第44話 気持ち
あれから4ヶ月。
気づけば私の残された時間は、あと4ヶ月だと静かに刻まれている。胸の奥でその事実を考えると、心が重くなる。
「ミラリス様、二年生の実技は今日は外だそうですよ」
「こんなにあっついのに、外なんて溶けちゃう〜」
セシルとマリルは相変わらず、私に寄り添ってくれている。二年生になっても、彼女たちとの日常は変わらず、元気で温かいものだ。
「そういえば、最近ジルベール様をお見かけしませんが……学園をおやすみされているんですか?」
セシルが少し気にした様子で言う。
ジルは、毎日王城に出向いている。古代魔竜討伐のための準備をしているから、学園に顔を出すことはほとんどない。実技の出席も免除されているし、国のために必要なことだから仕方がない。
でも、心の中ではいつも不安がひとしずく。
「ミラリス様……?」
マリルが心配そうに顔を覗かせて、私を見つめる。
「あ、ごめん。なんでもないよ。ジルはアラン殿下の用事を手伝ってるんだって。だからしばらく休んでるだけだよ」
少し強引に笑顔を作り、説明する。
古代魔竜の目覚めの兆候は、まだ国民には告げられていない。
討伐の目処が立つか、避難場所の確保や対策が整い、万全の準備が整った後でなければ、国民に伝えられないだろう。だが、いったいどれほどの間、秘密を守り続けられるのか——。
◇◇◇
「お帰りなさいませ、ミラリス様」
公爵家に帰ると、いつものように優雅に迎えてくれる侍女たちがいる。リアちゃんは最近、忙しさに追われていて、私は一人で帰ることが増えていた。最高学年に進級し、さらに生徒会の役職も与えられたから、彼女は忙しくて仕方ないらしい。
私はジルの居室に向かうと、着替えを持ってくる侍女たちを待ちながらベッドにダイブした。
(ジル、どうしてるかな…)
ジルに会いたい。
毎日顔を合わせていたのに、最近は週に二、三回の帰宅。それでも、私たちはお互いに忙しくても必ず連絡を取り合っている。
でも、こうしてジルに会えない日は、どうしても心が寂しくてたまらない。
あれから私たちが体を重ねることで、ジルの魔力量が上がることを確認できている。事後、三時間ほどは魔力が1000ほど増加する。その後は少しずつ減少するが、それでも50ほど増加が定着する。それを積み重なっている。だから、私たちにとっては愛の証であり、魔力を高めるためにも必要なことになっている。
それでも、ジルと触れ合う時間が増えるほど、私は彼に依存している自分を感じてしまう。
もうどっちが執着しているのか、わからなくなるくらいに。
「ジル……」
寂しさに胸が苦しくなり、私はベッドに顔を埋めて彼の名前を呟いた。
「なんだ?」
聞き慣れた優しい声で呼ばれて、振り返ると——
ジルがソファに座り、紅茶を飲んでいた。
「……なんで」
「なんでって、ずっといた。すごい勢いでベッドにダイブするから、なにかと思ったぞ」
ジルが肩をすくめ、微笑んだ。
「……見てたの?」
「当然だろ?」
その笑顔に、私は思わず顔を赤らめてしまった。
じわじわと恥ずかしさがこみ上げる。
私は小走りでジルの元へ向かい、彼の隣に腰を下ろした。
「戻ってきていいの?」
ぽつりと漏れた問いかけに、ジルは小さく息を吐く。
「はぁ……ミラに会えないと、俺が先に死んじまうからな」
そう言って、ジルは私の髪を拾い上げ、ゆっくりと唇を落とした。
