23
目の前で樹木の化物が砕けて消えていく。その途中で手を伸ばすように、1本の枝が頼りなく、何かにすがり付くように動いた。
しかしその枝はどこにも届くことはなく、そのまま白い粒子となって消えていった。
黄金の輝きの前で、ダブルが静かにレリーズへ振り向いた。
「…先に行くぞ?」
何を言うべきか迷ったような間を置いてから、ダブルは赤い剣を鞘に戻して、足早に光へ向かって歩いていった。
決して振り返ることも、歩調が弱まることもなく歩く様子は、レリーズが必ず追い付いてくると確信しているようだった。
(ありがとうございます)
レリーズは光に消えていくダブルへ心の中で感謝しつつ、側で項垂れているクルーズに目をむける。
やがてダブルの足音が消える。改めて2人きりになった状況で、レリーズはクルーズへ優しく語り掛けた。
「兄さん。行きましょう?」
「………」
項垂れたまま動くことのないクルーズを、レリーズは急かすことはせずにただ見守っていた。しかし性格的に、ただ黙っていることが苦手なレリーズは、なんとなくクルーズの頭に手を伸ばして髪の毛をわしゃわしゃと撫でた。
「兄さん。ダブルさんを倒そうとしてたよね?」
その一言で、クルーズビクリと身体を一瞬強張らせた。
その姿がレリーズは可笑しくて堪らなかった。母親に小さなイタズラがバレたときの子供のようだと感じたからだ。
「でも結局は勝てなかった。それはダブルさんが強かったこともあるけれど、本当の理由は違う。兄さんが自分自身で、心のどこかで負けを受け入れていたからじゃないの?」
「…どうしてそう思うのですか?」
クルーズが疲れ以外の色がない言葉を吐き出したので、レリーズはクルーズの頭から手を退けた。
「だって、私も同じ気持ちだから」
項垂れていたクルーズがゆっくりと顔を上げ、レリーズと目があった。
「…戻らなくていいよ」
「私が、戻りたいのです」
「嘘。兄さんが真面目すぎるから、こんな面倒なことになっているのよ。ダメなものをダメだってわかっているのなら、後はそれを正すだけ。そうでしょう?」
「ですが…」
まだ後ろを向こうとしているクルーズに、レリーズは現実を突きつける。
「もう。兄さん。ここまで私が頑張ったのに逃げ出すの? 残念だけど、逃げる場所はもうないよ? 私は死んでしまったのだから」
「今は、生きています」
「嘘。間違っていないって思い込めるのなら、あんな化物は生まれてこなかった」
「…死ぬことが怖いのですよね?」
「だからどうしたの? 兄さん。考えても見て? 兄さんはこんな暗いところに私を置いていける? 私は兄さんをここには置いていけない」
「レリーズが受け入れてくれるなら、間違いではなくなります」
「兄さん」
会話が堂々巡りだと感じたレリーズは、ただクルーズを強く見た。
「兄さん。過去に縋っても、過去は過去のまま。過去に戻る方法なんてないの」
レリーズは黄金色の光に目をむける。
「あの光の先に私がいなくても、それは当然のこと。とっくに来ていたお別れを受け入れる時がきたのよ」
「…納得できません」
「納得できるお別れがあるの? 兄さんはきっと、私が死んだときにそれを強く感じたはずでしょう? もう目を背けないで?」
クルーズが目を伏せる。それから一言だけ絞り出すようにして言った。
「っ……わかり、ました」
ゆっくりとクルーズが立ち上がる。それを見たレリーズは嬉しそうに手を差し伸べた。すると、その手をクルーズが強く引いて、レリーズを抱き締めた。
「うわっ!」
驚いて声を上げると、クルーズが強く、強く、レリーズの身体を締め付けた。レリーズは今まで誰にもされたことがないほどの強い抱擁に、息苦しさを感じたが、なにも言葉がでなかった。
なぜなら。
「ぐっ……ぅ……ッう……ッ…」
抱き締めたまま、クルーズが涙を流していたからだ。
(こんな時でも大声では泣けないのね…仕方ないなぁ)
レリーズは堅苦しい兄の背中に手を回して、優しくさすった。
