第43話 魔力増加
古代魔竜の話を聞いてから、私とリアちゃんは想像しただけでその災厄の恐怖に震えていた。
目の前の光景が歪んで見えるほど、頭の中では最悪の事態が次々と浮かんでくる。
闇の森の奥深くから姿を現した巨大な竜が、黒い影のように王都を覆い、人々が逃げ惑う。
城の城壁すらもろく崩れ、街が炎に包まれる——。
想像の中でも恐ろしいその情景に、私は無意識に腕を抱きしめた。
そんな私たちの様子を見て、アラン殿下が静かに口を開いた。
「今日は、話はここでやめておこうか」
彼の声はいつもより落ち着いていたけれど、どこか張り詰めたものを含んでいる。
ジルも黙って頷いた。
「王家から、そのうち国民に古代魔竜の目覚めの兆候を勧告する。それまでは混乱を防ぐために口外禁止で頼むな……」
「当たり前です……!」
私は思わずそう口にした。
こんな話が下手に噂として広まり、「王家が情報を隠している」と暴動でも起きれば、それこそ取り返しのつかないことになる。
「俺がリアを部屋まで送ろう」
アラン殿下がリアちゃんの背中に手を添え、そっと促す。
「アラン、ありがとう。リアラを頼む」
「……ああ」
リアちゃんは無言のまま頷き、アラン殿下と共に部屋を出て行った。
扉が静かに閉まり、部屋の中に再び静寂が訪れる。
——それでも、私はベッドの上で小さく震えたままだった。
「ミラ、不安にさせて悪いな……」
ジルが申し訳なさそうに呟く。
「……ちがう」
私は首を横に振った。
ジルが謝ることじゃない。
こんなの、全部、私が運命を変えてしまったから……起こってしまったことなのに。
「ごめんなさい……」
「なんでミラが謝る?」
「多分、私のせいなの……」
「……どういうことだ?」
ジルが眉をひそめる。
私は、以前「死の魔女」アダラと会ったこと、そして彼女が私に伝えた言葉をすべて打ち明けた。
——『お前が死ぬことで、本来死ぬべきだった人間が死ぬ』
アダラの声が脳裏に蘇る。
彼女は、私が死んだ後、ガルガンで死ぬはずだった人々が命を落とす、と言っていた。
その「災害」というのが、もし、この魔竜の目覚めだったとしたら——。
私はゾッとした。
本来ならガルガンで起こるはずだった悲劇が、王国全土を巻き込む大災害へと変わってしまったのだとしたら……。
「他の魔女の協力で……魔力量の多い俺が死ねば助かるね……」
ジルが淡々と口にする。
けれど、その声音には妙な諦めの色があった。
「ジル……?」
私は彼の表情を探ろうとした。
だが、ジルは思ったよりも冷静だった。
「そういえば、ジルは私が死なないって断言してたけど……何か知ってるの?」
そう尋ねると、ジルは一瞬目を伏せ、そして私をじっと見つめた。
「……ミラも死の魔女のこと黙ってたから、しばらく俺も内緒にしておくよ」
「え?」
「全てが終わったら話してやる」
そう言って、ジルは私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
その手は大きくて、温かくて、どこか安心できる感触だった。
——まるで、『お前は絶対に死なせない』とでも言いたげに。
そんな雰囲気の中で、ジルがようやく、私がずっと抑えていた腰について触れてきた。
「……悪い。昼間、無理させたか?」
「へへっ、私もジルの体力についていけるように鍛えなきゃだね」
無理をしたことを、言いたくなかった。
確かに体は悲鳴を上げている。
けれど——心は、間違いなく、あの瞬間が一番幸せだったから。
ジルは私の表情を見て、少し困ったような顔をした。
まるで、何か言い出しにくいことがあるような顔で。
「……ミラ、無理をさせてしまった手前でこんなこと言うのはあれなんだが……」
「なに?」
ジルは少し頭を搔いてから、意を決したように口を開いた。
「……ミラと身体を重ねると、俺の魔力量が異常なまでに増えるようだ」
「は?」
今、なんて言った?
「今日、ミラとの行為に至ってすぐ討伐要請が来て、すぐに向かっただろ?」
「う、うん……」
「いつもよりもかなり大型の魔物だったが……魔力が漲っていて、一発で倒すことができた」
「……一発……」
「感覚的には、1000以上は上がっていたと思う」
「1000……?」
驚きすぎて、リアクションができない。
——性行為で魔力量が大幅に上がる!?
そんな話、今まで聞いたことない。
魔力を移すなんかの儀式とかならともかく、普通の性行為でそんな効果があるなんて——。
「それは……たまたま今日の調子が良かったとかでは……?」
必死に否定したい気持ちで言う。
しかし、ジルは首を横に振った。
「いや、感覚的には明らかにミラを抱いた後から魔力が漲っている」
「そ、そんなこと……ある?」
「だから、試させてほしい……!」
「試……!?」
ジルが真剣な目でこちらを見てくる。
「今日は無理だよ!?もう体が無理だって言ってるもん!」
「もちろん、明日でもいい」
「明日!?」
(それもまあまあ急……というか、魔力が戻りきってるか分からないけど!?)
