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第31話 古本と婚約

学園の帰り道だった。


「ミラ、今日は公爵家へ来てくれないか?」


ジルの誘いを受け、私は今、なぜかアラン殿下とリア様も一緒にエルヴァン家の馬車に乗っている。


「なんでお前らがいるんだよ」

「お前が呼んだんだろ!」

「自分の馬車で行け!」

「あら、私は我が家の馬車に乗っているわ」

「リアラは自分の馬車があるだろ!」


ジルとアラン殿下の口論が続く。馬車の中はやけに賑やかで、まるで子供の喧嘩のようだった。


——本当に、こうして見ると彼らはまだ若いのだと実感する。


「ふふっ」


思わず笑みを漏らした私に、リア様が目を輝かせる。


「あら、ミラちゃんかわいい〜!」


そう言ったかと思うと、リア様は向かいの席からするりと動き、私を抱きしめた。


「おい! ミラにくっつくな!」

「自分はいつもベッタリなくせに!」

「俺はいいんだよ! ミラの恋人だからな」

「恋人って言ったって、婚約したわけじゃないじゃない!」


リア様がその一言を口にした瞬間、それまで騒がしかった馬車内が一気に静まり返った。


「え……? 私、なんかまずいこと言った……?」


リア様が気まずそうに呟く。アラン殿下はため息をつきながら彼女の腕を引いた。


「はぁ……もういいから座ってろ」

「はーい」


リア様が元の席へと戻る。


その間、ジルはずっと馬車の外を見たまま、何も言わなくなった。拗ねた子供のように、少し頬を膨らませている。


——本当にわかりやすい。


私は、向かいで会話を続けるアラン殿下とリア様を横目に、こっそりとスカートの裾で手を隠しながら、ジルの手に小指をそっとのせた。


ジルはまだ外を向いたまま、微動だにしない。


だけど、私の小指にジルの小指がそっと絡まった。


——たったこれだけの触れ合いだけど、二人だけの秘密みたいで。


小さな愛の形を、私は感じていた。


◇◇◇


エルヴァン公爵家に到着し、部屋へ入るなり、ジルは不機嫌そうに口を開いた。


「で、なんでリアラは俺の部屋にいるんだ?」

「だって、私だけ仲間外れなんておかしいでしょ?」


当然のように答えるリア様に、ジルは眉をひそめる。


「遊びじゃねぇんだよ……」


そう、小さく呟いた。


「じゃあ、なんだっていうのよ」


リア様がむっとして腕を組む。


ジルは口を閉ざした。


——きっと、私に気を使っている。


私はそっとジルの袖を引いた。


「ジル、言っていいよ」

「でも、ミラ……」

「何か協力してもらう時が来るかもしれないし」


リア様に真実を伝えたら——私はどう思われるだろう?


