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第27話 「守れなかった」




ミラを抱き上げ、俺はただ走った。


こんな寒さの中で眠らせたら、出血量も多い彼女は確実に死んでしまう。


「くそっ……!」


吹雪が容赦なく体を打つ。視界は悪く、地面の起伏すらわかりにくい。だが、俺の足は迷わなかった。


──少しでも温めなければ。


そう思い、片手を動かして火魔術の陣を展開する。炎は俺たちの周囲に浮かび、ささやかに雪を溶かした。けれど、この程度ではミラの命を守るには足りない。


(俺が……守れなかった……)


吹雪のせいで魔物の気配が感じ取りにくかったとはいえ、ミラに怪我を負わせてしまった。俺は強いはずなのに。誰よりも彼女を守りたいのに。


ミラの顔はどんどん青ざめていく。


(ダメだ……死ぬな……)


生命の魔女は、ミラが17歳と2ヶ月の命だと言った。だが、“その前に死なない”という確証はどこにもない。


──そんなの、認めない。


ミラを失う想像をしただけで、世界の全てが終わるような感覚がする。


そのとき、ふと視界の端に影を見つけた。


(雪窟……?)


誰かの手が加えられたように見える。人間か、それとも魔物か……。だが、この吹雪の中でこれ以上の選択肢はない。


俺は迷わず駆け込んだ。


すぐに彼女を地面に寝かせた。傷のことが頭をよぎる。


左腕の傷が深く、血が止まらない。見ただけで、その傷がどれほど危険かがわかる。すぐに荷物を漁り、シャツを引き裂いて布を作り、傷口をしっかりと縛った。だが、それでも足りない気がした。


(お願いだ、ミラ……目を覚ましてくれ)


俺は何度もその言葉を心の中で繰り返す。しかし、ミラは気を失っている。返事はない。俺の声すら届かないのか、表情も硬いままだ。


服が傷と一緒に破けてしまっていた。俺は一瞬、どうすべきか迷ったが、彼女を助けるためにはこれをしないわけにはいかない。


ミラの荷物から新しい服を取り出し、なるべく見ないようにしながら、慎重に彼女を着替えさせる。顔を背けることもなく、でも心の中で何度も「ごめん」と呟いていた。


どうしても、彼女が無事でいて欲しくて。少しでも傷つけたくなくて。


彼女が着ていたローブはもう使い物にならなかった。それも、雪や血で汚れ、ボロボロになってしまっていた。仕方なく、自分のローブを脱ぎ、ミラに着せる。自分のものを着せることで、少しでも彼女を守れればと思った。


それでも、ミラの顔がどんどん青ざめていく。血の気がなくなっていく様子を見て、胸が締めつけられるような痛みを感じた。


(こんなことをしても、何の意味があるんだ?)


着替えさせる間も、俺の手は震えていた。ミラを守らなければならない、その一心で必死に自分を支えていた。でも、心の中では、彼女が目を覚まさないことを恐れている自分がいた。


「……ごめん」


小さな声で、ただそれだけを言うのが精一杯だった。


彼女を失うことなんて、考えたくなかった。そんなことが頭をよぎるだけで、世界の全てが終わるような気がした。


ミラの体温はどんどん冷たくなっていく。俺は彼女をしっかりと抱き寄せ、体温を共有しようと必死だった。


「大丈夫だから……絶対に助けるから……」


そう繰り返しても、ミラは目を閉じたままで、反応がない。ふと、少しだけ目を開けた。うっすらと、呼吸も浅くなっているようだった。


「ジル……?ごめ……ね、てた……?」


その言葉に、心臓が痛む。

俺は自分を責めるような気持ちにかられる。


「ミラ……おい、ミラ!」


必死に声をかけたけれど、意識が朦朧としているのか、彼女には届かない。視線も定まらず、ただ遠くを見ているようだった。


「また、ねむ……ぃ」


そう言ったかと思うと、すうっと息を引き取るように目を閉じた。その瞬間、何かが心の中で崩れ落ちる音がした。


「ミラ……!」


慌てて、彼女の顔を覗き込む。呼吸は、感じられない。脈も……ない。


瞬間的に冷徹な判断が働く。


(ダメだ、死んじゃダメだ)


すぐに彼女の胸に手を当て、心臓を再び動かすために一定のタイミングで強く押した。


「ミラ!お願い、目を覚ましてくれ!」


俺の手は震え、強く彼女の胸を押し続ける。こんなにも小さく、壊れてしまいそうな体に、精一杯の力を込めて。手を緩めるわけにはいかない。


しばらくして、ミラの体が急にむせるように動いた。


「……っ」


その瞬間、俺はほっと息をつく。彼女が息を吹き返したことが信じられなくて、目の前の光景をしばらくぼんやりと見つめていた。


ミラは言葉を発することはなかったが、肺の中に空気を吸い込んだその音を聞いたとき、ようやく安心することができた。


「ミラ……」


声が震えた。


ミラが生きている、それだけで心が軽くなる。俺は震えながらも、彼女の手をしっかりと握りしめた。




ミラの体はまだ冷たかったが、微かに息をしている。その事実だけが、俺の心をなんとか繋ぎ止めていた。


彼女を抱いたまま、少しでも温めようとしながら、水魔術と火魔術で湯を沸かして暖かい飲み物を作る。口移しでもいいから飲ませようとしたが、意識がほとんどない彼女はうまく飲み込めなかった。仕方なく、少しずつ布に染み込ませて唇に当てる。


