表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/20

天才との出会い

 紀元前195年、セレウコス朝シリアの首都アンティオキアにて。

 小アジアでの戦闘後、降伏して捕虜となったプトレマイオス朝エジプトの将軍コマンオスは、この地に連れて来られた。

 国王アンティオコス3世は、コマンオスに目をかけている。

 いくら人材が移動する流動的なヘレニズム時代とはいえ、生まれ育った祖国を裏切らず、一途に仕え続ける者もいる。

 いくら気に入ったとはいえ、コマンオスは故郷を治めるプトレマイオス朝を裏切らないかもしれない。

 それでも良い。

 次なる敵に対する手札は、それがエジプトに在ろうとも、マケドニアに在ろうとも、関係ないのだ。


 次なる敵、それはローマ共和国。

 もう「アレクサンドロス大王の後継者(ディアドコイ)」なんて争っている場合ではない。

 エジプトもマケドニアも、争い合う関係であってはならない。

 アンティオコス3世はそう考えていた。

 ギリシャ世界の必勝法・重装歩兵の密集隊形(ファランクス)は、ローマの戦術の前に負けた。

 自分が戦えば何とかなるかもしれないが、確実ではない。

 ならば、異なる戦術を使う者が欲しい。

 その者は自軍に居れば好ましいが、そうでなくても、自分に敵対せず、かつローマの敵であり続ければ良いだろう。

 アンティオコス3世はそう考え、コマンオスをアンティオキアまで連れて来た。

 彼にはここで、ある人物に会って貰おう。




「お前さんが小アジアで奮戦したというエジプトの将軍か?

 聞いた話では、少数の兵力としては十分な戦いっぷりだったようだな。

 しかし、軍事教育を全く受けていないというのは本当か?

 俺がお前さんを鍛えてやろうか?」

 そう言いながら、如何にも軍人という雰囲気の、五十絡みの男が足を引き摺りながら歩み寄る。

 よく見ると、左目が濁っている。

 この目は見えていないようで、右目の方も、睨むようにして焦点を合わせているから、視力が落ちているようだ。

「紹介しよう、この男はハンニバル・バルカ将軍。

 この度、我がシリアの軍事顧問に就いて貰った。

 流石にハンニバル殿は知っているだろう?」

 アンティオコス3世からそう言われ

「ええ、素人の自分でも存じています……」

 と冷静なコマンオスですら息を呑んだ。


 ハンニバル・バルカ、ローマ共和国を追い詰めた最強の将軍。

 第二次ポエニ戦争において、強国ローマは何度もこの男に苦汁をなめさせられていた。

 ティキヌス、トレビア、トラシメヌス湖畔、そしてカンナエ、幾多の戦いでローマに勝利していた。

 カルタゴ本国の非協力的な姿勢や、彼以外の将がことごとくローマに敗れた事もあり、孤立無援な戦いを強いられ、最後にはザマで敗れるも、彼程ローマを脅かした者は存在しない。

 後に、危機が迫っているという事を「戸口にハンニバルが居た(Hannibal erat ad portas)」と言うようになったくらいに、トラウマを植え付けた。

 更に彼の凄さは、戦争に負けて莫大な賠償金を課されたカルタゴを、政治的に指導して立ち直らせ、短期間で賠償金を払い終わらせた所にもある。

 政治能力も高い。

 彼が居たのでは、戦いに勝ってもローマは安心出来ない。

 それゆえに、今でもローマから警戒され、カルタゴ本国の反ハンニバル派が讒言した事もあって国を追われた。

 そうして紀元前195年、セレウコス朝シリアに亡命して今に到るというわけだ。


 一介の軍医だった時は他国の戦争に興味を持っていなかったコマンオスでさえ、その名を噂で聞いていた。

 それ程までの有名人である。

 その名将が今、目の前にいて

「軍事を教えてやろう」

 と言っている。

 コマンオスにとって、これ程の幸運はまたと無いだろう。

 彼はハンニバルを師と仰ぎ、礼を取った。


 なお、アンティオコス3世は親切でコマンオスをハンニバルに会わせてはいない。

 彼には、中々に底意地の悪い計算がある。

「ローマから敵視されているハンニバルに師事した以上、コマンオスは終生ローマから睨まれるだろう。

 コマンオスがどの国に仕えても問題ないが、ローマとは戦う宿命を背負った」

 こういう魂胆であった。

挿絵(By みてみん)


