第四章 明かされる事実
12
昼休みの屋上にて。
昼食を終えた佑は一人、ベンチに腰掛けて読書にふけっていた。
……というのは嘘で、実際には本を開いた状態で今朝の將一の言葉を思い出していた。
(島瀬と悪魔に関わる重大な秘密、か……。)
一体、茉弓という女性は何を知ってしまったのだろうか。
クロデリアを殺したいと思うほど衝撃的な秘密には違いないだろうが、いくら考えたところで今の俺の頭では分かりそうもなかった。
「――佑くん、ここにいたんだ。」
物思いに耽っていると、不意に前方から女子生徒が……橘香が近寄ってきた。
橘香は漆のように艷やかで長い髪を後頭部でまとめていたが、固定が甘いのか、歩く度に髪留めがぴょこぴょこと動いている。
やはり、夜遅くまで起きていたせいで髪をセットする時間に余裕がなかったみたいだ。睡眠時間も足りていないのか、心なしか目つきも悪い。
そんな橘香が開口一番発したのは非難の言葉だった。
「ひどいよ佑くん。どうして今朝は迎えに来てくれなかったの?」
ベンチに座り、本を片手に持って寛いでいた佑は、本に視線を向けながら当たり前のように返答する。
「そりゃあ、遅刻しないためだろう。」
こちらのセリフに対し、橘香はいじけたように応える。
「私、ずっと佑くんが迎えに来るのを待ってたんだよ? そのせいで今日初めて遅刻しちゃったし……。」
橘香はベンチには座らず、俺の正面に立ったままさらに言葉を続ける。
「それに、一人で行くならそう言ってよ。全然迎えに来てくれないから、昨日のかくれんぼのせいで体調崩したんじゃないかと心配したんだから……。」
心配されるのはありがたいことだ。が、それとこれとはまた別問題のように思える。
佑は一旦本を閉じ、橘香に告げる。
「もう高校生だろう。一人で登校できないのか?」
「馬鹿にしないで。電車くらい一人で乗れるよ。私が言いたいのはそういうことじゃなくて、つまり……佑くんと一緒に通学したいの。」
橘香はいつになくムキになっている。
一緒に通学したいという気持ちはありがたいが、そのせいで遅刻していては元も子もないし、橘香の親にも悪い。
「わかったわかった。だが、遅刻を俺の責任にするのはどうかと思うぞ。」
間に合わないと分かっていても俺を待っていたのは明らかに判断ミスだ。
これで少しは反省してくれるかと思っていたのに、橘香は先ほどよりも大きな声で言い返してきた。
「遅刻したのは佑くんのせいでしょ!!」
「だから、俺のせいにするんじゃない。」
飽くまで俺は普通の口調で受け答える。
すると、なぜか突然橘香の目が潤んできた。
「う……うぅ……」
(うわ……)
佑は反射的に本をベンチに置き、既に泣き始めている橘香の頭を撫でる。小さい頃は頭を撫でればすぐに泣き止んだものだが、今回はそうも行きそうになかった。
その後、橘香は嗚咽を漏らしつつ、小さな声で胸中を告白する。
「この前も、4日間も一緒に通学してくれなかったし、もしかしたらもう一緒に通学するのが嫌になったんじゃないかって……。」
「……。」
正直な所、橘香の気持ちもわからないでもなかった。
高校生となって環境がガラッと変わり、それだけでも負担なのに、その上俺にも異変があれば多くのストレスが掛かるはずだ。
少し言い過ぎたかもしれないと思い直し、佑はすぐに平謝りする。
「橘香、悪かった。明日からはいつも通り、一緒に通学しよう。」
「……本当は嫌なんでしょ、佑くん。」
橘香は目元を手のひらで隠したまま、言い続ける。
「いきなり変なことに巻き込まれて、昨日も夜遅くまで付き合わされて……本当は迷惑してるんでしょ……。」
「そんな事は……」
その言葉を否定しようとして、佑は言い淀んでしまう。
実際、心身ともに負担になっているのは事実だからだ。
その沈黙を肯定と受け取ってしまったのか、橘香はとうとう本格的に泣きだしてしまう。
「やっぱりそうだったんだ……。私のせいだ。私のせいで佑くんは……。」
橘香はすぐに顔を手で覆ってその場から離れ、屋上からも出て行ってしまう。
……佑はその後を追うことができなかった。
――午後の授業もすぐに終わり、放課後がやってきた。
多くの学生は部活動に所属しているため、校門から出ていく生徒の数はかなり少ない。
その中に佑の姿もあった。
(遅いな、橘香のやつ……)
佑は校門近くで待機しており、橘香が来るのを待っていた。
普段通りであれば既に橘香は現れているはずなのだが、10分経ってもその気配は感じられない。
もしかして、先に帰ったのかもしれない。
昼休みの屋上のこともあるし、そう考えるのが自然だ。俺の顔も見たくないのだろう。
(今日は一人で帰るか……いや、後もう10分……)
すぐに帰ろうか、もう暫く待とうか、どうするか迷っていると、元気な掛け声が背後から聞こえてきた。
「よー佑くん。橘香待ち?」
馴れ馴れしく話しかけてきたのは椿だ。
佑は椿の質問に正直に答える。
「待っているんだが一向に来ない。多分、昼間に喧嘩をしたせいだろうな。」
「け、喧嘩!?」
椿はこちらの言葉に対し、わざとらしく口元に手をやってまぶたをパチパチさせている。
その挙動にイラッとした佑は、椿のおでこをデコピンし、呆れ口調で告げる。
「喧嘩というか、橘香が一方的にわがままを言っているだけだ。毎日通学に付き合うのは嫌ではないが、強制されるとなると話は違ってくる。」
「やっぱりそのことかー。」
「……どういうことだ?」
何か事情を知っている風だったので、佑は椿に説明を求める。
椿は自分のおでこを撫でつつ、いつになく真面目に答える。
「今でこそ橘香は普通に学生生活を送ってるけど、一昔前まではずーっと周囲から切り離された環境にいたからなぁ。あの頃の橘香はクロクラフトの発動が不安定な時期だったし、事故を防ぐために敢えて友達も作らなかったんだ。」
「……。」
そう言われてみれば、橘香は体育や水泳には全く参加していなかった。授業中も大人しかったし、休み時間もじっと机に座っていたのを覚えている。
俺が内申点のために低学年のお世話係を買って出ていなかったら、橘香と巡りあう事すらなかっただろう。
そう思うと何だか感慨深い。
橘香の過去を何気なく思い出している中、椿は話を再開させる。
「そんな橘香が、唯一お前だけには遠慮しなかった。事故を起こすかもしれないと分かっていても、親から散々注意を受けても、橘香はお前に関わり続けた。この意味が分かるか? 橘香にとって、お前は両親以上に大切な存在なんだ。お前以外に頼れるものなんて無いんだよ。」
「そうか……。」
言い換えれば、強い依存である。
俺も、前々からそのような思いを向けられていると気付いていた。それでも構わないとも思っていた。そのくらいの気持ちを受け止められるだけの甲斐性はあると考えていた。
いや、今だってその覚悟はある。
