プトレマイオス5世、起つ!
コマンオスが作り上げた新生エジプト軍が南下を始める。
抵抗は粉砕、暴動は鎮圧、一方で領民は保護し、投降兵には寛大。
反乱軍の本拠地テーベを目指すに辺り、まずは足元の下エジプトのナイル川両岸を固めていく。
そんな反乱鎮圧中の紀元前192年、プトレマイオス朝エジプトの首都アレキサンドリアでは、またも政変が起きていた。
宰相アリストメネスの邸宅に、重装歩兵が踏み込んで来る。
そして有無を言わさず、宰相を拘束。
アリストメネスは、兵士の後ろに立っている人物を見て愕然とした。
「陛下、これはどういう事なのですか?」
歩兵の後ろには国王プトレマイオス5世が立っていた。
更にキプロス総督を始めとした国王派の重臣や、下級貴族から成る官僚たちの姿もある。
王はいつの間にか、自分の派閥を作り、そこに一部の貴族を取り込んでもいたのだ。
「宰相、私は卿を信頼出来ない」
「何を申される?」
「卿は王家に仕えていなかった。
卿は卿の哲学に仕えていた。
確かに王家を大事に思っていたのかもしれない。
しかし、その政治は現状追認というだけのもので、王家の為のものではなかった。
万物流転、その哲学に忠実なばかりで、現状を良くしようというものは無かった」
「それは仕方ありますまい。
現実というのは、重大なものなのですから。
まずは現実を受け入れる事こそ必要なのです」
「そうして常に現実、現実と言い続けて何も手を打たなかった結果が、今のエジプトか。
卿だけの責任とは言わぬ。
父上や、歴代の宰相たちも悪かったのだ。
それはさておき、今の話をしよう。
卿は、マケドニア貴族たちが王家と対等に近い立場にあり、宰相が王を差し置いて政治をし、奪われた領土を取り戻す事もせず、アレキサンドリアさえ抑えておけば豊かな生活は保証される、それが現実で何も変えずに受け入れろと言うのだな」
「はい」
「そうなっている事に、卿は一点の曇りなく、胸を張って誇れるのだな?」
「はい」
「だから、卿を信用出来ないのだ。
卿は私とは違う信条を奉じている。
王家と共に立っていない。
卿を宰相にしておく事は出来ん」
「……左様ですか。
それならば仕方ありません。
万物流転、私がこのような事になったのもまた現実です。
私はいずこかへ退去させていただきます」
「待て、そうはいかん。
アレを持て」
プトレマイオス5世の言葉に、近習がワインを持って来る。
「これには毒が入っている。
これを卿に賜る」
要は自殺しろという事だ。
当然、アリストメネスは拒絶した。
「私は、政敵であったトレポレモス殿も殺さず、国外追放で済ませました。
そうなるものでしょう?
私は宰相として、暴政などせず善政を心掛け、国の為に尽くしました。
なれば、死を賜る謂れはありません。
何故、命まで奪われなければならないのですか?」
プトレマイオス5世は、18歳の少年らしからぬ冷たい目で反論する。
「こうなる事も現実。
万物流転と受け容れるのではないのか?」
「な……」
「気持ちは分かるぞ。
現実とは時に受け容れ難いものだ。
だが卿は、私には受け容れるように言って来たではないか。
ここに来て、卿は卿の信条を曲げるのか?」
アリストメネスは唇を噛む。
きっと、信条を曲げたら命は助かるだろう。
だが、ギリシャの政治家としての彼は死ぬ。
己の哲学を曲げた政治家など、どこに行っても軽く扱われるだけだ。
ソクラテスは言った、「悪法も法である」と。
そして毒杯を煽り、肉体の死と引き換えに、彼の哲学を永遠たらしめた。
生命の死か、社会的な死か。
ならば誇りだけは生き残る選択をしよう。
宰相アリストメネスは王の命令によって毒杯を煽り、自殺した。
アリストメネス粛清は、アレキサンドリアのマケドニア貴族社会も震撼させる。
少年王と侮っていたが、その認識のままだと自分たちも危うい。
王は容赦の無い性格のようだ。
功罪で言えば、功の部分も大きいアリストメネスすら自裁させている、翻って自分たちは?
