二品目 チーズケーキ
閑静な住宅街を過ぎると、道は途端に海に向かって緩やかな傾斜を描きはじめる。
灯台の立つ岬に向かう小高い一本道の途中に、木々に埋もれるようにその店はある。
道端に置かれた手作りのウッドチェアに、小さな黒板が看板がわりに立てかけてあった。
所々かすれてはいるが、その文字はこう読めた。
『喫茶 阿』
これは、喫茶店「阿」に集う、そんな『誰か』の物語。
小洒落たアンティークの扉を開けた正面には、カウンター席と小さなショウケースがある。
そこに並ぶのは日替わりの和洋菓子。
今日のショウケースは、チーズケーキとフルーツタルト、マドレーヌに苺大福、羊羹。
カウンターの奥でふうんわりと微笑むマスターは、カップを磨く手を止めて、柱時計に目をやった。
四角い机には、少し大きな二等辺三角形のチーズケーキ。
「それじゃあ、私が先に貰うよ」
「どうぞ。あ、解ってると思うけど」
「はいはい。三角に切り分けられなくなった時点で負け、だね」
「うん。それに、今回はもともと三角だから」
「切り分けは一回、パスはなし、か」
「そう。あと、前回は君の負けだったよ」
「小指サイズのクッキーに、そこまでの強度を求めないで欲しいけど」
同じ長さの二辺に対して垂直にフォークが入って、正三角形に切り取られたチーズケーキが皿から消える。
「はい、次はそっちだね」
「今回は元々三角形だから、簡単過ぎるか」
「まぁね。この間の七角形煎餅は大変だったね」
小さな二等辺三角形が切り出されて、あっという間にチーズケーキは半分近くになってしまう。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。それにしても」
「何?」
「チーズケーキを食べることになるとは思わなかったよ。君となら、オペラとかミルフィーユだと思ってたから」
「どちらも、スクエアが定番のケーキだね」
「そう。君は一人で食べるときは丸いもの、二人で食べるときは角もの。どうぞ」
薄く小さく食べられたチーズケーキの皿が机の真ん中から移動した。
「解ってた?」
「途中から、なんとなくね」
「角は、三角でできてるから相似になる。でも丸は、三角だけじゃうまくできないから」
皿のチーズケーキを半分にして、さくりとケーキに木串が刺さる。
「はい。あとはあげるよ」
「丸くなって、壊れるのが怖い?」
押しやられた皿が途中で止まった。
「嫌なとこつくよね」
「あのさ、君は二人を繋ぐもの、例えば糸みたいなものが、切り出せるのは角だと思ってる」
「そうだね」
「だけど、両端を持った二人が手を繋げば、紐は円になれるんだよ」
「気障っぽい」
「解ってるよ」
「でも、ありがと」
「どういたしまして」
空っぽの皿がぽっかりと浮かぶ月のように、四角い机の真ん中で光を受けた。
「チーズケーキ、ご馳走様でした」
「ありがとうございました」
「四角いチーズケーキを三角に切って出すお店って、珍しいよね」
ひらひらと手を振って、二人の少女は手を繋いで店を出ていく。
「君の好きな丸いアップルパイ、今度一緒に食べに行っていい?」
「二人でひとつで良いならね」
「勿論」
磨き終えたカップを棚に戻して、マスターは小さく微笑んだ。
「またのご来店を、お待ちしております」