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怒りによって導きだされたダブルの言葉にレリーズは苦笑した。
「信用してくださりありがとうございます。とでも言えば良いのでしょうかね。それに動き出して人を襲う樹木など、空想拡張現実世界以外には存在しませんし」
「その通りだ。あの化物が魔法によって作られた存在であることには疑いようがない。ではその魔法はいったい誰が使っていると考えれば簡単だった」
ダブルが自分がそう考えた道筋を話すと、レリーズがその言葉に、「確かにそうですね」と納得してから話を再開した。
「あの樹木は兄の恐れを過敏に察知しています。ですので、兄とダブルさんを面会させました。そうすることで、あの樹木と遭遇する確率を上げようとしたのです。しかし残念ながら、あの樹木は……兄はダブルさんよりも、教会の人たちを恐れているみたいで、思うようにはいきませんでした」
レリーズが疲れを隠しきれないような、無理な笑顔を浮かべた。
「あはは、兄さんは私を殺したかも知れない人物より、教会の方が気掛かりみたいでした」
「……無理に笑う必要はない。どうしても家族を優先出来ないことが、生きていると多々ある。それだけのことだ」
ダブルは感情を出来るだけ排除して、冷たくぶっきらぼうにどうでも良さそうな声で慰めた。しかしレリーズはその言葉を受けて、笑顔の質を変化させた。
「そうですね…ありがとうございます」
今まで見てきた笑顔とは明確に異なる優しい笑顔。楽しいことを楽しんでいるという笑顔でもなく、無理やり笑っている作った笑顔とも違う。柔らかい印象を与えるような笑顔をレリーズから向けられて、ダブルは顔を背けた。
殺意がドロリと胸の内側から溢れそうになったからだ。
「あー。おう…レリーズ。ダブルとは仲良くしすぎない方がいい。というよりもダブルのために優しくし過ぎない方がいい」
だんまりを決め込んでいたアカツキが、決まりの悪そうな、罰の悪そうな声を上げた。
「あ、アカツキ。さっきはごめんな─────」
「いいや! 謝ることはないね! 俺が子供みてーに取り乱しただけだし、でも謝っても許したくはない。だから謝って欲しくないね」
それは少し強い口調だったが、しかしアカツキが怒りの落とし所を見つけたのだとダブルは逆に安心した。
「ちょうどいい。アカツキ、あなたはどう思う?」
「どうって?」
「クルーズが恐れていることの優先順位についてだ」
「さぁ知らね。そもそも内心でコワイって感じてることを外野がどうこう言って測れるわけねーし。それにコワイって感情にも種類あるだろ。なにを仕出かすか分からない子供と、見たこともない幽霊とかを同列に語るのは無理があると思うね」
ダブルが本当に聞きたかったことはそれではなかった。理由ではなく、その原因。なぜクルーズは妹を襲った人物よりも、教会の人間を恐れているのか。なぜ、そのような優先順位がついているのか。
ダブルはそのことを訊ねたつもりだったが、アカツキはレリーズに配慮したらしき言葉を返した。その言葉は余りにも流暢で、裏表がなく、意識的にそう発言したという風には感じられない。
アカツキが当たり前に振り撒く優しさに、ダブルは少しの尊敬を向けた。
それはそれとして、ダブルはこのすれ違いとも言えないような言葉足らずを、アカツキとの思考の向きの違いだと感じた。
ダブルは自分の思考の向きが、あまりにも効率的で物騒な物なのだと自覚した。しかし傭兵として生きていくには、このような思考を持っていなくてはならない。
正直、ダブルが仲間を連れていくのなら、こんな呑気な平和ボケしているような奴は選ばないだろう。会話どころか、戦闘でも足手まといになりかねない危うさがある。
(まぁ。剣ならばいいか…守る必要もないからな……)
アカツキの平和的な思考をダブルは好意的に見ていた。
優しさというものは決して、生まれてから自然に備わるものではなく、誰かに道徳的に説かれることと、与えた優しさに恩返しがある土壌があって初めて育まれるものだ。
無償で振り撒く慈愛は、それまでその人物が誰かから与えられてきた優しさによって積み立てられてきたものだ。
