第11話 赦されぬ目覚め
「っ……!」
リアラに刺された左手から、血がボタボタと滴り落ちる。
咄嗟に右手で傷口を押さえながら、リアラに目を向けた。
彼女は、自分のしたことに驚いているような、放心したような表情を浮かべていた。
「リアラ……ごめ——」
「リアラって呼ばないで。」
俺の言葉を遮るようにそう言うと、リアラは短剣を取り落とし、何も言わずに部屋を出ていった。
部屋に取り残された俺は、ポケットからハンカチを取り出し、傷口を押さえながら扉に穴が空いた居心地の悪い部屋を後にした。
とりあえず、人の多い街まで出ることにする。
流行病が終息し、活気を取り戻した街はガヤガヤと賑わい、誰も俺のことなど気にしていない。
そんな中、俺はただ頭を空っぽにして、ぼんやりと歩いていたかった。
——そのときだった。
突然、大柄な男が俺にぶつかってきた。
子どもの俺は簡単に吹き飛ばされ、思い切り近くにいた少女にぶつかってしまった。
少女は衝撃で道の真ん中から建物のほうへと弾き飛ばされ、そのまま壁にもたれかかる形で倒れ込む。
「ごめん! 怪我はない!?」
慌てて声をかけると、少女は落ち着いた様子でこちらを見上げた。
「大丈夫です。そちらこそ、お怪我はありませんか?」
綺麗なドレスに、子どもらしからぬ洗練された所作と言葉遣い。
そして、驚くほど整った顔立ち——間違いなく貴族の娘だろう。
この子も、俺の地位を知ってしまえば他の貴族たちと同じように、頷くだけの人形みたいになってしまうのだろうか……。
「怪我……はあるけど、今ぶつかってできたものじゃないから大丈夫。」
そう答えながら、ふとある考えがよぎる。
——ちょっと怖がらせてやろう。
そう思い、ハンカチで押さえていた血塗れの左手を、わざと彼女に見せつけた。
「全然大丈夫じゃないじゃない!」
「え……?」
全く予想外の反応に思わず声が出た。
さっきの所作や言葉使いはどこかへ消え
急に俺を叱るように声を荒らげたのだ。
それがなんだか嬉しくて、つい少し笑ってしまった。
「ほら、手を貸して!どうしたらこんなことになるの?」
「あ、うん……?」
言われたとおり少女に左手を差し出すと、おもむろに自分の手を傷口に重ねた。
そして、彼女の手から宝石のように輝く緑色の光が放たれて俺の傷口は何もなかったかのように消えてしまった。
これは……なんだ?
魔術ではない、魔術だとしても12歳以上にしか使えないはずだ。
「え……?これは魔法?」
今起きたことに中々頭が追いつかないまま、もう一度自分の左手を確認した。
少女は焦った様子で弁解を始めた。
「お願い忘れて、本当は魔法12歳まで使っちゃいけないのよね……」
弁解するところがズレているような気がするが、既にもう俺たちの周りを人が囲み始めている。
「いや、内緒にするもなにも……もう人が集まってしまっているよ?」
「……え?」
少女は周りを確認すると急に年相応らしい不安気な顔を見せた。
その様子に、俺が守ってあげたい。と今まで感じたことのない気持ちが湧き上がってきた。
そして、やわらげてあげようと彼女の手を両手で包むように取った。
「直してくれてありがとう、君は魔法使いなの?それとも魔女?」
彼女の魔法を見て伝承の魔女を思い出した俺はそう質問した。
「え……私は普通の子供よ、少し早く魔法を使ってしまっているけど……」
「この世界に魔法はないはずだよ」
「どういうこと?12歳で魔力測定を受けてそれぞれの魔力量に合わせてみんな魔法を使い始めるのでしょう?」
彼女は魔法と魔術を勘違いしているようだった。
「この世界に"魔法"はないよ、あるのは"魔術"」
「え……!?」
そんな常識的な事を驚くなんて、彼女は貴族なのに家族になにも教わっていないのだろうか。
彼女の手がどんどん震えていくのを感じた。
そこに、彼女の侍女が迎えに戻ってきた。
そしてすぐに馬車に戻ってしまうようだった。
「大切なことを教えてくれてありがとう、それでは失礼します」
そう俺に背中を向けた彼女にもう会えないかもしれないと思うと酷く胸が締め付けられた。
名前だけでも……!