遠慮するとは思えない。
更に、気づかぬ内に自派閥を作り上げる政治力も持ったようだ。
その王派の貴族たちが、下手をすれば自分に取って代わるだろう。
「今は王に睨まれぬよう、怒りを買わぬように……」
貴族たちは当分の間、鳴りを潜める事にしたようである。
こうしてプトレマイオス5世は名実共に「親政」を行う独裁者となった。
王の意思が直接的に反映される事で、大反乱鎮圧は更に捗る事になる。
この頃、ナイル川下流域を抑えたコマンオス率いるエジプト軍は、上ナイルに向けて戦い続けていた。
ナイル・デルタの制圧は王との協議の結果、王率いる軍に任せる事とし、彼等はナイル川沿いに南下する。
ナイル・デルタの反乱軍版図は、上ナイルの反乱軍本拠地との連絡を断てば、その行動は連携を失って個別のものとなる。
それであれば、彼でなくても陥落させられるだろう。
反乱の討伐ではなく、心服を目的とするコマンオスは、要塞程の防御力はないエジプト諸都市を力押しで落とす事はしないし、させていない。
敵兵もろとも包囲し、自落に追い込む。
降伏した敵は許し、恩を与える。
都市の略奪はさせない。
かつてのマケドニア重装歩兵や、アイトリア同盟傭兵団は、落とした都市で激しい略奪を行った。
兵士の収入になる事もあるし、そういう暴虐によって敵を貶める事もあったが、基本は軍の兵糧を確保する為であった。
だがコマンオス率いる軍はエジプト人部隊であり、彼は同胞からの略奪を禁じた。
エジプト兵たちもそれを聞き入れる。
結果、歩みは遅いが、確実に反乱軍支配地を奪還し、再反乱を起こさせなかった。
「そうか、陛下がアリストメネス殿を誅殺されたか……」
首都からの報告を読み、コマンオスは過去を思い出す。
彼は10年前、当時アレキサンドリアを抑えて宰相となっていたトレポレモスの側近であったが、アリストメネスによって失脚させられた。
彼自身は医者見習いゆえ、側近といってもマッサージ係や、体調管理をしていただけだったが、トレポレモスの国外追放と連座する形で、最前線に軍医として派遣される。
以降もアリストメネスは、コマンオスに対して冷淡な態度のままだった。
セレウコス朝の捕虜となっていた時も、アリストメネスは自分の返還交渉に消極的だったと聞く。
ではあるが、コマンオスにアリストメネスを憎む気持ちは無かった。
(あれはトレポレモス殿が、余りに政治的に無能だったから、アリストメネス殿が政権奪取をしたまでの事。
俺も若く、人の感情に対し鈍感過ぎた。
あんな態度では、左遷されて当然だ。
まあ、今も同じ状況に置かれたら、同じような態度を取らないとは言い難いが)
そう思いつつも、政敵に対してやや同情的であった。
考えるに、アリストメネスには私欲が余り無い。
専横を振るい、トレポレモスに代わられた宰相アガトクレスとは友達で、おべっかを使って、その専横の片棒を担いでいた。
だがそれは、政治をしたい故に、アガトクレスに近づくのが最適だと思ったのかもしれない。
贅沢が目的ではなく、権力に近づく為の方便。
アリストメネスの政治は、良くも悪くも現状維持。
現状維持の範囲で、彼自身は私服を肥やす事をせずに、善政と言える政治を行った。
周囲で私服を肥やす者には目を瞑り、不満を持って反抗する者は粛清するという、決して良心的な政治家とは言い難い部分もある。
しかし彼自身は私欲がなく、ただ己の信条に則った政治をしたいという野心だけがあったように思える。
(翻って、俺はどうなんだろう?
俺は割と周囲に流されながら生きて来たなあ……)
遠い東方の国では、四十歳を「不惑」と言い、その年齢まで来たら生き方に迷わなくなると言う。
しかしコマンオスは、この年41歳になっているが、長じるに連れて人生とは、と考える事が増えて来た。
少年の頃は、周囲の大人の無意味な哲学論争が嫌いで、実学に身を投じた。
しかし、今は次第にあの時の大人たちの気持ちが分かるようになって来た。
人生は思ったようには歩めない。
彼は医者になろうと思ったが、性格的に難があって大成せず、戦場とはいえ人を殺してしまい、医者になるのを止めた。
そして自分でも思ってもみなかった軍才が見つかる。
アンティオコス3世やハンニバルという、当代の軍事の天才たちとも巡り会い、好意を寄せられた。
これが本当に自分の生き方なのかな?