「ミラ……頼む、少しでもいいから飲んでくれ」


何度か繰り返すうちに、ほんのわずかだが喉が動いた。


それから半日、俺は傷に巻いた布を取り替えたり、ミラの体を摩ったりしながら過ごした。ずっとこうしていたいわけじゃない。

今は一刻も早く安全な場所に連れて行くことが最優先だった。


──夜が明けたころ、雪が止んでいた。


俺は空を見上げ、少しだけ息をつく。


(行くなら、今だ)


ミラの出血は落ち着いている。それでも、彼女をこのまま放っておけるはずがない。治療ができる場所へ、一刻も早く。


俺は迷わず彼女を抱き上げ、また走り出した。


────


道を進み、山頂の小屋にたどり着いたのは、日が暮れるころだった。


暖炉に魔術で火を入れ、俺はミラをそっと寝かせる。彼女の顔はまだ青ざめていたが、どこか少しだけ安らいでいるようにも見えた。


温かい部屋の中で夜を過ごすうちに、わずかに彼女の顔色が良くなっていった。


だが、安心するにはまだ早い。




────三日目、俺はついに山を降りる。


できるだけ負担をかけないように、慎重に。それでも、できるだけ早く。ミラを抱えながら、一気に山を下った。


待機させていた馬車が見えたとき、俺は少しだけ安堵する。すぐに乗り込み、馬を走らせた。


──最寄りの街に着いたのは、夕方だった。


すぐに医者のもとへ駆け込むが、二日以上も経っている傷を見た医者は難しい顔をする。


「ここではどうにもできない。ただ、最低限の処置ならできますが……」

「頼む、応急処置だけでもいい」


俺は迷わず頼んだ。傷が悪化しないよう、できる限りの手当を受ける。


けれど、ここでは限界がある。


──また馬車に乗り込み、俺はさらに馬を急がせた。


◇◇◇


そして、その夜。


宿に到着し、俺はようやくミラを休ませることができた。


ベッドに横たわる彼女の顔をじっと見つめながら、俺もその隣に座る。


そのときだった。


「……ん」


微かに、ミラが息を震わせた。

まぶたが、かすかに動く。


「ミラ……?」


俺は息を呑んだ。

ゆっくりと、彼女の目が開かれる。


──長かった時間の果てに、ようやく。


「……ジル、酷い顔してる」


ミラが心配そうに俺を見た。


俺は思わず息を呑む。そんなふうに言われるとは思っていなかった。


「……守れなくて、ごめん」


心の奥底から絞り出した言葉だった。


ミラは少し驚いたように目を瞬かせ、それから、ふっと微笑んだ。


「守ってくれたから、私、ちゃんと生きてるんでしょ?」


その笑顔が、余計に胸を締めつける。


「……傷、治っても跡が残るかもしれない」


ぽつりと呟いた言葉に、ミラは少し考えるように瞬きをした。


「大丈夫。魔力さえ完全に戻れば、傷も消えるから」


淡々とした声。けれど、その言葉には確信があるようだった。


(魔力さえ戻れば、か……)


それは、今すぐ叶うことではない。ミラの魔力は未だ戻っていないし、どれほど時間がかかるかもわからない。


俺は、ミラの左腕に巻かれた包帯を見つめる。


「……それでも、残るかもしれないんだ」


ミラは優しく笑った。


「うん。でも、今は生きてるだけで十分」


その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が締めつけられる。


──傷が残るのは、体だけじゃない。


心に刻まれた傷は、どんな魔力でも消せない。


ミラが今回のことをどう思っているのか、俺にはわからない。でも、俺自身は──


「……っ」


無意識に奥歯を噛みしめる。


苦しい。


守りたかったのに、守れなかった。彼女はあんなにも冷たくなって、命を落としかけて──


(俺のせいで)


もし、俺がもっと早く気づいていたら。

今更そんなことを思っても仕方がないのに、自分を責めずにはいられなかった。


「ジル……?」


ミラが小さく俺の名前を呼ぶ。


「そんな顔しないで」


──そんなふうに言われた気がした。


「……ほら、ゆっくり休め」


俺はそれだけを言うのが精一杯だった。


ミラは小さく微笑んで、そっと目を閉じる。


彼女は、少しでも心の傷を残さずにいられるだろうか。


俺は──この痛みを、忘れずにいられるだろうか。

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