第30話 考えごと
二週間ぶりの学園。
門をくぐった瞬間、勢いよく駆け寄ってくる影があった。
「ミラリス様〜!!!」
「お怪我されたと聞いて心配いたしました……!」
目の前に現れたのは、セシルとマリル。
セシルは両手を広げて今にも抱きつきそうな勢いで、マリルは少し控えめに手を胸元で組みながら、心配そうに私を見上げていた。
「大したこと……」
そう言いかけて、ふと胸の奥がざわつく。
心臓が一度止まったことを、私はまだ実感しきれていないのかもしれない。
無理に笑顔を作りながら言葉を続けた。
「……あったけど、ジルのおかげで大丈夫だったの」
すると二人の表情がふっと曇る。
セシルは眉を下げ、マリルはしっとりとした目で私を見つめた。
「ミラリス様、本当に大変だったんですね……!」
「無理はなさらないでくださいね」
「うん、ありがとう」
私は二人に微笑みかけたが、すぐに背後から別の足音が近づいてきた。
「ミラ、ゆっくり歩けよ」
低く落ち着いた声に振り向くと、そこにはジルがいた。
彼は私のすぐ横に立ち、じっと私を見つめている。
「ジル、大げさよ。もう平気だから」
そう言うと、ジルは少し眉を寄せてため息をついた。
「そうやって言って、また無茶をするだろ?」
「そ、そんなこと……!」
「俺はお前の傍にいるって決めたんだ。だから、学園でも無理はさせない」
ジルの言葉に、セシルが「わぁ……」と感心したような声を漏らした。
「ジルベール様、やっぱりミラリス様のこと、すごく大切にされてるんですね!」
「……あの、私たち、お邪魔じゃないですか?」
マリルが申し訳なさそうに言うと、ジルは少し困ったように笑いながら首を振った。
「いや、ミラが元気ならそれでいい」
ジルは相変わらず皆の前でも普通に心配してくれる。
それが嬉しくもあり、少しだけ気恥ずかしくもある。
私は「本当に大丈夫だから」と念押ししながら、皆と一緒に教室へ向かった。
(……でも、本当に大丈夫なのかしら)
そう思いながら、私はそっと胸元に手を添えた。
心臓は、確かに動いている。
けれど、それが何故か不安になるのは、私だけなのだろうか——。
「じゃあ、行こうか」
ジルがそう言って、私の隣に並ぶ。
学園に戻っても、彼は変わらず私のそばを離れようとしない。
きっと、また何かあったらと心配しているのだろう。
「ミラリス様、お怪我は本当に大丈夫なのですか?」
「うん、大丈夫。もう傷も全部治ったし」
私が笑ってみせると、マリルは安心したように微笑み、セシルはほっと息をついた。
そうして向かったのは、魔術実技の授業を行う訓練場。
今日は久しぶりの授業。
生徒たちは各自、自分の得意な魔術を鍛えるために魔力を込め、より光を放つ魔術陣を展開させる練習だ。
私も周囲に倣って手をかざし、魔力を操る。
(願いの魔女……どうやって探せばいいのかしら)
魔法の発動に意識を向けながらも、頭の片隅ではそればかりを考えていた。
生命の魔女ライナや、死の魔女アダラとは違う”誰か”。
悪夢を見せた者、私が生まれた時に”大事な人間の心臓を授けろ”と言った者。
願いの魔女は、本当に存在するの?
存在するなら、一体どこに?
(何か、手がかりはないの……?)
そんなことを考えていると、不意に、視界の隅に見慣れた姿が映った。
「……ジル!?」
驚いて振り返ると、そこにはジルが腕を組んでこちらを見ていた。
「なんでここにいるの!? ジルは一年上の学年でしょう?」
魔術実技は学年ごとに授業が分かれているはずなのに。
彼は軽く肩をすくめて、まるで当然のように答えた。
「教師に頼んで見学を許可してもらった」
「えぇ……?」
そんなこと、できるの?
