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喫茶 阿  作者: あき
表の阿
4/12

四品目 カプチーノ

閑静な住宅街を過ぎると、道は途端に海に向かって緩やかな傾斜を描きはじめる。

灯台の立つ岬に向かう小高い一本道の途中に、木々に埋もれるようにその店はある。

道端に置かれた手作りのウッドチェアに、小さな黒板が看板がわりに立てかけてあった。

所々かすれてはいるが、その文字はこう読めた。


『喫茶 阿』


これは、喫茶店「阿」に集う、そんな『誰か』の物語。


小洒落たアンティークの扉を入った横には、雑誌ラックと小さな棚がある。

棚に並ぶのは、和洋将棋に牌とそれぞれの盤に札。

それから賽と籠。

良く解らないものもあるけれど、全てが整然と行儀良く納まっている。

カウンターの奥でふうんわりと微笑むマスターは、珈琲豆をより分けながら、揺れた観葉植物に目をやった。

丸い机の上には、囲碁板と湯気の立つカプチーノ。




「6の6。それにしても、やっぱり少し痩せたんじゃないのかい?」

「そうか? そんなつもりはないんだが」

「君は夢中になると、平気で何食も抜くんだからな。6の2。そうだ、細君でも貰ったらどうなんだ」

「はは。来てくれる物好きなんぞ、いやしないぜ」

「どうかな。髪を梳いて、髭をあたれば、なかなか好青年だと思うけれど」


カプチーノの泡がぱちりぱちりと碁石の当たるのに合わせて細かに爆ぜる。


「病気にでもなってからじゃ、遅いからさ。うーん、8の2」

「そういや、隣組の会社勤めが倒れたらしいぜ」

「6の5。おや、君が気にしていた彼かい?」

「ああ。顔見る度に、病院へ行けっていったんだがね」


カップが皿にあたって騒がしく喚いた。

どこ吹く風で観葉植物が揺れる。


「仕事と心中したいらしいから、最近はほっといたが、先おととい聞いた。入院中だそうだ」

「7の4。倒れるまで働く、ねぇ。美談に聞こえるけれど」

「まさか。医者が嘆いてたぜ? 時間外や急患で運び込まれる前に仕事中毒は自己管理しろってな」

「2の2。君も、人の事はいえないんじゃないのかい?」

「残念ながら。滅多ない限り、救急車と当直医師には世話にならないと決めてるんでね」

「2の1。なるほど。良い心掛けだ」


掻き混ざる石擦れをさらうように、静かな店内に波の音が満ちる。

カップの底に残った泡がぱちりぱちりと水面で弾けた。


「細かい、細かい」

「半目、俺の負けのようだぜ」

「そうかい? それならこれで」

「286戦の129勝134敗23分という訳だ」

「そうかい。もう、そんなにか」

「まだ暫く付き合ってもらうぜ? 負けっぱなしは性にあわない」


じゃらじゃらと、碁石が合わさって崩れていく。


「いいのかい?」

「俺が良いと言うんだ。構わないさ。まだ成仏してくれるなよ」




「エスプレッソご馳走さん」


手元にあった白石と黒石の丸い碁笥を盤の上にのせて、青年が立ち上がる。

棚へと囲碁盤持ち上げられた後の机には、空っぽのカップがひとつだけ。


「ありがとうございました」

「いつも、一杯で悪いな」


手を挙げて、出ていく青年一人。

それを追い掛けるように、温い風が扉を抜けて、カウベルを高く鳴らした。

ぱたりと自動的に、けれど穏やかに扉は閉じて、厳選した豆を移し終えたマスターは、その扉に小さく頭を下げる。


「またのご来店を、お待ちしております」


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