コマンオス軍、前進
「将軍!
我々マケドニア人重装歩兵を中央に置くとは何事か!
そんなにエジプト人部隊を信用されているのか?」
マケドニア人の部下たちがコマンオスに詰め寄っている。
古代ギリシャ、マケドニアの重装歩兵密集隊形では、右翼部隊に最強部隊を置く。
重装歩兵は左手に盾を持ち、僚友を守る。
陣形の右端は隣に守ってくれる盾がない最も危険な場所である。
その為、ここに最精鋭部隊を置くのが常だ。
アテナイやスパルタといった都市国家の重装歩兵は槍を片手持ちだが、マケドニアの重装歩兵は長槍両手持ちという違いがある。
都市国家のものに比べ盾は小型で防御より攻撃重視ではあるが、それでも右翼に最強部隊を置く伝統は残された。
パニウムの戦いでスコパス将軍が、自身が信用するアイトリア同盟傭兵団と共に右翼で指揮を執っていたのは、そういう事情である。
一方、左翼はそんな敵の右翼部隊を受け止める必要がある為、こちらも防御の固い精鋭を置く。
ギリシャ・マケドニアの時代は、どの国も同じ陣形で戦う。
ここにどう工夫するかが、戦術の見せ所となる。
例えばテーバイのエパメイノンダス将軍は、あえて左翼に最強部隊を集中させてスパルタの最強右翼を正面から撃破する「斜線陣」を敷いた。
アレクサンドロス大王は、中央と左翼に重装歩兵を配置し、鉄壁の防御を固めながら、右翼の重装騎兵で敵軍を重装歩兵の槍先に追い込む「鎚と金床」戦術を使った。
ラフィアの戦いでアンティオコス3世は、右翼に戦象部隊を置いてプトレマイオス朝軍を撃破するも、この時は中央と左翼が打ち破られ、右翼部隊の戦象が制御困難となっていた為に失敗した。
右翼に最強部隊を置き、その部隊が敵陣を打ち破りながら陣形全体が右方向へ斜行していき、やがて左旋回して敵を半包囲する、それがセオリーであった。
然るに、コマンオスは現状での最精鋭たるマケドニア人部隊を中央に置き、エジプト人部隊を左右に置く。
しかも左右両翼は中央から離れていて、自分たちは孤立気味だ。
将軍はエジプト人に重きを置き過ぎ、自分たちは勝手に戦えという。
こんな屈辱は無い。
だがコマンオスにマケドニア人を軽視する気持ちはない。
彼は最精鋭部隊だからこそ、中央に孤軍として配置したのだ。
その意図を、しっかり、納得いくように説明する。
理由が分かったマケドニア人たちは、非常に誇り高い表情となっていた。
新生プトレマイオス朝軍2万は、反乱軍5万と激突する。
以前スコパスが10万の反乱軍を破った際は、コイレ・シリアで精鋭部隊を全て失ったという情報を元にした過信が反乱軍にあった。
軍事に無知なホルウェンネフェルが、間違った命令を出した事で陣形が乱れていた。
今回の反乱軍に、その過誤は無い。
彼等は油断なく、新王国時代に整った陣形を取り、押し寄せて来る。
古代エジプトの基本戦術も、歩兵の密集隊形による攻撃であった。
ギリシャと違い、鎧による重防御はなく、身を守るのは盾である。
この歩兵の突出を、後方もしくは側方の弓矢部隊が支援する。
弓矢の支援を受けながら敵陣に迫った歩兵は、前列の最精鋭が斧や鎌状剣を使って、敵軍の盾を破壊したり、引っかけて引き倒す。
そうして空いた穴に、二列目以降の歩兵の槍が突き出される。
敵が混乱した所に、ファラオやその親衛隊の戦車が突入するという、複合兵戦術であった。
だが今は、トトメス3世やラムセス2世の時代と違い、戦車部隊は無い。
テーベのファラオの元には存在しているが、地方の反乱軍拠点には配備されていない。
傭兵として、リビア人部隊が弓兵として、ヌビア人が騎兵として両翼を守っていた。
彼等は孤軍に見えるマケドニア人重装歩兵部隊に、まずは矢の雨を降らす。
コマンオスは戦いの前に、マケドニア人たちに語った。
「エジプト人部隊は、戦闘経験が全く足りていない。
鍛えるだけ鍛えたから、攻撃には強いが、守りに回ると心もとない。
だから、敵の第一撃を受け止められるのは、君たちマケドニア人部隊しかいない。
中央部隊は僅かに5千人である。
それでも自分は、10倍の敵の攻撃を受け止め切れると考えている。
正直、君たちが持ちこたえる事が、この戦いの鍵だ」
リップサービスはあるが、コマンオスがマケドニア人部隊を信頼しているのは確かだ。
彼はエジプト人を社会に入れろという意見だが、マケドニア人を排除しろとは言っていない。
両方が必要なのである。
実際、マケドニア人部隊は反乱軍の攻撃によく耐えられた。
古代エジプト軍に比べ、青銅製の兜や鎧で守られているし、小型とはいえ盾もある。
7メートルもの長さの長槍を空にかざし、振り回す事で矢を撃墜もしている。
数が減ったとはいえ、流石はプトレマイオス朝の精鋭であった。
反乱軍の歩兵が殺到して来る。
空ばかり守っている重装歩兵部隊ゆえ、ここで正面からの攻撃を受けたら、如何に精鋭部隊でも敗れるだろう。
だが、ここでコマンオスはラッパを吹かせて合図を送った。
左右からコマンオスが鍛えたエジプト人重装歩兵部隊が、翼を折りたたむように斜めに突撃して来た。
コマンオスは、軍学の師ハンニバルから
「状況に合った陣形を考えろ」
と教えられている。
今回の場合、同じヘレニズム諸国の軍と違い、古代エジプト式の軍隊であれば、最強の右翼部隊による半包囲よりも有効な陣形があった。
それが、中央に敵を引き付けて、左右から圧する戦法。
中央にばかり敵の目が惹きつけられるよう、あえて両翼を離して孤軍を装った。
だから、中央部隊が敵の攻撃に耐え切るのが前提となる。
まだ経験不足なエジプト人部隊を置くわけにはいかなかった。
エジプト人部隊は攻撃に専念してもらわないと。
師を彷彿とさせる両翼包囲陣形だが、反乱軍はそれとは知らない。
彼等もまた、急ごしらえの軍隊であり、強いのは前衛のみである。
中盤以降は、前衛が敵を崩した後に、戦果を拡大させる雑兵だ。
反乱の指導者たちも、当時最新の軍事知識があるわけではない。
彼等が手に入れる事が出来る武器で軍を編成したら、最適だったのが古代エジプトの軍制だっただけだ。
反乱に加担した地方軍閥の長が、その編制で戦っているに過ぎない。
素人に毛が生えた程度の指導者たちだから、その名を噂で聞いたとしても、地中海世界に名を轟かせたハンニバルの戦術などは見た事も聞いた事もないのだ。
こうして左右から攻められた反乱軍の士気が揺らいだ。
コマンオスの目はそれを見逃さない。
「兵士たちよ、叫べ!
