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司会の2人組が喧しく囃し立てる。しかしそれはただのヤジではなく、しっかりと期待感を煽るような洒落た言い回しで、実に丁寧だ。
殺し合いの闘技場で聞くことはないような言葉遣いだ。それはまるでスポーツを観戦するかのようで不快だった。
命をなんだと思っているのか、生と死の境目で足掻く人を見て、なぜ上品に笑っていられるのか。
理由は1つ。ここが空想拡張現実世界という場所だからだ。
「あぁ。気が滅入るな」
こっそりと静かにタメ息を吐き出す。悪趣味とさえ言えるような黄金の装いを風に揺らした。それは会場の熱気の全てを遮断しているようで、拒絶しているかのようだった。
フレドリックはこの場所に来てからどうにも体調がよくない。頭痛や腹痛というものはないが、しかしどうにも体調が悪い。
吐き気を感じるの一歩手前とでも形容すれば良いのか、胃痛が起こる前兆、もしくは胃痛が少しだけ鎮まった状態。それが延々と消えることなくフレドリックを苛んでいる。
ふと太陽が眩しく、痛いと感じた。熱があるのかも知れない。
いつからそれを感じていたのか、フレドリックが記憶を辿ろうとすると、耳障りな司会の声が自分に向いたのを感じた。
(教会からやってきた。しかも高位神官など、注目の的として話に上げやすいのでしょうね。煩わしい)
試合開始のゴングが鳴った。
するとすぐに15名の内の数名がフレドリックの方へ警戒を見せた。教会の戦闘集団。聖人人事部の聖人部隊が有名であるため、その警戒は適正な物だと言える。
フレドリックはそこの所属ではない。しかしその場にいる15名に遅れを取ることなどあり得なかった。
フレドリックは不快感と共に予選を突破する。そうして予選を勝ち上がると個室に案内された。フレドリックはその部屋にある椅子に身体を沈める。
少しでも体調を良くしようと何もかもを放棄しようとしたが、しかし身体の不調に反して、頭の方だけは冴えていた。
なにも考えないように努力すると、寝る時を除いて自分は常に何かを考えてきたことを思い知った。
休みを取ったのはいつだったか、休日をしっかりと休日として過ごし、休養したのはいつだったか。
黄金として目が覚めてからずっと、自分が休んでいないことに気が付いた。
(そうか。私は疲れているのか……)
肉体的には疲れてなどいない。健康的な食事に十分な睡眠時間を徹底している。この身体に不調は欠片もない。怪我も病気も全くない。であればこの疲労はなんなのか。
考えるまでもなく、フレドリックは答えにたどり着く。否、そう否定してきた、忘れようとしてきた、無視してきた答えだ。
初めから答えは知っていた。その答えは常に片時も離れずにフレドリックを、エルドリアを蝕んでいた。
(そうだ。私は…疲れてなど……疲れてなどいけないのだ)
義務感と使命感によって、フレドリックは辛うじてギリギリで耐えきれていた。そしてそれは、これからもそう耐え続けるはずだった。
限定的な万能。そんな希望が闇の中に突如として現れた。
「投げ出せるものか…直ぐそこに」
1人で言葉を虚空に投げる。その時、誰かの視線を背後に感じてフレドリックはゆっくりと振り向いた。
「なんだ君か。なんのようだ?」
壁に1枚の鏡が埋まっていた。そこに映る姿は10歳の子供。ボロボロのキャスケット帽を左手に握っている。黒蛇の子供。その子供は鏡の中から黒く縦に細い瞳孔を持ってフレドリックを睨み付けている。
その子供はそのまま一切口を開くことはない。フレドリックは分かっていた。何度も何度もその子供と対峙してきたのだから分かっていた。
鏡が言葉を発することなどない。それでもフレドリックはそう訊ねた。
返事など来ないと分かっているのに、しかしこの時ばかりはその考えが裏切られるという確信があった。
子供が口を開く。
「分かっているはずだ。エルドリア。お前は必ず勝たねばならない。そして命の責任を背負え。逃げようと考えるなよ」
エルドリアはその子供から殺意すら感じてしまい。その事実があまりにも面白おかしく、思わず盛大に口を開いて笑ってしまった。
「ハハハハッ。とうとう頭がおかしくなってしまったようだ。身体の健康にはかなり気を付けているというのに。全く…心配事を増やしてくれるなよ」
「やがてそれを考える必要もなくなる」
「ま、その通りだけどね。あぁ、そうだ。君に聞きたいことがあったんだ」
フレドリックは軽い調子でそう口にした後、ゆっくりと、心に染み込むほどゆっくりと息を吸い込んでから、改めて口を開いた。
「君は俺が嫌いかい?」
◇
