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生贄にされた俺、追放令嬢と堕ちた聖女を拾って最強復讐パーティを作る  作者: 妙原奇天


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第5話 匙の一拍、王の杯

 王城の夜は、祝祭の火で白い。

 しかし厨房裏の搬入口は、別の色をしていた。濡れた石の灰色と、鍋底の煤の黒。

 匂いは肉と香草と油、それから人の汗。生きている匂いだ。


 「“あなた”、息を浅く。ここは匂いが“拾う”」

 リュシアが囁く声は、湯気の中でもまっすぐ鼓膜に届く。

 ミリアは袖をたくし上げ、白い指で木盆の端を押さえた。

 「台所の祈りは“無事に終われ”。それを少し捻れば“遅れ”になる。……行こう」


 王城の厨房は、劇場だった。

 吊るした鍋が鐘のように響き、包丁の刃がまな板の上で歌い、

 皿を重ねる音が拍を刻む。

 その全てを、給仕頭が一本の指揮棒でまとめていた。


 ――“匙”。

 今日の楔は、王の杯に落とす“一拍の遅れ”。


 給仕頭は背の曲がった老人だった。

 だが、動きは速い。指先に迷いがない。

 彼は“時間を盛り付ける”達人だ。

 皿が並び、香りの波が順に運ばれ、最後に王の杯が高殿へ上がる。

 どれかが早すぎても遅すぎても、祝宴の“調べ”が崩れる。


 「ねえ、あの人」

 ミリアが視線だけで示す。

 「背中に、祈りの跡がある。……“王の歯が、もう一度笑いますように”。

  歯が悪くて固いものが食べられない王に、柔らかい献立を組み直したの、きっとこの人」


 “あなた”と呼ばれた俺は、胸の奥にある微かな温いものを意識してから、うなずいた。

 善意は、構造の中で冷たく翻訳される。

 祈りは綺麗でも、結果は“秩序”に変換される。

 それでも――俺は楔を打つ。


 搬入口から運び込まれた樽の隙間に、黒い砂の小瓶が二つ。

 リュシアが指で示す。

 「〈虚無砂〉。時間を一匙、すり切りで削る。

  王の杯に落とせば、乾杯の“鳴り”が半拍だけ遅れる。……そこに、あなたが“ゼロ”を差し込む」


 「了解」

 虚無の雷ではない。“無”そのものを置く。

 昨日、王都の空に穿ったひび――今日は、二本目を。


 厨房の端で、若い給仕がこっそりとパンの端を齧り、

 給仕頭が顔も上げずに「置いとけ」と手を振る。

 その手がやさしくて、胸の穴がきゅっと縮んだ。

 (迷うな。順番だ)


 俺たちは影に溶け、斜路を登り、廊の角を三つ曲がった。

 高殿手前の控え間、銀器の静かな光。

 王の杯はそこにあった。

 深い銀。内側に金。

 “重さ”が、良い。


 「ミリア」

 「うん」

 ミリアは祈りの指を解き、掌を杯の縁にかざした。

 白い光が薄く回り、空気の震えを“眠く”する。

 誰かが入って来ても、目が一拍、遅れる。


 リュシアが小瓶を開け、砂を爪先で一粒すくう。

 「これで十分」

 砂粒は、杯の底へ、音もなく落ちた。


 その瞬間、厨房の鐘――鍋の縁を打つ音――が、わずかに遅れた。

 音楽の中に小石がひとつ入る感覚。

 俺は胸の印に触れ、右手を杯の上へ。

 “無”を置く。

 存在の輪郭に、砂をかける。

 透明な蓋に、目に見えない曇りを落とす。


 ――ぱきり。


 音はしない。

 だが、確かに空に亀裂が走った。

 王の間の高窓。

 そこに、昨日と同じ“透明のひび”が二本目として重なった。


 「行くわよ」

 リュシアが小瓶を袖に戻す。

 ミリアが杯から手を離し、俺たちは影へ滑った。


 高殿。

 王の席。

 銀のプレート。

 香が流れ、楽が上がる。

 神官長の祝詞が空へ立つ。

 給仕頭が杯を持ち、王の右に控える。

 彼の指は皺に埋もれているのに、迷いがない。

 ――その指が、ほんの一拍、空中で止まった。

 遅れ。

 虚無砂の一匙。


 その時だ。

 胸の印が熱を噴き、視界の色が半歩、黒に傾いた。

 (器)

