアのように自在にクロクラフトを操れるだろう。
クロデリアが死ねばこの効力も薄まるかもしれない……などと思っていたのだが、そんな気配は全くない。逆にそれが不安だった。
(……。)
正直なところ、クロデリアが灰と化すのを確認してから5時間経った今も、クロデリアを殺したという実感が全くない。
何かを見落としているような気がする……。
クロデリアについて考え事をしていると、將一兄さんはこちらの姿について言及してきた。
「そう言えば、人間の姿になっているね。」
「ああ。あのままだと色々と不都合だから……。」
ガライゲルのように巨大なわけでもないし、遠目に見れば普通に人間のシルエットなので、悪魔の状態でもそこまで注意を引くことはない。せいぜいコスプレと思われるだけだろう。
そもそも姿形に関してそこまで深刻に考えてはいなかった。
……が、ある人物がしつこく人の姿に変化するように要求してきたので、その通りにしているわけである。
將一兄さんにそのことを話そうとすると、病室にその人物が現れた。
「あの後、すぐに人の姿に変化させたんです。何だかんだで大変だったんですよ。」
不満気な口調で話しながら室内に入ってきたのはルゥメトギス……ではなく、茉弓さんだった。
茉弓さんは両手にレジ袋を持っており、薄っすらとスナック菓子のパッケージや菓子パンの形状が浮かび上がって見えていた。
少し中身が気になった佑は軽くクロフト能力を使って茉弓が購入したものを調べてみる。
(見事に偏ってるな……)
おおよそ健康によさそうな食べ物は存在しておらず、脂肪分と塩分と糖分とカロリーが高そうなジャンクフードしか入っていない。あれを差し入れられる病人は可哀相だ。
茉弓さんはその袋を入口付近の棚の上に置き、ベッドを挟んで向こう側に立つ。
「でも、生きていてくれて良かったです。再会してすぐに死ぬなんてどこかの悲劇のような展開にならなくてホッとしています。」
「茉弓さんも酷い人だなぁ。生きてるなら知らせてくれればよかったのに……。」
將一兄さんは茉弓さんに会えて嬉しい半面、怒ってもいるようで、ふてくされた表情を浮かべていた。
こんな表情を見るのは初めてかもしれない。それだけ將一兄さんは茉弓さんのことを心配していたのだろう。……と言うか、仇討ちをするために島瀬を裏切るくらいだし、間違いなく好意を寄せていると考えていい。
將一兄さんにふてくされた顔を向けられ、無表情を保っていた茉弓さんは申し訳なさそうに言い訳をする。
「自我を完全に取り戻すまでかなりの時間を要したんです。それに、無事を知らせようにも將一くんは雲隠れしていましたし、どうしようもなかったんですよ。……で、命日にお墓で待ち伏せる作戦を考えついたわけです。」
その作戦は見事に成功したが、色々とタイミングが遅すぎたようだ。
「まぁ、結果的には茉弓さんは生きていたわけだし、クロデリアも倒せたわけだし、文句はないよ。むしろ満足できる結果だね。」
將一兄さんはそれ以上茉弓さんを責めることなく、話題を変える。
「……ところで、橘香と椿ちゃんは?」
この質問には俺が答えた。
「二人共怪我をしてたから処置をして、今は様子見のために別室で入院してる。全く問題ないから安心していい。」
「入院してるのか……。佑くんはこっちにいていいのかい? 橘香を見舞ってやったほうがいいような気がするんだけれど。」
將一兄さんの細やかな気遣いに感謝しつつも、俺はその件に関して事情を伝える。
「同じようなセリフを橘香に言われたから、ここにいるんだ。」
「なるほどね……ふふ。」
將一兄さんは何がおかしいのか、こちらの顔をみて小さく笑う。
その笑みを見て安堵したのか、茉弓さんも口元を手のひらで隠して微笑んでいた。
ひとしきり笑った後、將一兄さんは何気なく島瀬の今後について考えを述べ始める。
「……クロデリアを失った今、島瀬はもう立ち行かないだろうね。見たところ悪魔も島瀬のクロフト使いも大半が相討ちで死滅したようだし。」
物悲しそうに言う將一兄さんの意見を、茉弓さんは真っ向から否定する。
