(最終話)その後
大反乱は終わった。
プトレマイオス5世は国内の立て直し、現在の情勢に見合った国の改造に着手する。
まだ彼が若く、宰相アリストメネスが生きていた当時に話を戻す。
少年王が親政を開始した紀元前196年3月27日、王の偉大さと恩赦の通達、そして外国勢力への対策で国力を蓄え、軍事力を強化するといった旨の、「メンフィス勅令」が出された。
これが記録されたもの、それが後に「ロゼッタ・ストーン」と呼ばれる碑文である。
これは国の支配者層が読むギリシャ語と、民衆文字、そして神聖文字で刻まれていた。
エジプト人を取り込む政治は、この時既に始まっていた。
時を戻し紀元前186年、反乱が終了して帰還した兵士たちの内、4千人の退役軍人に対しファイユームに土地を与えた。
また、テーベの南部で、ナイル川に隣接するパティリスとクロコディロンに新たな駐屯地を作る。
ここにエジプト人兵士たちを置いて、自軍戦力として扱った。
古代エジプトの後継者となったプトレマイオス朝は、神官たちを政治に組み込む。
国家儀式で祈祷をさせたり、神殿を国家プロジェクトとして修復したりして、神聖政治を垣間見せた。
しかし一方で、王は上ナイル地方の支配を強化した。
これまでは、農民は神殿の神に作物を納め、神官がそこから国家への納税をする「中間搾取」というやり方であった。
プトレマイオス5世はこれを改め、上ナイル地方も政府の行政機構に組み込み、神殿による支配を終わらせる。
いわば国家の政治に関わるという「名」を与え、収入という「実」を奪ったのだった。
反乱指導者アンクマキスを釈放したかは記録にはないが、恩赦がどのようなものだったかは記録に残っている。
王領の農民、ブドウ園、果樹園、浴場の所有者に対し、負債の免除がされた。
犯罪者に対しても、私的な理由で処罰する事を禁止し、裁判されるまでは保護されるよう法を改正する。
アリストメネス宰相時代からの、役人の不正への厳罰化も引き続き行われた。
こうしてプトレマイオス朝エジプトは再建されていく。
「あとは、陛下がまたコイレ・シリアを狙って戦争を起こす事が心配だ。
折角立て直したのだ。
もっと国力の回復に時間を掛けて欲しい」
上エジプト総督に任命され、テーベを中心に広範囲を治めるよう命じられたコマンオスは、豊かさを取り戻すエジプトを見ながら、一抹の不安を抱えていた。
彼の元にも、地中海世界の情勢変化についてもたらされている。
セレウコス朝シリアとローマ共和国は、やはり戦争に突入した。
ローマはシリアに対し、ヨーロッパからの撤退を要求するが、アンティオコス3世は拒絶。
「ローマの敵」ハンニバルがシリアに亡命した事も知れ渡り、関係は悪化。
そして両国は衝突した。
結果はシリアの惨敗である。
アンティオコス3世はテルモピュライの戦いで敗北し、ヨーロッパにおける拠点を失った。
ミュオネソスの海戦ではハンニバルが出撃するが、ハンニバル自身の艦隊は優勢でも、他の将軍がハンニバルの指揮に従わず、結果として敗北する。
そしてローマは海を超えて小アジアに侵攻。
セレウコス朝が持つ、ローマには無い戦象部隊というアドバンテージも、この時期既に無効化していた。
彼等は戦象の特性を理解し、対策は万全であった。
マグネシアの戦いで敗れたシリアは、アパメイアの和約で多額の賠償金支払いと領土割譲をさせられた。
大王アンティオコス3世の威信は傷ついた。
ローマへの賠償金支払いに困ったアンティオコス3世は、スサの神殿を略奪して金を得ようとしたが、現地人から猛反発の挙句紀元前187年に暗殺されてしまう。
「大王」と称された男に似つかわしくない、残念な死であった。
アンティオコス3世の死をもって、地中海世界にローマと戦える勢力は消滅する。
セレウコス朝領内にも追手が入り、ハンニバルはシリアを逃れてクレタ島、次いで黒海沿岸のビテュニア王国へと落ちていく。
偉大な戦術家は、その地にて死を迎え、ローマ最大の強敵は歴史の舞台から去る事になる。
ヘレニズム時代が終わりに向かい、ローマの覇権時代が始まっていた。
時代の移り変わりはさて置こう。
アンティオコス3世の死を知ったプトレマイオス5世が、コイレ・シリア地方の奪還を考えてもおかしくない状況だ。
アンティオコス3世の時は、戦勝国シリアによるエジプトへの内政干渉が度々あった。
だがその後のセレウコス4世は、ローマに対する為に同じヘレニズム諸国のアンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプトとは友好的に接している。
セレウコス4世は、ローマに対しても敵対行動を取らない為、このままなら、しばらくの間は各国戦争が起きないだろう。
ローマ以外は、どの国もボロボロだから、戦争をしている余裕は無い。
コマンオスはそう見ているのだが、果たしてプトレマイオス5世も同じ見解であろうか?
