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第50話 俺は弱い



俺は、一度帰ると宣言した通り、朝までミラを抱いた。


この滑らかで柔らかい肌も、「待って」と言いながら俺の首に手を回す腕も、細い腰に赤く染まる頬も、すべて最期だと思って——自分のすべての想いを伝えるように抱いた。


「ミラ……無理をさせたな」


隣で薄いシーツに身を包み、乱れた息を整えようとしている彼女の頬に、そっと指を這わせる。


(愛おしい……)


俺の体力に付き合わせてしまったという申し訳なさが胸をかすめる。けれど、それ以上にこの瞬間の彼女が愛おしくてたまらない。


「……ジルの昨日の宣言通り、クタクタになるまで抱き潰されるとは思わなかったわ」


ミラは力の抜けた顔で俺を睨もうとしていたが、ただ可愛らしく拗ねているようにしか見えない。


「そんなに酷かった?」


思わず口元が綻ぶ。俺がこんなにも彼女を蕩けさせてしまったことに、どこか満たされるような気持ちを覚える。


(ほんと、俺は歪んでいるな……)


もうこれ以上、彼女を抱いてしまうわけにはいかないのに。今すぐにでもまた彼女の腕を押さえつけ、俺の欲望を押し付けたくなる。

それでも理性を保ち、額に優しくキスを落とした。


その後、ミラは腰痛を訴えた。

無理な体勢をしたり、長時間打ち付けられるような状態だったから、彼女の細い腰には負担がかかりすぎたのだろう。


ミラはいつものように、治癒魔法で自分を癒やす。


——それが、寂しく感じた。


(今回だけは、できるだけ長く痛みを残して俺を思い出してほしかった……なんて、本当に狂っているな)


俺の気持ちを受け入れると言ってくれた彼女に、こんなことを望むなんて。

けれど、これから俺が一人で古代魔竜に挑むことなど知りもしない彼女に、この想いを伝えられるはずがなかった。


「ミラ、眠いだろ? 眠っていいぞ」

「ジルは?」


(ミラが眠ったら、すぐに行かなきゃな……)


「俺は、しばらく帰れないかもしれない。ミラと少し眠ったら、すぐに出る」


ミラの表情が僅かに翳る。


俺がいなくなることを寂しいと思ってくれているのだろうか。

そうだったら……嬉しい。


彼女の頬にそっと手を滑らせる。


「ミラ、あまり無理しないでくれよ?」


俺がいなくても、彼女は自分を大切にしてくれるだろうか。

優しい彼女のことだ。俺以外の人間にも手を差し伸べ、時には自分を犠牲にしてしまうのではないか——そう考えると、どうしようもなく不安になる。


(俺がもし、帰らなくても……ミラは約束を守ってくれるだろうか……?)


そっと俺の手に肌を擦り寄せ、美しい瞳を閉じる彼女。

俺はその顔を目に焼きつけるように、しばらく見つめ続けた。


静かに響く、小さな寝息。


「本当に……愛おしいな……」


俺は自分が思うよりずっと弱い。

絶対に討つと決めているはずなのに、頭の中には俺が死んだあとのことばかりが浮かんでくる。

俺がいなくなったあと、ミラは誰かに抱きしめられるのだろうか。

誰かに愛され、俺が知らない男の名を囁くのだろうか——


(こんなんじゃ、願いの力を借りられないな……切り替えよう)


寝ているミラの唇にそっとキスを落とし、静かに息を吐く。


「絶対に勝つ」


決意を胸に、軍服に腕を通し、剣を腰に下げる。

今までは剣を抜くまでもない相手が多かったが、今回は違う。

この剣を手放さずに戦うことになるだろう。


俺の剣は魔道具でもある。

魔力を流せば流すほど、その刃はあらゆるものを切り裂く力を持つ。


(頼むぞ……相棒)