「お前が変な無茶をしないか見ておかないと落ち着かないからな」
そう言いながら、ジルは少しだけ眉をひそめた。
私が何を考えていたのか、察しているような顔で。
「ミラ、考え事?」
鋭い視線がこちらを向いている。
どうやら私の集中が切れていたのを見抜かれてしまったらしい。
「え? あ、ううん……なんでもないわ」
軽く首を振ると、彼は少しだけ目を細めて私を見た。
「そうか……でも、無理はするなよ」
彼はそう言うと、私の頭に手を置いて、そっと撫でた。
その手の温もりが、ひどく優しくて。
(大丈夫……絶対に、見つけてみせる)
私は改めて決意し、手のひらに魔力を集める。
瞬間、指先から淡い光が走り、空中に魔術陣が展開された。
繊細な紋様が浮かび上がり、中心に魔力が収束していく。
「わ、すごいなミラリス様!」
「やっぱりミラリス様の魔術陣、綺麗……!」
セシルとマリルの声が聞こえる。
でも、私は彼女たちの方を見ず、ぼんやりと魔術陣の光を見つめていた。
(願いの魔女の手がかりだけでもなにか……)
そもそも、ライナやアダラに会えたのは魔女の家に行ったから。
願いの魔女を指定で呼び出すとしたら何か条件があるのか、それとも彼女がいたいと思ってくれない限り、私からの接触は難しいのかな。
「ミラ、集中しろ!」
ジルの鋭い声で、はっとした。
次の瞬間――
ボッ!!
魔術陣の中心で、炎が一気に膨れ上がった。
勢いを増した赤い火が、制御を失いかける。
「っ!」
慌てて魔力を引き戻そうとするけれど、炎は一度解き放たれると簡単には収まらない。
空気を巻き込みながら、勢いを増していく。
(まずい……!)
「下がれ」
ジルが素早く腕を振ると、周囲に冷たい風が巻き起こった。
炎が押さえつけられ、じゅっと音を立てて縮小していく。
「——そこまで!」
鋭い声とともに、大量の水が降り注いだ。
まるで滝のような勢いで流れ込んだ水が、縮小した炎を一瞬で呑み込み、蒸気が白く立ち上る。
「……先生」
教師の水魔術だった。
彼は腕を組み、厳しい目で私を見下ろしている。
「ミラリス・カルバン。お前、自分の魔力制御が乱れた理由を理解しているか?」
私は息を呑み、思わず視線を落とした。
「……はい」
「だったら、二度とこんなことをするな。魔力は感情で簡単に乱れる。それが魔術にも影響する。魔力量数値がわからないとはいえ、ここまでの力を出せる魔力を持つ者なら尚更だ」
鋭い言葉に、私は唇を噛みしめる。
「……すみません」
授業中にもかかわらず、私は願いの魔女のことばかり考えていた。
「気をつけます」
深く頭を下げると、先生は少しだけ表情を和らげた。
「いいか、魔術というのは便利なものだが、同時に人を傷つける力にもなり得る。今のお前は、己の力に呑まれかけていた」
一拍置いて、彼女は冷静な声で続ける。
「呑まれたらどうなるんですか……?」
私が思わず問いかけると、先生は少し目を細め、静かに答えた。
「火魔術の場合は、己が焼き尽くされるだろうな……だから絶対に気をつけろ」
私は背筋がゾッとした。
(焼き尽くされる……? 焼死だけは絶対に嫌……)
その言葉に、私は静かに頷く。
先生が去ったあと、セシルとマリルが駆け寄る。
「ミラリス様、大丈夫ですか!?」
「ミラリス様、顔が真っ赤……!」
自分でもわかるくらい、顔が熱い。
「ミラ……」
ジルがじっとこちらを見ていた。
いつもより、少しだけ厳しい表情で。
「ごめんなさい……気を抜いてた」
そう言うと、彼は小さくため息をついた。
「……何を考えていたんだ?」
ジルがじっと私を見つめてくる。
その瞳はいつもの優しさを湛えながらも、どこか探るような色を含んでいた。
私は言葉に詰まる。
考えていたのは願いの魔女のこと。でも、それを言えば私が不安に思っていることがバレてしまう。
「別に……ちょっと、ぼんやりしてただけ」
なんとか誤魔化そうと微笑むけれど、ジルの目はまったく納得していない。
彼は短く息を吐くと、一歩近づき、そっと私の手を取った。
「……ミラ、一人で探そうとするなよ」
私は思わず息をのむ。
「え……?」
「願いの魔女のことだろ?」
セシルとマリルはキョトンとした顔で見ていたが、私は彼の言葉に心臓が跳ねた。
「俺だって、ミラのために探したいんだ。一緒に考えよう」
ジルの真っ直ぐな声が、胸の奥に響く。
私はぎゅっと唇を噛んだ。
(……彼はもうとっくに巻き込まれている)
この問題から逃げられないのは、私だけじゃない。
それなら――
「……ありがとう」
小さく呟くと、ジルは少し安心したように微笑んだ。
(もう一人で考え込まない。ジルと一緒に、探していこう)
そんな決意を胸に、私は彼の手をそっと握り返した。




