第49話 願いの魔女
八ヶ月ほど前、俺はある夢を見た。
それは、ただの夢とは思えないほど鮮明で、現実と錯覚するほどのものだった。
暗闇の中、静寂を破るように、どこか聞き覚えのある声が響く。
「うるさいな。私に会いたいと願いすぎだ、ジルベール・エルヴァン……ミラリスが嫉妬するぞ」
——ミラ?
目の前に立つその人物は、確かにミラだった。
だが、彼女の雰囲気が違う。 表情も、話し方も、どこか冷え切っていて、まるで別人のようだ。
俺は無意識のうちに問い詰める。
「……誰だ。ミラの体を使って何をしている?」
目の前のミラは、くすっと微笑んだ。
「お前が会いたいと願ったのだろう?」
その声は、確かにミラのものだった。
しかし、彼女の話し方には彼女特有の温かみがない。
「私は魔女。わかりやすく言えば——願いの役割を持つ、元々の魂の持ち主の魔女だ」
「持ち主……?」
俺の脳裏に、ある伝承が蘇る。
「——あの伝承の魔女か?」
「ああ、あのくだらない物語か……そうだな、その魔女だな。」
魔女は眉をひそめ、あからさまに不快そうな顔をした。
……本物の願いの魔女。
ずっと手がかりすら掴めなかった存在が、まさかこんな形で目の前に現れるとは——
俺は一歩前に出る。
「俺は魔女の家で眠っていない。なぜ俺の夢の中に現れられるんだ?」
「それは私が魔女だからだ。他の四つと違って、元から持っている特性が違う。夢に干渉するのなんて朝飯前だ」
なるほど……
他の四人の魔女は、元の魔女から分け与えられた魂の欠片によって生み出された存在。
しかし、願いの魔女だけは違う。彼女は元の魔女自身に「願いの力」を加えた存在——
つまり、完全に独立した特異な魔女ということか。
「お前はものわかりが早そうだな」
俺が理解を深めると同時に、魔女は小さく笑う。
「頭の中を覗くな。」
「願いの力を持っている。そういう能力だ、仕方ないだろう?」
魔女はどこか楽しそうに言葉を続ける。
「毎日毎日、私に会いたいという願いがうるさいほど聞こえてきたぞ。この娘よりな」
その言葉に、俺はミラのことを思い出す。
——ミラは、なにか悩んでいた。
願いの魔女を探すことよりも、きっとそちらに気を取られていたのだろう。
理由は分からないが、彼女は前からそうだ。
優しすぎるほどに、すぐ他人のことを考える。
そして——
今この思考も、魔女に読み取られているのだろう。
「本当だな。」
魔女はどこか満足そうに頷く。
「最初はこの娘を生き抜かせるために、お前を殺させようと思って夢を見させたんだ」
——何……?