そう心の中で呟き、剣の柄を軽く握る。


「よし、行くか」


名残惜しさに耐えきれず、ミラの頬を指でなぞる。


「……んっ」


擽ったいのか、彼女は小さく首を動かした。


思わず口元が綻ぶ。


「行ってくる」


そう呟くと、俺は迷いなく背を向けた。

一度振り返ったら、彼女の隣から離れられなくなりそうだから。


そして——俺は古代魔竜の元へ向かった。



◇◇◇


古代魔竜が眠るとされる洞窟へと向かう道のりは長く、馬車と徒歩を織り交ぜながら二日を費やした。


目的地に到着した時には、すでに日は傾き始め、辺りは陰りを帯びた薄闇に包まれていた。


俺はゆっくりと手のひらを開き、魔力の感覚を確かめる。


「……ミラを通して、あれだけ魔力を得たのに……二日もかければ、やはり減ってしまうな」


拳を握りしめる。


けれど、以前よりも確実に魔力は増えている。

ミラを抱いた数だけ、少しずつ俺の中に蓄積されている。


その積み重ねが、いま確かな力となっている。


「……欲を言えば、毎日抱いておきたかったがな」


自嘲気味に呟き、洞窟の闇へと歩を進める。


俺の周囲に魔術陣を浮かび上がらせ、歩みと共に火を灯す。


「ルーチェ」


ぼんやりとした橙の光が、洞窟の壁に揺らめく影を落とした。


奥へ進むにつれ、空気が重くなっていく。

嫌なほど血の匂いが充満し、足元には骨の欠片が転がっている。


「……ふん、魔物の巣窟か」


その言葉に応じるように、暗闇の中から蠢く気配。


次の瞬間、数匹の魔物が影から飛び出した。

長い舌を垂らした牙獣、腐肉を纏った異形の鬼、

中級、上級……街に現れれば甚大な被害を及ぼすような連中が、うじゃうじゃと群がってくる。


「鬱陶しい……」


俺は迷うことなく、手を振るった。


「ヴァントラシエラ」


瞬間、鋭い風の刃が幾重にも走り、魔物の身体を切り裂いていく。

悲鳴を上げる間もなく、バラバラになった肉片が地面を転がる。


続けて、雷を纏う。


「ヴォルデ」


稲妻が奔り、魔物どもが一斉に痙攣しながら焼け焦げた。

鼻を突く焦げた肉の臭いが充満する。


「強さを調節すれば、初級から中級の魔術で十分か」


剣を抜くまでもない。


それでも、魔物の返り血で服が汚れていくのが、酷く気持ち悪い。

だが、そんなことに気を使っている暇はない。


俺の魔力が無駄に減る前に、古代魔竜の元へとたどり着かなければ……


魔物どもをただひたすらに殺し、突き進む。


やがて、洞窟の最奥——湿った空気が停滞する広大な空間にたどり着いた。


そして、そこに”それ”はいた。


「……眠りが浅そうだな」


巨大な影が、微かに動く。


完全に目覚める前の段階とはいえ、その圧倒的な存在感に背筋が張り詰める。


閉じられた瞼が、時折わずかに痙攣し、爪が鈍く洞窟の岩を削る音が響く。


今ならまだ、攻撃を仕掛けられる。


俺はじっと、その巨大な翼を見つめた。


(……まずは翼からか)


起きて飛ばれれば、国全体を巻き込む事態になりかねない。


俺は剣を抜き、ゆっくりと柄を握りしめる。

魔力を込めるたびに、刃が淡く発光し始めた。


「よし……行くか」


呼吸を整え、一気に魔力を解放する。


「ゼフィール」


風が渦を巻き、俺の身体がふわりと宙へと舞い上がる。

魔竜の翼へと一直線に飛び、剣を強く振り下ろした——


ガキンッ!!


(……硬い!!)


これほどまでに魔力を込めているのに、この感触……まるで鉄壁だ。


だが、それでも力を込める。


「グオオオオオオオオンッ!!」


魔竜の雄叫びが轟き、洞窟の天井が振動した。

地鳴りのような声と共に、その巨体が動く。


——目を覚ました。


俺は剣をねじ込むように力を込める。


手応えはあった。

深く刺さった。


だが——切断までは至らない。


(やはり、一撃では無理か……!)


魔竜は苦しみ、もがきながら暴れ出した。

翼が大きくしなり、洞窟内に突風が吹き荒れる。


俺は風を操り、一度魔竜の背中へと降りる。


だが、魔竜は本能的に俺の存在を察知したのか、背中を揺らし、振り落とそうと暴れた。


(ちっ……! 予想以上に早く覚醒したな)


俺は剣を強く握り直し、足を踏ん張る。


魔竜の暴れる振動が直接肌に伝わる。

地面のように見えているが、これは生きた肉の上。


「……なら、こっちも本気で行くぞ」


剣に再び魔力を込め、次なる一撃の準備を始める。


魔竜の背の上で、俺は剣を振るい続けた。


だが、傷を負わせても負わせても、魔竜はなおも暴れ、俺を振り落とそうとする。


「クソッ……!」


大きく跳躍し、風を纏って宙を舞う。


「ゼフィール!」


一気に距離を取り、魔竜の顔を正面から捉える。

目が合った瞬間—— 殺気 を感じた。


「……っ!」


次の瞬間、魔竜が口を開き、眩い光が集まり始める。


(まずい……!)


「ゼロヴォルテス!」


瞬時に跳ね返しそうと上級風魔術を展開する。

だが——


ドゴォォォォォン!!!