かつて王に「御自身で決められよ、自分はそれに従う」と言った手前、王がシリアとの戦争を選んだなら、それには従う。
自分は不戦の誓いをしてはいるが……。
まあ、コマンオスが
「その軍才を向けないでくれ」
と言われ、不戦の約束をしたのはアンティオコス3世個人とである。
大王が死んだ以上、その約束からは解き放たれたと言えなくもないが……。
「総督閣下、どうぞこちらに」
関係改善したクシュ王国領、フィラエ島に建てられたイシス神殿にて。
クシュはエジプトの属国のような、同盟国のような関係に戻った。
プトレマイオス2世のように、攻めたりされなければ、交易の利があるからこの関係こそ望ましい。
エジプトのファラオや神官から宗教的な事を言われたら、それには従ったりする。
そんなクシュの神殿に、プトレマイオス5世の布告が刻まれた石碑が奉納されようとしていた。
「御覧下され、反乱鎮圧とその後の統治に功績のあった将軍の名がありますぞ」
そう語りかけるヌビア系の副官ハルマキス。
どこかで見たような男、アンクマキスによく似ているとか言うのは野暮である。
公然の秘密なのだから。
この男の補佐もあり、コマンオスは上エジプトの統治を良好に行えていた。
ヘレニズム風を取り入れつつもエジプト風を重視し、しかしアメン神官団を上手く抑え込む。
彼自身は軍事総督として、マケドニア風の軍装を改めようとしなかったが、それでも民衆は彼を支持した。
無理にエジプト風にせず、マケドニア人官僚も、エジプト人地方官も、ヌビア人商人も、それぞれの民族衣装で共存して、風景に溶け合っている。
その功はプトレマイオス5世もよく知るところであり、王家の功績しか刻まれない石碑に、あえて彼の名前を残したのである。
「誇らしいと言いたいところだが、中々恥ずかしいな。
俺は名誉の為に戦ったのではないのだから……」
哲学は老齢になってから、と言いつつも、どこか若き日に触れたストア派の禁欲的な心があるコマンオスである。
だが、彼の感情はともかくとして、これは王の命令で作られた碑文であり、これにより「エジプト大反乱鎮圧の英雄、上エジプトを立て直した名臣コマンオス」の名は歴史に残ったのだ。
この当時のエジプトのおよそ南半分を支配し、以前の反乱指導者と何故かよく似ている副官と共に、クシュ王国と連携して再度王家を覆す反乱を起こす事も可能。
そんな上エジプト総督という地位にいるコマンオスに対し、王の信頼は非常に厚いものがあった。
王は軍事の全権を握る者を信じ、軍事の責任者は王に忠誠を誓う。
国は安定し、再建は滞りなく進んでいく。
そんなプトレマイオス5世との関係は、唐突に終了する。
紀元前180年、プトレマイオス5世死亡。
まだ28歳の若さであった。
「どういう事だ?」
急ぎアレキサンドリアに戻ったコマンオスは、王の死について調べる。
浮かび上がったのは「毒殺」。
コマンオスの脳に、様々な理由が浮かび上がった。
まずプトレマイオス5世は、あくまでもコイレ・シリア地方の軍事力をもっての奪還を望んでいた。
コマンオスもそれには反対だったが、彼は遠い任地に居たので、その意見は王の耳に入っていない。
だが、コマンオスならずとも戦争に反対の者は多かった。
やっと落ち着いたエジプトが、また戦争をして財産を使う事を望まない者。
王妃クレオパトラと共にエジプト入りし、役人となりながらもセレウコス家の為に働く者。
地中海世界に勢力を伸ばして来たローマに目をつけられないよう、利口に立ち回る事を望む者。
様々だ。
また、マケドニア式を改めてエジプト式に変えている事への反発もあるだろう。
マケドニア人たちが神の如く崇めるアレクサンドロス大王ですら、ペルシャ式に変えた時は反発されたものである。
予想はしていたが、心理的抵抗は根深い。