「ああぁぁぁぁぁぁぁぁ…ッ!」
苦しさを吐き出すような、血を吐き出すような、そんな泣き声をクルーズが上げた。堪えてきた全てが決壊したようで、崩壊したダムの水のようだった。
更に締めつけが苦しくなる。
だが、レリーズは決してそれを剥がそうとはしなかった。
◇
レリーズはクルーズと手を繋いで、光へ顔を向ける。
「兄さん。顔がべちゃべちゃ」
ポケットからハンカチを取り出して、レリーズはクルーズの顔へ押し当てた。
クルーズは顔に押し付けられたハンカチを受け取り、顔を拭った。
「そのハンカチは兄さんがくれたのだけど、覚えている?」
「えぇ。確か15の誕生日に贈りましたね」
レリーズはクルーズが覚えていることに嬉しくなったが、しかしそれをおくびにも出さずに、いつも通りの笑顔を向けた。
「どう? 1人前のレディでしょう?」
「自分で言うところがまだまだですね」
「なら誰がそれを認めるのよ」
「そうですね。レリーズはいつまでも私の妹ですよ」
「下に見てるの!? あんなに泣いたのに??」
小馬鹿にされたと思ったレリーズは、先ほどのことを引っ張り出した。
すると、クルーズは露骨に嫌そうな顔を浮かべた。
「ちょっと…それは言わないでください」
「どうして?」
「恥です」
「泣くことが恥?? 恥ずかしいとしっかり言いなさい」
「……恥ずかしいので、やめませんか?」
レリーズにはクルーズの泣くことが恥と言う考え方が良くわからなかった。苦しかったら泣けばいいと考えているし、泣けない人の方が苦しそうだからだ。
しかし、理解できなくとも受け入れることは出来る。
「まぁ仕方ない。やめてあげます」
「ありがとうございます」
実に畏まった感謝の言葉に、レリーズが笑みを溢すと、クルーズは笑みを返した。
「さて、行きましょうか」
クルーズが光を真正面から見据えた。
「ねぇ兄さん。もし、辛かったら泣いてもいいからね?」
「レリーズ。頑張っているので、そのようなことは言わないで下さい」
「頑張りすぎないで、と言っているの。もし、泣きたくなったらアユちゃんに言ってね? ちゃんと受け入れてくれるはずだから」
「どうしてここでアユーラが出るのですか」
「兄さんが1人では泣くことも出来ないからよ」
「…そうですね。考えておきます」
そう言うと、クルーズが1歩光に向けて足を踏み出した。そしてレリーズは少し遅れて足を踏み出した。しかし兄妹は直ぐに2人並んだ。
歩きながらレリーズはクルーズへ問いかけた。
「兄さん。怖い?」
「えぇ、怖いです。とても。ですが、ここにはもう、居られない。もちろんレリーズもここには置いていけませんから」
クルーズは頑張っているだけだとレリーズは見抜いたが、しかしそれを口にすることはなかった。
「そう。それなら良かった」
この光の先に何が待っているのかは分からないが、しかし、兄妹の歩みに迷いはなかった。一歩一歩、力強く、胸を張って、光に近づく。
クルーズが扉に触れ、それを押し開いた。
「ここは…」
扉の向こうにあったのは、どこまでも広がる空とその空を好きなように彩る流星。そして眼下にはこの空想拡張現実世界の光の反射だった。
1度だけしかこれない絶景スポット。
そのバルコニーの角で、ダブルが半眼を開いて、レリーズを見ていた。
そのことをレリーズが認識すると、ダブルは満足げに薄く笑って眼を閉じた。
「兄さん。ここに来るのはいつぶり?」
「そうですね。えー……半年振りになりますね」
「ちゃんと定期的に来ること。アユちゃんも連れてね?」
「なぜアユーラをそこまで話に出すのですか」
「だって、兄さんがいつまでたってもアユちゃんと結婚しないから」
「アユーラはアユーラで婚姻相手を見つけますよ」
「なに言っているの? アユちゃんはちょっと馬鹿なんだから多分死ぬまでヤトメイズが~と言い続けるよ。兄さんが責任とらないと」
「馬鹿っ……聞かなかったことにしますが、もし仮にそうだとしても責任を取るべきは、幼い頃からアユーラにそう言った教育しか与えてこなかった大人たちです」