「いえ、あの後屋敷の周囲を調べたのですが、島瀬の人達は別の場所に避難させられていました。誰も死んでいません。……ですが、クロデリアに記憶を操作されていました。クロクラフトに関することは勿論、クロデリアや悪魔についても全く覚えていないと思います。」
「そうなんだ……。」
屋敷内に人間の死体は一つも見られなかったし、それだと合点がいく。
クロデリアもそろそろ潮時であるということを悟っていたのかもしれない。
茉弓の情報に対し、佑は自分の考えを言う。
「結果的にはそれで良かっただろう。頭の固い連中なら悪魔を討伐するという使命を無理矢理にでも継続させていたかもしれないし、綺麗サッパリ忘れられるのなら、それに越したことはない。」
「私も佑さんの意見に賛成です。これからはみんなで力を合わせて、島瀬を再建しましょう。」
「……。」
無表情のまま前向きな発言をする茉弓さんだったが、將一兄さんは別のことが気になるようで、視線を窓の外に向けていた。
暫くの沈黙の後、將一兄さんはぽつぽつと話し始める。
「……島瀬の再建も勿論大事だと思う。でも、他にもクロデリアの実験場が有るとすれば、それを全部止める必要があると思うんだ。クロデリアの目論見を知ってしまった人間には、その責任があると思うよ。」
「実験のこと、聞いていたのか、將一兄さん……。」
俺は魔女の眼を通してクロデリアの記憶の一部を垣間見た。
クロデリアは最強の生命体を創り出すために世界の各地で島瀬と同じか、それ以上に非道な実験を行っている。
詳しい場所までは読み取れなかったが、各地で並行して実験が行われているのは事実だ。
茉弓さんはそのことに関して既に承知していららしい。迷う様子も見せず將一兄さんに協力を申し出る。
「そういうことなら、私も手伝いますよ。將一くん。」
「ありがとう茉弓さん。」
「だったら俺も……」
茉弓さんに便乗して俺も名乗りを上げたが、將一兄さんは目を瞑って力なく首を左右に振る。
「ごめん佑くん。これは島瀬家の問題なんだ。僕らの力で解決させてほしい。」
「……。」
全然納得できない。
実験を止めさせるにしても、俺のような戦力はいても邪魔にならないはずだ。
……もしかして、茉弓さんと二人きりになりたいだけではないかと勘ぐりたくなる。
「そんな顔しないでよ佑くん。今生の別れじゃないんだし。」
だが、来て欲しくないという相手にわざわざ付いて行く事もない。それに、橘香や椿のためにも島瀬の再建に手を貸してやったほうがいい。
分担作業だと思えば気も楽になるというものだ。
佑は將一の言う通り、ここに残ることにした。
「分かった。……くれぐれも気をつけて。」
「うん。近いうちに出発するから、その時にまた連絡するよ。」
そこで島瀬やクロデリアに関する会話は終わった。
……その後、面会時間が終わるまで、佑は將一と茉弓の他愛のない会話をずっと黙って聞いていた。
18
――時刻は午後6時。
遠くから聞こえてくるのはグラウンドで練習を行っている野球部の掛け声だ。
屋上からだとその様子がよく観察できる。
(よくあれだけ動けるな……)
野球部員は一塁側に列を作って待機しており、順々にノックされてくるボールに飛びついている。しかし、成功率は6割強といった感じで、頻繁に球が後方に抜けていく。
こんなに下手だと練習する意味もないと思うのだが、彼らはそれを望んでやっているわけだし、非難する権利は俺にはない。
(日の入りも遅くなってきたな……)
入学式を終えた日は6時半くらいだったが、今は6時45分くらいになっている。
西側の山々に沈もうとしている太陽を見ながら野球部員の元気のいい掛け声を聞いていると、不意に背後から声を掛けられた。
「佑くん、こんな所にいたんだ。」
そう言って俺の背中に抱きついてきたのは橘香だ。
いくら屋上に人が居ないとは言え、よくここまで大胆な事ができるものだ。あの事件以来変に緊張することもなくなったし、より積極的になったように思う。
それを喜ぶべきかどうかはさておき、いい傾向だとは思う。
島瀬の稽古も完全に無くなったので、今では朝だけでなく放課後も気軽に会えるようになった。休日も頻繁に遊んでいるし、ここ数日の橘香は実に楽しそうだ。