「お前が悪夢を……?」
「どうして俺が死ねばミラが生き残れるんだ?」
「ああ、この世に存在していい魔力量はだいたい決まっているんだ。」
魔女は淡々と語る。
「だが、元々流行病で死ぬ予定だった人々を、願いの力で運命を変え生き延びさせてしまっただろう?」
「願いの力って、お前が手を貸したんじゃないのか?」
「違う。私はこの娘と双子の姉妹として生まれ変わるはずだった……」
「だが、そんなことを知らない死の魔女が私の命を胎児のまま終わらせた。そして、私は元々魔力量の多いこの娘の中に入り込んだんだ。」
「ミラの魔力量が測定不能なのも、その影響か?」
「ああ、私の魔力は底なしだ。その影響だろうな、この娘には私の魔力は使えないが……魔法は、赤子のような可愛らしいものだけは使えるようだな……」
「私が入り込んだ影響で、この娘が願うことは叶いやすくなっている」
魔女は愛おしそうに、ミラの長い髪を撫でた。
それはまるで、家族に向ける愛情のようだった。
「だったら、ミラが生き延びたいと強く願えば叶うだろう」
「いや、そんな簡単にはできておらん」
魔女は首を振る。
「魔力数は絶対に戻す必要がある。この娘が死んで、願いの力が消えれば、死ぬはずだった人々は自ずと死ぬ」
「そこで、願いの力で手助けし——人間の域を超越している魔力量のお前が死ねば、バランスが保てるというわけだ。」
なるほどな……
最低でも俺以上の魔力量のやつが死なない限り、ミラの死の運命は変えられない。
俺以上の魔力量……
「俺以上の魔力量を持っていれば、人間でなくてもいいのか?」
魔女は俺をじっと見た後、小さくため息をつく。
「……お前、馬鹿なことを考えているな?」
どうやら、俺の思考を読まれたらしい。
「ああ、古代魔竜を倒せばいいんだろう?」
俺がそう言って微笑むと、魔女は呆れたように額に手を当てる。
「はぁ……お前はわかってない」
「古代魔竜は魔力量こそお前に近いが、それ以上に体が岩のように固くできている。」
「殺すのはまず不可能に近いぞ……」
「お前の力があるだろう。俺が強く願えば、勝たせてくれるんじゃないのか?」
魔女は再び溜息をつく。
「お前は……そんな簡単なものではない。力と言っても万能ではないのだ。可能な事でないと叶えられない。死人を生き返らせたいと強く願おうとできないのと同じだ。起こりえる運命を変える手助けしかできないんだ」
「……だが、不可能に近いだけで、不可能ではないだろ?」
俺は魔女の目をまっすぐに見つめた。
「どうせ、なにもしなきゃ俺がミラの代わりに死ぬつもりだったんだ。挑戦したっていいだろう」
魔女は俺を睨むと、腕を組み顔を背けた。
「まあ、私もこの娘の心をも殺したくはない。少しは手助けしてやる。だが、負けたらお前は死ぬからな」
「わかっている……」
「この娘……ミラリスの身体を通して少しは協力してやる」
「体を通して?」
「その時になればわかる。あとはその時まで努力をして待て」
魔女はそう言い残すと、俺は目を覚ます。
「これでミラは生きていけそうだな……」
◇◇◇
だが、俺はこのことをミラにも誰にも話さなかった。
こんなことを話せば、ミラやリアラは絶対に止めるに決まっている。
俺の命を賭けることを、彼女たちが容認するはずがない。
——俺は、ミラを救えればそれでいい。
ただ、欲を言えば……ミラの隣を歩いて、生きていきたい。
彼女の手を取り、彼女の目が映す景色を一緒に見たい。
けれど、それは叶わない願いかもしれない。
そう覚悟していたのに——
半年後、ミラは攫われた。
俺がミラの傍を離れた隙を突かれ、ファルク・リンネという男が彼女を連れ去った。
事態を知った俺は、すぐさま社交界の繋がりを総動員し、その男の情報を洗い出させた。
一刻も早く居場所を突き止めなければならない。
——ミラが、深く傷つく前に。
探し続け、ギリギリのところで彼女の居場所を突き止めた。
急いで駆けつけ、ようやくミラを取り戻すことができたが……その男は、魔女に魔石を貰ったと言っていた。
あの魔女は、一体何を考えているんだ……
結果的に、その魔石が男の命を奪うことになった。
魔力の暴走を引き起こし、奴は瀕死になったのだ。
まさか……魔女はそれを分かって渡したのか?
だとしたら、作戦が荒々しすぎる。
けれど、そんなことよりも——俺は、ミラが無事だったことに安堵した。
胸を締めつけるような焦燥感から解放され、俺は、初めてミラを抱いた。
彼女の全てをこの手で確かめ、繋がることで、今ここにいると実感したかった。
ミラは戸惑いながらも、俺を受け入れてくれた。
けれど……俺が焦がれすぎたせいか、彼女は途中で意識を失うように眠ってしまった。
その時——違和感に気づいた。
魔力の流れが、いつもよりスムーズになっている……?