その覚悟は、佑にある行動を取らせていた。
(どこだ、橘香……)
佑は即座に慧眼のクロクラフトを発動させ、橘香の居場所を探る。
一昨日までトランプカードや薄い布しか透視できなかったこの能力も、今では数百メートル先までその効果範囲を広げており、数千人の中からある一定の人を探し当てることができるまでになっている。
これもそれも、魔女の眼さまさまだ。
発動させてしばらくすると、周囲に存在するありとあらゆる情報が脳内に流れこんできた。それは視覚情報に変換され、佑の頭の中でイメージ化される。
感覚的な物を説明するのは難しいが、簡素化された立体地図を見ている感覚に近いかもしれない。
変に意識すると集中力が乱れるし、深く考えるのはやめておこう。
「佑、もしかしてクロフト使ってるのか……?」
「そのとおりだ。気が散るから黙っててくれ。」
「はいはい……。」
椿を黙らせてから間もなくすると、橘香の位置がわかってきた。
佑はその位置あたりに意識を集中させ、場所の特定を急ぐ。……が、急ぐまでもなく橘香の場所は把握できた。
「裏門か……。」
橘香は周囲をチラチラ見ながら、裏門へ向かっていた。
俺と会いたくないがために、わざわざ裏門から出て行っているというわけだ。
まあ、あれだけ怒鳴って文句を言って泣いてしまえば、気まずくなる気持ちも理解できる。
それでも、佑は橘香をこのまま一人で帰らせるつもりはなかった。
佑はショルダーバッグの紐の位置を微調整し、校舎の裏側にある裏門へと向かうべく小走りで移動し始める。
しかし、数歩足を運んだ所で振り返り、椿に声をかけた。
「付いてこないのか?」
「私に付いて行って欲しいわけ?」
椿は特に橘香のことを心配しているわけでも無さそうだ。それに、椿がついてくると逆に厄介なことになるかもしれない。
「いや、来ないのならそれでいい。」
佑は先程のセリフを撤回し、再び裏門に向けて走りだした。
13
「――閉まるドアにご注意下さい……」
学校の裏門を抜け、橘香を追い続けること15分。
佑はアナウンスを耳にしつつ、電車内の長椅子に腰掛けていた。
現在いる場所は、通学時にいつも降りている駅から3駅離れた駅のホーム、そのホーム内に停車している2両編成の電車の中だ。
なぜここまで来たかというと、俺の追跡を早々と察知した橘香が、こちらから逃げるようにして街の中を走り回っていたからだ。
俺は慧眼のクロクラフトを用いて橘香を追い続け、最終的に電車内に駆け込んだ橘香を追って、この駅まで来たというわけである。
橘香も電車に逃げ込めば大丈夫だと思ったのだろうが、それは逆効果だ。走りだした車両から外に出ることはできない。つまり、もう逃げ場はない。
こうなると簡単に捕まえられそうだ。
しかし、こちらの車両内に橘香の姿は見えなかった。それどころか、車両内に人の影は見当たらず、閑散としている。
この時間帯、この付近で電車を利用する人は少ないと予想していたものの、無人だとは思っていなかった。運がいいのか悪いのか……。
とにかく、15分間のマラソンで乱れた息が整い次第、前の車両に移ろう。
折角橘香に会えても、呼吸が乱れていては様にならない。
(しかし、速かったな……橘香。)
佑は呼吸を整えつつ、つい数分前まで繰り広げられていた逃走劇を思い出す。
橘香は頻繁に角を曲がり、狭い路地を走りぬけ、草木の生い茂った林の中にも容赦なく突っ込んでいた。そのたびに俺は橘香の姿を見失っていた。クロフト能力が無ければ最初の3分で追跡を諦めていたほどだ。
流石は島瀬の中でも一二を争うクロフト使いだ。身体能力は女子高生のそれを遥かに超越している。これも稽古とやらの賜物らしい。
そんなことを考えているうちに呼吸も整い、佑は長椅子から立ち上がって前の車両へと移動し始める。
後方の車両と違い、前方の車両には人の姿があった。制服を着ているその人影はもちろん橘香だ。だが、橘香以外にも男の姿があった。
その男は橘香の背後に位置しており、なぜか橘香と密着している。
「……。」
異常を感じ取った佑はスピードを上げ、車内をダッシュで駆け抜ける。
前の車両に到着すると、橘香がこちらに声をかけてきた。
「佑くん!! 来ちゃ駄目!!」
その声に驚き、佑は連結部分から少し離れた場所で足を止める。
よく見ると橘香はその男の左手で両腕を掴まれており、身動きが取れない状態になっていた。また、男は右手の手のひらから刃物のようなもの……いや、鋭い刺を出しており、それを橘香の喉元に当てがっていた。
(あれは……悪魔か。)
世界広しといえど、手のひらから50センチを越す長い刺を出すことができる人間など存在しない。
悪魔かどうかを確認するため、佑は再度慧眼のクロクラフトを使用し、男の“中身”を観察した。
(やはりそうか……。)
彼の体内には人間を構成するための臓器などは一切見当たらない。骨の形状も橘香とは大きくかけ離れており、とても頑丈な造りになっていた。
今は人の形をしているが、間違いなくあれは悪魔と呼ばれるものだ。
黙ったまま対峙していると、手から刺を出している悪魔の方から話しかけてきた。
「そうか、お前が魔女の眼を持ってんだな? こいつを殺されたくなかったらさっさと寄越せ。」
「……。」
佑は黙ったまま、クロフト能力を介して悪魔を観察し続ける。
悪魔はパーカーにジーンズを着用しており、外見は至極普通の格好をしている。短髪は金色に染められ、耳にはピアスが付けられている。見た目にはただの不良青年だ。
こうやって人に化けて、魔女の眼を探していたに違いない。
(まずいな……)
俺には相手に攻撃する手段がない。慧眼のクロクラフトは戦闘に適した能力ではないのだ。
もし攻撃に適したクロフトを使えていたとしてもこの悪魔を追い払うことはできなかったかもしれない。なぜなら、島瀬の中でも強いとされている橘香があんな状態で捕らえられているからだ。
この悪魔の戦闘力はガライゲルを越えていると考えたほうがいい。
揺れる車両内で沈黙を保っていると、再び橘香が声を上げる。
「お願い佑くん、私のことはいいから逃げて……」
逃げろと言われて素直に逃げ出すほど俺は酷い男ではない。と言うか、逃げたくても逃げ道がない。
「黙れ、島瀬の糞ガキが……。」
橘香の発言に苛ついたのか、悪魔は刺をさらに喉元に食い込ませる。
肌の弾力のおかげでまだ血は出ていないが、これ以上食い込むと肌に切れ込みが入りそうだ。
「……しかし、オレも運がいいなァ。魔女の眼に偶然会えるなんてよ。しかも島瀬のクロフト使い付きだ。……ほら、さっさと魔女の眼を寄越せ。このガキ殺しちまうぞ。」
殺す、というワードに反応し、橘香は目をぎゅっと閉じる。
その表情を見た佑は、ほぼ反射的に叫んでいた。
「待て!! 橘香を放せ。魔女の眼が欲しいなら俺を殺せばいいだろう。」