マケドニア貴族たちは、常々王家への不満を口にしていたという。
彼等は国の変化だけでなく、プトレマイオス5世の強力な王権による政治にも不満を持っていた。
貴族や、その推薦人から宰相を置き、貴族の意思を集約した政治こそを望む。
アガトクレス、ソシビオス、トレポレモス、そしてアリストメネスといった宰相が治めていた時代は、何やかやあっても彼等が望む時代であったのだ。
国が乱れ、立て直しが必要だったから有能な王の存在価値はあった。
反乱終息から6年、もうそんな優秀な王は不要だ。
王が死ねば、また幼君の時代、摂政が必要となる。
その時は外国出身の王妃ではなく、有力貴族から立てられるのが筋だ。
そう考えて、また政変という刺激を求めてもおかしくはない。
「このままではいけない。
貴族どもの野心を野放しにすべきでない」
現実主義者のコマンオスが、珍しく「~すべき」「~しないと」という思考をする。
新王プトレマイオス6世は、まだ6歳に過ぎない。
幼君の摂政という地位を巡って、貴族たちが蠢いている。
コマンオスには珍しい「べき論」だが、現在の改革を逆行させてはならない、そう考える。
それはまた大反乱を引き起こすかもしれないし、そんな事態になったら、それこそローマに目をつけられてしまうだろう。
コマンオスは政治的に動いた。
王宮を貴族たちの遊び場にしてはならない。
実力で黙らせてやろう。
彼は軍を率いてアレキサンドリアに進駐し、クレオパトラ王妃の摂政就任を支持した。
古代エジプト及びマケドニアの伝統から、外国出身ではあっても、プトレマイオス6世の母を共同統治者とし、母が摂政・王権の代行者とする。
王妃は共同統治者・女王となり、名乗りはクレオパトラ1世となる。
そして予め連絡を取っていたキプロス総督に、女王の補佐官、事実上の宰相となって貰った。
やるだけやると、コマンオスは上エジプトに引き返していった。
国内に後ろ盾が無い彼女は、プトレマイオス4世王妃のアルシノエのように暗殺される危険性がある。
ならば、自分が後ろ盾となろう。
例えアレキサンドリアに不在でも、軍を率いた上エジプト総督の自分が遠くから睨みを効かせれば十分貴族たちを掣肘出来る。
むしろ上エジプトで静観していた方が、手出し出来ないし、何を考えているのか分からず、貴族たちの牽制に効果的だろう。
また、かつての縁を使ってセレウコス朝に対し、引き続きの和平と、王の妹に手を出したら再戦という姿勢を示して貰う。
彼女の兄・セレウコス4世にも異存は無かった。
こうして女王クレオパトラ1世の統治が始まった。
クレオパトラ1世は、コイレ・シリア奪還戦争の準備を解除させる。
そして祖国との同盟を強化し、更なる平和と安定をもたらした。
彼女の息子、プトレマイオス6世が成人するまでの10年余りの事である。
コマンオスの死んだ年は分からない。
おそらくクレオパトラ1世が死んだ紀元前176年から紀元前170年の間が没年であろう。
コマンオスは、不本意ではあったが、人生の最後は政治的に振る舞った。
彼と、彼が後ろ盾となったクレオパトラ女王時代、エジプトは内政も対外的にも安定し続ける。
そして兄妹によってもたらされたエジプトとシリアの和平は、紀元前170年まで続いた。
その年、セレウコス朝シリアの新王アンティオコス4世が突如エジプトに侵攻を開始する。
第六次シリア戦争の勃発である。
開戦の理由は不明とされる。
それを迎え撃つエジプトの将軍の中に、コマンオスという名前は無かった。
(終)
後書きです。
現在、女性主人公の歴史もの(追放やら復讐やら内政やらテンコ盛りの史実ベース)を書こうと情報集めてますが、史料は集まったものの、話の展開のさせ方を今勉強中でして、中々先に進んでいませんでした。
そんな中、公式企画で「戦記」を募集していたので、よし書こうと思い立ったものです。