最初は気のせいかと思った。
だが、翌日、たまたま魔物の討伐要請が入り、現場へ向かうと——
俺の魔力が漲っていた。
いつもより体が軽い。
攻撃にかかる負担も減り、魔物を討つのに必要な魔力の消耗が明らかに少ない。
まるで、魔力が増えているかのような感覚——
「……まさか」
魔女の言っていた『ミラの体を通しての協力』とは、これのことか?
そして——タイミングを計ったかのように、古代魔竜が目覚める兆候を見せ始めた。
目覚めの予測は、今年の冬。
もし、ミラリスが秋に死ねば——
本来なら命を落とすはずだった人間たちが、そのまま魔竜災害によって命を奪われることになる。
上手くできているものだな……
ミラが生き続ければ、人々の命は守られる。
その代わり、俺が古代魔竜を討たなければならない。
——それでいい。
俺は、そのために準備を進めた。
目覚める前に討伐の計画を立てるため、城に泊まり込むことが多くなった。
だが——
ミラに会えない時間が増えたことで、不安や苛立ちが募っていく。
会いたい。
彼女の声が聞きたい。
彼女の手に触れたい。
そんな些細なことが、どうしようもなく叶わなくて——
気づけば、俺はミラに不安をぶつけてしまっていた。
ミラのためなら死んでもいいと思っているはずなのに、
もし俺が死んだ後、ミラが他の男と一緒にいるところを想像すると……
胸が締め付けられて、息が苦しくなった。
——ああ、俺はなんて矛盾しているんだろう。
会えない時間が、不安を膨らませ、ついには爆発してしまった。
だが、ミラは——
「大丈夫。あなたの気持ちは、全部受け入れる」
そう言って、俺を抱きしめてくれた。
ただ、それだけで……俺の心は、救われた。
けれど、事態はより深刻になっていく。
古代魔竜の目覚めの可能性を通告されると、国民の動揺は一気に広がった。
それに伴い、政の問題もさらに深刻化していく。
予想されていた以上に、状況は悪い。
その影響か、ミラは困惑しながら城にやってきた。
そして、俺を呼び出し——新しく考えたであろう結界魔法を見せてきた。
焦りが加速する。
「ダメだ」
この国にとって、これほど便利な魔法があると知れ渡れば——
陛下はともかく、政を牛耳る高位貴族たちは確実にミラを兵器にしようとする。
ただでさえ、魔法が使えるミラを討伐の戦場に出そうとする声が上がっていた。
たとえ戦わなくても、治癒魔法が使えることで、魔力が完全に枯れるまで道具のように扱われる未来が見えていた。
ミラは高位貴族の娘であるにも関わらず、当主から大切にされていない。
だからこそ、利用しやすい。
——そんなこと、俺が許すはずがない。
「今後、その提案を出すなら、俺は古代魔竜の討伐チームから抜ける」
そう宣言した。
だが——
俺の知らないところで話が進められたら?
考えただけで、恐怖に駆られる。
ミラが利用される未来を想像し、焦燥に駆られ、ついに俺は初めて彼女に声を荒げてしまった。
その瞬間——俺は決意する。
——一人で、古代魔竜を殺す。
魔竜が目覚めてしまえば、混乱に紛れて、ミラは間違いなく利用される。
それなら、俺が先に仕留めるしかない。
すぐに陛下との緊急の謁見を願い出た。
「陛下……これから古代魔竜の討伐に、一人で行かせてください」
跪き、剣を立て、両手で剣の柄を握り、額を当て、誓う。
「国民は混乱し、このままでは国も立ち行かなくなります。眠れる古代魔竜の討伐に向かい、討ち果たします。最低でも、私がいなくとも討てるほどに弱らせてきます」
王も、高位貴族たちも、思わぬ事態に焦っている。
すぐに、許可が下りた。