 鉄が笑う。

(刻め。二つ目)


 俺は高窓の“蓋”を見た。

 昨日開いた“穴”の縁が、鈍い光で脈打っている。

 そこへ“ゼロ”を差し込む。

 何もない、ことを、強く置く。


 ――ぱしっ。


 空気が咳をした。

 誰も咳をしていないのに、空が咳をした。

 合唱が半拍、沈む。

 神官長が一音、低い。

 王が、眉をほんのわずかに寄せる。

 給仕頭は、見事だった。

 その遅れを、銀の匙で静かに救い、拍を戻す。

 (すげえな)心の中でつぶやく。

 だからこそ、楔は深く入る。

 “達人”にしか救えない遅れを、さらに遅らせる。それが今日の仕事だ。


 ――美咲がいた。

 王の斜め後ろ、白い衣。花冠。

 “聖女代行”。

 彼女の瞳が、群衆でなく高窓を見た。

 (嗅いでいる)

 虚無の神の声が、遠くでくぐもる。

 (おまえの“昔”と同じ匂いを、彼女は覚えている)


 俺は気配をさらに薄くし、柱の影に身を滑らせた。

 “何もない”を重ねる。

 いる。けれど、いない。

 輪郭を砂で埋める。


 「乾杯を」

 王が杯を上げる。

 給仕頭の指は震えない。

 ただ、さっきの一拍の遅れが、他の全てに微細な遅れを伝播させている。

 音楽は美しいまま、わずかに、疲れる。

 聴く側も、奏でる側も。

 “咳”の前兆は、いつも、心から始まる。


 王が杯を傾けようとした、その時――

 高殿の梁の上、見回りの衛兵が一瞬、靴の踵を滑らせた。

 音は小さく、ほとんど誰も気づかない。

 けれど、その拍で、祭の調べはまた半拍、沈む。

 俺は空へ“ゼロ”を置いた。

 二本目のひびが、わずかに延びる。

 王の眉間に浅い皺。

 神官長の喉に乾き。

 美咲の瞳に、波。


 (器)

 鉄が笑い、そして少しだけ真面目になる。

 (対価)


