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第34話 幸せな誕生日と……


秋の気配がほんのりと感じられる終夏の頃。

朝の空気は少しずつ涼しさを帯び、頬を撫でる風が心地よくなってきた。


夏の名残を惜しむように、草木はまだ青々としているが、遠くに広がる空はどこか澄んでいて、季節の移ろいを感じさせる。


そんな穏やかな朝――いつものように、ジルが迎えに来てくれた。


「おはよう、ミラ」


差し出された手を自然に取る。彼の掌はしっかりと温かく、いつも通りの安心感をくれる。


「おはよう、ジル」


二人並んで馬車へと向かい、乗り込もうとしたその瞬間――。


「ミラちゃん、誕生日おめでとー!!!」


パンッ!


突然、乾いた破裂音が響き、視界いっぱいにキラキラと紙吹雪が舞った。


「――っ!」


思わず身をすくめる。

驚いて目を瞬かせると、目の前にはクラッカーを握りしめ、満面の笑みを浮かべるリア様の姿があった。


「リア様!?」


思わず名前を呼ぶと、彼女はいたずらっぽくにっこり笑い、首を傾げる。


「ミラちゃん、リアでいいってば」

「せめて、リアちゃんで……」


戸惑いながら訂正すると、リア様は「えー」と少し頬を膨らませた。


しかし、それよりも――なぜ彼女がここにいるのかが分からず、私はジルに視線を向ける。


「はぁ……無理やり着いてきたんだよ……断ったら大暴れするから」


ジルは心底呆れた様子で肩をすくめる。その横顔は少し疲れているように見えた。


「しーまーせーんー!」


リア様はまったく悪びれず、むしろ得意げに笑っている。腰に手を当て、どこか誇らしげな態度だ。


そんな二人のやり取りを見ながら、私は思わず苦笑した。

そして、ジルの手を握り直し、馬車へと乗り込んだ。


──


馬車が動き出すと、リア様は嬉々とした表情で私を見つめ、開口一番こう言った。


「ミラちゃん聞いた? ミラちゃんが婚約者の有力候補になってる件、どうなったか」

「ううん、聞いてない……」


何のことか分からず首を傾げると、リア様は呆れたようにため息をつき、ジルをじろりと睨んだ。


「ジル、まだ言ってないの!? ほんと仕方ないんだから」


ジルは黙ったまま、腕と脚を静かに組み、目を伏せる。


その姿はまるで、これ以上は語る必要がないと言わんばかりだった。


「今のところジルが保留まで持ち込んで、進まないようにしてるわ」

「ジルが……ですか?」


驚いてジルの顔を見つめる。


彼は公爵令息。国の方針に逆らえる立場ではないはず。

そんな彼がどうやって保留にまで持ち込んだのか、まったく想像がつかなかった。


「そ、アランとミラちゃんが結婚するなら、大型の魔物が出ても討伐魔術騎士団にジルは一切手を貸さないと言い張ったんだって」


リア様の言葉に、私は思わず息をのんだ。


「……あ……そっか、ジルほどの魔力量を保持している人を国もあまり無碍にできないから……」

「そうね、ジルがいなきゃ万が一にでも街の近くにまた大型魔物でも出たら、数人の死人じゃすまないもの……」


リア様の言葉を聞きながら、私は自然と過去の出来事を思い出していた。


春が過ぎたばかりの頃。

ジルが火蜥蜴から隊員を守るために、深い傷を負ったあの日。


あの時のジルは、意識を失う寸前まで戦い続けた。

あの時の瘴気を纏い苦しんでいる光景が、いまだに鮮明に脳裏に焼き付いている。


(また……あの時のように、ジルは自分を犠牲にして戦おうとするの?)


