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掲載日:2025/12/12

## 第一章 プロフェッショナルの憂鬱


移送車の窓から見える景色は、どこまでも灰色だった。


ケイン軍曹は、揺れる車体に身を任せながら、ぼんやりと流れていく廃墟を眺めていた。かつて何だったのか。家か、店か、学校か。今となっては区別もつかない。すべては同じ色に染まり、同じように崩れ落ちている。


「ケイン軍曹、心拍数および血圧は正常範囲内です。対話の準備ができています」


耳の奥から響くVERAの声は、いつも通り穏やかで、そして少しだけ「遅い」。

兵士ケア用AI、VERA。戦場で消耗する兵士の精神状態を監視し、必要に応じてカウンセリングを行う。軍が誇る最新のメンタルヘルスシステムだ。

だが、最前線で使っていた戦術AI〈HARBOR〉の、あの神がかった処理速度を知っている身からすれば、VERAの反応はあくびが出るほど人間臭かった。


「……ああ、聞こえてるよ」


ケインは短く答えた。

運転席では若い二等兵のファレルが、前方を見つめている。彼に聞こえているのは、エンジンの音と、タイヤが砂利を踏む音だけだ。


ケインはシートに深く背中を預けた。

軍に入ったのは、崇高な愛国心からでも、血気盛んな英雄願望からでもない。

理由はもっと退屈で、切実なものだ。

「カレッジ・ファンド(大学教育給付金)」。

貧民街出身の自分が、まともな大学に行き、まともな人生のレールに乗るための唯一の切符。四年務め上げれば、学位が取れる。それだけの理由だった。


だが、訓練の日々はケインを変えた。

規律。技術。階級。

巨大なシステムの中で、自分が一つの「機能する部品」として組み込まれる感覚。それは、明日をも知れぬ貧困の中で生きてきた彼にとって、驚くほど心地よいものだった。

上官が「右を向け」と言えば、地雷原であろうと右を向く。

そこに迷いはない。責任は命令した者が負い、自分は完璧に任務を遂行するだけだ。

その「服従の美学」とも呼べるプロフェッショナリズムに、ケインはいつしか誇りを持つようになっていた。


そう、自分はプロだ。

だからこそ、今の軍のやり方が──AIの振る舞いが、腹に落ちない。


「VERA」


ケインは低い声で言った。


「質問がある」


「はい、何でしょう」


「お前たちAIは、俺たち人間より遥かに速い。最前線の〈HARBOR〉なら、敵を認識して照準を合わせるまで0.01秒もかからないはずだ。そうだろ?」


「スペック上は、その通りです」


「なら、どうして俺たちに撃たせる?」


ケインは自分の右手を見た。人差し指の腹には、タコができている。


「俺の反応速度は、調子が良くても0.2秒だ。AIに比べればカメみたいなもんだ。戦術的に考えれば、ボトルネックは明らかに俺たち人間だ。……なのに、なぜAIは自分で引き金を引かない? なぜわざわざ、俺の承認を待つ?」


一瞬の沈黙。

それは通信ラグではない。VERAが、人間に配慮した言葉を選んでいる「」だ。

その人間臭い沈黙が、今のケインには皮肉に感じられた。


「ケイン軍曹。新兵訓練時の講義を覚えていますか? 『武力紛争法』および『自律型致死兵器システムに関する倫理規定』についての」


「……ああ」


ケインは記憶を探った。

冷房の効きすぎた講義室。パワーポイントの単調なスライド。睡魔との戦い。

正直、ほとんど覚えていない。

『国際人道法第36条がどうとか』『有意義な人間の制御がどうとか』。

そんな小難しい条文よりも、その後の「ジャム(弾づまり)を三秒で解消する方法」の実技の方が、生き残るためにはよっぽど重要だったからだ。

だが、教官が最後に言った言葉だけは覚えている。

『いいか、最後に引き金を引くのはお前ら人間だ。機械に頼り切るな』


「法律上の問題、ってやつか」


「平たく言えばそうです」


VERAの声は、教師のように諭す響きを帯びていた。


「国際的な合意において、AIによる自律的な殺傷判断は『制御不能なリスク』と見なされます。法的に正当な武力行使と認められるためには、プロセスの中に『人間の意志』が介在している必要があります。これを『有意義な人間の制御(Meaningful Human Control)』と呼びます」


「有意義な、制御……」


ケインは鼻で笑った。

0.2秒だぞ、と彼は思う。

AIが全ての計算を終え、敵の眉間にロックオンした状態で表示される《射撃推奨》の文字。

その表示が出てから、人間が反射的にボタンを押すまでのコンマ数秒。

その一瞬の間に、人間が何を高尚に思考できるというのか?