「馬鹿か。魔女の眼の加護のせいでオレはお前に手出しできねーんだよォ。それどころか魔女の眼の取り出し方も知らねェ。」
なるほど、そう言えばそうだった。
魔女の眼はクロフト能力を低減させる効果を持っているのだった。
敵に指摘されるまで思い出せないとは、何とも情けないことだ。……が、この言葉のお陰で打開策が見えてきた。
「それは残念だったな。この魔女の眼は俺を殺さない限り取り出せない。つまり、お前が何をした所で無駄ということだ。」
「それ、マジで言ってんのか?」
悪魔はこちらの言葉を疑うように語尾を上げる。
しかし、こちらが黙って頷くと、悪魔は諦めたようにため息を付いた。
「はぁ……。せっかく人払いまでしてこの電車内に誘い込んだってのに、とんだ無駄足だったみてーだなァ。……ま、取り敢えずこいつを殺して帰るか。」
「……!!」
俺の希薄な態度を見て、橘香に人質の価値が無いと判断したのだろう。
その悪魔は長い刺をさらに伸ばし、とうとう橘香の首元に傷をつけた。
「あ、ぅ……。」
橘香は抵抗できないのか、弱々しい声を上げる。切断のクロフト能力を使えば一瞬で倒せそうな気がするが、何らかの理由で能力を使えないみたいだ。
橘香の白い肌には一筋の赤い線が生じており、そこから少量の血が流れ始めていた。
今のところはただの切り傷だが、本格的に棘に刺されるともっと大量の血が流れることだろう。
その血を目にした瞬間、佑は走り出していた。
「橘香!!」
佑は橘香の名を叫び、無謀にも悪魔に飛びかかる。
そして、棘が飛び出している腕を両手で掴み、橘香から遠ざけた。
……が、悪魔の腕を引っ張っていられたのも一瞬のことで、すぐに掴んでいた腕を外されてしまう。
そして、悪魔が軽く腕を振っただけで、佑はいとも簡単に遠くへ吹き飛ばされてしまった。
佑の行動に悪魔は驚いていた様子だったが、次第にほくそ笑み始める。
「へェ……、そんなにこいつが大切なわけ? 魔女の眼の取り出し方を知ってりゃ死なせずに済んだのに、残念だったなァ……。」
この悪魔の本来の姿はクロフト能力をもってしても分からないが、このように極度の苛立ちを覚えさせられるほど憎たらしい表情を浮かべられるのだし、人の形になることに慣れているのだろう。
今はそんなことはどうでもいい。
何としてでも悪魔から橘香を救い出さねばならない。
「橘香を放せ……!!」
佑は再度悪魔に向かって走り、丸腰のまま立ち向かう。
あまりにも無謀だが、今はこれ以外にいい方法がないのだから仕方がない。
しかし、走りだした瞬間、車両が大きく揺れ、佑はその場で盛大にこけてしまう。
……どうやら電車が急停止したようだ。
転倒した俺とは違って、棘の悪魔は橘香を拘束したまま微動だにしない。あの振動にもかかわらず棘も喉元の手前で止まっている。
(よかった……)
橘香の無事を確認した佑は、急停止した原因を探るべくクロフト能力を使用して周囲を探る。
すると、背後に人……いや、悪魔の存在を確認できた。
その悪魔は棘の悪魔とは違って人間に化けておらず、悪魔らしい外見をしたいた。
側頭部には、羊のツノを連想させる螺旋状にねじれた重厚な黒角が生えており、頭部全体には長くて黒い髪も生えている。その長い髪のせいで顔は隠れていたが、慧眼のクロクラフトのお陰で詳しい形状を把握できた。
目元にはおおよそ人の物とは思えない真っ黒な双眸があり、その中には金色に輝いている縦長い瞳がある。眼と同様、鼻の穴も2つあり、その下には薄い唇もあった。色合いはともかく、その構成は人間と差異は認められない。
続いて、首から下に注意を向けると、胸元に二つの山を確認できた。四肢や体躯も比較的細く、スレンダーな体型をしている。体長もガライゲルのように大きくなく、俺とさほど変わらないし、まるで普通の女性のようだ。
だが、肌は普通とは違って紫がかった青色であり、固そうな皮膚とも鱗とも取れるようなもので覆われていた。
さらに特筆すべきは、ガライゲルと違って服を着用していることだ。
その黒角を持つ悪魔は丈の長い革製のコートを羽織っていたのだ。
やはり、女性のような外見をしているし、裸のままだと恥ずかしいのだろうか。そもそも恥ずかしいという概念はあるのか、甚だ疑問だ。
(じっくり観察してる場合じゃないな……)
外見についてはともかく、いつの間に車内に侵入したのだろうか……。
あの刺の悪魔でさえ対処できないのに、2体の悪魔を相手にできるわけがない。魔女の眼の加護だって、2体に同時に攻撃されたら打ち破られるかもしれない。
色々と不安を覚えつつその場に留まっていると、背後にいた黒角の悪魔が刺の悪魔に向けて話し始めた。
「その娘を殺すつもりですか。『ノックノウ』。」
外見に加え、声も女性のものだ。ただ、その声は少しだけくぐもっていた。
ノックノウと呼ばれた棘の悪魔は黒角の悪魔と知り合いらしく、馴れ馴れしくその言葉に応じる。
「何だよ『ルゥメトギス』、邪魔すんじゃねェぞ。」
「邪魔をするとかしないとか、そういう話ではありません。」
そう言って、ルゥメトギスと呼ばれた黒角の悪魔は歩き始める。
どうやら彼女は足の裏側まで硬い皮膚で覆われているらしい。歩を進める度にカツンカツンという足音を響かせていた。
ルゥメトギスは俺を素通りしてノックノウの正面に立ち、先程の話を続ける。
「島瀬の人間を殺せば、必ずクロデリアから報復を受けます。何十回繰り返せば分かるんですか。私達は頑丈に出来ていますが、不死身ではないんですよ。」
「何だ? お前、クロデリアが怖いのか?」
「クロデリアは強敵です。だからこそ、慎重に事を運ぼうと言っているんです。余計なことはしないで下さい。あと、無駄な殺生も禁止です。」
(これは一体どういうことなんだ……?)
話を聞く限り、このルゥメトギスという悪魔は橘香を助けようとしてくれている。
てっきり2体の悪魔に嬲り殺しにされると思っていた佑にとって、この展開は予想外であり、また、嬉しい展開でもあった。
ただ、こういう冷静な奴が敵にいるのは厄介に思える。後々面倒なことになるに違いない。
しかし、今はこのルゥメトギスに頼らざるを得なかった。
ルゥメトギスの発言に遅れて、ノックノウは反論する。
「あァ? 何が禁止だって? ……どこで誰をどうやって殺そうと俺の自由だろうが。雑魚が偉そうに指図してんじゃねェよ。」
ノックノウは苛立った口調で告げ、橘香に向けていた棘をルゥメトギスに向ける。
棘を向けられたルゥメトギスは特に反応することなく、溜息をつく。
「はぁ……。これだから聞き分けが悪い人は嫌いです。」
「俺も、お前みてーに細かいこと考えてる奴は大っ嫌いだ。……見てるだけでイライラするんだよォ!!」
ノックノウは語尾を荒らげると同時に手のひらから棘を射出する。
(仲間割れか!?)