 冷たい刃が、また一枚、内側を削いだ。

 小雨に濡れた校門の匂い。

 鞄の重さ。

 ――色が薄くなる。

 ミリアの指が、柱の影で俺の袖を掴んだ。

 「戻って。ここにいる、あなたはここにいる」


 その時。

 給仕頭が、ほんの、ほんのわずかに、杯を持つ手を置く位置を変えた。

 “遅れ”を、王の手の力へ逃がすためだ。

 見事だった。

 王は気づかない。

 彼の仕事は、王の呼吸を守ること。

 俺はそれを見て、笑う代わりに、胸の印を軽く叩いた。

 ――いい。だから、お前の匙は、今日、一度だけ鈍る。


 控え間へ戻る。

 銀器の列。

 わずかな隙。

 リュシアが袖の内で砂瓶を回し、ミリアが気配を薄める。

 次にうやうやしく運ばれるスープの蓋の縁に、砂を、針で、線のように。

 香りは変わらない。味も変わらない。

 ただ、湯気が一拍、遅れる。

 運ばれた先で、王の匙が湯気を“待つ”。

 その待ちに、門は呼吸を合わせる。


 ――ぱき。


 二本目のひびが、見えないまま、確かに太った。

 祭りの音は、まだ美しい。

 だが、疲れている。

 「ここまで」

 リュシアが目で合図する。

 「十分。達人が救える限界を、今日は超えさせない。……退く」


 俺たちは影を縫い、廊の陰へ潜り、厨房の熱と音から遠ざかった。

 階段の踊り場で、ミリアが息を整え、俺の胸の印に白い糸を一つ結んだ。

「対価で削れたところ、仮縫い。明日までは持つ」


 「助かる」

 内側の刃は、もう慣れた痛みになりつつある。

 慣れては、いけないのに。

 慣れることが、生き延びる方法でもあるのに。


 搬入口の陰にさしかかった時だった。

 「――待ってくれ」

 低い声。

 振り向くと、灯の陰から、給仕頭が一人で立っていた。

 彼の指は空の杯を持つ癖のまま、静かに俺たちを見ている。

 “見えている”のか――わからない。

 けれど、彼の目は多くの宴を見抜いてきた目だ。


 「祭りの終わりに、王は咳をする」

 彼は言った。

 あくまで独り言の調子で。

 「古い城は、咳で季節を換える。……そういうことだな」


 リュシアが一歩、前へ出た。

 「あなたの匙は見事だったわ。だから、今日、王はむせなかった」

 「そうか」

 老人は笑った。

 しわの奥の、若い笑いだった。

 「王は、固い肉が嫌いでな。柔らかくすれば、歌う」


 「あなたの仕事が好きよ」ミリアが、そっと言った。

 「だから、明日も働いて。……明後日も」


 「嗚呼」

 老人は頷き、目を細めた。

 「三日目は、昔から難しい」

 その言葉は、祈りではない。

 長い経験の“読み”だ。

 そして、彼は踵を返し、何も問わずに去った。


 (見逃したな)

 虚無の神が、乾いた音で笑う。

 (良い匙は、良い“見逃し”を知っている)


 王城を離れると、夜風が微かに頬に触れた――気がした。

 虚無門のほつれに手を差し込み、俺たちは黒の向こうへ戻る。

 虚無城の灯がまた一つ、ぱちりと生まれた。

 今日の“釘”の数だ。


 「二本目、入ったわ」

 リュシアが窓外の黒に視線を投げ、満足げに唇を弧にする。

 「明日、三本目。……“心”」


 高城蓮。

 勇者の“心”。

 あの握りの浅さは、たぶん、剣だけの癖じゃない。

 支えが“まだ”足りない。

 誰かに支えられているのに、支えているつもりでいる。

 そこに楔は入る。


 「“あなた”」

 ミリアが呼ぶ。

 名の代わりの糸は、確かに俺をここに固定する。

 「うん」

 返事をし、胸の印の熱が落ち着くのを待った。


 その時だった。

 虚無城の奥、冷たい廊の影から、微かな足音。

 人のものではない。

 鉄でも、獣でもない。

 “言葉”の足音。


 (来たな)

 虚無の神が、珍しく真剣な音を立てた。

 (“もう一つの名”。……器、構えろ)


 黒い廊の先に、光がひとつ、灯った。

 灯ではない。

 “字”だ。

 宙空に、ゆっくりと線が集まり、

 一つの“呼び名”が、こちらへ歩いてくる。


 それは、俺の昔の名ではなかった。

 けれど、俺の胸の穴と、ぴたりと形が合った。

 差し込めば、閉じる。

 同時に、刃にもなる。

 〈――〉

 唇が、無意識に形を作りかけ、俺は噛んだ。

 血の味。

 リュシアが肩を掴み、ミリアが指を絡める。


 「まだ」

 リュシアの声が低い。

 「三日目。……“心”の楔を打ってから。

  名は刃。鞘なしで抜けば、あなたを裂く」


 ミリアが頷き、祈りの糸で“字”の足元を縫い止める。

 それは一拍だけ、動きを緩め、虚無城の床に薄い影を落とした。

 逃げない。

 追わない。

 明日まで、待つ。


 (賢い)

 虚無の神が、今度は柔らかく笑った。

 (刃は、的の上で抜け)


 窓外の黒に、透明のひびが二本、見えないままある。

 祭りは、あと一日。

 明日、勇者の“心”へ楔を打つ。

 その瞬間、きっと“名”は、鞘から抜ける。


 「行こう」

 俺は言った。

 「順番を守る。……明日、心だ」


 虚無城の廊に、三人の影が並んだ。

 その影の先に、王都の空。

 透明のひびは、音もなく、しかし確かに、呼吸をしている。


(第5話・了)

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