一品目 ブレンドコーヒー
閑静な住宅街を過ぎると、道は途端に海に向かって緩やかな傾斜を描きはじめる。
灯台の立つ岬に向かう小高い一本道の途中に、木々に埋もれるようにその店はある。
道端に置かれた手作りのウッドチェアに、小さな黒板が看板がわりに立てかけてあった。
所々かすれてはいるが、その文字はこう読めた。
『喫茶 阿』
これは、喫茶店「阿」に集う、そんな『誰か』の物語。
小洒落たアンティークの扉を開けると、カウベルが来客を告げる。
こじんまりとした店内は、カウンター席。
窓際の三角の二人掛け。
柱時計の横の四角い四人掛け。
観葉植物の並ぶ丸い三人掛け。
カウンターの奥でふうんわりと微笑むマスターは、レコードに針を落として、ふと海の見える窓側の席に視線を投げる。
三角の机の上に湯気をあげるカップがふたつ。
「で、お姉ちゃんはどう思うわけ?」
「どうって言われても」
「はっきりしてよ。好きなの? 嫌いなの?」
「好きも嫌いもないわ」
「じゃあ、どうでもいいわけ?」
「どうしてそうなるの?」
「好きも嫌いもないなら、少なくとも愛じゃないでしょ。それなら無関心しかないじゃない」
伸びてきた手がカップを持ち上げる。
「熱っ」
「熱いのだめなんだから気をつけて」
「もう冷めたかと思ったのに」
「見ただけでは解らないものよ?」
「そうね。お姉ちゃんの恋愛みたいね」
ミルクがくるりと円を描いて、ブレンドコーヒーの色を変えた。
「ほんと、冷めてるのか熱いのかわかんないよ」
「あらそう?」
「振り回されてるお兄ちゃんが可哀相じゃない」
「ふふ。嫌ならやらない人でしょ」
「それは、そうかもだけどさ」
「貴女が嫌なら止めるわ。私達の仲が悪くなるのは嫌だから」
「なんでそうなるのよ! 私はお兄ちゃんとお姉ちゃんを応援してるのっ」
汽笛の音が、窓から滑り込んで角砂糖と一緒にブレンドコーヒーに溶ける。
「なによっ」
「応援、してるの?」
「してるわよ! お似合いだと思うんだから仕方ないでしょ」
銀の匙が、カップに当たって音をたてた。
「自覚はないけど、皆に言わせると、極度のシスコンでブラコンらしいし」
「あら、貴女が?」
「そうよ。仕方ないわ。お兄ちゃんとお姉ちゃんが並んでるのが好きなんだもの。だから、好い加減素直になってよね」
「ふふ。ありがとう」
「珈琲、ご馳走様でした」
「ありがとうございました」
カウベルが穏やかな音を立てて、少女と彼女の腕の中の白猫を見送った。
開いた扉の向こうの先。
ウッドチェアの横で、涼やかな目元の青年が二人を迎えるように笑った瞬間に扉は閉じて。
カウベルは一際大きく啼いた。
マスターは小さく微笑んで、レコードの針をあげる。
「またのご来店を、お待ちしております」