仲が悪そうにしていたが、まさか攻撃をしかけるとは思っていなかった。
勢い良く打ち出された棘はルゥメトギスの顔面めがけて飛翔していく。あんな鋭くて大きな棘が命中すれば、悪魔といえどただでは済まないだろう。
だが、その棘が顔面に届くことはない。
……飛んでいた棘がいきなり青い炎を上げ、消滅してしまったからだ。
棘を構成していたものは灰となって宙を進み、やがてルゥメトギスのコートに当たってはらはらと床に落ちる。
ルゥメトギスはその灰を少し見た後、ひどく冷たい声で告げる。
「奇遇ですね。私もあなたのことが嫌いです。」
そう言った瞬間、車両内が一気に明るくなった。
その光の発生源はノックノウであり、全身から青い炎が発せられていた。
穴という穴から勢い良く炎が吹き出しており、助からないのは火を見るよりも明らかだった。
「――ッッ!!」
もはや声も出せないらしい。
ノックノウは頭を押さえながら車内で悶え始める。その際、橘香はノックノウの拘束から解放され、投げ出されるようにして車内の床に倒れた。
(……今だ!!)
佑は素早く橘香に近寄ると、その体をさっと抱き上げ、後部車両に向けて移動する。
その間、ルゥメトギスは何も言わず、何も手出しをしてこなかった。
悶え苦しんでいたノックノウはとうとう観念したのか、いきなり電車の窓を割ったかと思うと、そのまま車外へ飛び出してしまった。
ノックノウがいなくなると、一気に車内は静かになる。
ルゥメトギスはそんな静かな車内を足音を鳴らしながらゆっくりと歩いていき、無人の運転室内に侵入した。
それから間もなくブレーキが解除され、電車はレールの上をゆっくりと滑り始める。
「ふぅ、雑魚はどちらでしょうかね……。」
運転室から出てきたルゥメトギスは、割れた窓を見ながら呟くと、こちらを向いた。
「こんにちは、佑さん。お噂はかねがね。」
悪魔だというのに、妙に落ち着いているように見える。それに、全く敵意が感じられない。先程のノックノウやガライゲルとは大違いだ。
丁寧に挨拶され、佑もそれなりに礼儀正しく応じてしまう。
「どうも。……助けてくれてありがとう。」
「いえいえ、勘違いされては困ります。あなた方を助けたのは保身のためです。こんな目立つ場所で島瀬の人間を殺したとあってはクロデリアに何をされるか分かったものではありませんから。」
もしそうだとしても有難いことだ。
ルゥメトギスが現れなければ、橘香は棘に刺されて天に召されていたはずだ。どんな理由であれ、助けられた事実に変わりない。
佑は電車内の長椅子に横たわる橘香を見ながら、ルゥメトギスに声をかける。
「それで、お前は何のためにここに来たんだ? まさか、あのノックノウとかいう悪魔を止めるためだけに来たんじゃないんだろう?」
初めから止めるつもりなら、あんなに遅れて登場しないはずだ。
そんな俺の予想は当たっていたようで、ルゥメトギスは当たり前のように用件を述べる。
「ええ、本日はお願いがあって参りました。」
「……魔女の眼なら、渡したくても渡せないぞ。」
佑は先に予防線を張ったが、ルゥメトギスは軽く笑い、橘香に視線を向けて言う。
「いいえ、橘香と椿に関するお願いです。」
(橘香……それに椿まで……?)
魔女の眼が目的じゃないのなら、一体何をお願いするつもりなのか。
「……。」
無言のままルゥメトギスの言葉を待っていると、ルゥメトギスは近くにあった長椅子に腰掛け、リラックスした様子で話を続ける。
「いいですか佑さん、来週のこの時間、我々は島瀬の屋敷で総力戦を行います。その際、少しでも島瀬側の戦力を削れればと思い、彼女達を遠くにやってくれるよう、お願いしにきたというわけです。」
「総力戦……。」
「はい、来週我々は全力を尽くします。いくら戦闘特化のクロフト能力者でも、大怪我は免れないでしょう。と言うか確実に死にます。」
いきなり総力戦を仕掛けるなんて言われてもすぐには信じられない。
助けてくれたことには感謝してるが、それとこれとは別の話だ。
「……島瀬にとって不利益になることに協力するわけがないだろう。」
きっぱりと言い放つと、ルゥメトギスは足を組んでため息混じりに応える。
「状況が全く理解できていませんね。……今の攻撃を見ても分かると思いますが、私の戦闘能力はかなり高いです。あの炎に対処できるのはクロデリア以外に存在しません。もし彼女達が屋敷にいれば、間違いなく殺されてしまうでしょう。」
「そんなことは……」
ない、と言いかけて佑は言葉を呑み込む。
事実、橘香はこのルゥメトギスどころか、ノックノウに反撃できなかった。
橘香のクロフト能力は強力だし、万能だと俺は思っていた。橘香自身もそう思っていたはずだ。しかし、最強ではない。
強い悪魔相手だと手も足も出ないのだ。
(クソ……)
視線を逸らして下唇を噛んでいると、ルゥメトギスがまた話しかけてきた。
「佑さん。我々の目的はクロデリアの殺害です。それ以外のことに興味はないのです。こちらは無駄に戦力を削られたくない。貴方も女性二人に怪我をさせずに済む。……どうです?」
ルゥメトギスはしつこく俺に要求してくる。
しかし、その言葉の中に気になる単語を見つけ、佑は咄嗟に言い返す。
「ちょっと待て。……お前ら悪魔の目的は魔女の眼じゃなかったのか?」
クロデリアの殺害が目的だなんて、今の今まで知らなかった。
將一兄さんの目的もクロデリアみたいだし、もしかしてこのルゥメトギスも將一兄さんと繋がっているかもしれない……。
その事を確認するべく佑はルゥメトギスに質問を投げかけようとしたが、こちらが話しかけようとしたタイミングで答えが返ってきた。
「……そうです。ほとんどの悪魔の目的は魔女の眼です。」
「どうしてお前だけクロデリアを殺そうとしてるんだ……?」
「それは……」
この話題には触れられたくなかったようで、ルゥメトギスは意見を一切受け付けないと言わんばかりに早口で答える。
「それは話したくありません。すみません。……とにかく、そういうことですので。くれぐれも屋敷に近付かぬようお願いします。」
ルゥメトギスは俺にお願いを一方的に押し付け、乗降口から車外へ出ようとする。
いつの間にか電車は無人駅に停車しており、窓からホームの様子がよく見えた。
背中を見せたルゥメトギスに対し、佑は警告する。
「おい、まだ俺は了承したわけじゃない。それに、クロデリアにこの情報を流すかもしれないぞ。いいのか?」
「そんなことはしませんよ。佑さんは……。」
ルゥメトギスはそれだけ言って、ホームに降りる。
車外に出ると同時にルゥメトギスは人の形に変化し、黒い角は消え、肌の色も人間と相違ない色になっていた。
