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第10話 ジルベール・エルヴァン



いつからだろう。

俺が孤独を感じ始めたのは——


公爵子息という地位、優しい両親、そして気性の荒い賑やかな姉。

孤独を感じる理由など、どこにもないはずだった。


それなのに、いつからか俺は漠然とここにいてはいけないという感覚を抱いていた。


その理由がわかったのは、11歳の頃だった。


両親がガルガン病という致死率の高い病に侵され、医者からは「数日もてば良い方だ」と告げられた時のことだ。


優しい両親を失うかもしれないと思うと、悲しくて辛かった。

だが、近親の男しか爵位を継げない——そんなアルデリア王国の法律を思い出し、俺は父上の執務室へと足を踏み入れた。


公爵として何をすべきか——

子供ながらに、それを必死に探していた。



「ん?ジルベール・エルヴァン、俺の名前だ」



机の鍵付きの引き出しを開けると、鍵はかかっているはずなのに引き出しがズレていたのか、簡単に開いてしまった。


中には、あまり重要そうではない書類の下に、自分の名前が書かれた茶封筒が隠されていた。


今思えば、父上はこの封筒を墓場まで持っていくつもりで、ここにしまっていたのかもしれない。


自分に関するどんなことが書かれているのか、子供ながらにワクワクしながら封筒を開けたのを覚えている。



「第二子ジルベール・エルヴァン死亡……?」



予想もしなかった言葉に息を飲む。動揺しながらも、覚悟を決めて続きを読んだ。



公爵家の嫡男となるはずであったジルベールが母上が妊娠八ヶ月頃に子宮からの大量出血で早産という形で産まれた。


母上は予後の状態が良くなく、子宮を失い二度と子供を産めない身体になった。


嫡男・ジルベールは生まれた。もう子供を産めなくても、この子さえ健康に育てば……そう願っていた。


しかし、未熟児として生まれたジルベールの肺はうまく機能せず、生後7日で短い生涯を閉じた。


公爵夫妻はとても仲が良く、側室を娶り、子を産ますことを父上は考えることができなかった。


そして、養子をとることにした。


だが、養子は公爵の爵位を継げない。

だからジルベールが死んだ事は夫妻以外の知られず、公爵邸の歴史ある大きな木の下に埋めた。


エルヴァン公爵家に多い漆黒の髪に赤目、そのどちらかでもいい。


公爵夫妻は、ジルベールと年の近い赤子を探した。そして、魔物の出る森に捨てられ、田舎の孤児院に引き取られたばかりの黒に近い濃紺の髪の俺を養子に迎えたのだという記録。


その書類には、俺と“本物の”ジルベールに対する両親の懺悔が綴られていた。


自分たちの身勝手で、俺に嘘をつき、本当の息子の代わりにしてしまっていることを、どうか許してほしい。

それでも、しっかり愛を込めて育てるつもりだ。


そして、死んだジルベールには、存在を誰にも伝えず、なかったことにしてしまったことを許してほしい。

それでも、私たちにとっては、いつまでもたった一人の息子なのだから……と。



絶句した。だが、妙に腑に落ちた。


俺が感じていた孤独感は、こういうことだったのだ。


両親が妙に俺に優しいのは、息子の代わりだから。

俺が”息子”だからではない。

たった一人の息子は、もうこの世にはいないのだから。


俺は、何者でもなかった。


それに気づいた瞬間から、俺の心は深く沈んでいった。


ちょうどその頃、ガルガン病の治療薬となるユラギス草が見つかったという情報が入り、両親は少しずつ元気を取り戻していった。


だけど——

両親に、どんな顔をして会えばいいのかわからなかった。


俺は避けるように部屋に閉じこもるようになった。


毎日、姉が俺の部屋の前まで来ていた。


「ジル、部屋から出てきなよ。お父様もお母様も、だいぶ元気になったんだよ?」

「今、そういう気分じゃないんだ」

「なにそれ、ジル変よ」


最初こそ優しく声をかけてくれていた姉だったが、俺が部屋にこもるようになって二週間ほど経つと、だんだんといつもの気性の荒さを取り戻していった。


「ジル! 出てきなさいって言ってるのが聞こえないの!?」

「だから、姉さん……放っておいてって……」

「お父様とお母様が心配してるんだから!」


そう言いながら、姉は扉を強く蹴ったり、何かを投げつけたりしたのだろう。

ゴンッ、バンッと、大きな音が何度も響く。


——心配?

本当に、両親は俺のことを心配しているのだろうか。


病が治った今、もう普段通りの生活に戻っているはずだ。

なのに、俺のところに来るのは姉だけ。


……いや、本当は姉でさえもない。


この無駄に広い部屋にいると、考えがどんどん悪い方向へと向かってしまう。


公爵子息という立場から、俺と気兼ねなく話せる友達は少なかった。


爵位が下の者は、大体が表面上だけの付き合い。

仲がいいふりをしていても、結局は俺の言葉に何も否定せず、ただ頷いているだけなのが丸わかりだった。


同じ公爵家の子息には、俺と同年代の者はいない。


王族で言えば、アランとは仲がいい方だが、それも”公爵子息”だからこそアランと会えているにすぎない。


——結局、俺がジルベールでなかったら、何も持っていないのではないか。


もしこの事実が誰かに知られでもしたら、俺は全てを失う。

そんな崖の縁に立っていることに、今さらながら気づいた。


「本当に俺のことを愛すつもりだったのなら……なぜ、あんなものを取っておいたんだ……」


そして、苦しい日々がさらに一ヶ月過ぎた頃だった。


「ジルベール! 今日こそは、絶対に出てきてもらうからね!」


めげることなく、姉のリアラは毎日部屋にやってきていた。


「リアラ……本当にもううるさいから、放っておいてくれ」

「その急な名前呼び、やめてくれる? なんか気持ち悪いわ」


俺は、リアラを”姉さん”と呼ぶのをやめていた。

本当の姉ではないと思ってから、そう呼ぶことに違和感を覚えるようになったからだ。


リアラは今日も懲りずに、部屋の扉に何かを打ちつけては帰っていく。

今日もどうせ同じだろう——そう思っていた。


「ジル! あんたに会ったら、絶対ぶっ飛ばしてやるんだから!」


そう叫びながら、いつものように扉を何かで殴りつける。

——バキッ。


何かが割れるような音がした。


思わず扉に目をやると、公爵邸の頑丈なはずの扉に、ぽっかりと穴が空き始めていた。

一度壊れると、あとはあっという間だった。

脆くなった部分が次々と崩れ、扉は見る間に壊されていく。


そして——


「ジル、やっと会えたわね」


息を切らせながら、リアラは扉に空いた穴から俺の部屋へと入ってきた。


「……放っておいてくれよ」


俺がそう呟くと、リアラは少し怒ったような、けれど寂しそうな表情を見せた。


「何を考えてるのか知らないけど……お父様とお母様が死ぬかもしれないって思った時、辛かったのは私も一緒よ。たった一人のきょうだいじゃない……」


優しい声だった。

けれど——今の俺にとって、それは地雷でしかなかった。


「姉貴ヅラすんなよ……リアラは、俺のきょうだいなんかじゃない」


言った瞬間、リアラの表情が変わるのがわかった。


——しまった、と思った時には遅かった。


リアラは怒りに満ちた目で、俺がいつも腰に提げている短剣——今はベッドの横に置いていたそれを、迷うことなく奪い取った。


そして、俺の左手を刺した。

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