第42話 災厄の兆候
「それで? なんでアランを連れて帰ってきたわけ?」
リアちゃんの声は、さっきまで涙を流していたとは思えないほど、いつもの調子に戻っていた。
ジルをじっと見つめながら尋ねる。
「ミラリスに報告があってな」
アラン殿下が、少しだけ肩をすくめながら答える。
「……アラン、お前いつからミラのこと呼び捨てで呼ぶような仲になったんだ?」
ジルがすかさずツッコミを入れると、アラン殿下はむっとして眉を寄せた。
「いや、もういいだろ。俺だって友達なんだよ!」
「友達ねえ……」
リアちゃんがじとっとした視線を向ける。
──いやいや、今はそこじゃない。
「……あの、とりあえず話を聞かせてもらえませんか?」
私は二人のやり取りを制して、本題へと戻す。
アラン殿下は咳払いを一つすると、表情を引き締めた。先ほどまでの軽口が嘘のように、空気が変わる。
「実は憲兵からの報告で、ファルク・リンネが魔女の家について言及していたらしい」
「リンネ伯爵も呼ばれていたんですか!?」
思わず身を乗り出すと、アラン殿下は小さく首を振る。
「いや、そうではないらしい……ただ、言ってることがはっきりしなくてな。転生してきてからどうのって……」
転生──。
その言葉に、心臓が大きく跳ねた。
殿下やリアちゃんには、まだ話していないこと。
私は無意識にジルの方を見る。
ジルは静かに視線を伏せ、少しの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。
「俺から話すよ……いい? ミラ」
その静かな声に、私は一瞬、戸惑う。
けれど──ここで誤魔化したら、話がまとまらなくなる。
私は覚悟を決めた。
リアちゃんとアラン殿下に、自分が転生者であることを話すことを。
◆◇◆
「……これは、なかなか信じ難いな……」
アラン殿下が額に手を当て、眉間に深い皺を寄せる。
「ジルが私を……?」
リアちゃんが信じられないという顔でジルを見た後、すぐにアラン殿下と目を合わせた。
「俺とリアが……?」
「「うえ〜……」」
二人はまるで同時にうめき声をあげるようにして顔をしかめた。
アラン殿下は嫌悪感を隠すことなく、腕を組みながらわざとらしく身体を震わせる。
「……いや、無理だろ……。俺とリアが恋仲とか、冗談でも気持ち悪い」
「それはこっちのセリフよ! アランと恋愛関係になんてなるくらいなら、私は年の離れたおじさんの方がマシ!」
リアちゃんも本気で嫌そうな顔をして、ソファの端に身を引いた。
「……まあ、そういう話になるのはわかってたけど、二人ともあからさますぎないですか?」
私は苦笑しながらツッコミを入れたが、アラン殿下は渋い顔のままため息をつく。
「いや、さすがにこれは……正直、キツい」
「まったく同感。ありえないにも程があるわ」
リアちゃんは腕を組みながら肩をすくめ、ジルに向かって訴えるような目を向けた。
「ジルも、まさか自分がミラちゃんを愛さない未来があるかもしれないなんて、想像すらできないでしょ?」
ジルは一瞬黙ったが、すぐに真顔で答えた。
「……ああ、無理だな」
「ほら見なさいよ」
リアちゃんが勝ち誇ったように鼻を鳴らす。
「はは……そんなに嫌がらなくても……」
私はなんとも言えない気持ちになりながら二人を見る。
──この世界での彼らにとって、小説通りの展開は到底受け入れがたいものらしい。
ジルは、ため息をつきながら軽く咳払いをした。
「……話を戻していいか?」
彼の低く落ち着いた声に、アラン殿下とリアちゃんは顔を見合わせたあと、渋々と頷く。
「そうだな。今は俺たちの話はどうでもいい。大事なのはファルク・リンネの話だな」
アラン殿下が気を取り直し、真剣な表情に戻る。
「とにかく、ファルク・リンネも転生者で、この世界の手がかりを探しに魔女の家を訪ねた……。でも、当然のように入れなかったらしい」
「まあ、そりゃそうよね。呼ばれてなきゃ入れないもの」
リアちゃんが腕を組みながら納得したように言う。
「だが、キンリーは年中雪が降っているのに、不思議と雪が降っていなかった魔女の家の前で眠ったらしいんだ……それで……」
アラン殿下の言葉に私は息をのむ。
「夢を見たのか、魔女の」
ジルの言葉に、アラン殿下は静かに頷いた。
「ああ」
(そんな……家の中でなくても魔女は夢に干渉できるってこと?)
