第13話 迫り来る運命の足音
ジルと二度目のキスをしそうになったあの夜から、もう一週間が経とうとしている。
「ミーラっ」
今日も彼は、登下校時はもちろん、休み時間やランチの時間、少しでも空きがあれば私のところへとやってくる。
「いや、来すぎじゃない?」
「ミラに会えない時間が落ち着かなくてな」
……そういう問題?
食堂でセシルとマリルと席に着いていても、ジルは当然のように隣を陣取る。
その上、私がフォークを口に運ぶタイミングでさりげなく料理を差し出してきたり、飲み物の減り具合を気にしておかわりを用意しようとしたりする。
気づけば食堂中の視線が私たちに向けられていた。
「ジルベール様って、ほんとにミラリス嬢に夢中なのね……」
「ちょっと羨ましい……」
周囲のざわめきが耳に入ってきて、私はそっとため息をついた。
ジルがいつもそばにいるせいで、学園では私たちが恋人関係にあると噂が広まりすぎている。
けれど、それ以上に問題なのは——
私自身が、ジルの存在に慣れすぎてしまっていること。
いつもならここにいるはずの彼が来ないと、落ち着かない。
私が他の人と話している時、少し離れた場所で待っている彼の姿を見つけると、なぜか気になって仕方がない。
まるで彼の存在が、私の日常の一部になってしまったような感覚。
このままでは、ジルがいないとダメになってしまう——。
「……ジル断ちしないと」
危機感を覚えた私は、決意を固めた。
◆◆◆
学園の帰り道。
広い敷地を抜けて、馬車の待つ場所へ向かう。
もちろん、隣にはジルがいた。
「ねえ、ジル。最近、私たちずっと一緒にいるよね」
「そうだな」
「私、ジルと一緒にいすぎて、ジルがいないとソワソワするようになってきちゃったの」
「俺もそうだぞ。離れていると落ち着かないよな」
「うん、だから……しばらくジル断ちしたいと思ってるんだ」
ジルの足がピタリと止まる。
「……ジル?」
振り向いた瞬間、腕を掴まれた。
思わず一歩後退しようとすると、腰をぐっと引き寄せられ、それすら阻止される。
「ミラ、俺から逃げるのか?」
低く抑えられた声が、耳元をくすぐった。
「逃げるって、そういうんじゃなくて……少し距離を取りたいだけ。友達としての適切な距離に」
「友達ね……」
ジルの唇が皮肉げに歪む。
そのまま、私の目の前に立ちはだかった。
「ミラは、友達とキスをしたり、あんなふうに顔を赤らめて動揺したりするのか?」
言葉を失う。
でも、何か言わなきゃ。
「……! キスはジルが勝手にしてきたんでしょ!」
反論してみせたものの、まるで説得力がない。
ジルの顔が綺麗すぎるせいで動揺したのも事実だし、あの時の感覚を思い出すだけで心臓が早鐘を打つ。
「ジル……の顔が綺麗だから、不可抗力よ!」
顔を真っ赤にして言い訳する私を見て、ジルは小さく鼻を鳴らす。
「はっ、顔が綺麗なら誰にでも赤くなって、あんな顔をするのか?」
嘲るような言葉とは裏腹に、彼の目は鋭く私を射抜いている。
その視線が、まるで本音を暴こうとしているようで、思わず視線を逸らした。
「ねえ、ジル……なんか意地悪だよ」
「……ごめんな。でも、やっとこうして会えるようになったんだ。俺から離れるなんて、そんなこと言わないでくれ」
ジルの腕が、さらに強くなる。
密着するように引き寄せられたかと思うと、彼は私の肩に顔を埋めた。
「……わかったよ」
絞り出すように返事をすると、ジルの腕がさらに深く私を包み込んだ。
ジルは時々、まるで孤独そのもののような顔をする。
まるで、私を失えばすべてを失うとでも言うように—— 彼の瞳には、私への執着が滲んでいた。
そんな寂しげな彼の表情を見ると、思わず背中に腕を回し、そっと後頭部を撫でる。
「……大丈夫?」
「なにがだ?」
「落ち着いた? ……ふふっ、なんだか立場が逆転したみたいね」
「俺は泣いてないぞ」
「私には泣きそうに見えたわ」
ジルは少し拗ねたように視線を逸らした。
「距離を置くのは諦める。……私の負けよ」
