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放火魔ライターの告発  作者: さば缶
第3章 本当の炎を追う者たち
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心の声を封じられた被害者

 玄関の扉を閉めた瞬間、真琴は全身の力が抜けて床に座り込んだ。

靴も脱がないまま、震える手をついて呼吸を整えようとする。

肩や腕には先ほどの苦痛が今も残っていて、小さな刺激ですら神経を逆なでするようだった。

頭の中では神谷の顔が何度もフラッシュバックし、吐き気が込み上げてくる。

「何が……どうして……」

声に出すと、震えがさらにひどくなり、うまく言葉にならない。

靴を片方だけ脱ぎ散らかし、どうにか体を起こして部屋の奥へ進む。

ソファーに腰を下ろそうとしても、恐怖の感覚が抜け落ちず、全身がこわばったままだ。

乱暴を受けたという現実を、頭が否定しようとするのかもしれない。


 「あれは……嘘じゃ、ない……」

自分の体で起きたことなのに、今まで散々偽りの事件を書いてきたせいか、本物の被害に遭ったという事実を受け入れきれない。

スキャンダルを捏造することで、他人の人生を振り回していた自分が、ここで本当に被害者になるなんて。

思わずスマートフォンを取り出そうとするが、誰に連絡すればいいのか見当もつかない。

警察や弁護士に相談すべきだろうか。

しかし、自分の名前は“放火魔ライター”として知られている。

信用どころか、まともに取り合ってもらえるかすら疑わしい。

「こんな……笑えない話、あるはずない」

頬をつねっても、現実があまりに歪んでいて、息苦しさだけが増していく。


 午後になると、真琴は寝室のカーテンを閉め切り、そのままベッドにうずくまった。

シャワーすら浴びる気力が湧かない。

腕に残った痛みや、首筋に感じる嫌な感触を拭い去りたかったが、自分からすすんで体を洗うことすら抵抗があった。

もしシャワーで洗い流せば、証拠が消えてしまうのでは――などと頭の隅で考える自分が情けない。

同時に「こんなもの、証拠があっても誰が信じてくれるの?」と自嘲する声も湧いてくる。

何度も目を閉じては呼吸を落ち着けようとするが、記憶が邪魔をして眠るどころではない。


 しばらくすると、スマートフォンがかすかなバイブ音を立てた。

画面を見る気力もなかったが、ぽつりと浮かんだ「相沢玲奈」の名前を見て、胸がかすかに動く。

玲奈とは、この前カフェで会ったばかりだ。

不思議と、もし誰かに話を聞いてほしいなら彼女しかいないような気がする。

「でも、あの人は記者……私の被害を記事にしたがるんじゃないか」

そんな疑いもよぎるが、何かにすがりたい思いが勝り、意を決して画面をタップする。

「すみません、椎名さん、今お時間ありますか?」

小さな声で聞こえてきた玲奈の呼びかけは、むしろ真琴の心を軽く揺らすようだった。

「いや、今は……ごめんなさい」

そう返事をすると、玲奈は少しだけ戸惑った沈黙のあと、静かな声で尋ねる。

「もしかして、神谷先生のことで……何かあったんですか」

なぜかその一言に堰が切れ、真琴は声を詰まらせてスマートフォンを握りしめた。


 「……そっちからは何も言わなくていいです。

ただ、もし助けが必要なら、連絡ください。

無理に取材するつもりはありません」

玲奈はそれだけ残して電話を切る。

真琴はベッドに転がったまま、その言葉を何度も頭の中で反すうした。

記者である彼女の言葉を信じていいのか疑う余地はあったが、誰かが手を差し伸べてくれる感じに胸がふっと暖まるような気がした。

手の震えはまだ収まらない。

だが、心の奥で「このままじゃいけない」とつぶやく声がわずかに強くなる。

自分が捏造記事で多くの人を苦しめてきたのと同じように、神谷の暴力をこのまま放置すれば、また別の人が同じ目に遭うかもしれない。

しばらくベッドで丸くなっていた真琴は、ようやく腰を上げてシャワーのスイッチを入れた。

まだ、痛む体を動かすのは苦痛だったが、そのままでいるほうがいっそう心に重くのしかかりそうだった。

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