「まって、君の名前は?」
「ミラリス・カルバンですわ」
彼女は顔だけ振り向いて名前を教えてくれた。
「俺はジルベール・エルヴァン、怪我を治してくれてありがとう、また会おう」
俺らしくない大きな声で必死に彼女そう伝えると、彼女は軽く会釈をして去っていった。
そして、彼女に心を奪われた俺はその後すぐに公爵家へ帰った。
扉に穴が空いた私室へ向かうと、姉が部屋の前で顔を隠しうずくまっていた。
鼻をすする音がしていて、泣いていたようだった……
「リアラ、風邪を引くし、また侍女長にはしたないと怒られてしまうよ」
「だから、リアラって呼ばないでって言ってるじゃない……でも刺してごめんなさい。」
そう謝罪してリアラは声を上げて泣いていた。
俺も本当の公爵子息ではないと知りショックだったからと、リアラに当たってしまったのはあまりにも子供だった。
そして両親にも流行病にかかる前から、約3ヶ月ぶりに顔を合わせた。
久しぶりに会った二人は、やはり俺に怒ることはせず酷く寂しそうな顔で俺の影にいる本物の息子を見ているような感じだった。
だがもうそんなことはどうでもよかった。
俺にはミラリスと出会えた。
本当の家族がいないのなら自分で作ればいいのだ。
俺は人生で初めて両親にお願いをした。
「ミラリス・カルバンという貴族令嬢を探してほしいのです!」
「……カルバン侯爵家の令嬢か」
「知っているのですか!?」
「知っているも何も……ガルガン病にユラギス草が効くと発見した令嬢だよ。私たちの命が助かったのは、ミラリス嬢のおかげだ。」
彼女は——あろうことか、俺の両親の命まで救っていた。
本物の両親ではないとはいえ、育ててもらったことには感謝するべきだった。
もしあのまま両親が死んでいたら、俺はきっと後悔していただろう。
彼女は、俺の人生そのものを変えてしまったのかもしれない。
——いや、それどころじゃない。
俺は、彼女にすべてを与えられたのだ。
◆◇◆
俺はすぐに、彼女の情報を調べさせた。
ミラリス・カルバン。
年齢:10歳。
身長:142cm。
体重:28kg。
血液型:AB型。
侯爵令嬢であり、家族構成は父・母・兄。
しかし、両親とはあまり仲が良くないらしい。
そして——俺と出会ったあの日、彼女は国王からガルガン病終息の褒美として、アランとの婚約を提案され、断ったのだという。
——アランと婚約?
アランでなくても、そんなもの絶対に許さない。
◆◇◆
それから俺は、毎日侯爵家の前へ足を運んだ。
彼女に会いたかった。
身分を盾にすれば、彼女は俺の申し出を断ることはできないだろう。
だが、そんな貴族のしがらみに縛られた場所ではなく、俺を”公爵子息”と知らない彼女に、もう一度会いたかったのだ。
——雨の日も、風の日も、雪の日も。
俺は、ひたすら彼女を待ち続けた。
12歳の魔力測定では、この国の人間の中で最大量の魔力量を叩き出し、俺はさらに彼女に見合う男になるために鍛錬を積んだ。
それでも——彼女は、侯爵家から一歩も外へ出てこなかった。
◆◇◆
16歳になったある日、ついに彼女の情報を聞いた。
「魔法が使える侯爵令嬢が、魔力量測定不能だったが、特例で魔術学園に入るらしい」
アランの何気ない言葉に、俺は心が震えた。
——やっと、会える。
◆◇◆
新入生が入学してすぐ、俺は彼女のいるクラスへ向かった。
星のように輝くブロンドに、翡翠の瞳——。
その美しさは、あの日のままだった。
いや、さらに美しくなっていた。
「俺のこと、覚えているか?」
彼女に覚えていてほしかった。
そして、あの素直な表情をもう一度見たかった——。
しかし、彼女は上辺の笑顔を浮かべ、優雅に言った。
「ごきげんよう。すみません……どこかでお会いしましたか?」
……そうか。
——やはり、覚えていないのか。
「ジルベール・エルヴァン。この学園の二年だ。五年前、君に魔法で怪我を治してもらった。」
公爵子息という立場は、まだ明かしたくなかった。
彼女は少し俯き、悔しそうな顔をした後、すぐにまた作り笑顔を浮かべた。
「あら、この学園の先輩でしたか。少しお付き合いいただいてもいいかしら?」
「……ん? あ、ああ」
彼女は俺の手を引き、教室を出た。
まさか、彼女の方から誘われるなんて思ってもいなかった。
彼女が俺に触れている——それだけで、この五年間の思いが報われた気がした。
……だが、次の瞬間。
「もう! なんでみんなの前で魔法を使ったとか話しちゃうの!? せっかく目立たないように、この五年頑張ってきたのに……!」
二人きりになった途端、彼女は怒りを露わにした。
怒りを込めた翡翠色の瞳には、涙が滲んでいる。
——やっと、彼女の視界に入れた。
こんな顔をさせておいて、こんなことを思うのは間違っているのだろう。
……それでも、彼女が感情を顕にしている姿は、俺にとって何よりも愛おしい。
——絶対に、彼女のすべてを俺のものにする。
◆◇◆
——昔の夢を見ていた気がする。
「ジル……!」
必死な声が聞こえた。
「……ミラ?」
「よかった、目を覚ましたのね……!」
夢なのか。
——いや、もしこれが夢なら。
俺は、ずっとミラの夢を見ていたい。
気づけば、俺はベッドの上にいて、彼女が覗き込んでいた。
思わず、彼女の腕を引き寄せる。
後頭部を押さえるようにして——キスをした。
夢にしては、あまりにもリアルな感触。
——俺は、死にでもしたのか?
ならば、このまま許されるだろうと、彼女の口に舌を入れようとした、その時——。
彼女が俺の胸を強く押し返し、唇を引き剥がした。
「……最低!」
怒りを込めた一言を残し、彼女は顔を真っ赤にして部屋を飛び出していった。
——呆然としていると。
すぐそばで、誰かがため息をついた。
「……本当に最低だな。」
そこには、呆れた表情のアランが立っていた。
——ようやく、ここが夢ではないことに気づかされたのだった。
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