「頼む……ダメか?」
——やめて、その顔。
珍しく、ジルが子犬のような瞳で私におねだりしてくる。
その表情に、私は完全に負けた。
「……わかった!じゃあ、明日ね」
こうして私は、また明日も彼に抱かれる約束をしてしまった——。
◇◇◇
エルヴァン公爵邸に住むことになり、二日目。
今日は、私にとって緊張の一日になりそうだ。
昨日のハジメテとは違い、前もって約束しているとなると、それはそれは緊張してたまらない。心臓が早鐘のように鳴っているのを自覚しながら、ふと窓の外に視線を向けた。
雲ひとつない快晴の空。こんなにも穏やかな日なのに、私の心はまるで嵐の中にいるみたいにざわついていた。
それに、今の私は魔力が完全に枯渇している状態。魔女の家にいた時とは違い、0になったせいか、回復が異様に遅い。魔法もほんの少ししか使えず、まるで魔力を失ったかのような感覚だった。治ったはずの腰痛も、今日でまたどうなるか……想像すると、余計に不安が募る。
でも、今日はただ試すだけのはず。一回で終わる可能性だって十分にある。
昨日はたまたま、お互いに貪るように夢中になって抱き合ってしまっただけ。だから、あんなふうに体を痛めたんだ。そう信じたい。
◆◆◆
「ジル、素敵だしありがたいんだけど……このドレスの量はなに……?」
朝、私はジルに案内され、エルヴァン公爵家の衣装部屋に連れてこられていた。
そこには、ずらりと並べられたドレスの数々。シンプルなものから派手なものまで、壁一面を埋め尽くすほどの量だった。
目の前に広がる光景に、私は思わず言葉を失う。
「いつか、ミラと一緒に住みたいと考えていたからね。作らせておいたんだ」
さらりとジルは言うけれど、そんな簡単に済ませていい量じゃない。
「それにしたって……この量……」
私は侯爵の娘だから、もともとドレスはたくさん持っているほうだけど、それでもこの数は尋常じゃない。
「本当はもっと買っておこうと思っていたんだが、ミラはまだほんの少し身長が伸びているようだからな」
「そんなの、なんでわかるの!?」
「毎日見ているから、わかるよ」
「いやいや、普通わからないよ!」
ジルは当たり前のように言っているけど、普通はそんな細かい変化まで気づかない……。
私は呆れながら、ずらりと並ぶドレスを見つめる。
「ミラは今日はどのドレスにする?」
「え〜……こんなにあると迷ってしまうわ」
すると、ジルは迷いなく一着を手に取った。
それは、深緑のコーデュロイ生地で仕立てられた、大人っぽいドレスだった。
「素敵ね、私には少し大人っぽいけれど……ジルはこういうドレスが好みなの?」
そう聞くと、ジルは少し私から目を逸らし、咳払いをした。
「どうせ脱ぐから……脱がしやすい方がいいかと思って」
「ぬがっ……!?」
思わず私は息を呑み、顔が一気に熱くなるのを感じた。
「そ、そういうのは言わなくていいよ……!」
深緑のドレスを改めて見てみると、確かに肩が出ていて、腰のリボンを解けば緩んでずり落ちてしまいそうな作りをしている。……なるほど、そういうことね。
(ジルって、たまにストレートすぎる……)
「それに、夜お風呂にも入るなら服は関係ないんじゃ……?」
「夜したら、魔力量が増えてるか実践では試せないだろう?」
「ということは……」
「ああ、昼には頼む」
「……はやくない?」
思わず唖然とする。昼って……まだ心の準備が……
(お昼は体力つけるためにしっかり食べないとダメそうね)
◆◆◆
侍女たちに手伝ってもらい、ジルが選んだ深緑のドレスに着替えた私は、公爵邸の中庭へ出た。
ジルは今、公爵様と執務について何やらやっているらしい。私はその間、本を読んだり、庭を散歩したりして時間を潰していた。
けれど——
(それでも、頭の中ははしたないことでいっぱい……)
どんな風に触れられるんだろう。どういう表情をされるんだろう。
(ああ、これじゃまるで変態ね……)
赤くなりそうな顔を両手で覆う。心を落ち着かせようと深呼吸をしてみるけれど、まるで効果がない。
どれだけ気を紛らわせようとしても、意識してしまうものは意識してしまうのだ。
(どうしよう……こんな状態で、ジルの顔なんてまともに見られないよ……)
そんなことを考えている間に、あっという間に昼になってしまった。
◇◇◇
お昼はたくさん食べた。
スープにパン、ジビエのローストに、たっぷりの野菜のソテーまで。いつもより少し多めに食べてしまったのは、午後に備えてのこと。
(お腹……出てないよね?)