ジルのそばにいながら、死の魔女のことを知っていて、何も言わずにいたことを責められるかもしれない。


でも、私が死ぬかもしれないと知っていたほうが、もしもの時にジルを支えてくれるはず。


それができるのは、きっとリア様だ。


ジルは不服そうにしながらも、私が転生者であること以外を、ぽつぽつと話し始めた。


◇◇◇


「そんな──!」


リア様は青ざめた顔で言葉を詰まらせる。


「じゃあ、ジルと婚約がしばらくできないっていうのは……」


私は少し息を詰まらせてから、静かに答えた。


「私が17歳の秋を越えて、生きていけるとわかってからにと、私がお願いしたんです」


リア様は目を閉じ、眉を寄せた。


「ミラちゃんは侯爵令嬢だから、家の事情で何か問題があると思っていたけど……そうじゃなかったのね。なのに私……あんな、ジルから離れろなんて……」

「いいんです。多分、リア様が正しいと思います」


——だって、きっとジルにとって、私はいない方がいい。


自分で言っていて、胸が痛む。


ジルが私を必要としないなんて、想像しただけで心が軋んだ。


「俺は絶対、ミラが俺から何度逃げ出そうと追いかけて捕まえる。何度でも、どれだけミラを愛してるか教えてやる」


ジルの言葉は、迷いのないものだった。


アラン殿下とリア様が呆れたように顔を見合わせる。


「お前……よくそんなこと恥ずかしげもなく……」


でも、ジルの表情は真剣で——どこまでも優しく、揺るがなかった。


「本当のことだ」

「……ありがとう」


私は静かに、その言葉を受け取る。


リア様が、ふと話題を戻した。


「それで、どうしてアランを呼んで集まってたわけ?」

「ああ、それは……」


アラン殿下が、一冊の本を取り出した。


「王立図書館に置いてある魔女のことが書かれた本を、ジルに頼まれていたんだ。王族しか持ち出しを許されていないからな」

「願いの魔女の居場所を、何の手がかりもなしに探すのはさすがに無謀だしな……それに時間もあまりない」


殿下が本を開き、机に広げる。


「魔女の家には、魔女が許した者しか入れない。そして、呼んだ人物から吸い取った魔力で姿を現す。一般の魔力量だと、ほとんど姿を表せないらしい。……ここまでは、二人が話していたことと一致している情報だな」


そして、殿下がさらにページをめくる。


「ここからが重要だ。魔力が足りない場合、魔女の家で睡眠をとることで、魔女が夢に干渉でき、夢の中で話をすることができると書いてある」


——心臓が、跳ねた。


——夢の中で、死の魔女に会って、ジルを犠牲にするよう持ちかけられたことは……まだ誰にも話していない。


「二人は魔女の家に泊まったのだろ? 何か、なかったのか?」

「いや、何も」

「……私も」


「まあ、ジルはそれだけ魔力があるのに吸い取られなかったんだもんな」

「魔女の家も開けられなかったようだしね」


リア様とアラン殿下が、少し嫌味っぽく言う。


「悪かったなぁ」


ジルが少し苛立ったように呟く。低く響くその声に、リア様は一瞬目を瞬かせたが、すぐに表情を引き締めて口を開いた。


「でも、アラン。それは夢の中で願いの魔女を呼ぶことはできないの?」


アラン殿下は腕を組み、ふっと息を吐く。


「あくまでも、魔女から人の夢に干渉できるって話だ。人側から都合よく呼ぶのは難しいんじゃないか?」

「それに、呼ばれていないとまず家に入れないだろ」


ジルが淡々と付け加えると、リア様は「あ……そっか」と小さく呟き、肩を落とした。少し考え込むように指先で顎を撫で、やがて静かに息をつく。


魔女の話をしていて、私はふとあることを思い出す。


「ライナ……生命の魔女は、願いの魔女は“上”にはいないと言っていました」

「“上”か……」


アラン殿下は軽く顎に手を添え、しばらく考え込むような素振りを見せた。そして、机の上に置かれていた古びた本を手に取ると、パラパラとページをめくり始める。


しばらくして、最初の方のページを開き、私たちに見せた。



指し示されたページには、五人の魔女がこの国の上空に浮かぶ大地に立ち、それぞれの役割を果たしている様子が描かれていた。彼女たちは、生命・天候・時間・死・願いの役割を担い、その浮遊する大地は雲の合間に隠れるように漂っている。


アラン殿下は、その横に書かれた文章を静かに読み上げた。


魔女が人間の世界から姿を消した後、彼女の魂の欠片から生まれた五人の魔女は、かつて神が住んでいた浮遊する大地へと導かれた。

そこで彼女たちは、神がひとりで担っていた役割を、それぞれ分担して果たしている。


この浮遊する大地は、雲の合間に隠れるように漂い、通常の人間の目には映らない。しかし、特定の条件がそろったとき、強い魔力を持つ者だけがその存在を垣間見ることができる。