 そんな思惑は兎も角、紀元前195年から194年にかけて、ハンニバルから軍事を学ぶ。

 情報収集、兵站、統率、部隊編制、軍紀、命令伝達、陣形、戦術機動、その他諸々。

 これまで、精々千人、目が行き届き声を聞かせられる規模の兵力しか指揮した経験の無いコマンオスには、実に身になる学びとなった。

 ハンニバルは、コマンオスのゲリラ戦を賞賛する。

 それこそが正解だった、それ以外をしなかった事が正しかったと語る。

 正統的な軍事を学んでいないコマンオスが、一端の将軍ぶって戦闘を仕掛けていたら、勝てて精々1勝、すぐに捕捉されて壊滅していただろう、そういう評価である。

 ヒット&アウェイ戦法に徹し、激しく一撃を加えたら、戦果に拘らずにすぐに離脱する。

 それは正規の兵学を知らない隊長が部隊を生き残らせる最善手であり、その戦い方を終始続けた事が立派である。

 だが、いつまでもそんな戦いではいけない。

 有能な部隊長は、やがて将軍に出世していく。

 いずれ万を超える軍を率いる事が求められるだろう。

 もし数万を率いる将軍が、数百から千人程度の時と同じような指揮をしたら、軍はまともに動かない。

 少数の時と同じように、大軍を手足の如く動かす為に制度というものがある。

 伝令が居て、副官が居て、大隊長・中隊長・小隊長という規模に応じた指揮官を置く。

 命令を周知させ、ラッパで信号を送り、攻撃開始や撤退という指示に従わせる。

 だが、いくら制度があろうと、一旦戦闘が始まったら制御等中々利くものではない。

 だから戦う前に準備を整える必要がある。

 行動を予め決めておけば、後は合図によって適時発動させるだけである。

 戦象は制御が効かないと言うが、実は人間も一緒である。

 戦闘中に細かな指示など耳に入らない。

 ゆえに、パニウムの戦いでの象兵や重装騎兵の運用同様に、投入する時期を見極めて、単純な命令を実行する部隊を適時殺し合いの場に放り込む。

 無線機も無く、空から見下ろす目も無いこの時代、そういうのが戦術と言えた。


 更にハンニバルは、多民族部隊の運用についても教えてくれた。

 彼はヌミディア人やガリア人といった、自分たちとは違う民族を加えてローマと戦った。

 その特性を理解して、上手く布陣してやらないといけない。

 勇猛だが、興奮しやすく、鎧を脱いで裸で戦う癖があるガリア人部隊。

 これは士気だけは高いから、捨て石として最前線に置いた。

 この部隊が打ち破られるまでの時間に、左右両翼を前進させて包囲を行う。

 ただ、芸も無く横一列にガリア人部隊を布陣させたのでは、あっさり突破されるだろう。

 実際、トラシメヌス湖畔の戦いではそうなった。

 そこでハンニバルは、中央を突出させた三日月状にガリア人部隊を布陣させる。

 これにより、バネが衝撃を吸収するかのように、三日月状の陣形の中央部が押し込まれて横一列になるまでの時間を稼ぐ。

 こういう工夫で、カンナエの戦いでは両翼包囲を成功させた。

 この包囲と立役者はヌミディア人騎兵部隊である。

 ハンニバルは、この剽悍な民族に敬意をもって接し、決して侮辱したりしなかった。

 ゆえに彼らはハンニバルの為に働いてくれた。

 ヌミディア騎兵は、ザマの戦いではカルタゴを離反してローマに味方したが、この時のローマ軍司令官プブリウス・コルネリウス・スキピオもまた、ヌミディア人に対して礼をもって接したのである。


「良いか?