「兄さんはその大人たちの仲間入りどころか、その大人たちの首魁になったのよ?」
クルーズが押し黙った。なのでレリーズは更に畳み掛ける。
「分かっているくせに。良いこと教えて上げるけどね。アユちゃんから兄さんに言うことはないよ? そういう教育しか受けていないんだから」
「私から言い出すのは、それはそれで正しいのですか? そう言った教育しか受けていないアユーラは断れるとは思えません」
「真面目すぎる。兄さん。好きだって感情が常に正しいことはないということを、今さっき思い知ったはずでしょう?」
「耳が痛いですね」
「はぁ、仕方ない。兄さんに教えて上げる。好きでもない相手のために、わざわざ裏切るなんて労力は割かないよ」
「しかし…」
煮え切らないクルーズに、レリーズは痺れを切らして、繋いでいた手を振りほどくと、そのまま背中をバシンと強く叩いた。
「兄さん! 私はもう消えるのだから、最後ぐらい安心させてよ!」
「す、え、すみま…せん?」
真面目すぎる上に、不器用というか、妙に考え込む性質のクルーズに、レリーズはため息を溢すも、しかしそれが兄であるということを改めて認識した。
(ま、期待するだけ無駄だね)
レリーズは、最後に何か話すことがあっただろうかと心残りを探し始めたが、しかしもう話すことは残っていないことを知った。
クルーズに背を向けて、レリーズはダブルへ向き直って名前を呼んだ。
「ダブルさん! アカツキ! ありがとう!」
目を閉じていたダブルが目蓋を上げると、アカツキが始めに言葉を返した。
「おーう、どーいたしましてー」
「満足したか?」
「はい! ダブルさんも、この空想拡張現実世界はどうでしたか?」
「そうだな。私はもう来たくない」
「おい!」
レリーズはクスリと笑った。そう言う人物も逃がさないのが、空想拡張現実世界なのだから。
「アカツキは?」
「俺は面白かったよ。また来たいね」
「そうですか。ありがとうございます」
レリーズはダブルへ最大限の感謝を込めて頭を下げた。
それからクルーズへ向き直る。
「兄さん。ヤトメイズの家訓の1つを覚えている?」
「レリーズが言いたいものは分かっていますよ」
ヤトメイズの家訓は3つあるが、レリーズの言いたいものをクルーズは分かっているようだった。
レリーズは満足げに笑って目を閉じる。
すると、レリーズの身体から白い光の粒子が溢れだす。それからレリーズは、自分の身体が軽くなるような感覚を覚えた。
再び目を開けると、レリーズは自分が空へ向かって飛んでいることを理解した。
すぐ下には笑顔のクルーズと感情の無さそうな顔をしたダブルがいる。その2人を見て、これ以上ないという笑顔を自然と顔が浮かべた。
そして先ほどは、もう言い残しはないと思っていたが、別れの間際にレリーズは様々な言葉が溢れてくるのを自覚した。
「ダブルさん。依頼のお値段ですけど、兄さんに請求しててくださーい」
クルーズが一瞬ぎょっとした顔を浮かべ、ダブルは軽く手を上げた。
「アカツキは自分の価値に気付いて、ダブルさんを困らせないようにね?」
「は? 俺いつも叩かれてるんですけど!?」
それが良くないんだとレリーズは笑った。
そして最後にクルーズへ顔を向ける。
「兄さん」
「なんですかレリーズ」
「アユーラによろしくお願いね」
「えぇ。任せてください」
穏やかな笑みをクルーズはずっと浮かべていた。
その姿を見て、レリーズはやっと、昔の兄が帰ってきたと安心することができた。
──────もう、心残りはない。
「じゃあ、またね」
「ええ、また」
「さようなら兄さん」
「さようならレリーズ」
彗星のごとき少女は、夜の星に消えていった。
そして熱が消えた虚空の空へ、1人の兄は手を伸ばす。
その手が星に届くことはないが、しかしなにかを掴んだように手を握りしめて、胸の中心に持ってくる。
最後にその手をほどき、中にあった何かを優しく手放した。