腹の底から声を出すのだ」
マケドニア人も、エジプト人も怒号を放つ。
更にラッパや太鼓も騒々しく鳴らされた。
中盤から後方にかけての兵士たちの腰が砕け、逃げ出す者も出始める。
「降伏せよ!」
予め指示をしておいた、大声が取り柄の兵士に叫ばせる。
これをきっかけに、左右のエジプト人たちが一斉に
「降伏しろ!」
「武器を捨てろ!」
「大人しくしろ!」
とエジプト語で叫び始めた。
彼等は、同族を殺したくはないのだ。
その声に応え、中盤以降の逃げ遅れた兵士たちが武器を捨て、全裸になって恭順の意を示す。
ギリシャ語ではなく、同族の言葉で降伏勧告。
既に士気の萎えた兵士たちは、左右から聞こえるその声に従った。
一方、反乱軍の中でも強硬派、反ギリシャ感情の強い前衛の兵士たちは、降伏を良しとしない。
コマンオスという冷静な男は、言っても無駄な者に掛ける情けは持っていない。
彼等は反撃に転じた重装歩兵部隊の槍衾の前に殺されていった。
まずは新生プトレマイオス朝軍が一勝する。
「半分以上を逃がしてしまいましたな」
部下が残念そうに話し掛けるが、コマンオスは
「それで十分だ」
と返した。
彼は反乱軍の殲滅を目的としていない。
反乱軍に参加している者たちを、自国の民に復帰させるのが目的なのだ。
また、エジプト人に活躍させて、プトレマイオス朝の市民としての意識を植え、権利を勝ち取る事も考えている。
だから、逃げる兵士が多ければ多い程良い。
何度再戦しても勝てると確信している。
何度も何度も打ち破り、エジプト人部隊の経験値を上げていく。
また、心が折れて降伏した者の中から、自軍の兵士を補充したり、元の地に戻して農民にしたりする。
戦死者が多いのは、この場合は作戦失敗なのだ。
両翼包囲を選んだのも、敵の殲滅の為ではない。
左右からの圧で、反乱軍の心を打ち砕く為である。
「戦って、勝てるのは知っている。
どう勝つかが問題だ。
容赦の無い勝ち方をしたら、この反乱は終わらない。
膿んだ手を治す為に、心臓から瀉血する治療をするようなものだ。
合った手術をする。
痛み止めとしてワインを飲ませ、地道に、他を切らないように、病変部のみを取り除く。
焦りは禁物だが、決して悠長にしてもいられない。
国の病の執刀医たる将軍は、決して患者たる国を殺してはならない」
一介の医者になれなかった男は、現在の大反乱と、それを招いた国の体質というものを治療する決意を胸に秘めていた。
「下エジプトの我が勢力が、ことごとく打ち破られていると?」
ホルウェンネフェルの死を乗り越え、再度全土で蜂起し、プトレマイオス朝を追い詰めていたアンクマキスは、大分遅れて下エジプトにおけるプトレマイオス朝の反撃を知る。
彼は、かつて自分たちを破ったスコパスやディカイアルコスといった将軍が粛清された事を知っていた。
プトレマイオス朝に警戒すべき将軍は存在しない。
戦ったら勝てないと思いつつも、やはり戦って武威を示したい欲が各地の反乱指導者にはあり、有能な将軍が居ないという事で彼等は戦意を滾らせていた。
最高指導者は、そういった声に応える義務もある。
その上で全土蜂起と武力闘争に踏み切ったのだが、どうやら事情が変わったようだ。
アンクマキスは新しい強力な将軍の出現を知り、即座に戦い方を切り替えるよう指導する。
「全土に通達せよ。
真正面から戦うな。
拠点に籠るのだ。
場合によっては、その拠点も棄てよ。
敵は強いと認識し、出来るだけ長く抵抗し続けるのだ」
大反乱鎮圧の戦いは、はじまったばかりである。
18話完結と知らせてましたが、自分で読み返して
「ちょっと話が飛んでる所があるな」
と思ったので、加筆しました。
結果、20話完結になりました……。
ちょっと伸びちゃいました。