無から生まれてくるものでは断じてない。
ダブルが娘を拾ったこともそうだ。元々ダブルも拾われて育てられたことがあったから娘を拾った。結果は吐きたくなるほどに惨憺たるものであったが。
「はぁ……」
ついうっかり、ダブルは過去を思い出してタメ息を吐いた。
「え? なに? なんか違った?? 俺、変なこと言ってるか??」
「いや、気にしないでくれ。感情の整理をつけていただけだ。もう問題はない」
娘の事を思い出していた。などとわざわざ言ってもしょうがないことだと考えて、ダブルは嘘をつかない範囲ではぐらかした。
「んー。なるほどおっけ。ならそのまま顔背ければいい」
なにか勘違いしているようだったが、しかし別にそれを正す必要もない。ダブルはアカツキの言葉に反応を返さないまま、話を元の流れに戻した。
「まぁ。そうだな。恐怖の性質が違うといえばそれまでだが、しかし私が言いたいのはそのことではない。クルーズはなぜ妹を襲った人物よりも、教会の人物を恐れているのかということだ。家族を優先できないその原因はなんだ?」
その問いに誰かが答えるより先に、ダブルが自分の意見を話した。
「私はクルーズが人核転写の仮面を持っているからだと思っている」
「なんで??」
本当に理解不能だと分かるような、音程のズレた声をアカツキが発した。
ダブルは以前、アリュエルとフレドリックと共に化物の正体を人間だと仮定して、その目的を考察した。
その時に導きだされた答えが、クルーズが人核転写の仮面を持っているという物だった。そのことをダブルはレリーズとアカツキへ丁寧に説明した。
「はえ~。あん時ね~。な、今さら過ぎること言うけどさ。俺、レリーズの兄貴にあったことねーんだけど」
本当に、今さら過ぎるな。とダブルは脱力した。
するとその瞬間。ピーー!というけたたましい機械音が部屋に鳴り響いた。
ダブルは咄嗟にアカツキの柄へ手を伸ばしながら、音の発信源に向き直った。それからレリーズがその懐から四角い光る板を取り出したのを見て、ダブルは警戒をほどいた。
「ふぅ…小型の通信機か」
「おーい。ダブル。一息つきながら剣を抜くなよ。危ねーぞ」
アカツキの声にハッとして、ダブルが自分の右手を見ると抜剣したアカツキを強く握りしめていた。柄に手を掛けたことは覚えている。しかし抜剣した覚えはない。
「すまない。気が緩んだ」
ダブルはアカツキへ感謝しつつ、鞘へ納めた。
「なんの話だろ?」
「さぁな」
通信しているレリーズの邪魔にならないように小さくそれだけ話してから、ダブルはまた視線をレリーズから外した。
「なんだったん?」
通信を終えたレリーズにアカツキがそう訊ねた。するとレリーズは少しだけ早口で、状況を説明した。
「すみません。今から兄がここに来ます。一緒に居て貰えませんか? そしてもし兄が逃げ出すのなら…」
「殴って止めても良いんだな?」
「あーー……はい」
迷ったらしき声を上げてから、レリーズはそう肯定した。
◇
執務室。
突然発生したイレギュラーと脱走したレリーズの保護に対する指示を全て出し終わり、クルーズは椅子に身体を墜落させた。
クルーズは椅子の背もたれに体を預けるという、貴族の所作としてはあまり褒められない態度を取る。しかしそれは、そうせざるを得ないほどの疲労がクルーズを押し倒した結果に過ぎない。
それを情状酌量の余地ありと判断出来ない者は余りにも非情と断言しても良いだろう。
そんな言い訳がクルーズの脳裏を掠めた。しかしそれは一瞬のことで、直ぐに自分がやるべきことに意識が向いた。
「レリーズはどうやって…」
死ぬことはないとはいえ、殺害されるというクルーズの神経に火を放つような事件が発生した後で、クルーズはレリーズをとある屋敷に押し込めて軟禁していた。
殺害した犯人が見つかるまでは決して外に出すつもりはなく、クルーズは空想拡張現実世界を構成する魔法の力を行使して、それをルールとして定めた。
それを破る方法は同じ魔法をぶつけるか、空想拡張現実世界を構成する魔道具に細工を行い、空想拡張現実世界そのものを崩壊させない限りは不可能だ。
同じ魔法なら、血を分けた妹であるレリーズも扱えるが、しかしクルーズは空想拡張現実世界を構成する魔法として魔法の力を行使しているため、空想拡張現実世界を成立させるための魔道具のバックアップを受けている。