眠る時にふとそう思う事もある。
(哲学は大人の学問だったのだ。
子供の俺には、早過ぎたようだ)
だが、41歳のコマンオスも哲学に頭を占める余裕はない。
アレキサンドリアからの連絡で、彼は一時戦線を離れる事になった。
プトレマイオス5世から呼び出されたのである。
「将軍、久しく会わなかったが、活躍はよく聞いている。
制圧した地に、再び反乱を起こさせず、その仕事は見事と言う他ない」
「ありがとうございます、陛下。
御決意の通り、支度は整っています」
「軍事を担う将軍に、政治向き、宗教向きの仕事をさせて済まなかった。
だが、最初に言い出したのは将軍だからな。
将軍にやって貰うのが最適だと判断した」
「恐れ入ります」
プトレマイオス5世とコマンオスは、並んで神殿の中を歩く。
ここはメンフィス。
古代エジプトの首都の一つだ。
古都と呼んで良い。
ピラミッドで有名なギザの南にあるメンフィスは、古王国時代と呼ばれる時期に首都として造られた。
その後、中王国時代からナイル川上流のテーベが隆盛し始め、新王国時代以降はテーベが都となる。
テーベはアメン神を主神としているが、メンフィスは創造神プタハを崇めていた。
エジプトでは、神官同士の対立が激しい。
メンフィスの神官とテーベの神官は対立し、現状に不満があってもメンフィスはテーベと手を握らず、プトレマイオス朝の都市で在り続けた。
ゆえにメンフィスに従う諸都市は、反乱軍に脅かされたりした。
反乱では、敵以上に自分に従わない同族に対して怒りを覚える事も多々ある。
しばらくこの一帯は戦乱の渦中にあった。
だがメンフィス周辺は、コマンオスの活躍もあって、ようやく治安が安定する。
そのメンフィスにプトレマイオス5世が王妃クレオパトラと共にやって来たのだ。
ある宣言の為に……。
「では陛下、ここから先は王妃と共に歩まれて下さい。
自分は昇段するわけにはいきません」
「分かった。
では行って来るとしよう」
神官の待つ祭壇に、プトレマイオス5世と王妃クレオパトラが歩いて行く。
それをコマンオス配下のエジプト兵を始め、多くのエジプト人が見つめていた。
「余は14歳の折り、この神殿にてギリシャ世界の王となる事を宣した。
余は改めてこの地に立っている。
そして、ここに宣言する。
余はこのメンフィスにて、伝説の王メネスを祖とする偉大なるエジプトのファラオとなった。
神々を崇め、ナイルの恵みに感謝し、悠久の歴史を次代に受け渡すものである。
エジプトの民よ、これより新たな時代が始まったのだ」
この日、プトレマイオス朝の国王は、古代エジプトの後継者としてのファラオに即位した。
占領国家プトレマイオス朝エジプトは、アレクサンドロス大王の後継者国家から、古代エジプトの後継国家へと方針を変えたのである。
おまけ:
アリゼイアのアリストメネスについて。
史書にあるのは
「メネアスの息子アリストメネスは、ギリシャのアカルナニア地方アリゼイアの出身であった。
紀元前216年以降にエジプトに移住し、国王の摂政司祭となった。
アガトクレスの摂政時代、アリストメネスは非常に権力を握っていた。
彼はアガトクレスへの称賛を露骨に示した。
紀元前202年にアガトクレスに対する反乱が勃発した際、アリストメネスは激怒したマケドニア人を鎮圧しようと試みたが失敗。
間一髪で死を免れた。
激怒した群衆に引き裂かれたアガトクレスの処刑後、反乱を率いた軍人トレポレモスが摂政に任命された。
紀元前201年、彼はトレポレモスに代わって未成年の王の摂政となり、その賢明さと思慮深さで予想外の成功を収めた。
彼が国家元首を務めていた間、スコパスとディカイアルコスという二人の有力な軍人が王位を主張して処刑された。
この出来事をきっかけに、アリストメネスは新たな反乱を防ぐため、紀元前196年にプトレマイオス5世の成人と統治者宣言をした。
アリストメネスは自ら王国を掌握し、宰相の地位にとどまる。
アリストメネスは国王から高い評価を受け、率直で誠実な顧問として活躍した。
しかし、彼の態度は徐々に王の不興を買い、ついに激怒した王は紀元前192年にアリストメネスに毒を飲ませた。」
と、割と詳細なものでした。
ヘラクレイトスの「万物流転」を信条とした、というのは創作です。
自分の分析では、この人は対症療法の達人ではあっても、反乱鎮圧も失地奪還もエジプト人への根本対策もしていないので、作中のような人物にしました。
アガトクレスに従って、専横の片棒担いだってのも減点ポイントだったので。
おまけの2:
プトレマイオス5世は「顕現神王」と自称してます。
要は「この世に現れた神である王」って事です、すげー自信。
なお、父のプトレマイオス4世は「愛父王」と他人から称され(中国の諡号のような感じ)ました。
歴代王は
プトレマイオス1世 救済者
プトレマイオス2世 兄弟姉妹愛
プトレマイオス3世 恩恵王
プトレマイオス4世 愛父王
プトレマイオス5世 顕現神王
プトレマイオス6世 母愛者
プトレマイオス8世 太鼓腹
プトレマイオス9世 空豆
プトレマイオス11世 アレクサンドロス2世
プトレマイオス12世 笛吹王
プトレマイオス13世 愛父神
プトレマイオス14世 愛父王
プトレマイオス15世 カエサリオン
うん、5世、自分で名乗って正解だわ。
救済者と恩恵王はカッコイイけど、他はろくな事言われてない。