「……それで、その夢に出てきた魔女はだれだったんですか?」
私は思わず身を乗り出して聞く。
「それが……魔女としか」
アラン殿下の言葉を聞いて、私は息を呑んだ。
「お兄様が言ってたのと同じ……」
「ユリスが?」
加筆・調整後の文章
アラン殿下は眉をひそめ、少し考え込むように視線を落とした。
「はい、私が生まれてすぐ、魔女と名乗る人物に体を乗っ取られ、『私は魔女。この娘は17歳の秋に死ぬ。死期が来たらこの娘の大事な人間の心臓を授けよ。その時この娘の生命は助かろう』と口にしたそうなのです」
室内の空気が一気に張り詰めた。
「だから……」
アラン殿下は何かを知っているような口ぶりで言葉を濁した。
その一瞬の間を、ジルは見逃さなかった。
「なんだ? 小さいことでもいい、何か知っているなら言ってくれ」
ジルの声には、焦りとも苛立ちともつかない感情が滲んでいた。
アラン殿下は少し逡巡し、それから静かに口を開く。
「いや、詳しい話は俺も知らなかったんだけど……カルバン侯爵家から、娘は魔女かもしれないという報告が、ミラリスが魔法を使い始める前から上がっていたらしいんだ」
「そうか……」
(お父様は陛下に報告なさっていたのね……だから、10歳の頃に謁見したときも陛下はあまり驚かず、あのような判断を下したのね)
私は、子供の頃の記憶を思い返しながら納得する。
アラン殿下は続けた。
「それで、ファルク・リンネはその魔女から魔道具を受け取った。正確に言えば、目が覚めたら手の中に握っていたらしい。そして、探していた”美蘭”───たぶんミラリス、お前のことだな。その居場所を聞いたそうだ」
「……」
(魔女……一体、どんな魔女で、何が目的なのかしら……?)
魔道具を渡し、私の居場所を教えるなんて……それは、どう考えても”私を殺す”ための行動にしか思えなかった。
私が沈黙する中、ジルが私に目を向ける。
「ミラ……そろそろ”美蘭”のことを話してくれ。ファルク・リンネは、お前の前世と関わりがある人物なのか?」
ジルにそう問われて、私はハッとした。
そうだ、私はまだ”美蘭”について話していない。
逡巡する暇はなかった。私はすぐに口を開いた。
私の前世のこと───名前、家族、友人。そして、“柳田龍太”という男が私のストーカーだったこと。彼が私の前世の恋人を殺害しようとして失敗し、最後には私と心中を図ったこと。
話しながらも、ジルの前でこの話をするのは、少し気まずさがあった。だが、そんなことを気にしている余裕はない。
しかし、それを聞いたジルは、小さく何かを呟いた。
「……あいつの言う通り、俺も同類だな……」
ジルは拳をぎゅっと握りしめる。
私はその手を見つめながら、何も言えなかった。
代わりに、リアちゃんが優しく言葉をかける。
「ミラちゃん、辛いことを話してくれてありがとうね」
「……それにしても、自分の恋心が実らなかったからって殺すって、どういう思考なんだ……?」
アラン殿下が不快そうに呟く。
「ほんとよね。自分勝手にも程があるわ。大体、そんなことするやつを誰が好きに───」
ドンッ
リアちゃんの言葉が終わる前に、鈍い音が部屋に響いた。
驚いて視線を向けると、壁際に立っていたジルが拳を壁に叩きつけていた。
ベッドの前の壁には、大きく凹んだ跡が残っている。
室内が、シンと静まり返った。
「ジル……? 大丈夫?」
「……ああ、悪い。なんでもないんだ」
ジルは低く呟くと、手を開いてゆっくりと拳を下ろした。
「それより、もっと大事な話があるんじゃないのか? アラン」
「……なんでもないって、お前……」
アラン殿下は少し言い淀んだが、すぐに気を取り直し、表情を引き締めた。
そして、少し怖い顔をして、静かに告げた。
「……古代魔竜が、そろそろ目覚めそうだ」
「魔竜が!?」
リアちゃんは、ソファから勢いよく立ち上がった。
「それって、五百年に一度目覚める、あの魔竜ですか!? まだ五百年には届かないと聞いていますが……」
古代魔竜───それは”闇の森”と呼ばれる森の奥深くに住む、歴代最強の魔物。
しかし、ほとんどの時間を眠り続けている存在でもある。
ただ、五百年に一度、わずか”一週間”だけ目覚める。
その間、魔竜は食糧を求めて国中を暴れ回る。
その”食糧”には、人間も含まれる。
五百年もの間、眠り続ける代わりに、目覚めた時には大量の食糧を必要とし、その周期が訪れるたびに多くの命が奪われるのだ。
まさか、その周期が、もう来てしまうというの……?
「……ああ、ミラの言う通り、前回の魔竜の目覚めからまだ百八十年ほどしか経っていない」
アラン殿下は重々しく頷く。
「だが、兆候が出始めているんだ」
「兆候……?」
「大型の魔物が最近、異常に増えている。そして、闇の森近辺で魔竜の唸り声が確認された」
「どれも……魔竜が目覚める前に起こる兆候だな」
ジルが低く呟く。
「それは……あとどれくらいで目覚めるのでしょうか……」
アラン殿下は、重い口を開いた。
「……一年以内。次の秋から冬には目覚めるだろう」
「……っ!」
その言葉に、私は息を呑んだ。
アダラが言っていた”災害”……まさか、これのことなの……?
私が死んだら、魔竜が目覚める。
ガルガンで死ぬはずだった人々が、代わりに魔竜に食われる。
そんな、残酷な……。
寒気が背筋を駆け上がった。
だからって、私はジルを犠牲にすることなんて選べないのに……どうしたらいいの?