指先がそっと髪をなぞる感触が、くすぐったいようで心地いい。
そのまま彼の瞳と視線が合う。
宝石のような蒼い瞳。深く澄んでいて、吸い込まれそうなほどに美しい。
その視線を受け止めるのが怖くて、私は思わずジルから目を逸らし、背を向けた。
「……また、魔力を増加させるために来たの……?」
本当は、もっと可愛げのある言い方をしたかったのに。
でも、こんな言葉しか出てこなかった。
ジルと体を重ねるのは嫌じゃない。むしろ、好きなのに。
そんな私の拗ねたような声を聞いて、ジルは小さく笑った。
「いーや、今日はミラを堪能するためだけに帰ってきたんだ。
抱かなくたって、そばにいるだけで癒されるから」
そう言いながら、彼は私を後ろから抱きしめる。
腕の力は強すぎず、けれど決して離さないようにしっかりと回されていた。
「……いい匂いがする」
ジルが、私の肩に顎を乗せ、ふっと小さく息を吸い込む。
「やだ、嗅がないで……恥ずかしい」
抗議するように身をよじると、ジルの唇が私の耳元に触れた。
そんな些細なことにも、心臓が跳ねる。
それでも、私たちはどちらからともなくキスをした。
ジルと恋人になって、もうすぐ一年が経つというのに、いつまで経っても私ばかりドキドキしてしまう。
そのことが、なんだか少し腹立たしくもあって。
「ミラ、何を拗ねてるんだ?」
「だって……ジルはいつも余裕な顔をしてるのに、私ばっかりドキドキして……」
そう口にすると、ジルは微笑みながら私の肩を軽く押し、向かい合うように座らせた。
そして、ゆっくりとシャツのボタンを外し、私の手を取って、自分の胸の上に乗せる。
「……え?」
驚いて見上げると、ジルは静かに目を閉じた。
「ほら、触ってみろ」
言われるままに、そっと手のひらを押し当てる。
ドクン、ドクン。
力強い鼓動が、私の掌から伝わる。
「すごい……」
自分の手で触れているのに、信じられないほどの熱を感じる。
ジルの心臓の音は、私のよりも落ち着いているように思えたけれど、それでも確かに速く鳴っていた。
「俺はこのくらいの鼓動が心地いいんだ」
ジルはそう言って微笑む。
「生きているって、強く感じられる」
そう呟いたあと、彼は静かに言った。
「ミラも、目を瞑ってくれ」
「……うん」
私は言われた通り、静かに目を閉じた。
すると、ジルの指が私の手を包み込むように握る。
「今から話すことをよく聞いて」
ジルの声が、いつもより少し低く響いた。
「もし……俺に何かあったと聞いても、俺の元へ来ないでくれ」
「……え?」
私は思わず目を開いた。
けれど、ジルは目を閉じたまま、私の動揺を察したように言う。
「目を閉じていて」
その声に、私は混乱しながらも再び目を閉じる。
「ミラは……俺がいなくなったとしても、生きていくんだ」
「ねえ、ジル……まさか死ぬつもりじゃないわよね?
願いの魔女だってまだ見つけられていないのに……」
「もちろん、死ぬつもりはないし、ミラを死なせるつもりもない。
だけど、俺は戦わなきゃならない」
私はジルが何をしようとしているのか、まったく分からなかった。
けれど、彼の口ぶりからは確信のようなものが感じられる。
彼が戦うと言っているのは、おそらく古代魔竜のことだろう。
でも、魔竜が目覚めるのは私の寿命のあと。
それならば、なぜ——?