「何なんだあいつは……」
まだ聞きたいことは山ほどあったが、橘香を車内に置いたまま追いかけるわけにもいかない。
かと言って、このまま電車内に残っていても面倒なことになるだけだ。
(取り敢えず電車から降りるか……)
佑は未だに気を失っている橘香を背負い、警察が到着する前に無人駅から逃げ出すことにした。
14
(――結局、言い出せなかったな……)
電車内でルゥメトギスと遭遇してから一週間が経った。
その間、佑はクロデリアに報告する機会が何度もあったのだが、とうとう何も言えずにこの日を迎えてしまった。
島瀬の人たちも橘香の体を心配するばかりで、なかなか話し出せる雰囲気でもなかった。
今日も、佑はクロデリアに報告するかしないか、教室の机に突っ伏して悩んでいた。
(悪魔も一枚岩じゃない。それは理解できた。だが、あの言葉自体嘘だという可能性もあるわけだし……)
考えれば考えるほど頭が痛くなってくる。
こんなに悩むくらいならさっさとクロデリアに言って楽になりたいが、そんなに簡単な話でもない。
俺がクロデリアに話したことがバレたら総力戦を中止する可能性もあるし、告げ口をした腹いせに橘香や椿が危険にさらされることもあり得る。
俺の行動一つで、人の命が大きく左右されるのだ。悩まずにはいられない。
そもそも、信じてもらえるかどうかも怪しいところだ。
「はぁ……」
あれから橘香は学校を休んでおり、屋敷に行っても橘香には会わせてくれない状況だ。どこも悪いところはないと聞いているが、やはり心配だ。
昼休みに入ってから3度目のため息を付きつつ、佑は頭を抱える。
そんなことをしていると、またしても後ろの席に座る女子生徒が話しかけてきた。
「どうしたの佐玖堂くん、悩み事?」
「見れば分かるだろう。わかりきったことを聞くな……。」
佑はうつ伏せのまま慧眼のクロクラフトを使用し、背後にいる女子生徒の様子を確認する。
女子生徒は紙パックの抹茶ミルクを片手に持っており、そのストローは唇の周辺を彷徨っていた。食後のデザートと言ったところだろうか。
もう一方の手は机上にあり、学校で配布されている参考書のページを押さえている。どうやら自習をしているようだ
大人しく自習をしていればいいものを、女子生徒は参考書から目を離し、こちらの背中を見ながら会話を続ける。
「それってどんな悩み? 聞いてあげようか?」
「ほっといてくれ。大人しく勉強していろ。」
「でもさぁ、ため息つきながら俯いてる男子が前にいると、勉強に集中したくてもできないんだよね……。」
「だったら図書室にでも行けばいいだろう。」
頑なに会話を拒んでいると、とうとう女子生徒はいらだちの表情を浮かべ、こちらの背中を小突いてきた。
「何よ、折角人が心配してあげてるっていうのに……。そんなんじゃ彼女できないよ。」
「別にいい。間に合ってる。」
これ以上女子生徒に絡まれるのも面倒だ。
そう判断した佑は素早く席を離れ、机の合間を縫って教室外へ移動していく。
「あ、逃げるつもり!?」
そんな俺の行動を見て、女子生徒は抹茶ミルクを机に置き、追いかけてきた。本当に面倒くさい奴だ。
佑は歩みを早め、教室を出て廊下に出る。そのまま屋上にでも行って女子生徒の追跡を撒くつもりだったが、その予定は出鼻で挫かれてしまう。
タイミングよく目の前にある人物が現れたからだ。
「椿……。」
目の前に出現したのは1学年上の先輩……木佐貫椿だった。
その表情からは覇気が感じられず、しょんぼりとしている。
こちらが名前をつぶやくと椿もこちらの存在に気づいたのか、小さく返事をする。
「あ、佑……丁度良かった。ちょっと話があるんだけど……時間、いいか?」
心なしか喋り方もしおらしい。普段からこのくらい大人しければ先生から注意を受けることもないだろうに、何とも嘆かわしいことだ。
そんな事を感じつつ、佑は椿の願いを聞き入れる。
「構わないぞ。」
快諾すると、椿は許可もなく俺の手を掴み、踵を返して階段の踊り場へと向かっていく。
半ば引っ張られるようにして俺は歩き出したが、後ろから来た女子生徒がそれを許してくれなかった。
「待ってよ、佐玖堂くん!!」
女子生徒は強引に俺の腕を掴み、教室内に引き込もうとする。
結果、俺は左右に引っ張られることになり、その場で踏ん張らざるを得なかった。
「ちょっと、逃げないで私の話を……え……?」
女子生徒は大きな声で話していたが、すぐ近くで俺と手を繋いでいる椿を見て言葉を途中で止めてしまう。
彼女の目には椿はどう写っているのか。予想できそうにないが、驚いているのは事実だ。
佑はそんな虚を付き、女子生徒に話しかける。
「悪いが、二人で大事な話をしたいんだ。離してくれ。」
「あ……うん、ごめん……。」
それらしい雰囲気を漂わせながら告げると、あっさりと女子生徒は手を離してくれた。
椿は女子生徒のことなど気に留める様子もなく、ずんずんと廊下を歩いていく。やはり椿の格好は校内でも目立つらしく、男女問わず、すれ違う生徒の殆どが椿を見ていた。
やがて階段に指しかかると、佑は椿に説明を求める。
「わざわざ教室に来るなんて、どんな内容の話だ? やはり、島瀬の……」
「違う違う。」
階段の中ほどで椿は歩みを止め、こちらに振り返る。
「ちょっと放課後、付き合ってほしい場所があってさ……」
いつになく椿は真剣な眼差しで俺を見ている。
あのちゃらけた椿が憂いの表情を浮かべ、しかも俺に同行を求めるなんて只事ではない。それに、どこか物憂げな雰囲気も気になる。
「……どこに行くつもりだ。言ってみろ。」
行き先を聞いてはみたが、別にそこまで知りたいわけでもない。
「実は……」
椿は俺に促され、行き先について話し始める。
……たとえ椿がどんな場所を口にしても、どこにでも付いて行ってやるつもりだった。
15
――放課後。
佑と椿は市内でも北に位置する山の斜面にある霊園を訪れていた。
斜面に生えていた樹木を伐採して造られたこの霊園はなかなか小奇麗で、全体的に扇状に上へと広がっている。墓石は段ごとに一列に並べられていて、その段数はゆうに10を超えていた。
遠くから見ると野外コンサート会場の観客席のように見えなくもない。
墓石は等間隔に配置されており、古い物も多々見られるが、汚いものは一切見当たらなかった。管理も行き届いているようだ。
佑と椿はその段の中でも中腹辺りを移動していた。
「……お姉さんの命日?」
「うん、本当は家族で来る予定だったんだけど、橘香が悪魔に襲われたせいで島瀬は今大変なことになってるでしょ? 一人じゃ寂しいし、佑にもお姉ちゃんのこと知ってもらいたかったし。」