今、私がジルから離れることよりも、彼が何に苦しめられているのかを知ることのほうが、ずっと大事な気がした。
ジルは私の肩から顔を起こし、急にいつもの調子を取り戻したように微笑む。
「じゃあ、行くか」
そう言って、私の手を取ると、まるで当然のようにエルヴァン家の馬車へ向かって歩き出す。
「え、待って。どこに行くの?」
「公爵家だ」
「は?」
「だって、お前、俺がいないと落ち着かないんだろ?」
「いや、そうじゃなくて……!」
「じゃあ、俺がカルバン家に行くか?」
「そういうことでもない!」
——やばい。
ジルがまた暴走し始めた。
これはちゃんと話をしないと本当に連れて行かれ——
「ジル……なにしてるの?」
突然、背後から澄んだ声が響いた。
その瞬間、ジルの張り切っていた様子が嘘のように、面倒くさそうな表情に変わる。
「なぜ、嫌がる女の子を無理やり連れ込もうとしているの?」
静かに歩み寄ってきたのは、艶やかな黒髪と、ルビーのように煌めく赤い瞳を持つ女性—— リアラ・エルヴァン。
「リアラには関係ない」
ジルは明らかに嫌そうに彼女を睨んだ。
だけど、私は分かる。
——彼女こそが、この世界の小説のヒロインだと。
ジルとは顔立ちは似ていないけれど、やはり驚くほどの美貌を持っている。
「関係ないですって……? 貴方、よくも姉にそんな態度が取れるわね?」
リアラ様はジルの前に立ち、鋭い視線を向ける。
その瞬間——
バチンッ!!
乾いた音が響き渡る。
リアラ様の平手打ちが、ジルの頬を容赦なく打ち抜いた。
「ちっ……」
ジルは不貞腐れたように舌打ちをするが、大人しくなる。
「ごめんなさいね、うちの愚弟が……ほんと、恥ずかしいわ」
「いえ……」
私が戸惑っていると、リアラ様はにっこりと微笑んだ。
「私、リアラ・エルヴァンよ。ジルの姉です」
「ミラリス・カルバンと申します」
名乗ると、リアラ様は少し驚いたように目を見開き、口元に手を添えた。
「……あら、貴女が」
そして、ジルを横目で睨むと、優雅なカーテシーをし、私に深く頭を下げる。
「5年前—— 両親と弟を救っていただき、本当にありがとうございました。ご挨拶が遅くなって申し訳ありません」
「リアラ様! 顔をお上げください! そんな、私なんて……!」
リアラ様は静かに顔を上げると、私の手をそっと取った。
「これからは、こんな小生意気で面倒な弟じゃなくて、私と仲良くしてほしいわ」
「は、はぁ……」
戸惑いながらジルを見やると、彼は眉をひそめ、不機嫌そうに顔を歪めていた。
「本当なら、今すぐゆっくりお話したいところなんだけど……残念ながら、最近は忙しくて。もう少ししたら落ち着くから、その時に」
そう言って、リアラ様は馬車へと向かう。
だけど、扉を閉める直前、ひょっこりと顔を出して——
「ミラリスちゃん、ジルに何か強要されそうになったら 蹴り飛ばしてね。ちょっとやそっとじゃ 死なないから」
——バタンッ!
リアラ様の馬車は、颯爽と去っていった。
「……なんか、嵐みたいな人ね」
「怒らせると面倒くさいんだ。俺になら何をしようと死なないと思ってる」
「……刺されたって言ってたものね」
「ああ。リアラの希望で領地に孤児院を作るとかで、しばらく学園を休んでいたから油断してた」
——こうして、ようやくジルの暴走は止まったのだった。
安堵して胸をなで下ろした、その時だった。
「……っ!」
不意に、誰かの声が耳をかすめる。問いかけるような、冷たく響く声——
「ミラ?どうかしたか?」
「今、誰かの声がしなかった?」
「いや、聞こえなかったが」
「……気のせい、かな」
風が吹いているし、ただの空耳かもしれない。
そう思い込もうとした。
だが、この時の私はまだ知らなかった。
運命が、密かに牙を剥き始めていたことを——
───「オマエハ コノセカイニトッテ イブツダ 。シヌ ウンメイ……」
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次回は今日17時です!