あの大きな屋敷や財産の殆どを失えば普通の人間なら悲観している所だが、橘香にはそんな事は関係無いようだ。ただ俺と時間を過ごせるのが幸せなのだろう。
橘香の柔らかい感触を背中に感じつつぼんやりと考えていると、しびれを切らした橘香が再び話しかけてきた。
「それで、今日はどうする? また部屋で遊ぶ?」
「そうだな。今日は部屋で……勉強だ。」
「え……」
勉強、と告げた途端橘香の表情が強張るのが分かった。
「なんで勉強……?」
「橘香、担任の先生から聞いたぞ。この間の定期テスト、酷かったらしいじゃないか。」
「な、なんでそんな事知ってるの!?」
「知ってちゃいけないのか?」
「……。」
ぶっちゃけ、個人情報を簡単に他の生徒に教える先生には感心できないが、それはそれ、これはこれである。
成績が悪かったことを知られて気まずいのか、橘香は背中から離れて近くのベンチに腰を下ろす。そして、不貞腐れたように言う。
「別にいいでしょ。まだ一年生なんだし、これからコツコツ勉強すればいいだけで……」
「一人で勉強できるのか、橘香。」
「う……」
「成績が悪くなると嫌いになっちゃうかもしれないなぁ。」
「うぅ……」
ここまで言うと、橘香は諦めてくれたのか、座ったまま頭を垂れた。
そんなやりとりをしていると、屋上に続く扉が開き、新たな人影が出現した。
その女子生徒は駆け足で近付いてきて、元気よく話しかけてくる。
「何々、何の話してんの? 私も混ぜてー。」
八重歯を覗かせながら笑顔を浮かべ、ベンチに座る橘香に絡んだのは椿だった。
椿は橘香の背後から遠慮無く抱きつき、頭の上に顎を乗せる。
普通なら振りほどきそうなものだが、橘香は特に反応を示すことなく、ペットを扱うような感じで椿を受け入れていた。
「いい所に来たな椿。お前も一緒に家で勉強するか?」
「勉強? するわけないじゃん。」
椿も勉強は好きじゃないらしい。こんなのでよく進級できているものだ。
橘香についてはともかく、そこまで苦労して椿の面倒まで見るつもりはない。
「そうか、無理やり誘うこともないか……。じゃあ橘香、帰るぞ。」
佑はフェンスから離れ、ベンチまで移動する。
橘香は既に立ち上がっており、俺が近付くと金属に引き寄せられる磁石のようにピタリとくっつき、右隣を歩き始めた。
すぐに勧誘をやめると思っていなかったのか、椿は慌てた様子で声を上げる。
「ま、待って……。別に行かないとは言ってないぞ?」
椿はベンチから離れると再び駆け足で移動し、左隣をキープする。
やっぱり、何だかんだ言って仲間はずれにされるのは嫌らしい。もう高校3年生だというのに、可愛らしい人だ。
椿も加わった所で、佑は二人に告げる。
「……さて、それじゃあ家に帰るとしますか。」
「うん。」
「おう。」
こちらの言葉に対し、橘香と椿は同じタイミングで頷いた。
……家に到着する頃には日は既に落ちていた。
住宅街の街灯には明かりが灯り始め、薄暗くて狭い道路を申し訳程度に明るく灯している。
そんな明かりを浴びながら佑と橘香と椿は駅から10分近く歩き、ようやく自宅の玄関の前に到着した。
この住宅街の中でも俺の3階建ての家は大きく、結構目立っている。家の隣には車を4台ほど止められる駐車スペースがあり、更にその隣には広い庭もある。
この家を見た大抵の人は驚くわけだが、二人とも特に驚く様子はない。……と言うか、あんな大きな屋敷に住んでいるのだし、これしきのことでいちいち驚くわけもない。
(そう言えば屋敷、無くなってしまったんだよな……。)
島瀬の屋敷は、この間のクロデリアとの戦闘のせいで瓦礫の山と化してしまった。
その主な原因は自分の暴走にあるので申し訳ない気持ちはあるが、さすがにあの大きな屋敷を弁償する気にはなれない。
聞いた話によれば再び屋敷を立てるお金も残っていないらしい。が、先祖代々続くあの土地を売るとも考えられないし、どうするつもりなのだろうか……。
今、島瀬の人達は安いアパートを借りたり、分家の屋敷に身を寄せたりして暮らしていると聞いている。
