第17話 本音のお茶会
「お帰りなさいませ、リアラ様、ジルベール様」
玄関ホールに足を踏み入れると、何十人どころではない使用人たちが一斉に頭を下げ、恭しく二人を迎えていた。
思わず息をのむ。侯爵令嬢に転生したと自覚したときでさえ、これほど広い屋敷や、これほど多くの使用人が本当に必要なのかと思ったものだけれど……。
公爵家はその比ではない。広大な敷地にそびえる豪奢な建物、隅々まで整えられた庭園、所作の一つひとつが洗練された使用人たち。侯爵家でさえ贅を尽くした邸宅だと思っていたけれど、やはり上には上がいるのね……。
そんな私の感慨もよそに、リアラ様とジルは相変わらず言い争いを続けていた。
「私の部屋にお茶の用意をしてちょうだい」
「おい、なんでリアラの部屋なんだ。俺の部屋でいいだろ、百歩譲って応接室だ」
二人の言葉に、使用人たちは慣れた様子で微笑を浮かべつつも、どこか困ったような表情をしている。
すると、そのやりとりを聞きつけたらしい女性が、静かに歩み寄ってきた。
「まあまあ、珍しく同じ馬車で帰ってきたと思いましたら……お客様がいらっしゃる前で喧嘩はおやめください」
「カーラ!」
「ミラリス様、ようこそお越しくださいました。わたくし、エルヴァン公爵家の侍女長を務めております、カーラと申します」
髪を上品にまとめ、落ち着いた微笑みを浮かべた女性。どこか前世の母親を思わせるような温かさを持っていた。
どうやら彼女は、この姉弟の喧嘩を仲裁するのになれているらしい。
「どうしても、ジルより先に二人で話がしたいのよ。ジルは怖いくらいいつもミラちゃんに張り付いているから、今日くらいいいじゃない?」
「では、坊っちゃん、今日はお嬢様に先行を譲って差し上げてください」
「……わかったから、その坊っちゃんっていうの、やめてくれないか……」
思わず、くすりと笑いが漏れる。
ジルは私から顔を逸らし、気まずそうに視線を泳がせていた。普段の重々しい雰囲気が抜けたその姿は、まるで年相応の少年のようで、なんだか微笑ましい。
「なに笑ってんだ、ミラ」
「ふふっ、なにも?」
「では、お嬢様のお部屋にご案内したあと、ミラリス様を応接室へお連れいたします」
「俺の部屋でいいだろ」
「坊っちゃん、未婚の女性が婚約者でもない男性の部屋に行くことは誤解を招きます」
カーラの言葉は穏やかだけれど、はっきりとした口調だった。
前世の日本とは違い、この世界の貴族社会は貞操観念がとても厳しい。婚約者でもない異性と密室で過ごすなど、もし噂になれば、女性の名誉に関わる。男性はまだしも、女性にとっては致命的な問題になりかねないのだ。
「わかったわかった、では俺は応接室にいるから、終わったら連れてきてくれ。……ミラに余計なこと言うなよ、リアラ」
「余計なことなんて言わないわよ」
「じゃあ、あとでな、ミラ」
「あ、うん……」
ジルは私に背を向けながら、控えめに手を振ると、少し納得がいかない様子でどこかへ消えていった。
それを見送っていると、リア様がくすくすと笑う。
「ジルはカーラの言うことは聞くのよ。面白いでしょ?」
「え?」
「坊っちゃんの乳母だったものですから、このような振る舞いが許されているのです。驚かせてしまっていたら申し訳ございません」
「……いえ、なんというか、年相応のジルを見られてよかったです」
そんな話をしながら、リア様の私室へと向かう。
公爵令嬢の私室というと、さぞ華やかで可愛らしいものを想像していたけれど、扉が開かれた先に広がっていたのは、落ち着いた色調で統一された洗練された空間だった。
私の部屋よりも倍ほど広いが、煌びやかな装飾があるわけではなく、それでいて品のある、心地よい空間。
「さ、座って座って!」
リア様が笑顔で促す先には、すでに整えられたティーセットが並び、繊細な細工が施された陶磁器のポットの先端からは、湯気がゆらゆらと立ちのぼっていた。
三段のティースタンドには、可愛らしい焼き菓子や、ふんわりとした生地の菓子、瑞々しい果実が美しく並べられ、銀のトレイには光沢のある琥珀色の液体が注がれている。
すでに準備が整えられていたことから、リア様があらかじめお茶の席を用意していたのだと気づく。
「……なんだか、申し訳ないです」
「気にしないで。ミラちゃんと話したかったのは本当だから」
リア様はそう微笑むと、手ずから私のカップに紅茶を注いでくれた。
ほんのり甘い香りが広がり、今日ここに来るまでの慌ただしい時の中で、ひとときの安らぎを感じる。
けれど、それも束の間だった。
「さて、ミラちゃん。今日は少しだけ、本音で話しましょうか?」
リア様の瞳が、ふっと優しさとは違う色を帯びる。
「ミラちゃんはジルのことをどう思っているの?……自分を好きな便利な道具? それとも、恋に盲目な忠犬かしら?」
思わぬ言葉に耳を疑う。
けれど、リア様の表情は真剣そのものだった。
「そんなふうに思ってなんていません。ジルは、大切な友人です」
そう答えながらも、胸の奥に鈍い痛みが走る。
「ジルの気持ちはわかっているのでしょう? それなのに“友人”という都合のいい言葉を使って、突き放しもせず、そばにいさせるのは……どうなのかしら?」
リア様の言葉は鋭く、本質を突いていた。
わかっている。
全部、リア様の言う通りだ。
私はジルの気持ちを知りながら、真正面から拒絶したことは一度もない。
ジルがどれだけ離れようとしなくても、本気で突き放そうとしたことはなかった。
私が黙り込むと、リア様は静かに言葉を継ぐ。
「確かに、私はジルと決して仲がいいとは言えないわ。それでも、あの子は私にとって大切な弟なの。……ジルを、これ以上傷つけないで」
「……それは、ジルから離れろということですか?」
問いかけると、リア様は少しの間、沈黙する。
そして、静かに目を伏せながら呟いた。
「……私はただ、ジルの絶望に満ちた顔を、もう見たくないだけなの」
そう言って、リア様はジルの過去について語り始めた。
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