「椿のお姉さん……確か、茉弓さんとか言っていたな……」
前を行く椿の手にはこの霊園に来る途中で購入した白い百合の束が握られている。既に茎は短くカットされ、供えやすいようになっていた。
後に続く佑はというと、柄杓と水が並々と入った手桶を持っており、供え物のお菓子が入った紙袋も持っていた。
これは椿が事前に買っていたものらしく、学校を出るときに渡された物だ。
二人は短い会話を繰り返しながら目的の墓石の場所まで歩いていく。
「……聞いてもいいか?」
「何?」
こちらの言葉に対し、椿は振り返ることなく前を歩き続ける。
そんな椿の背中に向けて、佑は素朴な質問を投げかける。
「その茉弓って人はどんな女の人だったんだ?」
「……。」
椿の姉、茉弓という女性についてはかなり興味がある。なぜなら、將一兄さんは彼女のような死者の無念を晴らすため、敵を討つためにクロデリアを殺すつもりだ、と言っていたからだ。
茉弓さんが死んだ原因は、クロデリアを殺害しようとした点にある。
……なぜ彼女はクロデリアに反抗したのか。
……そもそも、彼女はどんな秘密を知ってしまったのか。
クロデリアを殺そうと考えるだなんて、余程重大な秘密なのだろう。椿に聞いた所で分かる気はしないが、気になって仕方がないのだからしようがない。
椿は少し遅れて、茉弓さんについて話しはじめる。
「……茉弓お姉ちゃんは私より2歳年上で、私が知る中でも最強のクロフト使いだった。お姉ちゃんの『業火のクロクラフト』は一瞬で何でも灰にできるほど強力で、ほとんど敵なしだったんだ。」
「超能力風に言うとパイロキネシスか。」
「うん、そんな感じだな。お姉ちゃんのことは誇らしかったし、優しくしてくれるから好きだった。……でも、やっぱりそんな強いお姉ちゃんが羨ましかった。あと綺麗綺麗ってみんなからチヤホヤされてたし。」
椿は昔のことを思い出しているのか、ため息を付いたり、小さく笑ったり、実に表情豊かだ。
「あ、お姉ちゃんの写真あるんだけど、見てみる?」
椿はそう言いながら携帯電話を取り出し、少し操作したかと思うと、返事を待つことなくこちらに手渡してきた。
携帯電話の画面には無表情な女性の顔が映っていた。
スッキリとした輪郭や目や鼻や口のパーツもよく似ている。髪の色は漆のような深い黒だが、ストレートのロングという点は共通している。
なるほど、流石に椿の姉というだけのことはある。
ただ、彼女から放たれている雰囲気は、椿とは全く違うものだった。
伏し目がちな眼は何とも言えぬ色気があり、薄い唇の合間から覗く八重歯も“可愛さ”というより、野生の獣が持つような“孤高さ”が感じられる。
またその無表情は、何かを達観しているようにも見受けられた。
この目で見つめられ、この唇で話しかけられでもしたら、流石の俺でも緊張してしまいそうだ。
椿はそんな姉を自慢するように言葉を続ける。
「美人でしょ。……でも私、小学校高学年からは変に対抗心を燃やしちゃってさ、それ以降はあまり仲良くしていないし、会話も少なかった。今思えば、もっと色々話していればよかったかもなぁ……。」
「そうか。」
佑は携帯の画面に映る茉弓をじっくり見ると画面を閉じ、携帯を椿に返却する。
椿はそのまま携帯をプリーツスカートのポケットの中に突っ込み、歩くスピードを上げた。
「もう少しで到着するから……って、誰か来てる……?」
椿は前方を見て、怪訝な表情を浮かべる。墓参りする人がそんなに珍しいのだろうか。
「そりゃあ、ここは霊園なんだし誰かは来ているだろう。」
「違う、そうじゃなくて、お姉ちゃんのお墓に誰か来てるってこと!!」
……先ほど椿は家族は島瀬の用事で忙しいと言っていたし、生前の友人か何かだろうか。
気になった佑はクロフト能力を用いて前方にいる人影を詳しく観察してみる。
すると、とんでもない人物がそこにいた。
「……將一兄さん!?」
まだ50メートル程離れているが、あの伸ばし放題の髪や弓なりになっている目元は間違いなく將一兄さんの物だ。
將一兄さんは茉弓さんの墓前でしゃがみ込み、目を閉じて合掌していた。
本当の本当に墓参りに来ているようだ。
「え? ……え!? どうしてあいつがここにいるんだ?」
椿は暫くの間目を大きく見開いて將一兄さんを見ていたが、その表情は次第に険しい物へ変貌していく。
そしてとうとう椿は持っていた百合の花をこちらに強引に預け、將一兄さん目掛けて走りだした。
ダッシュの際に衝撃のクロクラフトを使用したようで、椿は陸上選手も真っ青になるくらいの加速度で以って数々の墓石の前を駆け抜けていく。
そのダッシュのせいで椿の短いスカートは大きく捲れていたが、椿にはそんな事で恥じらう余裕はないらしい。50メートルの距離を2,3秒ほどで駆け抜けると、またしてもクロフト能力を用い、將一兄さんの背後で急制動をかけた。
「おい裏切り者。この間はよくも変な注射してくれたな。あのせいで暫く体に力入らなかったんだぞ。」
「……。」
背後に殺気立った椿がいるというのに、將一兄さんは合掌したまま微動だにしない。
「おい聞こえてるのか!? このまま仕返ししてやってもいいんだぞ!!」
啖呵を切ったものの、流石の椿も無反応の人間を攻撃するほど外道ではないようで、両手の拳を握りしめたままやきもきしている。
その隙に佑は走り、椿に10秒ほど遅れて將一兄さんの元まで移動した。
茉弓さんの墓前まで来ると、ようやく將一兄さんは口を開ける。
「佑くん、こんな所で会うなんて奇遇だね。会えて嬉しいよ。でも、この人の墓参りをしている所はあんまり見られたくなかったかな。」
將一兄さんは穏やかな声でそう告げると、ようやく振り向き、人畜無害な笑顔を見せた。
椿もこの微笑みのせいで毒気を抜かれてしまったのか、肩から力が抜け、先程の勢いも嘘のように萎んでいく。また、視線も逸らしてしまった。
逸らした視線の先、椿は何かを見つけたようで、小さく呟く。
「あ、花……」
墓石の両隣にある花立てには艶やかな色の花が供えられていた。
將一兄さんはちらりとその花を見て、事情を説明し始める。
「ごめんごめん。木佐貫の人達は島瀬の件で忙しくて墓参りに来られないかと思って、勝手に供えさせたもらったよ。それにしても2年か……。あの人がもういないだなんて、まだ信じられないよ。」
そう言って將一兄さんはその場で立ち上がり墓前の前から離れる。どうやら椿に場所を譲ったらしい。
それを察した椿は無言のまま墓前に立ち、軽く俯いて合掌する。
普段活発にしている椿がこういうふうに無言で静かに手を合わせているのを見るのはなんだか新鮮だ。