「……これが、その“上”ではないのか?」


アラン殿下の問いに、私は本の挿絵を食い入るように見つめながら頷いた。


「確かに……これの可能性が高そうですね……願いの魔女はここにいないということ?でも、この本、一体誰が残したのですか? かなり古いもののようですが……」


私が疑問を口にすると、アラン殿下はあっさりと答える。


「ああ、これは初代国王の話に基づいて作られた本らしい」

「しょ、初代国王様!? あの伝承の!? いいんですか……そんなもの持ち出して!」


私は思わず声を上げたが、アラン殿下は肩をすくめるだけだった。


「いいんだ。持ち出しの規定通り、俺は王族だし……それに、もう伝承のことを真剣に信じているのは、一部の大人と子供くらいしかいないんだ」

「そうなのですね……」


すると、リア様がいたずらっぽく口を開く。


「それに、唯一の王子様のわがままは許されちゃうもんね〜」

「……うるさい」


アラン殿下が軽く睨みつけるが、リア様はケラケラと笑っている。


そう、アラン殿下は唯一の王太子。

六人の姉のあとに生まれた、待望の男児。末っ子長男というやつだ。


だからこそ、物語の中でジルの姉としてしっかり者だったリア様と弟気質のアラン殿下は相性が良かったのかもしれない。


けれど、今のリア様は、物語で描かれていた“姉”という雰囲気があまりない。

物語通りに進まなかった今の世界では、アラン殿下とリア様はどういう関係なのだろうか。


こんなに仲が良いし、もしかして……


「あの、殿下とリア様はご婚約の話が出たりしているのですか……?」


私が恐る恐る尋ねると、二人は同時に目を丸くした。


「俺とリアが?」「私とアランが?」


そう言い、顔を見合わせると――


「「いや、ないないない」」


「アランと結婚なんて、考えるだけで無理」

「俺のセリフだ。こんな凶暴な王太子妃がいてたまるか」


二人はまた言い合いを始めたが、やはりどこか楽しそうに見えた。


しかし、リア様はふと、ぽつりと呟くように言った。


「まあ……もしミラちゃんに両親が救われてなかったら、私も大人にならなきゃいけなかったんだろうし……そうなってたかもしれないわね」


その悟ったような横顔が、私の知る“物語の中のリアラ・エルヴァン”とピタリと重なった。


きっと、本来のリア様は今のリア様で、物語の中のリア様は、自分の意思を押し殺した姿だったのかもしれない。


今のリア様は、すごく輝いて見えた。


――しかし、そんな和やかな雰囲気を一変させるように、アラン殿下が深刻な顔で口を開く。


「ジル、ミラリス嬢……この流れを借りて伝えたいことがあるんだが……」


そう言って、ジルの様子を伺うようにそっと視線を向けた。


「……ジル、怒らないで聞けよ?」


「……ものによるな」


ジルは腕を組み、椅子に深く寄りかかる。


アラン殿下は、少し躊躇ったあと、重い口を開いた。


「魔女の家の中にミラリス嬢が入れたことと、魔法が使えるということ、そして魔力量は測定不能だが相当な魔力だと推測される……」


言いづらそうに視線を伏せた後、意を決したように続ける。


「……先日の評議会で、俺の婚約者の最有力候補にミラリス嬢の名前が上がっている」

「…………っ!」


そんな……!


「で、でも、私は17歳で死ぬかもしれません。それを言えば外れるのでは?」


そう言うと、アラン殿下はわずかに表情を曇らせた。


「……それは、言わない方がいい」

「なぜですか?」


私が思わず問い返すと、アラン殿下は慎重に言葉を選びながら、低く続ける。


「ミラリス嬢……君は特別だ。そんなことを言えば、今すぐ結婚……いや、結婚前にでも俺と子どもを残すようにと──」

「……ッ!」


言い終える前に、バシンッと大きな音が鳴り響いた。


ジルが強く机を叩いたのだ。


「俺は、認めない」


鋭い瞳で睨みつけるようにそう言い放つと、ジルは椅子を勢いよく引き、何も言わずに部屋を出て行ってしまった。


重い沈黙が落ちる。


アラン殿下は少し眉をひそめながら、静かに息をついた。


「……王族の結婚は、基本的には20歳前後だ。俺もすぐに結婚するつもりはなかったが、ミラリス嬢の魔力があまりに特異すぎるせいで、事態が変わってしまった」


20歳前後。つまり、通常であればあと数年は余裕があるはずなのに、私はもう候補として名前を挙げられている。


「……そんな……」


思わず呟くと、リア様がそっと私の肩に手を置いた。


「きっと、大丈夫。私の弟は絶対にミラちゃんをアランに渡したりしないわ。……どんな方法を使ってもね」


そう言って微笑んで、アラン殿下に視線を向けた。


「あ~怖い怖い」


なにを想像したのか殿下の額には汗が滲んでいた。

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