「……ミラ。今から、格好悪いことを言うから、忘れてな」
ジルはそう言うと、私の手を取り、強く握った。
「本当は、ずっと俺だけを想っていてほしい。
俺以外を視界に入れないでほしい。
俺の腕の中に閉じ込めたまま、隠しておきたい。
この綺麗な体も、髪も、瞳も、唇も——全部、全部、俺のものだ。
これから先、誰にも触れさせたくない。
俺がこの世からいなくなったとしても……」
彼の声が震えていた。
静まり返る空気の中、ジルは再び口を開く。
「死なんて怖くないと思っていた……
でも、もし俺が死んだら……
ミラが他の誰かに目を向けてしまう未来があると思うと、それが怖くて堪らない」
その言葉を聞いた瞬間、私は息が詰まるような感覚に襲われた。
もう胸に手を当てていないのに、ジルの心臓の音が、先ほどよりもずっと速くなっているのがわかる。
こんなに強く、しっかりと生きているのに。
それなのに、彼はこれから何をしようとしているのだろう——。
その疑問が、じわりと胸の奥に広がっていく。
「ジル……前世を含めても、私がジル以上に愛した人はいないわ。
この先も、きっとこんなに想いを寄せるのは貴方だけ」
静かに告げると、ジルの肩がわずかに揺れた。
私はそっと目を開く。
ジルは、酷く辛そうな表情で私を見つめていた。
「こんなこと、本当は言うつもりはなかったのにな……
気を遣わせて、悪い」
ジルはそう言って、私から視線を逸らした。
こんなに弱々しい彼を見るのは、魔女の家から帰り、目を覚ました時以来かもしれない。
あの時も、彼は私を腕の中に抱きしめながら、苦しそうにしていた。
「私は、好きよ……ジルが私に見せたくない本音を聞けるのは」
そう言ってみても、ジルは目を逸らしたままだった。
その横顔は、どこか怯えたようにも見える。
「今言ったことは、ほんの一部だよ。
思っていること全部言ってしまったら、俺はとっくにミラに嫌われてる」
「なぜ、そう思うの?」
「——俺は、ファルク・リンネが前世で起こした事件を聞いて、
自分に近いものを感じたんだ。
あいつの言う通り……俺も、あいつと大して変わらない」
ジルの目が、さらに不安の色を濃くする。
それは、自分を責める者の目。
何かに怯え、己の中の闇を恐れる者の目だった。
「ジルは、私が他の男性を愛してしまったら——私を殺すの?」
静かに、けれど確かにそう問いかけると、ジルの肩がわずかに震えた。
彼は、ゆっくりとまぶたを伏せ、ひとつ息を吐く。
「……ミラに、そんなことはしない」
低く、静かな声だった。
「けど、相手の男は……」
そこまで言うと、ジルは私の手を離し、拳を強く握りしめた。
その指の節が白くなるほど、強く。
その姿を見て、私は静かに微笑んだ。
「うん。なら、私はジル以外、愛せないね」
彼の拳が、ピクリと震える。
「そんなこと、してほしくないし……
そもそも、そんなこと、考えられないもの」
ジルは、ハッとしたように私を見つめた。
「……リンネ伯爵は、私にとってまったく知らない人だったのよ?
私に対策のしようがないし、そもそも愛される努力をしていなかったのに、
勝手に恨まれていたの」
そう言うと、ジルの眉がわずかに動いた。
「その点、ジルは違う。
最初から、私に愛を伝えてくれていたでしょう?
同じじゃないし、思うだけと実際に実行してしまうことは、全然違うの。
だから、気持ちを聞いただけで嫌ったりしないわ」
私は、そっとジルの手を取った。
「……ミラ」
彼は、ゆっくりと私の手を握り返す。
指と指を絡めるように、しっかりと。
そのぬくもりが、彼の気持ちそのもののように感じられた。
ジルは、しばらく何かを考えるように私を見つめたあと、静かに笑った。
「じゃあ、これからは死ぬまで気持ちを伝えないとな」
「……あ、でも!」
思わず、私はジルの手を握り直す。
「全部受け入れるとかじゃないからね……!?
監禁とかしたい気持ちは受け入れるけど、
実際に監禁したりしないでね……!」
すると、ジルはクスッと笑い、私の髪を指で梳くように撫でた。
「ははっ、善処する」
その声は、どこか柔らかく、先ほどまでの不安を払うような響きだった。
彼がこれから何をしようとしているのか、私には分からない。
けれど——
今は、彼を信じて、任せるしかない。