墓前から離れた將一兄さんは合掌している椿を眺めつつ、小声で話しかけてきた。
「この間は勝手にお邪魔して悪かったね。」
こちらも椿の背中から目を逸らさず、將一兄さんに応じる。
「別に構わない。あの時色々と話を聞けて良かった。」
將一兄さんは、茉弓さんを殺したクロデリアに復讐するために島瀬を裏切った。また、クロデリアを殺して茉弓さんの遺志を受け継ぐつもりだと言っていた。
そのことが頭に入っていたというのに、今日この場所に將一兄さんが現れるかもしれないと少しでも予測できなかった自分が情けない。
こんな事に思い至らないなんて、俺も相当に参っているらしい。まあ、黒角の女悪魔、ルゥメトギスとの事もあるし、体調を崩している橘香のことも気になる。
(そう言えば、早いところ橘香を連れ出しておかないと危ないな……。)
ルゥメトギスの話が本当なら、今日、島瀬の屋敷は大量の悪魔によって襲撃される予定だ。とうとう島瀬の人達に伝えられなかったが、せめて橘香は屋敷の外に連れ出しておきたい。
しかし、あの屋敷から橘香を連れ出すのは困難を極める。
(もう、將一兄さんに頼む以外に方法はないな……)
隠匿のクロクラフトなら人一人を誘拐するくらい何てことも無いはずだ。
將一兄さんに頼み事はあまりしたくなかったが、橘香の命が掛かっているのだし、今はそんな事を言っている場合じゃない。
「ところで將一兄さん、頼みたいことがあるんだが……。」
「ん? なんだい?」
佑は椿にこの話を聞かれぬよう、將一に耳打ちしようとする。
しかし、耳元に口を近づけた所で、將一兄さんはこちらの肩を叩いてその動きを制した。
「わざわざ耳打ちなんてしなくてもいいよ。この娘に聞かれたくないなら、僕のクロフトで会話を聞こえないようにしてあげるよ。」
つくづく便利な能力である。
そして、今こうやって堂々と能力のことを話しているということは、既に將一兄さんは椿に能力を行使しているに違いない。
そう判断し、佑は遠慮なく將一に話を切り出す。
「実は今日、悪魔がクロデリアを殺すために総力戦を仕掛けてくるらしい。両方に大きな被害が出そうだから橘香を連れ出して欲しい。」
こちらのお願いに、將一兄さんは笑って応える。
「いきなり何を言い出すかと思えば……、そんな話は聞いていないよ。ガライゲルも今日はオフらしいし、大体、悪魔の目的は魔女の眼だってこの間も……」
將一の言葉を遮り、佑は更に続ける。
「この話、ルゥメトギスって悪魔から聞いたんだ。將一兄さんはそいつとは知り合いじゃないのか?」
「悪いけど、僕と繋がりがあるのはガライゲルだけだよ。……でも、その名前は知ってるよ。何でも新入りらしくて、ついこの間も悪魔同士で喧嘩したらしい。よくやるよ。」
「喧嘩……」
この前の電車内での事を言っているみたいだ。
下手したら死人が出るようなあんな戦闘を軽く“喧嘩”で済ませるのだから、やはり悪魔は恐ろしい。
「ま、大方嘘だろうね。一介の悪魔がクロデリアを殺せるわけがないよ。」
將一兄さんはこちらの意見を全て否定し、会話を終わらせる。
しかし、そのすぐ後に、俺の意見を肯定する言葉が聞こえてきた。
「――彼の言ったことは嘘ではありません。」
「誰だ!?」
どこからともなく聞こえてきたその言葉に、將一兄さんは過剰に反応する。
それも無理は無い。なぜなら、今の会話はクロフト能力によって他の誰にも聞き取れないようになっていたからだ。
それを聞けるということは、つまり声の主もクロフト能力者だということになる。
俺は声の主の場所を特定すべく、少し遅れて慧眼のクロクラフトを使用する。だが、クロフト能力を使うまでもなく、その声の主は姿をあらわにした。
「すみません、驚かせるつもりは無かったのですが……」
謝罪しながら墓石の背後から現れたのは悪魔であり、佑はその悪魔の名前を知っていた。
「ルゥメトギス、どうしてここに……?」
こちらが名前を呼ぶと、ルゥメトギスは馴れ馴れしい感じで手をひらひらと振る。
紫がかった青い肌や頭部に生えている螺旋状の黒い角は、この霊園という場所にはミスマッチだった。
それを彼女自身も把握していたのか、手を振り終えるとすぐに人に似た姿へ変化した。
肌の色は血色が感じられる明るい色になり、角や鱗もなくなり、体全体が柔らかそうなラインを描いていく。
すると、將一兄さんから信じられない言葉が発せられた。
「――茉弓……さん?」
一体この人は何を言っているのだろうか。
まさか、墓石の裏から現れたので茉弓さんの幽霊か何かと勘違いしているのではないだろうか。
それにしたって、あの悪魔を故人と間違えるなんてどうかしている。
將一兄さんを見ると気が動転しているようにも見えるし、ここは落ち着かせたほうがいいかもしれない。
そう考え、將一兄さんに声をかけようとしたが、それよりも早くルゥメトギスが將一兄さんの言葉に応じてしまった。
「……久し振りね將一くん。見ない間に随分と大きくなりました。」
「おいルゥメトギス、冗談も大概にしておけよ。」
これほど質が悪い冗談もそう無いだろう。故人を騙って会話をするなど、インチキ霊能者でも躊躇する行為だ。
それでも、ルゥメトギスは気にする様子もなく話し続ける。
「椿ちゃんも久しぶり。クロフトの稽古、サボってない?」
話しかけられた椿は呆然としていたが、すぐにその言葉に応える。
「サボってなんかないよ。……って言うか、お姉ちゃんに化けるなよ、この悪魔。」
確かに、完璧に茉弓という女性に化けているように思う。先ほど椿から見せられたお姉さんの写真にそっくりだ。まるで生き写しである。
茉弓さんそっくりに化けたルゥメトギスに対し、椿は悪態をつき、戦闘の構えをとる。しかし、ルゥメトギスは尚も堂々としており、敵意は全く感じられない。
「酷いですね椿ちゃんは。この姿になればいの一番に私が茉弓であると気付いてくれるかと思っていたのですが。」
ルゥメトギスは若干残念そうに告げると、両手を広げてゆっくりと椿に近づいていく。そして、正面から椿を抱きしめた。
いきなりの行動に俺も將一兄さんも対応できなかった。
しかし、その抱擁から何らかの愛情が感じられ、俺は手を出すことも、注意をすることもできなかった。
正面から抱き締められた椿は、オロオロしながらも辛うじてルゥメトギスに質問する。
「……本当に、本当にお姉ちゃん?」
椿自身もこの悪魔が茉弓さんではないかと疑い始めたらしい。
ルゥメトギスは椿とくっついたままその疑問に答えた。
「正確に言えば違いますね。でも、私の今の体が、力が、茉弓という女性を元に構成されているのは事実です。」
(……構成?)