不安が胸の奥に広がっていく。


ふと気づけば、私はじっとジルの横顔を見つめていた。


ジルはふっと視線を上げ、私の顔を覗き込む。


「そういう顔をすると思ったから言わなかったんだ。それに、保留になっただけで、まだ完全に撤回できたわけじゃない」

「うん……でもジル、ありがとう! 怪我だけは気をつけて……もし怪我したら、私を呼んでね」


私の言葉に、ジルは一瞬驚いたように目を瞬かせた。


しかし次の瞬間、優しく微笑み、私の頭をくしゃくしゃと撫でた。


その手のひらの温かさに、胸がじんわりと熱くなる。


「……あらあら、私、お邪魔かしら?」


ふと見ると、リア様が膝の上で頬杖をつきながら、にやりとこちらを見つめていた。


「最初から邪魔だよ……」


ジルが呆れたように呟き、リア様が「ひどーい!」と笑いながら抗議する。


そんな賑やかなやり取りの中、馬車はゆっくりと学園と向かっていった。


◇◇◇



「ミラリス様! お誕生日おめでとうございます!」

「祝・16歳ですね!」


教室の扉を開けた瞬間、明るい声が響いた。


驚いて目を瞬かせる。


目の前には、セシルとマリルが立っていた。

二人とも満面の笑顔で、まるで私の到着を待ち構えていたかのようだ。


「な、なんで知ってるの!? 私、言ってないよね?」


思わず声を上げると、二人は顔を見合わせ、くすくすと楽しそうに笑った。

そして、私の一歩後ろにいたジルへと意味ありげな視線を送る。


「それは〜……」

「ジルが……!?」


私が振り向くと、ジルは少し困ったように頭をかいた。


「……別に、大したことじゃない」


低く呟くその声は、どこか照れくさそうだ。

けれど、セシルとマリルにわざわざ伝えてくれたのかと思うと、じんわりと嬉しさがこみ上げてくる。


(ジルが、私のために……)


彼は私以外とはあまり話さない。

それなのに、どんなふうに二人に話したのだろう。

そっけなく「ミラの誕生日だ」とだけ伝えたのか、それとも少しは詳しく話したのか……?


(……ううん、ジルのことだから、きっと最小限の言葉だったんだろうな)


想像すると、なんだか微笑ましくて、自然と笑顔になった。


「じゃあ、また後でくるから」


ジルはそう言って、私の頭を軽く撫でる。


「うん、バイバイ」


彼が歩き出し、教室を出ていく。

その背中を見送るうちに、心の奥がじんわりと温かくなっていくのを感じた。


(ジル……本当に、ありがとう)


彼の存在が、今の私にとってどれほど大きいものなのか。

改めて実感する瞬間だった。


「ミラリス様、相変わらずジルベール様に大事にされていますね」


マリルが穏やかな笑みを浮かべて言う。

その言葉に、セシルが勢いよく頷いた。


「うん! ミラリス様、最近すごくいい顔してる! 絶対ジルベール様に恋してるからですね」


「えっ……」


思わず頬が熱くなる。


そんなに分かりやすくなってる……?


自分では意識していなかったけれど、きっと表情や雰囲気に出てしまっているのだろう。

それほどまでに、私はジルのことを想っている。


それを素直に認めたくなるほどに、今の私は幸せだった。


けれど――。


「みんなのおかげだよ」


私はそっと微笑んで、二人を見つめた。


「私の友達になってくれて、ありがとう」


「こちらこそ、ありがとうございます!」


セシルとマリルは声を揃えて、眩しいくらいの笑顔を見せた。


本当に素敵な友達がたくさんできた。


去年までの私なら、こんな光景は想像もできなかった。

毎年、お祝いの言葉をくれるのは、お兄様や使用人だけだったから。


けれど今年は――。


友達がいて、大好きな恋人までいる。


まだ朝なのに、今日はとても素敵な誕生日だ。


◇◇◇


学園の一日が終わると、いつものようにジルが迎えに来てくれていた。

夕暮れの橙色が、彼の夜空の髪に柔らかい光を落としている。


「ミラ、今日の残りの一日は全部貰うぞ」


低く優しい声。

言葉の端々に滲む、私だけを想ってくれる温もり。


(……ずるいなぁ、ジル)


そんなふうに言われたら、胸が高鳴ってしまう。


「私もそのつもりだったよ」


照れくさくて、つい言葉を濁しながらジルを見上げると、彼は視線を逸らし、耳をわずかに赤らめていた。

その仕草が可愛くて、思わず頬が緩む。


ジルに手を引かれながら馬車に乗ると、最初に向かったのはエルヴァン公爵邸だった。


彼は馬車を降りるなり、何やら使用人に細かく指示を出し、「またあとで」と言い残してどこかへ行ってしまった。


すると、待っていた侍女たちが私のもとへやってきて、優しく着替えを手伝ってくれる。


「わぁ……綺麗な色……」


思わず息を呑んだ。


鏡に映るのは、深いブルーのドレスを纏った私。

まるで夜空のように澄み渡る碧。


(ジルみたい……)


そのことに気づいた瞬間、心臓が強く跳ねた。


彼は、この色を選んでくれたの?


ふわりとスカートを持ち上げると、艶やかな布が優雅に揺れる。


(なんだか、少しだけ大人びた気がする……)


侍女に案内され、ジルの部屋へと向かう。


扉をノックし、そっと開けると、ちょうどジルの視界に私の姿が映った。


「ジル、ドレスありがとう。似合う……かな?」


緊張しながら尋ねると、ジルは無言のまま、じっと私を見つめていた。


(……な、なんでそんなに黙ってるの?)


思わず身じろぎすると、ジルはハッとしたように目を瞬かせ、軽く顎を撫でながら言葉を探すように口を開く。


「ああ、悪い……予想以上で……」


――予想以上で、何?


