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Lonely sweet my room.  作者:
2/2

発覚

 春の朝。窓から暖かい日差しが降りそそぐ。

 花は朝食を作り終えると、二階で眠っている弟を起こしに向かった。

「春樹ー」

 部屋のドアを開けた。ベッドの上にはもっこりと膨らんだ物体がひとつ―――布団を頭までかぶった春樹が居た。

 布団をはぎ取ると、春樹は眠そうに(うな)って、

「…返せよ…」

と少し(かす)れた声で言う。

 彼はそれと同時に、布団を取り返そうと手を伸ばしてくるが、花はその手が届かないように、布団を高く持ち上げた。

「……」

「……」

 しばしの沈黙。

「…はぁー…」

 ため息をつきながら、春樹が体を起こした。花の勝ちである。

 幼い頃に両親を失ってから、もう長いこと二人きりなのだ。花は弟の扱い方をすっかり身につけていた。

「弟の安眠を妨害する姉ちゃんなんてどこに居るんだよ…」

 皮肉たっぷりに春樹が言う。

「弟って、あはは」

 花は、おかしくて笑った。

「双子でしょ。たいして違わないよ。ま、そうでなくても甘やかしたりしないけどー」

 そう、双子。両親を失ったときも、二人だったから乗り越えられたのだ。血を分け悲しみも分け合った、たったひとりの肉親。なにより大切な存在。

「でもやっぱり、お前が姉ちゃんだろ、一応」

「姉ちゃん、なんて呼ばないくせに」

 花は口を尖らせて言った。

 二人で過ごす、二人きりの、いつもの朝。それはとても温かくて、幸せな時間。

 花は、手にしていた布団をたたみながら、部屋を出ようとしている春樹に目をやった。自分より大きくて広い背中。弟のくせにと思いながらも、それは仕方のないことだとちゃんと分かっていた。春樹は男で、花は女だ。高校一年となった今では、身長も何もかも春樹のほうが大きい。

 パタン、と部屋のドアが閉まった。それと同時に春樹の姿も扉の向こうへ消える。

 部屋には、花ひとりだけ。たたんだ布団をベッドの上に置き、窓を開けた。ふわり、春の匂いが部屋に入りこんで、花の髪を撫でる。


 窓から見える桜の花びらは、綺麗な桃色に色づいていた。


◆ ◇ ◆


「ねむ…」

 春樹が呟いた。それと同時に大きなあくびもひとつ。花と春樹は、二人並んで歩いていた。

 春の陽気は、確かに眠気を誘う。ぽかぽかと暖かい日差し、鳥のさえずり…。朝に強い花でも、本当はもっと布団にくるまっていたい季節だ。

「にゃ~ん」

 突然、変な声が花の耳に届いた。その言葉は、弟の声色を含んでいる。ぎょっとして隣を見やれば、春樹が花に背を向けて立ち止まっていた。春樹が見ているのは隣のブロック塀。その目が何を見つめているのか、弟の大きな体が邪魔をして花にはまったく見えない。花は、首だけひょいと春樹の陰からのぞかせた。

 春樹の視線の先―――塀の上には猫がいた。三毛猫で、まだ小さい。子猫のようだ。

「にゃ~ん」

 再び春樹が子猫に呼びかける。

「何やってんの?」

 何をしているかなんて訊かなくてもわかるが、あまりに衝撃的だったので(たず)ねてみた。

「何って、猫だよ、猫!」

 振り向いた春樹の顔はとても無邪気で、眠気もすっかり吹き飛んでいるようだ。

「おー、そーだそーだ…」

 思いついたようにカバンの中を探りだす春樹に、学校遅れるよと声をかけてみたが、大丈夫大丈夫と軽くあしらわれてしまった。何が大丈夫なのか…。

 やがて春樹がカバンから取り出したのは、魚肉ソーセージ。一体なぜそんな物がカバンに入っていたのか?恐ろしくて訊けなかった。

「ほーら、美味いぞ~」

 春樹は、ちぎったソーセージを子猫に差し出す。花はいくらなんでも逃げるだろうと思ったが、そんな花の予想に反して子猫はソーセージを食べた。

「うおー!食った、食った!」

 調子に乗った春樹は、またソーセージを差し出す。何度も何度も繰り返し食べさせては子供のように喜んだ。


◆ ◇ ◆


「それで、遅れたと……」

 見るからに恐ろしくて(いか)つい教師が、二人の正面に腕を組んで立っている。

「………」

 教師のメガネに光が反射してその目の表情は読み取れないが、この圧迫感からしてかなりご立腹(りっぷく)のようだ。

 花と春樹の額には冷や汗がにじんでいた。はやくこの場から逃げ出したい。耐えられない、この無言。

「…お前らはバカか…?」

 教師が口を開いた。抑揚のない低い声が響く。

「ガキよろしく子猫とたわむれて遅刻…子猫と遊んでいたのは、どっちだ?」

「…俺、あ、いや…ぼ、僕です…」

 春樹が右手をそろりと挙げた。その瞬間、教師のメガネが鈍く光った。


◆ ◇ ◆


「めんどくせー」

 結局説教のあとに雑用が言い渡された。授業で使う資料を持ってこいというものだ。

「仕方ないでしょ。自業自得」

「ちぇ」

 資料室の扉を開け、電気をつけた。薄暗かった室内が一瞬で明るくなる。

「えーと、資料資料っと……あ、これかなー」

 目的の資料はすぐに見つかった。花は段ボールに貼られたラベルを確認し、無造作に積まれた段ボールの山からそれだけを引き抜いた、その時。 

 ぐらり、

 一瞬ぐらついたと思った途端、一気に崩れ落ちる。

 それはスローモーションのようで、とても短い一瞬。

「―――花ッ!」

 春樹の切羽(せっぱ)詰まった声が聞こえた。目の前に広がるのは段ボールから飛び出たたくさんの道具や紙、資料。

 思わず手にしていた段ボールを落とし、目をつむった。床に倒れこむ。

 すぐに凄まじい物音が響く。けれど不思議なことに、体はどこも痛くない。…そのかわり。

 そのかわり、花の唇には不思議な感触があった。なんだろう、これは。

 おそるおそる目を開けると、自分とどこか似た顔が物凄い至近距離にある。

「……っん…ッ」

 声が出ない。なにしろ花の口は双子の弟の唇でしっかり(ふさ)がれているのだ。

 今、弟と唇を合わせている。キスを、しているのだ。

 それを理解すると、どういうわけか頬が熱くなった。嫌なはずなのに、すぐにでも退()いて欲しいのに、身体には甘い(しび)れが走る。


 どこか、おかしい。


「ン、…ん…ッ!」

 逃げ出したくて、身をよじる。身体が熱い。

 すると春樹がやっとどけてくれた。

「う…わ、ぇと、ご、めん」

 起き上がって花の顔を見るなり謝る春樹。

「…はぁ、は…っ」

 花はどういうわけか息切れを起こしていた。弟の顔が直視できず、顔をそむける。


 ぐちゃぐちゃになった資料室。

 それはどこか、花の心のようで。

 少し埃っぽい空気が、二人を包みこんでいた。


 このとき芽生えていた感情に、気付くべきではなかった。

 …気付いてはいけなかった。

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