口から出任せに言っているのかもしれないが、妙に真実味がある。
「この際だから話してしまいましょう。」
そう言って椿から離れると、ルゥメトギスは墓石の前にある丁度いい高さの段に腰掛け、有無を言わさず説明を開始した。
「今現在、私達が悪魔と称しているのはクロデリアによって作られた人工生命体なんです。」
「……へ?」
反論する暇も、質問する暇もなくルゥメトギスは長々と話し続ける。
「当初、クロデリアは自分で考案した材料を用いて人工生命体を作っていました。しかし、出来上った作品は粗悪品ばかり。そこで彼女は考えたんです。素材として人間を使えばいいと。……彼女のその考えは的中しました。人間を用いて作られた人工生命体は非常に完成度が高かったのです。さらにクロデリアは改良を重ね、戦闘に適した生命体を創りだしたわけです。」
「それが悪魔、か。」
突拍子もない話だというのに、將一兄さんはかなり真面目に聞いている様子だ。
そのことが嬉しいのか、ルゥメトギスは即座に応じる。
「はい。……ですが、まだ続きがあるんです。」
そう前置きし、ルゥメトギスは話を再開させる。
「人工生命体を生み出せたはいいものの、クロデリアの欲求はとどまるところを知りません。とうとう彼女は特殊能力を持つ人間を素材にしようと決めたんです。魔女の始祖とも言われる彼女にとって、特殊な力を人間に持たせるのは簡単なことでした。結果、凶悪な力を持った人工生命体が生まれたわけです。これが今現在島瀬の系譜が戦っている悪魔と呼ばれる存在です。」
この話を聞き、佑は残酷な事実に思い至る。
「じゃあ、悪魔って元々は島瀬のクロフト能力者なのか……?」
自分の考えを口にしてみて、改めてこれが異常な事態であると気付かされる。
まだこの話が真実だとは限らないが、今のところ怪しい点はない。
俺の指摘に対し、ルゥメトギスは頷く。
「まさにその通りです。先ほども言いましたが、私は木佐貫茉弓であり、その頃の記憶も残っています。……ですが、これこそがクロデリアの誤算でした。クロクラフトの能力を使用するには自我が必要であり、こんな姿になっても尚、人としての感情が、記憶が残されているのです。」
あの、ガライゲルやノックノウも元々は島瀬の能力者だったかと思うと、なんだか変な気分になる。どうして人間の頃の記憶があるのに、島瀬の人間と戦っているのだろうか。
佑が一人問答している間も、ルゥメトギスの話は途切れず続く。
「……自我を持つ悪魔はクロデリアの命令などお構いなしに自由奔放に生き、あるものは人里離れた場所でひっそりと暮らし、あるものは街に現れては殺人を起こし、あるものは人間の姿に化け、生前と変わらぬ暮らしをしています。それでも、大半の者はクロデリアを恨んでいます。」
「だから、みんな島瀬の屋敷に攻撃を仕掛けてくるんだ……ってあれ? 悪魔の目的は魔女の眼って教えられたんだけど?」
椿はルゥメトギスにすっかり慣れたのか、気後れする様子もなく意見を言う。
ルゥメトギスは椿の方を向いて先程よりも優しい口調で応える。
「魔女の眼はクロデリアを殺すための通過点のようなものです。あれを手に入れなければ彼女に敵うわけがないんです。クロデリアもそれを分かってか、今の状況を楽しんでいるようにすら思えます。彼女にとって悪魔は自分が生み出した作品のようなものです。よっぽどのことがない限り殺しません。と言いますか、もう島瀬の人間に任せて放置しています。」
筋は通っている。
説得力もある。
あれほど危険な悪魔を放置し続けている理由もこれで説明が付くし、悪魔がこぞって島瀬の屋敷に攻め入る理由も説明できる。
「事情はよくわかった。だが、どうしてそんなに詳しいんだ?」
「直接クロデリアから説明を受けたからです。悪魔の素材になれと。」
「だから、クロデリアを攻撃したわけだな。悪魔になりたくがないために……。」
「その通りです。」
これで茉弓さんが殺された理由が理解できた。いや、殺されたのではなく、クロデリアの実験の材料にされたと言ったほうがいいだろう。
ルゥメトギスは一息置いた後、神妙な面持ちで俺を見る。
「ここで魔女の眼の話に戻りますが、今回の佑さんの状態を見ると、クロデリアは別のことを考えているように思えるのです。」
「別のこと……?」
「はい。クロデリアは、魔女の眼を埋め込んだ人間を人工生命体の素材にしようと考えているのかも知れないのです。予め魔女の眼を持つ人間を素材にしたほうが、より強力な存在を作ることができると考えているに違いありません。」
「……!!」
まさか、自分が悪魔に改造されるなんて思ってもいなかった。
だが、魔女の眼を取り出さずに俺を生かした事や、俺にクロフト能力を修得するように指示したことや、島瀬の一員に迎え入れたことを考えると、全て合点がいく。
「つまり、クロデリアの思惑を潰したいなら、ここで魔女の眼を取り出して、破壊する以外に方法はないのです。魔女の眼が存在する限り、私達は永遠にクロデリアの手のひらの上で踊らされ続けることになるんです。」
魔女の眼を破壊することには大賛成だ。
(そう言えば、將一兄さんが取り出す方法を知っているとか言っていたな……)
ふと將一の言葉を思い出し、佑は將一に話しかける。
「あの、將一兄さん……」
「ああ分かってるよ。……魔女の眼を餌にすればガライゲルをいいように扱えるかと思っていたけれど、茉弓さんの言う通り、さっさと壊してしまったほうが楽かもしれないね。」
將一兄さんはルゥメトギスの言い分に反論することなく、魔女の眼を取り出すことに賛成する。
そして、間を置かずして將一兄さんは俺の正面に立ち、右腕をこちらの胸にあてがった。
「魔女の眼はその能力を最大限に発揮するため、常に宿主の情報を取り入れ、体の一部として振舞っているんだ。つまり、宿主が死ねば魔女の眼は体の一部ではなくなり、自然と体外へ排出される。」
理屈はよくわからないが、隠匿のクロクラフトを使えば、魔女の眼を取り出せるみたいだ。
「つまり、僕の隠匿のクロクラフトで宿主からの情報を遮断すれば……」
そう言いながら、將一兄さんはゆっくりと手を引く。
その手にはそこそこ大きい球体の物体、魔女の眼が握られていた。
……しかし、その魔女の眼は瞬時にして消え去ってしまう。
「ようやく外に出したか。この時を待っていたぞ。」
遅れて聞こえてきたのは酷く低い男の声……ガライゲルの声だった。
ガライゲルは魔女の眼を指先で摘み、5メートルほど離れた場所でしっぽを揺らしている。
いきなり横取りされるとは思っておらず、その場にいる全員が言葉を失っていた。
しかし、その沈黙は將一兄さんの警告によって破られることになる。
「……ガライゲル、すぐにそれを返してくれないかな。」
「返すか馬鹿野郎め。」
ガライゲルは誰かも知れぬ墓石に寄りかかり、怒りの篭った口調で將一兄さんを責める。
「お前、クロデリアに復讐すると誓っただろう。だから俺はお前に付いた。何が起こっても、誰が立ち塞がろうとも必ず殺すと言ったよな。あれは嘘だったのか?」
「嘘じゃないよ。」
將一兄さんは即答した。茉弓さんが生きていると分かっても尚、クロデリアを殺すつもりみたいだ。むしろ、こんな姿にされたのだから、その怒りは余計に大きくなったかもしれない。
「嘘じゃないだと……? じゃあどうして魔女の眼を破壊するだなんて言うんだ? クロデリアを殺すためには間違いなくこれが必要だ。これがなければあいつを殺すことなんてできない。……さあ行くぞ。魔女の眼は手に入れたんだ。色々と準備をする必要がある。」
ガライゲルは一方的に会話を終わらせ、將一兄さんを連れて行こうとする。
「……ちょっと待って下さい。」
それを遮ったのはルゥメトギスだった。
「魔女の眼を使えば、それこそクロデリアの思惑通りです。魔女の眼はデメリットしか生みません。それがわからないんですか?」
「わからないな。俺はクロデリアを殺す。それ以外の事に興味はない。」
ガライゲルも元は人間だった。
きっと、俺のような子供には想像もできないようなドス黒くて深い恨みをクロデリアに対して抱いているに違いない。
將一兄さんはガライゲルに付いて行くのか行かないのか、迷っているようで、無言のまま俯いている。
ガライゲルはそんな將一兄さんを見て、ため息を付いた。
「はぁ……。もういい、俺一人でも行く。必ずクロデリアを殺してやる……。」
ガライゲルはそう言うと魔女の眼を口の中に放り込み、瞬時に消えてしまった。
そんなガライゲルの勝手な行動に、ルゥメトギスは唇を噛む。
「魔女の眼を手に入れて強くなった所で、クロデリアの実験材料にされるだけです。……何か嫌な予感がします。すぐに島瀬の屋敷に向かいましょう。」
「そうだな。橘香のことも気になるし……。」
橘香は島瀬の中でも一二を争うクロフト使いだ。茉弓さんのように悪魔にされるとも限らないのだ。
(橘香……)
佑は躊躇することなく踵を返し、その足先を霊園の出口へ向けた。