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ダブルテイル・ブラックウルフ  作者: 甘味感
2章 黎明前夜
49/54

20

 クルーズは本当に久しぶりにレリーズの尻尾の手入れをした。


「昔、私が貴女の尻尾の手入れをしたときの事を覚えていますか?」


「ありすぎて覚えていられないよ」


「確かにそうですね。貴女はアユーラにも尻尾を預けていましたからね」


「なに? アユちゃんに嫉妬してる?」


「まさか。ただ思い出しただけです」


 手に乗る尻尾の重さは、記憶のものとはだいぶ解離があるが、しかしそれでも懐かしさを覚えるには十分だった。


「私とは違って抜け毛が少ないですね」


「兄さんは疲れてるのよ。尻尾が泣いてた」


「…勝手に泣かせないで下さい」


 他愛のない会話をしていると、絡まる毛がなくなり、尻尾を撫でるブラシに抵抗がなくなる。クルーズは手を抜いたつもりなどなく、懇切丁寧に優しくじっくりと時間をかけたつもりだった。しかし気が付いたら手入れが終わっていた。


 クルーズは時間が切り抜かれたような錯覚に陥る。


「ん。もう行こっか」


 手の上にあった尻尾が、ふわりと退いた。物悲しさをクルーズが感じていると、その手にもう1度手が重なった。


 尻尾の代わりにレリーズの手を握る。


「これはどうしましょうか…」


「持っていく?」


 クルーズはブラシを見つめて、少し迷った末にポケットに詰めた。


 そしてまた2人は歩き出した。


 変わらぬ風景に、変わらない手の温もり。今まで蓄積されていた疲労感は先ほど綺麗に落ちていった。だというのに、クルーズの足は重かった。


 クルーズはため息を漏らす。


「はぁ…フローリングの上に石造りの階段とは…最悪の組み合わせです」


「さっきの土砂よりは全然マシでしょう?」


「下を見て満足するのは止めましょう。それにしても、随分と明るくなりましたね」


「さすがに鈍い兄さんでも分かっちゃうか」


「えぇ、土砂崩れを越えたあとから、随分先まで見通せるようになりましたからね」


「出口が近いのかも」


「…そうだといいのですが」


 階段の先、その頂点を呆然と見ていたクルーズは、レリーズに手を引かれることで初めて階段を登り始めた。


 今までの会話が嘘のように、静かに黙々と階段を登り続ける。


 もう話すことはない。隠し事も、過去も、手を繋いで現在を共有することで分かりあった。だからもう、クルーズは話すべき言葉がなくなってしまった。


「兄さん。帰ったらちゃんと人核転写の仮面を返却するんだよ?」


 クルーズはピタリと足を止めた。


「…その意味を分かっているのですか?」


 振り返ったレリーズはなにも言わず、ただコクりと頷いた。


 クルーズはそれから目を背ける。そして進んできた道のりに目を向けた。


 土砂崩れを乗り越えて、階段の中盤あたりから見える景色は、あの蹴破られた扉まで見落とせた。しかし、その先は見えない。


 その時、冷たい風がクルーズの顔に当たった。


 なにかを呟こうとしたクルーズを、レリーズの言葉が潰した。


「行こう。兄さん」


「…えぇ。分かり…ました」


 コツコツと靴が石造りの階段を叩く音だけがクルーズたちの耳に届く。


 終わりを告げるための静寂。


 それすらも、いずれ終わりがやって来る。


 階段を登り終えると、この先には黄色い光が漏れ出ている大層立派な両開きの扉があった。その扉は石造りではなく、フローリングに合うような木で出来た5段ほどの階段の上から、その強烈な存在を示している。


「さ、帰ろう兄さん」


 クルーズは足が1歩も動かなかった。


 動かしたいのか、動きたくないのか、自分自身ですら分からない。


 レリーズに手を引かれても動くことが出来ず、そこでクルーズは強く自覚した。


「あそこには行きたくありません」


 クルーズは子供が駄々をこねるような、酷くみっともない言葉を吐き出した。


「それでも行かなきゃダメだよ」


 レリーズがクルーズの手を引くと、フローリングの床がひび割れ地面が揺れた。


 揺れの中、フローリングの下から大きな樹木が生えてきた。


 それの樹皮は黒く腐っているものの、白く白骨化したような線を何本も張り巡らせていた。そして枝の先から吊るされた黄金のリンゴは、赤色の液体をしとしとと、フローリングに垂らしては汚していく。


 扉を塞ぐように生えてきたそれは、光の全てを遮っていた。


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