結果、対立する魔法は魔道具の有無によって天秤をクルーズの側へと傾けた。
故に、実質的に選択肢は1つしかない。だが、それは決してあり得ない出来事だった。
空想拡張現実世界を構成する魔道具は、まさしく心臓と言っても差し支えない。それはもう信じられないほど厳重な守りが敷いてあり、現在はクルーズ以外に立ち入ることは不可能になっている。
だからこそ、どう足掻いてもレリーズがあの闘技場に現れる方法は存在しない。しかしレリーズは現れた。そしてあろうことか報告に上がっていた化物と交戦したという。
あの妹はどこまで自分に気を揉ませるのだろうと、クルーズは疲労感で再び体が重くなった錯覚を覚えた。
椅子の背もたれに体重を掛けて部屋の天井を見上げる。既に見慣れたはずの部屋の天井に、クルーズはなぜか窮屈さと息苦しさを見出だした。
それから視線を落として、執務室の内装に目を向けた。
(昔憧れていたものは、実際に手に取るとこうも憧れとは遠いものだったとは…)
重くて、思わず手放したくなる。しかし────
「手放すわけにはいきません」
クルーズが椅子から体を起こすと、部屋のドアからノックの音が聞こえてきた。入室の許可を出すと、扉の向こう側から現れたのはアユーラだった。
自分から名乗り出て、レリーズの保護に出ていったはずのアユーラが、目の前に居る。アユーラには焦った様子も困惑した様子もないが、不吉な予感をクルーズは感じ取った。
「なにか問題でもありましたか?」
「はい。端的に申し上げます。クルーズ様、レリーズ様との面会の場が整っています」
アユーラはそれ以上なにも言わなかったが、しかしその言葉にはクルーズへの非難が込められていた。そしてレリーズと会えと、目で圧力を掛けてる。
それをクルーズは穏和な笑みで迎えた。
「そんな予定は入っていなかったはずですが?」
「レリーズ様が急遽予定に組み込みました」
「そうですか……それは後に回して下さい。まずはレリーズの保護を」
「レリーズ様がクルーズ様との面会をしない限りは戻らないと話しています。そのまま樹木の化物を追いかけるとも」
「私は言葉をもって保護しなさいとは言っていませんよ。なんのために防罪庁を出動させたと思っているのか…貴女が分からないとも思えませんね」
クルーズは点が線に変わったと同時に、タメ息を吐いた。
「貴女はレリーズと共謀しているのですね」
「はい。もしクルーズ様が面会をどこまでも拒むと仰るのでしたら、空想楽園の黄金の優勝賞品である限定的な万能を使ってでも呼び出すと、レリーズ様は申しております」
「はは。レリーズがそれをどうやって手に入れるのですか? もしやダブルという人物を使う予定でしょうか?」
「いいえ。それはもう手に入れたも同然です。決勝に進出した2人、それはレリーズ様とダブル様ですので」
「…トーナメント表を作ったのも貴女でしたね」
アユーラがゆっくりと頷き、肯定した。
「なるほど…して、それが一体なんだと言うのですか? 私とレリーズが魔法で綱引きをしたとして、私はそもそもルールその物を従えているのですよ? 勝てると本気で思っているのですか?」
自信を込めた敵意をクルーズが言い放つ。
「そうですね。私は勝てないと思います」
相変わらず感情が抜け落ちたような、淡々とした言葉だったが、クルーズはそれを耳にして、ほっと安心した。後は計画の破綻を示し、それを元に説得するだけでいい。
そう考えていたクルーズは、続く言葉に全てを諦めることになった。
「しかし、レリーズ様は確信を持って勝てると明言しています。限定的な万能すら必要はないとのことです。私には嘘には思えませんでした」
クルーズは不吉な予感が的中し、がっくりと項垂れて絶望した。
「あぁ……そうですか…貴女がそういうのでしたら…そうなのでしょうね」
続く言葉を言いたくなかった。クルーズは負けを認めているというよりも、既に負けている。しかしそれでも言いたくなかった。
なんとか逃げ道を考え出そうとするも、その全てが行き止まりであり、完全なるチェックメイトを受けている事実を強く認識するだけだった。
「妹は…どこにいますか?」