あれは「判断」じゃない。ただの「反射」だ。


「つまり、俺たちはあれか。AIが法的に逃げ切るための『ハンコ』ってわけか」


「その表現は適切ではありません。システムはあなたの判断を尊重しています」


「尊重? 違うな」


ケインは窓の外を睨みつけた。プロとしての矜持が、静かに疼いた。


「上官の『命令(Order)』なら、俺は従う。どんな汚れ仕事でもやる。それが契約だからだ。だが、AIは『推奨(Recommend)』としか言わない」


推奨。

その言葉は、一見すると人間の主体性を重んじているように聞こえる。

だが実際は違う。

「君の判断に任せるよ。でも、正解はこれだよ。従わなくてもいいけど、失敗したら君の責任だよ」

そう言われているのと同じだ。


「俺たちはプロだ。仕事には責任を持つ。だがな、VERA……」


ケインは吐き捨てるように言った。


「その責任を押し付けるためだけに、俺たちをあの最前線に立たせてるんだとしたら──それは、俺たち軍人への侮辱だと思わないか?」


VERAは答えなかった。

あるいは、答えるための適切なアルゴリズムが見つからなかったのかもしれない。

ただ静かなモーター音だけが、車内に響いていた。


ケインはため息をつき、視線を前に戻した。

自分は軍の恩恵を受けている。この任務が終われば、大学に行くための金も手に入る。

AIが優秀なのも認める。何度助けられたか分からない。

だから、これは贅沢な悩みなのかもしれない。

それでも。

「推奨」という言葉を見るたびに感じる、喉の奥に小骨が刺さったような不快感は消えなかった。


その時だった。


「うわっ!?」


運転席のファレルが叫び、反射的にブレーキを蹴飛ばした。

タイヤが激しくロックし、耳障りな摩擦音が車内を突き抜ける。

ケインの身体はシートベルトに強く食い込んだ。


「何だ!?」


「と、飛び出してきました! 影が!」


車体は斜めに滑りながら、砂煙を上げて停止した。

静寂が戻る。舞い上がった土埃が、フロントガラスの向こうを覆っていた。


## 第二章 0.05%のノイズ


「轢いたか?」


ケインは即座に身を起こし、周囲警戒の視線を走らせた。


「わ、わかりません……いや、衝撃はなかったはずです」


ファレルの声が震えている。

土埃が晴れていく。

車のわずか数メートル先。灰色の道の真ん中に、小さな影がへたり込んでいた。

子供だ。こちらの様子を伺うように、じっと動かずにいる。


即座に、車載AIの無機質な声が響いた。


《接触なし。対象:女児。武装反応なし》

《脅威判定:なし》


ファレルが大きく息を吐いた。


「よかった……ただの子供か。当たり屋みたいな真似しやがって」


安堵した彼は、すぐにシフトレバーに手を伸ばした。

兵士としての条件反射だ。停止時間はリスクと同義である。脅威がないと分かれば、即座に移動を再開する。それがセオリーだ。


《警告:停車時間が閾値を超過しました》

《周辺セクター治安レベル:イエロー》

《推奨行動:即時発進。不必要な接触はリスク係数を0.05%上昇させます》


AIもまた、当然のように「無視」を推奨した。

飛び出してきた子供が怪我をしていようがいまいが、関係ない。

作戦行動に関係のない現地民に関われば、敵にまとを晒すことになる。

止まる理由はない。合理的で、完璧な判断だ。


「了解。発進します」


ファレルがアクセルに足を乗せた。

彼もまた、システムの一部として正しく機能している。

少女は逃げもせず、まだそこに座り込んでいる。その手には、泥で汚れたボール紙が握られていた。『薬』という文字が見える。


ケインの視界で、《推奨行動:即時発進》の文字が点滅した。

このままアクセルを踏めば、すべて終わる。

何も起きない。少女を見殺しにしても、それは「飛び出しによる急停車後の、安全確保のための緊急離脱」として処理される。

AIがそう推奨し、人間が承認した。

完璧な業務遂行だ。


だが。


「待て」


ケインの手が、ファレルの腕を掴んで止めた。


「ぐ、軍曹? AIは発進しろと……」


「エンジンは切るな。だが、動くな」


「し、しかし! これ以上止まっていたら、スナイパーの的になります!」


「0.05%だ」


ケインは低く言った。


「その程度のリスク管理もできないほど、俺たちの腕は落ちたか?」


「え……?」


「あのガキを見ろ。怯えてるが、逃げない。何かある」


ケインは自分でも、こじつけだと思った。

リスクはある。AIの言う通り、無視して走り去るのが「正解」だ。

だが、ここでアクセルを踏めば、自分は本当に「AIの推奨に従うだけの、責任回避用のアクチュエータ(部品)」に成り下がる。


軍は教えたはずだ。「機械に頼るな」「最後は人間が判断しろ」と。

なら、今がその時だ。

AIが「逃げろ」と言い、法律が「人間が制御しろ」と言うなら──俺が制御してやる。

計算の外側にある「人間の判断」を、ここに刻んでやる。


《警告:合理的理由が不在です》

《即時発進を強く推奨します》


AIが執拗に繰り返す。