その先を聞きたくて、私はジルの顔を覗き込むようにして、そっとねだるように言う。


「……ちゃんと言って……?」


ジルが褒めてくれているのはわかる。

でも、私はちゃんとジルの言葉で聞きたかった。


しばらく沈黙した後、ジルは小さく息を吐き、真っ直ぐに私を見つめると、静かに言葉を紡ぐ。


「……綺麗だよ、ミラ」


その言葉を聞いた瞬間、胸がいっぱいになった。


頬にそっと手が添えられ、私はその手に自分の手を重ねる。


「……キス、してくれないの?」


自分で言っておいて、恥ずかしさで顔が熱くなる。


「本当、最近は随分と甘いな……」


ジルは困ったように苦笑しつつも、どこか愛しげに私を見つめていた。その表情に、私の心臓はさらに強く跳ねる。


「ほら、早く……」

「わかったから」


そう言って、ジルは優しく唇を重ねた。


ふわりと触れる温かい感触。


すぐに離れてしまった唇に、少し物足りなさを覚え、私はそっと彼の袖を引いた。


「ねえ、もうちょっとだけして……?」

「……またベッドに連れていきたくなってしまうから、また今度な」


ジルの言葉に、顔が一気に熱くなる。

確かに、せっかくのドレスが乱れてしまったらもったいない。少し残念だけれど、大人しく引き下がることにした。


「じゃあ、行こうか」


ジルはそう言って腕を差し出し、私はそれに自分の腕を絡ませた。


向かった先は――劇場だった。


「演劇が見られるの……!?」

「ミラが好きかと思って」

「わぁ!すきすき!」


思わず子供のように喜んでしまう。

前世でも、漫画、小説、ドラマ、映画、舞台――すべて大好きだった。


「でも、幾ら貴族でも優遇制度がないからチケット取れないって聞くわ……どうして取れたの?」

「んー、秘密にしておこうかな」


ジルはそう言って、私の唇に指を当てた。


観劇をして感動でたくさん涙を流し、買い物を楽しみ、素敵なレストランで食事を取り、最高の時間を過ごした。


そして、夜が更け始めた頃。


「今日は、人生で一番最高の誕生日だったな……」


馬車の窓から夜の王都を眺めながら、ぽつりと呟いた。


「私ね……前世から断罪予定のミラリスに転生してたからね。ずっとジルを避けようと思ってたんだ。もちろんジルだけじゃなく、リアちゃんもアラン殿下も……」


自分の過去を振り返ると、胸が締め付けられるように切なくなり、ドレスをぎゅっと握りしめた。


「それなのに、今こんなに幸せを貰っていて……色のなかった私の世界が、すごく鮮やかに映るようになった」


涙がポロポロと溢れる。


「全部ジルのおかげだよ、ありがとう」


すると、ジルは静かにポケットから小さな箱を取り出した。


「それは、俺も同じだ。俺にとってはミラが、絶望していた俺に希望の光を与えてくれたんだ」


小さな箱から、ブルーに光る宝石がついた指輪が現れる。


「誕生日プレゼント。ミラ、16歳おめでとう」

「ありがとう、ジル」


その指輪をそっとなぞると、ジルがそっと教えてくれた。


「その指輪は魔道具なんだ。キンリーからの帰りのことがあってから、毎日毎日俺の魔力を込め続けた。何かあったとき、きっとミラを守ってくれる」

「ジルが守ってくれているのね、一生の宝物にする 」


私は嬉しくて涙を拭かずに、ただ笑顔で泣いた。


すると、馬車の窓から外を見た瞬間、ある光景が目に飛び込んできた。


前世で見たイルミネーションのように、光り輝く木。

そこに人々が集まっているのを見つけ、私は思わず窓に張り付いた。


「ジル、寄り道してもいい?」

「いいよ」


馬車を降り、夢中になりながらジルと歩く。


その時――


すれ違いざま、一人の男と目が合った瞬間。

背筋が凍りついた。

理由もわからず、ぞわりと総毛立つ。

息が詰まり、喉が締めつけられるような感覚。


――何?何なの、この感覚……!?


まるで、生理的に拒絶するような寒気。

私の身体が、自分の意思とは無関係に動かなくなる。

気づけば、私はその場で足を止め、硬直していた。


「ミラ……?」


ジルが心配そうに私の名前を呼ぶ。

でも、その声が耳に届かない。

そして、確かに聞こえた。


私とすれ違ったあと、男は低く、ねっとりとした声でこう呟いた。


「────やっと見つけた」


心臓が跳ね、血の気が引いた。

私は反射的にジルの腕を強く掴む。

ジルが驚いたように私を振り返るけれど、私の視線は男に釘付けになったまま。


――誰? 何者?


でも、それ以上に、私の本能が叫んでいる。


この人は、危険だ。と────

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