食後、ほんのり膨らんだ自分のお腹に手を当てて少し気になったけれど、体力には変えられない。ジルの前で恥ずかしがっている場合ではない……はず。
私はジルとともに部屋へ戻り、ふわりとベッドに腰を下ろした。
けれど、落ち着くどころか緊張がじわじわと襲いかかってくる。
(どうしよう、心臓がうるさい……)
手をギュッと握りしめて自分を落ち着かせようとする。
——なんで昨日の私はあんなに乱れた姿をジルに見せてしまったんだろう?
今となっては不思議でたまらない。昨日の私は、一体どこへいってしまったのか。
「ミラ……」
名前を呼ばれるだけで、息が詰まるような感覚に襲われた。
ジルの指先がそっと私の頬に触れる。ひやりとした指先の温度が心地よいのに、それと同時に私の身体は異常なほどピクリと反応してしまった。
——どうしよう、こんなのジルに見られたら——
「ふっ」
ジルが小さく笑う。
「緊張しすぎだ。昨日みたいに、任せてくれればいい」
落ち着いた低い声に、ますます体が熱くなっていく。
(人生二回目なのに、私の方がまるで初心みたい……)
知識がないわけじゃないのに、経験があるはずなのに、どうしてこんなに恥ずかしいの?
羞恥心を振り払うように、私は「どうにでもなれ!」と心の中で叫んで、目の前に立つジルの手をグッと引いた。そして——
唇を重ねる。
最初は軽く、けれどジルはすぐに私を後ろへ押し倒すと、スイッチが入ったように激しく唇を奪ってきた。
唇の熱が溶け合い、息が詰まりそうなほどの深いキスに変わっていく。
「ん……」
ジルの手が器用にドレスのリボンを解き、布がゆっくりと肩を滑り落ちていく。
指先が素肌に触れるたび、火照る身体がさらに熱を帯びるのが分かった。
——また、私はジルにぐちゃぐちゃにされる。
白いシーツの上で、彼に弄ばれるように、けれど優しく包まれるように。
カーテンの隙間から差し込む陽射しが、そんな甘やかな時間にはそぐわないほどに眩しく輝いていた。
けれど、この部屋の中に響くのは夜にふさわしい、甘く切ない吐息と声だけだった——。
◆◆◆
「はぁ……はぁ……」
息を切らしながら、私はベッドの端でぐったりと横になっていた。
対照的に、ジルはすでに息を整え、私の頭を優しく撫でながら自分の手のひらを見つめている。
「やはり……魔力量が格段に上がっているな」
低く呟かれた言葉が、ぼんやりとした意識の中に染み込んでいく。
(ジルは平気なの?私は……こんなにぐったりなのに……)
正直、すぐにでも眠りたいほど身体が重い。けれど、ジルの手のひらが淡く輝いているのを見ると、確かに彼の魔力量が増していることが分かった。
——これが、私にできること。
私は自分の腕でゆるく身体を抱きしめながら、息を整えてから言った。
「私……ここで待ってるから……外で魔術を試してきたら……?」
そう言うと、ジルの表情が僅かに歪んだ。
「そんなことをしたら、俺がミラを道具のように扱ってるみたいで嫌だ」
「別に……そんなこと思わないよ?」
(むしろ、少し休憩したい……)
けれど、ジルは私の言葉を聞いても納得しないようだった。
「俺が嫌なんだ」
まっすぐに見つめてくる綺麗な青い瞳。
ジルのこういうところが、ずるいと思う。
「なら、少し一緒に休憩してくれる……?」
そう頼むと、ジルはため息をひとつついてから、私をシーツの中へと引き寄せた。
「寝ていいぞ」
優しく抱きしめられたまま、私は安心感に包まれる。
「夜に眠れなくなっちゃうから」
「そしたら朝まで付き合ってやる」
「昼夜逆転も困るの!」
言い合いながらも、自然と笑いがこぼれる。
——こんなに緊張していたのに、事後は直接肌を擦り寄せながら、まるで普段のように会話している。
なんだかおかしくて、私はくすっと笑ってしまった。
けれど、その穏やかな雰囲気の中で、ジルが少し真剣なトーンで言う。
「ミラ……こんなことを頼んでごめん。でも、そのうち今までと比べ物にならない強い魔物と戦わなければならないんだ」
「もし魔竜が目覚めた時も、ジルが討伐に加わるんでしょう?」
「……ああ」
ジルの魔力が上がれば、最強と呼ばれる古代魔竜も倒せるかもしれない。
そのために、私は——
「私でよければ、いつでも協力するわ」
ジルの手をそっと握る。
彼の魔力のために、彼の未来のために、私ができること。
それがこの選択なら、私は躊躇わない。
ジルは私の言葉を聞くと、少し微笑んで、またそっと抱きしめてくれた。
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明日オヤスミします(՞- -՞)ᶻᶻᶻ




