冬の乙女の恋煩い
冬は乙女の恋が加速する季節だ。
クリスマス、バレンタインという恋愛のための二大行事の後押しと、誰かに寄り添っていなければ凍えてしまう風の冷たさが、私のような乙女の恋心を刺激する。
そして今、一人の乙女による恋のプロジェクトが始まろうとしていた。
大好きなあの人もクラスの連中も誰一人登校していない無人の教室に早朝からやってきた私は、校庭に積もったいっぱいの雪をこの教室へとぶちまけた。窓も解放すればさらに雪が積もってくれる。
そう、これは演出だ。
私は恋愛を成就させるにはシチュエーションというものが何よりも大事だと考えている。またそれは印象に残れば残るほど相手に与えるインパクトも強まり、さらにロマンチックなものであればあるほど、恋の達成度は上がる。はず。
だから私はこの教室に幻想的かつ情緒的なラブストーリーのワンシーンを作り上げたのだ。
誰もいない教室、不思議に積もった室内の雪、そしてそこに佇む一人の少女。
完璧だ。完璧だとしか言いようがない。
きっと彼はこの状況を見て、私を雪の妖精か何かだと勘違いするに違いない。いや、そうでなければ困る。そこから始まる二人の恋路。私の中には既にハッピーエンドへ続くシナリオが用意されているのだから。
時計の針はそろそろ彼の登校時間を迎えようとしている。
いつもは彼が一番に学校へ来る。彼はそんな男だ。常に自分が一番でなければ気が済まない、完璧主義者。そこに憧れてしまうのが私、恋する乙女なのだ。
風がヒュルリと流れ、廊下からは彼の靴が鳴らすリズムが響き始めた。
私は窓辺へ腰を下ろし、黒髪を冷たい風になびかせながら、ミステリアスな乙女を演じる。窓の外の白い風景を眺め、思案するように目を細める。
足音はもう、すぐそこまで近づいている。
ここまでしてしまったのだから、もう、後戻りはできない。私は彼の心を射止めるのだ。そのためにこんなことまでした。失敗は許されない。今の私は雪の妖精。人の世界から切り離された幻想世界の住人だ。堂々と、彼の前に立ち、彼を恋に落とすのだ。
足音が止んだ。
私は、可憐に、そして優雅に、彼へ振り向いた。
そんな私に彼は一言、こう告げてきた。
「お前寒くないの?」
「ぅえ?」
ミスった。
「窓閉めろよー雪が入ってるじゃねーかー。残念だなお前。怒られるな」
彼は何を言っているのだろうか。今、彼はこの現実では在りえない、「雪に埋まった教室に一人たたずむミステリアスな少女」と対面しているというのに。
「床も壁もびちょびちょじゃん。何これ、お前がやったの?」
違う。違うぞ君。私は君にそんなことを聞いてほしかったんじゃない。
「こりゃお前、クラスから顰蹙買うぜ。ていうかお前こんなことして何がしたかったの?教室で雪合戦とかするつもりだった?」
ちょっと待てよ。私にも少しは話させろよ。
「でもさーやっぱ雪合戦は室内じゃ無理だわ。アウトドアなスポーツは外でやってなんぼだろ? こないだだって教室で野球やって先生にこっぴどく叱られてたヤツらもいたじゃん」
そういうことじゃないの。私、そもそもスポーツ苦手だし。ていうかそれはどうでもいいの。私はただ一人の恋する乙女として……。
「あ、あのぉ、わ、私は別に、雪で遊ぶとかじゃなくて、あたな、あ、あなたと遊びたかったみたいな、なんていうか、そんな感じでして……」
「? 俺と遊びたい?」
駄目だ、完全に計画が狂ってしまっている。もう勘弁してほしい。消えたいわマジで。ああ、終わった。どうやら私の恋はここまでのようだ。この冬の風に乗ってどこまでも去ってしまえばいい。さらば乙女の純真よ。もう二度と現れるな。
「おい、どうしたの? 俺と遊びたいのか?」
「あああ遊びたいっていうか、そんなスポーティーな、ことではなく、このゆ、雪でですね、戯れる私を見た、あなたがこう、私と遊びたくなるみたいな……」
「お前変わってるなー。前から変なヤツがいるとは思ってたけど相当おかしいわ。つまるところアレだろ。教室雪合戦がどうしてもしたいんだな」
「いや、雪合戦とかじゃなくて」
「いいよ、もう、こんな有様じゃどうせ大目玉くらうのはわかりきってんだ。楽しまなきゃ損だよな!」
「……はぁ」
「やろうぜ! 雪合戦!」
その後、彼のよく分からないノリに押された私は流されるままに教室内で雪合戦を繰り広げることとなり、さらに後から登校したクラスメイトもなぜか混ざっての大合戦に発展。ヒートアップした私たちは青春の滾る血潮にまかせ暴走し続け、それは担任教師がつまらない顔を引っ提げて登場するまで続いた。惨事を目の当たりにした担任は今までとは違う大層おもしろい顔で引きつっていた。
結局騒動は、私たちクラスの生徒全員が処罰を受けるということで鎮静化し幕を下ろしたのだが、不可解なことに事の主犯として祭り上げられたのは私が恋した彼だった。
最初に雪合戦をしていたのは私と彼の二人だったわけだが、もともとクラス内では影も薄く大人しい私がこんな大層なことをしでかす訳がない、という理由から、主犯は彼だろうということで落ち着いてしまったのだ。
もちろん彼に罪を擦り付けるのは本望ではないので弁解しようとしたのだが、なぜか彼は主犯の罪を被ってくれた。
雪合戦を始めたのはそもそも彼なのだから、そういう意味では間違っていない。でも教室に雪をぶちまけた、ある意味一番悪質な罪も彼は自分のせいにしたのである。
彼は密に、こう言ってくれた。
「今回のことは俺がやりたくてやったことだ。だからお前はいつも通りでいい、いつも通りの変なお前でいてくれたら、喜んで俺が主犯になるさ」
阿呆な私に言葉の意図は分かりかねるけど、ただ、彼は私を嫌悪してはいないんだって、そう思えただけでも、彼のその言葉はありがたかった。
冬は乙女の恋が加速する季節だ。
でも加速した恋心は、ベクトルを間違えるととんでもない失敗をしてしまうことに気付かされた。恋は人を狂わせる。冬の風が、またそれを助長するのだ。
乾燥した空気に、かさついた唇が触れて痛い。これは多分、私の心の痛みだ。痛みに減速した恋も、やがてすぐに速度をあげ、ときめきを求めて疼くだろう。
その時はこんどこそ。
彼の心を、射止めてやるのだ。