 戦いを始める前に、やっておく事は多々あるのだ。

 ガリア人の性質を知り、彼等に合った戦い方をさせる、最善の形を作る。

 ヌミディア人との関係を良好にしておく。

 戦争は戦闘をもって始まるのではない、常日頃から始まっておるのだ。

 この事は、カルタゴで学んでくれる者は居なかった。

 これをしっかり学んだのは、皮肉にも宿敵ローマのスキピオという男だったのが残念な事よ。

 あの男そのものは尊敬すべき男だがな」


 一々納得出来る話ばかりだ。

 コマンオスにとって、軍事は楽しい学問である。

 抽象的なものが無い。

 曖昧さが無い。

 間違えば死に直結する。

 甘えが無い。

 こんな合理的な学問は、そうそう無いだろう。

 気質的にピッタリだった軍事を、コマンオスは砂が水を吸うが如く、どんどん吸収していく。

 師匠は当代最高の人間なのだ。

 学べば学ぶ程、更にその奥があり、その奥の事を理論的に教えてくれる。

 後は、頭でっかちにならないよう、実践の場が欲しい所である。




 コマンオスがハンニバルに師事している間に、セレウコス朝はローマと緊張状態に入っていく。

 アンティオコス3世は、海を渡ってヨーロッパに進出、ギリシャ北方のトラキア地域を占領した。

 ローマは「ヨーロッパから手を引くよう」アンティオコス3世に要望を出す。

 セレウコス朝もローマも、今や「次の敵はあいつだ」と思うようになっていた。


 そんな中、プトレマイオス朝から一つの提案がされる。

 宰相アリストメネスは

「シリアの王女クレオパトラを、エジプト(ファラオ)の正妻に迎えたい。

 これをもって、同盟を結びたい」

 と言って来たのだ。


 アレキサンドリアでは、少年王プトレマイオス5世が強硬な継戦論を唱えている。

 貴族たちはアリストメネスに

「どうにか陛下を落ち着かせて欲しい」

 と諮る。

 これに対し宰相は

「陛下も結婚なされば、落ち着かれるだろう。

 花嫁がセレウコス家の王女であれば、シリアへの敵愾心も消えるでしょう。

 子が産まれたら、守る者が出来て、今のような若さに任せた主戦論も収まりましょう。

 陛下にも大人になってもらいましょう」

 と答えた。

「先王には陛下一人しかお子がおられぬ。

 忌まわしい近親婚を見ずには済むが、その分、女を知らずに来られた」

「陛下には、プトレマイオス王家の者を多く増やしていただかねば。

 それが王家の者の勤め。

 政治だ軍事だというのは、我等に任せていただきましょうぞ」

「それがよろしい、それがよろしい」

 彼らには、父のプトレマイオス4世のような、政治に無関心な王こそ望ましい。

 そんな思惑から、彼らはアンティオコス3世の息子、クレオパトラ降嫁を申し出たのである。


 一方のアンティオコス3世も、来たるローマとの対立を前に、後方のエジプトとの同盟は良策と考える。

 婚姻をきっかけに、自国の者をエジプトに送り込み、情報を得たり、シリアの為に働いてもらうのも有りだ。

 様々計算した結果、婚姻の申し出を受ける事にする。

 この婚姻の申し出が、コマンオスの運命を動かす事になるのだった。

ハンニバルがこの年にアンティオキアに亡命していたのは史実ですが、主人公と師弟関係とかは多分無いかと。

というか、前話の「後書き」の通り、主人公は存在だけは確認されてますが、どんな家柄で、何民族で、どういうキャリアの将軍だったか全く分かってないので、好き勝手に動かしてます。


今日はこの後19時にも更新します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ハンニバルきたぁ〜〜!?Σ(*゜▽゜*) いえいえ、時代があっていれば脚色もありでしょう。 あったかもしれない、わけですし。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