書くきっかけですが、ラムセス2世展とか古代エジプト展とか見て来まして、エジプト舞台で書こうと思いつきました。
最初は第三中間期の「古代エジプトの戦国時代」を書こうと思ったのですが、国の数の割に登場人物少なく、史料も中々集まらず。
エジプト展で「ある時期、ファラオの頭飾り(ウラエウス)がエジプトの象徴コブラから、クサリヘビに代わった」というのがあり、その時代が第三中間期だったのでその時代を候補としたわけです。
そこから蛇について調べていき、「プトレマイオス朝ではコブラもだけど、クスシヘビを使ったり、二重ウラエウスという蛇二匹のがあった」となり、
「コブラ(エジプト)を食らうクスシヘビ(医者の象徴)」
ってのが良いな、と考えを変えました。
古代エジプトは、小説家になろうを使い始めた時期、練習で「クレオパトラ・テア」の人生を書いたのですが、あの時より物語の構成力は上がっているから、それを書き直そうかと考えました。
……構成力じゃどうにもならないくらいグダグダ過ぎて、以前書いたものと劇的な差が出ないと判断。
プトレマイオス朝もセレウコス朝も、時代が下るとローマの影響が強くなっていくので、だったらローマ舞台に書いた方がいいし、それなら多分「塩野先生読め」となりそうでした。
時代を遡っていったら、丁度良い時代を見つけました。
ローマはポエニ戦争→マケドニア戦争中で、影響こそあるけど基本プトレマイオス朝VSセレウコス朝のタイマン時代。
この時代って、ロゼッタ・ストーン刻まれた時代じゃないか!
って事で、主人公候補を探し、相手のキャラの掘り下げや、ゲストキャラ(ハンニバル)を見つけ、書いた次第です。
今回の特徴の一つが、生成AI使って挿絵を作った事です。
自分はサリッサだ、ペゼタイロイだ、ヘタイロイだって興奮出来ますが、読者さんはそうじゃないだろうなって思って、画像生成を勉強しました。
まあ、あまり言う事を聞いてくれませんでしたが……。
その言う事を聞かないAIのせいで、本来の場面とはちょっと違う絵が出来ましたが
「あれ、こっちの方が話の展開的に面白いんじゃないか?」
と思って、本文の方を変えたりもしました。
画の参考は、ジャック=ルイ・ダヴィッドの「マラーの死」「ソクラテスの死」とか。
画風がそっちになってますね。
主人公ですが、史料ほとんど無し。
いっそエジプトに行って、碑文読んで探して来ようかと思ったくらい。
無いなら創作すれば良い、これ小説なんだから、というわけで、当初構想していた医学とギリシャの象徴「クスシヘビ」から、医者になりたかった男と設定しました。
医者としてのモデルは、大村益次郎(村田蔵六)。
ああいう不愛想で合理的な戦術家で書きましたが、人間成長するもので、段々人の心も読める人になりました。
書いてて面白いと感じたのは、アンティオコス3世のオッサン。
大王と呼ばれるだけの事はあるな、と思いました。
オッサン主役でも良かったのですが、最期がちょっと……。
ハンニバルと組んで、もっとローマを破っていれば面白かったんですが、ローマ絡むと大体どこも勝てないから面白くない……。
プトレマイオス4世から5世にかけての宰相の座を巡る政争も、中々激しかったですね。
まあ激しいんですが、復帰したり、敵連れて戻って来たりっていう複雑なのが無いから、書きやすかったです。
この小説の問題点!
女性がクレオパトラ1世しか居ない!
しかも台詞無え……。
次のクレオパトラ2世からは、時代を引っ掻き回して、物語化が難しくなってます。
ま、1世しか居ないけど、それで良かったかも。
てなわけで、ご愛読ありがとうございました。
早く50話くらいになる歴史もの書きたいです。
が、また興味が向いた別作品書くように思えるので、その時はよろしくお願いします。