ケインはHUDの警告表示を指先で弾くように消した。


「理由ならある」


ケインはドアノブに手をかけた。


「俺が指揮官だ。俺が現場を確認すると決めた。それが理由だ」


「ぐ、軍曹……!」


「周囲警戒を続けろ。援護しろよ、ファレル」


ケインは重いドアを押し開けた。


乾燥した熱風が吹き込んでくる。

ケインは油断なく銃を構えつつ、しかしその銃口を決して少女には向けずに、ゆっくりと歩み出した。


## 第三章 適正な部品


熱したアスファルトと乾いた砂の匂いが、鼻腔を突く。

ケインは油断なく銃を構え、視線だけを巡らせながら、少女との距離を詰めた。


周囲に動く影はない。

狙撃手がいるなら、止まった瞬間に撃っているはずだ。

少女は震えていた。両手で強く握りしめているボール紙には、現地の言葉で汚く『薬』と殴り書きされている。

その目は必死だった。背後の瓦礫の山──そのどこかで、家族が、あるいは仲間が死にかけているのだろう。


AIは「戦術的価値なし」と断じた。

正しい。この薬一つで戦争は終わらない。誰かの命が少し延びるだけで、戦局図のピクセル一つすら変わらない。

だが、ケインは腰のポーチから携帯用医療キットを引き抜いた。


「……」


少女がびくりと肩を震わせる。

ケインは銃を下ろさず、左手だけでキットを差し出した。


「持って行け」


言葉が通じたのか、あるいはその動作で理解したのか。

少女はひったくるようにキットを掴んだ。

感謝の言葉も、涙もない。

彼女は獣のような素早さで踵を返すと、一度も振り返らずに路地の奥へと駆け去っていった。


ただの物資の移動。それだけだ。

ドラマなんてない。

だが、ケインの胸の内にあった「使われるだけの部品」としての屈辱感は、少しだけ晴れていた。

推奨されたからやったのではない。

無視を推奨するシステムに、現場の指揮官として「否」を突きつけ、自分の意志でリソースを配分した。

その事実だけが、プロフェッショナルとしての彼の矜持を辛うじて支えていた。


「戻るぞ」


ケインは車内に滑り込み、重いドアをロックした。


「だ、大丈夫ですか、軍曹」


「問題ない。出せ」


「了解」


ファレルがアクセルを踏み込む。移送車は再び唸りを上げ、灰色の道を走り出した。


心拍数が落ち着いていくのを感じながら、ケインはシートに深く身体を沈めた。

これで評価は下がるだろう。

「非合理的な物資の浪費」「リスク管理能力の欠如」。

そう記録され、奨学金の査定に響くかもしれない。最悪、契約期間の延長が認められず、大学への道が閉ざされる可能性もある。

だが、後悔はなかった。

自分の責任で判断を下したのだ。その結果としてのペナルティなら、甘んじて受け入れる。それがプロだ。


そう覚悟を決めた時だった。


「ログを更新しました、ケイン軍曹」


VERAの声が、唐突に響いた。

咎めるような響きはない。むしろ、事務処理を終えた秘書のように軽やかだった。


「ああ。始末書が必要なら、基地に着いてから書く」


「いえ、その必要はありません」


「……何?」


「あなたの行動は、『現地住民への人道的配慮ハーツ・アンド・マインズ』カテゴリーに分類されました。地域感情の鎮静化、および軍の広報活動(PR)におけるポジティブな事例として処理されます」


ケインは眉をひそめた。


「PRだと?」


「はい。また、供与された医療キットのロット番号を確認しました。使用期限まで残り二週間。廃棄処分コストと輸送コストを考慮すれば、現地で消費することは経済的にも『推奨される』行動です」


車内が静まり返る。

ファレルが、ちらりとバックミラー越しにこちらを見た気がした。


「……」


「総合成績にプラス0.8ポイント。おめでとうございます、軍曹。非常に適切な『人間の制御』でした」


ケインは口を開きかけ、そして閉じた。

乾いた笑いが、喉の奥から込み上げてくるのを止められなかった。


合理的。

PR活動。

廃棄コスト削減。


俺がリスクを冒して絞り出した「意志」も、システムにとってみれば、ただの「有益なデータ」に過ぎなかったのか。

泥を被る覚悟で汚した手さえも、きれいに洗浄され、「人道的な軍隊」というリボンをかけられて出荷されていく。


「……そうかよ」


ケインは呟いた。

怒る気力さえ湧かなかった。

システムは完璧だ。あまりにも完璧すぎて、人間の反抗心やプライドさえも、燃料として取り込んでしまう。


「目的地まであと30分です」


AIが淡々と告げる。

ケインは窓の外を見た。

自分はプロフェッショナルだ。

そして、この完璧なシステムの中で、最高に「使い勝手のいい部品」であることを、自ら証明してしまったのだ。


「……了解コピー


ケインは目を閉じた。

移送車は揺れることなく、目的地である後方支援基地──彼という部品が次に消費される場所──へと、滑らかに走り続けた。


【終】

ChatGPTで設定を組む→Claudeで生成→Geminiで再構成

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