橘香も今は椿の家、木佐貫家にお世話になっている。
そのことも踏まえて考えると、あまり夜遅くまで居させるのは無理だろう。勉強を見られるのは2時間くらいだと考えておこう。
色々思いを巡らせつつ玄関のドアを開けると、早速母親が玄関にやって来た。
「お帰りなさい佑ちゃん。」
「……ただいま。」
出迎えなんて習慣はなかったはずだが、一体どうしたのだろうか。
その理由はすぐに分かった。
「帰ってくるのが遅かったじゃない。お客様が来てるわよ。……って、橘香ちゃん、いらっしゃい。」
母親は、遅れて玄関に入ってきた橘香に対し、にこやかな笑顔で挨拶をする。
橘香は「お邪魔します」と返し、ぺこりとお辞儀をした。
そんな礼儀正しい橘香に続いて椿も玄関に上がる。
椿を見た途端、母親は一瞬だけ面食らった表情を浮かべた。まさか息子が女の子を二人も家に連れ込むなんて思っていなかったのだろう。
母親は、初対面の椿を物珍しそうに見つつ、俺に小声で問いかけてくる。
「こちらの方は?」
「ああ、こいつは……」
「……3年生の木佐貫椿です。」
簡単に椿のことを紹介しようとすると、俺の言葉を遮って椿自身が自己紹介し始めた。
「実は私、橘香の従姉なんです。今日は勉強会を開くということで、先輩として二人に勉強を教えに来ました。」
「あら、そう……。」
椿はなぜか敬語で話している。一応、年上の人に対する礼儀は忘れていないようだ。
「一応監視役も兼ねていますので、どうぞよろしくお願いします。」
「いえいえ、丁寧にどうも……。こちらこそ佑ちゃんをよろしくね。」
「はい、お母様。」
椿が“お母様”と言った瞬間、橘香が一瞬だけ椿を睨んだが、これは見なかったことにしよう。
いつまでも玄関でうだうだしていても仕方ないと判断し、佑は話題を来客者の話に戻す。
「……で、客っていうのは?」
こちらの言葉に、母親は思い出したように答える。
「ああ、そうだったわ。若い男の人だったんだけれど、一応佑ちゃんの部屋で待ってもらってるからね。」
若い男……將一兄さんだろうか。
(いや、それはないな。)
將一兄さんはあの日、病院で会って以来姿を見ていない。出発の時に連絡をくれると言っていたのに、音信不通状態だ。
今頃、茉弓さんと一緒にクロデリアの実験場を探していることだろう。
……だとすれば、誰だろうか。
俺に若い男の知り合いなんて居ないし、思い当たる人物もいない。
事前知識もないまま会うのも不安だったため、一応どんな人なのか詳しく聞いてみることにした。
「その男って、島瀬の人なのか?」
「多分……そうだと思うわ。島瀬について話があるとか何とか……」
よくも身元不詳の男を確認もしないで息子の部屋に上げたものだ。
母親のいい加減さに呆れつつ、佑は靴を脱いで家の中に入る。
「分かった。お茶は持ってこなくていいから。」
もし何かあっても今の俺には魔女の眼に加えて悪魔の力もあるし、それに橘香や椿もいる。例えその若い男が世界一のヒットマンだったとしても、簡単に無力化できる自信がある。
靴を脱いで家に上がると、橘香や椿は再び「お邪魔しまーす」と告げ、俺の後に続いた。
佑は女子高生二人を引き連れて階段を上り、自室の前で一旦止まる。
一応中の様子を事前に調べておこうか……と、考えていると、見計らったかのように内側からドアが開き、若い男がその姿を現した。
「やっと帰ってきやがった。勝手に上がらせてもらってるぞ。」
男は悪びれる様子もなくそう言うと、再び室内に戻っていく。
佑は、パーカーにジーンズ姿のこの男のことを知っていた。
「お前、ノックノウか。」
「おー、覚えてたか。電車では悪かったなァ。……あの時は事情もよく知らなかったんだよ。」
ノックノウは以前、電車内で橘香を殺そうとした悪魔だ。
あの時は茉弓さんのお陰で助かったが、本当に酷い目に遭わされた。
てっきり、業火のクロクラフトで燃やされて死んだのかと思っていたのだが……やはり、悪魔という生命体はかなり頑丈に造られているみたいだ。
彼も元は人間で、クロデリアの被害者なわけだし、今更怒る気にもなれなかった。
とは言え、こんな悪魔のせいで橘香の勉強時間が削られるのは勿体無い。