死は絶対に覆ってはならない。そんな当たり前の理屈を空想拡張現実世界は否定する。そもそも死んでいませんなどと言い訳を添えて。
フレドリックは予選通過後の1試合目を終わらせてから1つ気づいた。
「この調子の悪さは、空想拡張現実世界に来てからの物だと言いたいんだろう?」
個室に戻ると、直ぐに声をかけられた。
「なぁ。試合を終えたばかりなんだ。少しは休憩させてくれないか?」
鏡の中にいる黒蛇の子供は何も言わずに嘲るような笑みを浮かべた。
「分かっているよ。俺が君を呼んでいることぐらい分かっている。全く…もう少し優しく出来ないのかな?」
呆れ半分の強がりも、鏡が相手では分が悪い。
黒蛇の子供は怒気を込めた言葉を話した。
「適当なことを言うなよ。お前は恐れているんだ。それを認めたくなくて、俺を都合良く見出だしている。そしてこう言われたいんだろ?」
「「逃げるな」」
鏡と言葉が重なると、部屋をノックする音が響いた。
「やれやれ、進行がやたら早いな。一方的な試合が多いということか」
「お前も人のことは言えないだろう?」
「勝てるか不安だね」
「勝たなくちゃいけない。分かっていると思うけど、黄金のコードはダブルって人のために取っておけよ」
黄金のコードネームを持つ者として余裕を見せびらかす必要がある。決して、このメッキが剥がれ落ちないように。
鏡の向こう側から、激励とは言い難い激励を受けてフレドリックは余裕綽々といった態度で会場に立ち、そそくさと試合を片付けた。
「魔法を使いすぎたかな」
身体は徐々に重くなっていく。魔力消費による倦怠感に加えて、立っていられないほどの疲労を感じ、フレドリックは鏡の前で崩れ落ちた。
「嘘つけ。ククルカンの魔法としては半分しか使ってないだろう。魔力は全く減っていないはずだ」
「甘えを許してはくれないんだね」
「次は甘えて勝てる相手じゃない。いい加減に体調不良のフリをするのも止めろ」
フレドリックは諦めたように笑って、それから強く地面を踏みしめて立ち上がった。
「まだ身体が重いよ」
「逃げるなと言っているんだ」
「ごめん」
「許さない」
ここまで来ると清々しいものがあった。
ノックの音がエルドリアの耳を打つ。
「じゃあ行かなくちゃならないみたいだ」
「待てよ。せめてこれを持っていけ」
鏡の中からキャスケット帽が差し出される。
受け取れるわけがないなどという冷静な思考は、勝手に動いた身体に否定される。
「ありがとう」
「さよならだ。とっとと死んでこい」
黒蛇の子供の言葉は鋭かったが、その表情からは怒りの感情が消え失せていた。
穏やかな心持ちで、子供から手渡されたキャスケット帽を右手に握りしめて、エルドリアは闘技場の舞台へ向かった。
◇
吹き抜けるほどに清々しい蒼天の下、気でもおかしくなってしまうほどに丁寧かつ几帳面に作り上げられた闘技場の中央に、彼女はいた。
相変わらず差別など気にも留めていないようで、その長い黒髪を悠々と揺らし、堂々たる佇まいで、強烈な存在感を放っていた。
まるで世界に空いた穴のよう。黒で全てを塗り潰してしまう。
騒がしいはずの観客も静まり返っていた。それが余りにも不気味。強かったというのならば、盛り上がるはずだ。それなのに会場は唾を飲む音すら聞こえないほどに静かだ。なにをしたらそうなるのか、皆目検討もつかない。
(ハハ、勝てそうにないなぁ…)
「…疲れた様子だな?」
「ええ…少し疲れました」
エルドリアは心の内を少しだけ吐露した。すると、ダブルの顔に少しばかりの驚きが浮かんだ。
「意外だな。あなたはそういう事を弱音として切り捨てそうな気配があったが?」
「そうですね。ですがもう、その必要は無さそうですから」
ダブルが口を開くタイミングで司会が言葉を会場に響かせた。拡声器で増幅された声は容易くダブルの声を塗り潰した。
「間の悪いことだ」
聞こえないことを良いことに、エルドリアは司会進行への悪態をついた。
それ意外にやることもなかったので、エルドリアは黙って司会の話を聞いていると、どうやらダブルたちは一撃で瞬殺して来たらしいことが分かった。
エルドリアはそれをなんとなく想像が出来ていた。どこかの大貴族かと疑わしくなるほどの魔力量を担保にした、理不尽な暴力。それは単純明快であるが故に、絶対的に通ってしまう最強の一手。相手が反応できたとしても、その防御ごと踏み砕いたことが容易に想像できる。
(魔力は消費していなさそうですね……どう対処するべきでしょうか)
色々と初動を考えていると、司会の話が終わって、その代わりに試合開始のカウントダウンが始まった。エルドリアは足を一歩引き、身構えてダブルを見据える。
(なっ…? なにを考えている?)