それでも、爆発的な衝撃が空間を埋め尽くし、俺は吹き飛ばされた。


「ぐっ……!」


身体が岩壁に叩きつけられる。


肺の中の空気が一気に押し出され、視界がぐらつく。


(……肋骨が……折れたな)


痛みが遅れてやってくる。

呼吸をするたびに、胸が軋むように痛む。


それでも—— まだ終われない。


俺は剣を杖代わりにして立ち上がり、改めて魔竜を見据えた。


魔竜もまた、ダメージを負っている。


翼の一部が裂け、背中や腹部には深い斬撃の跡。

だが、それでも奴はまだ動ける。


「……しぶといな……やはり核を壊すまで動けそうだな」


呼吸が乱れる。

魔力の減りも感じる。


(ミラに魔力をもらってなかったら、今頃死んでたな……)


それでも、ここで倒れるわけにはいかない。


魔竜が、再び俺を睨みつけた。

その瞳の奥に宿るのは、怒りと殺意。


「……こっちも覚悟を決めるしかないな」


俺は深く息を吸い込み、残された魔力をかき集める。


◇◇◇


戦い始めてどれくらいが経ったのだろうか。

自分の強大な魔力量をここまで使い切る戦いを生きている中でするとは思っていなかった。


俺は剣を構え、残った魔力を振り絞るように込めた。


「……まだ終われない」


魔竜が低く唸り、鋭い爪を振りかぶる。


同時に俺は地を蹴り、風を纏いながら一気に間合いを詰めた。


「アルタウィンド!!!!」


上級魔術の風の刃を幾重にも重ね、魔竜の身体を切り裂く。

だが、奴は咆哮と共に強引に突進し、俺を吹き飛ばそうとする。


「……させるかよ!」


咄嗟に横へ跳び、奴の横腹へ剣を突き立てた。


ズブリッ


深々と刃が食い込み、黒い血が噴き出す。


魔竜は苦悶の咆哮を上げながら暴れた。

その巨体が岩壁を砕き、洞窟内に轟音が響く。


(あと少し……!)


俺はさらに剣を捻じ込み、魔力を流し込む。


「アークヴォルテックス!」


雷の奔流が剣を伝い、魔竜の身体へと流れ込む。


バリバリバリィッ!!!


雷撃が魔竜の体内を駆け巡り、その巨体がビクリと痙攣した。

皮膚が焦げ、鱗が剥がれ落ちる。


(上級魔術なら多少でもダメージを与えられるな……だが……)


魔竜は苦しげに喘ぎながらも、なおも最後の力を振り絞り、俺を睨みつけた。


「……しぶとい……っ!」


俺も限界だった。

呼吸は乱れ、全身に鋭い痛みが走る。


どこをやられたのかすら分からない。

ただ、血が流れすぎて身体が重い。


それでも—— やるしかない。


「……これで……終わらせる……!」


魔竜の顔面めがけ、最後の一撃を放つべく踏み込んだ。


だが——


ズドォォォォンッ!!!


次の瞬間、魔竜の巨爪が俺を真正面から叩きつけた。


「……ッ!?」


視界がぐにゃりと歪む。


身体が宙を舞い、岩壁へと叩きつけられる。


全身が砕けるような衝撃。


何かが折れた音がした。


肺から空気が押し出され、呼吸ができない。


「……ぁ……」


口を開こうとしても、声にならない。


熱い血が口から溢れ出す。


(やられたか……)


意識が、遠のく。


最後に見たのは、傷だらけで荒い息を吐く魔竜の姿。


俺も奴も、満身創痍だった。


(……頼む……これで……お前が……)


ガクッ……


意識が、完全に途切れた。



◇◇◇


暖かい……


「待ってて。必ず────」


ミラの声……?夢?


いや、体は少し楽になったとはいえ、至る所が痛い。特に胸や肩、腕、腰。どこが痛いのかすら分からないくらい全身が痛む。それに、魔竜の声が響き、地面が揺れている。何が起きているんだ?頭が回らない。


目を開けるのがやっとだ。


視界に入ってきたのは、魔竜がその巨大な足を振り上げ、ミラを踏み潰そうとしている光景だった。ミラはボロボロに引き裂かれたドレスで、必死に逃げ回っている。傷だらけの体が辛そうで、だが必死に動き続けていた。


「ミラ……」


声が出ない。口が乾いて、全身に力が入らない。それでも、目の前で命を懸けて戦っているミラの姿を見て、焦りと共に心が奮い立った。


(こんなところで倒れている暇なんてない……!)


心の中で叫んだ。彼女を一人にさせるわけにはいかない。どんなに痛くても、今は立ち上がらなければならない。


足元がふらつき、地面がぐらつく感覚に、つい体を支えきれず膝が崩れそうになる。だが、それでもなんとか両手を使って体を起こす。そして、足を動かし始める。小刻みに震える足で、ミラに向かって一歩ずつ、ゆっくりと進む。


目を凝らすと、ミラは俺の剣を手にして、両手でしっかりと握りしめ、必死に魔力を込めている。彼女の顔は強ばっていて、汗が額から滴り落ちている。その姿に、何も言わずとも俺のために戦ってくれていることが伝わってくる。心の中で無言で感謝しながらも、絶対に彼女を守らなければならないという強い決意が湧いてきた。


「ミラ……!」


その声を必死で絞り出し、さらに足を進める。俺の体は満身創痍、あちこちが悲鳴を上げている。それでも、彼女を守るためには前に進むしかない。


まだ、魔竜はその巨体を振り回しながら周囲を破壊し続けている。ミラはその隙間を縫って、必死に剣を構えていた。


その姿に、少しでも力を加えなければと、意識を振り絞る。


「ミラ!」


俺はようやく彼女の背中に辿り着いた。


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