「ただ謝りに来たわけじゃないだろう。さっさと要件を言ったらどうだ。」
高圧的に問いかけると、ノックノウはすぐに話し始めた。
「……ぶっちゃけるとだな、この間の総力戦サボったせいでいまいち状況がわかんねェんだ。悪魔連中の数もだいぶ減っちまったし……今どうなってんだ?」
なるほど、悪魔も悪魔なりに色々と困っているようだ。
何も知らない状態で島瀬の人間を襲われても困るし、説明しておこう。
「ルゥメトギスが言うには、島瀬の人間の殆どがクロデリアに綺麗サッパリ記憶を消されているらしい。」
ノックノウは「マジか……」などと言葉を漏らしつつ、部屋の奥にあるデスクチェアに腰掛け、質問を重ねる。
「つーか、なんでクロデリアは仲間の記憶消したんだ? そもそもクロデリアはどうなったんだ?」
「クロデリアは死んだよ。」
「へー、死んだのか……。え!?」
ノックノウは驚愕の表情を浮かべ、こちらを二度見した。
佑は狼狽えている悪魔に対し、更に詳しく説明する。
「クロデリアは死に、島瀬の人間にももう戦う意思はない。お前らが戦う理由も無くなったんじゃないのか?」
ノックノウは面食らった表情をしていたが、こちらの話を聞いて焦り始める。
「……確かにそうだが、だとしたらマズいなァ……。残ってる悪魔連中、島瀬の奴らを殺すつもりでいるぜ?」
「!!」
言われてみて、佑はそれが不思議なことではないことに気付く。
生き残った悪魔は全く事情を知らないわけだし、今まで通り島瀬に攻撃を加えて当然なのだ。
(これは、緊急事態だな……)
記憶も能力も失った島瀬の人間は悪魔に対抗できない。抵抗することなく殺されてしまう。
ノックノウもさすがにそれは気が引けるようで、擁護の意思を示した。
「オレも何とかして連中説得してやるからさ、お前も手伝えよ。見たところ、お前らはまだクロフト使えるんだろ?」
願ってもない提案だ。ノックノウにどのような心境の変化があったのか分からないが、協力してくれるなら別にそれでいい。
佑は早速ノックノウに悪魔側の状況を確認する。
「……分かった。悪魔の数は?」
「そこまで多くねェぞ。せいぜい10ってところだ。」
(案外少ないな……)
ノックノウに半分任せれば5人だ。場所に関しては俺のクロフト能力で簡単に特定できるだろうが、説得をするのは難しいように思える。
いざとなれば力でねじ伏せてもいいが、そうなると余計なトラブルを生んでしまうような気もする。
どうしたものか考えていると、今までおとなしくしていた椿が嬉しそうに言葉を発した。
「じゃ、今日の勉強会は中止ってことで……」
「いいや、1時間で説得を済ませれば1時間は勉強できる。お前も手伝えよ。」
「えー……」
椿の不満気な言葉に対し、橘香は真面目な口調で注意をする。
「手伝わなきゃ駄目だよ椿ちゃん、島瀬の人間が狙われてるってことは、お父様やお母様も危ないってことなんだよ?」
「……。」
両親のことを持ち出すと、椿は不服そうにしつつも頷いた。
協力を得られて安心したのか、ノックノウはデスクチェアから立ち上がるとベランダに出て、手摺の上に飛び乗る。
「それじゃァ先に行ってるぞ。オレは東側の連中を説得するから、お前らは西側な。」
そう告げ、ノックノウは3階のベランダから飛び降りた。
佑はベランダから目を離し、顎に手を当てて今後の方針について考える。
(まずは島瀬の人達を保護しておくか……。)
ノックノウはああ言っているが、まずは悪魔を説得するよりも島瀬の人達を安全な場所に移動させたほうがいい。
そうと決まれば話は早い。
「行くぞ橘香、椿。」
「わかった。」
「仕方ないなぁー。」
橘香も椿も勉強をしなくて済むのが嬉しいのか、これからやる面倒事について異論は全く無いようだ。
人としてそれはどうかと思うが、今はそれについて言及しても仕方がない。
(説教は後だな……。)
……面倒事は嫌いだが、争い事はもっと嫌いだ。
さっさと悪魔連中を説得すべく、佑は橘香と椿を引き連れてベランダから外へ飛び出す。
――この間まで冷たかった春の夜風も、今は涼しく感じられた。