ダブルは構えることはおろか、アカツキを抜剣することすらしていなかった。そして右手でジェスチャーサインを作っている。
やがて試合開始のゴングが鳴った。
「なにかありましたか?」
ダブルは剣も抜かずに、ただ突っ立っていた。
「いや、なに、勝利を譲るという話は有効かと思ってな」
予想外の出来事にエルドリアは思考が一瞬止まった。
「……いえ、あぁ。そうですね。もちろん構いませんよ。気が変わりましたか?」
「私は訳あって優勝を目指しているだけで、限定的な万能とやらには興味がない。そしてその訳も別に重い理由などではない」
「そうですか。正直助かりましたよ。ありが───」
「少し待ちな! フレドリック。お前の理由を聞かせろ。それ次第だ」
感謝を述べようとすると、横からアカツキが会話に混ざってきた。エルドリアは正直に言うのならこの魔剣が嫌いだった。よりにもよって人核転写の仮面を人助けに使えるなどと言い出し、エルドリアが思わず怒りを向けてしまったというのに、それに気付かずペラペラと話を続け、ヘラヘラと笑い続ける。エルドリアがそれが許せなかった。
「理由とは?」
いつものように内心を殺して笑顔で聞き返しと、今度はアカツキではなく、ダブルが答えた。
「あなたが優勝を目指す理由。限定的な万能を求める理由だ」
「ぶっちゃけ単刀直入に言うんだけどさ、魔道具を探すために使うつもりないだろ」
「…なぜそう思ったのですか?」
「そーだなぁ。例えばの話なんだが、人核転写の仮面で上書きされて消えてしまった人物を、限定的な万能で無理やり元に戻せる。言い方悪いがデータ復元ソフトみたいに使えるとしたらどうだ?」
「話が全く見えませんね。なにが言いたいのでしょうか?」
ダブルがこれ見よがしにタメ息を溢した。
「私は回りくどいことは嫌いなので、はっきり言おう。あなたは人核転写の仮面の犠牲者なのではないか?」
一瞬にして様々な返答が頭に浮かんだ。なにを言うことが最も有益か、そう考えてエルドリアは答えを選んだ。
「はい。そうです。俺は、俺を拾ってくれた恩人を殺して生きている」
そこからは、まるで堰が切れたように、抱えていた物がボロボロと溢れ落ちていく。必死になって取り繕っていた黄金が崩れ始め、メッキが剥がれ落ちる。
そうして黄金の身体。フレドリック・ゴールドが崩れ去ると、そこには黒い蛇のエルドリアが姿を表した。
「あなたの目的は、その身体の持ち主、フレドリックさんを復活させることで間違いないのだな?」
「はい。そうです。ダブルさん。俺は人核転写の仮面によって生きながらえてしまった許されざる存在です」
「事故か?」
「いいえ。故意によるものです。俺が死ぬことをフレドリックさんが許さなかった。それだけの話なんです」
自己犠牲による救済。美しいと呼べるものだろう。当事者でなければ。
「なるほど。あなたがアカツキへ怒りを見せてしまった理由が分かった。良くも悪くも、事実だったのだな。怒って当然だ」
「お願いします。ダブルさん。勝利を譲って頂けませんか? なんとしても俺はフレドリックさんを蘇らせなくてはならないんです。お願いします」
エルドリアはなにもかもを投げ捨てた懇願をした。
「1つ聞くが。エルドリア、あなたはどうなる?」
「1つの身体に2つの意思が同居することはありません。ただ、元に戻るだけです」
「アカツキ、どう思う?」
「コイツさぁ…フレドリックさんに生かされたからって、今までフレドリックって人の真似事してきたんだろ? なんのために生かされたと思ってるんだ? ダブル。お前の娘ちゃんがコイツと同じことしてたらどーおもう?」
「…答えは決まっていたな。はぁ…聞かなければ良かった。アカツキはどうして一言多い?」
ダブルは呆れた様子を見せた後、エルドリアへ向き直った。
「悪いが勝利は譲ってやれんな。あなたはここで負けてくれ」
「そうか。分かりましたよ」
エルドリアが驚くことなくすんなりと戦いを受け入れたのは、元々そのつもりだったからだ。元々勝つためにここに来ている。
「負けるつもりは毛頭ありません」




