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空想拡張現実世界で、最も物理的にも、魔力的にも堅牢な屋敷。
ヤトメイズ家が住まうその屋敷は、白と黒に近い藍色で作り上げられた外壁を持っており、見るものに落ち着きと清純さを印象付ける。
貴族の住まう場所としては遊びが足りないような気もするが、しかしそれが逆に好印象を残すのだ。理由は単純明快。この屋敷が空想拡張現実世界の中に建っているからだ。
吐くほどの娯楽の中に存在する貴族の歴史。その静謐さは、この屋敷にもしっかりと存在しており、荘厳さこそ無いものの、目の肥えた人物には十分な歴史の重みを見せつける。
空想拡張現実世界という熱に流されず、しっかりとした地に足をつけた重みがある。それが分かるものは好印象覚え、分からないものには、控えめな貴族として好感を覚えてもらえる。
この屋敷にはそのような強かさがあった。
その屋敷の中で、ヤトメイズを率いる者にしか使用することが許されない部屋で、2人の男が言葉を交わしていた。
1人はこの空想拡張現実世界の王。クルーズ・ヴェル・ヤトメイズ。青と緑の狭間のような体毛もったフェリオンだ。
もう1人は教会からやってきた高位神官。教会の中でも、5人しか存在しない部長の1人。未来運送部、フレドリック・ゴールド。黄金のコードネームに選ばれた男で、その名に恥じないほどに黄金色を纏っている。
「改めてお尋ねしますが…なんのご用向きでしょうか? 黄金のフレドリックさん」
黄金。フレドリックは、クルーズの落ち着いた声音から、なにも読み取らせはしないという意思を感じた。
「そうですね。単刀直入に申しますと、我々教会は、教会が保有していたとある魔道具が、この都市へ流れたという情報を掴みまして、それの回収と封印を行いに来ました。なにか心当たりはありますか?」
「そうですね。それはどのようなものでしょうか?」
「人を殺す。或いは甦らせる。そのような危険極まる魔道具で、仮面の形をしています」
「なぜ、そのような物がこの都市へ流れたのでしょうか?」
「調査中ですが、現在の所はなにも。クルーズさんに心当たりはありますか?」
フレドリックの問いをクルーズは否定した。フレドリックはその仕草と態度を観察したが、しかしそれが本心なのか見極めることは出来なかった。
(チッ…手間のかかる男だ)
「それにしても、わざわざコードネームを持つ部長の1人が訪ねてくるとは思いませんでしたよ。それほどに危険なものなのですか?」
「えぇ、人を惑わせ、狂わせ、その人生を踏みにじり、冒涜する危険な魔道具です」
タメ息を溢してからクルーズは言った。
「そのような物が空想拡張現実世界に紛れ込んだのですか…催し物の企画が進んでいるというのに、困ったものです」
「催し物ですか?」
単純な好奇心から、フレドリックはその催し物について訊ねた。
「気になりますか? まぁ蓋を開ければ大した物ではないのですが、単純な戦闘競技ですよ。トーナメント形式で参加者が争うルールの殺しあいです」
とっさに、野蛮すぎる。競技として扱っていい物ではない。とフレドリックは考えたが、しかし─────
「あぁ。空想拡張現実世界では死ぬことはないのでしたね」
「はい。その通りです。ですので本気の戦いが見られるというわけです」
娯楽が飽和した空想拡張現実世界らしいと、フレドリックは内心で唾を吐いた。
(殺しあいすら娯楽とはな。それを考えた連中は命に対しての敬意がない)
「なるほど理解しました。ところで、教会とは関係がない個人的な質問があるのですが、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「ありがとうございます。まぁ大したことではないのですが、空想拡張現実世界では死ぬことはないと仰っていますよね。では空想拡張現実世界ではなにを持って死と判断しているのでしょうか? 肉体が激しく損傷した時でしょうか? それとも、精神が崩壊した時でしょうか?」
「その両方ですよ。本人が死ぬと判断した時には、強制的にホテルのベッドに送還します。また死を判断できない突発的な事故などは、そのダメージを無効化し、同じようにホテルへと送還します」
「分かりました。しかし死ぬと分かったときに送還されるのであれば、企画されている戦闘競技では、肝心な所で参加者が消えるという問題が発生するのではありませんか?」
「そこは例外として死の条件を緩めます。具体的には相手の攻撃が致命傷にならない限りは送還されないようにします」
「融通が効くのですね。参加者などは決まっているのでしょうか? 戦いなれていない素人に武器を持たせるのは…少々悪趣味ですよ?」
フレドリックは、この企画を計画した人物の性根を憂いた。もし、企画者の性格が終わっていて、武器も持てぬ素人に剣を持たせ、人を攻撃させることを強制するのならば、この企画はあまりにも悪趣味極まるものになるからだ。
「どうかご安心を。参加者は実戦経験がある者に限りますので。あくまで競技として成り立つように、凄惨な結果に至るような計画の穴は入念に潰しておりますよ」
「そうですか、安心しました。この空想拡張現実世界で、見るに耐えない催し物が行われてしまえば、この楽園は途端に人の悪が蔓延すると憂いていたので。楽園は楽園でいて欲しいものです」
「ええ、その点はヤトメイズの血統と共に引き継がれてきた警鐘ですので、これまで通りに、これからも、空想拡張現実世界は悪にも欲にも溺れませんよ」
「そうですか。そういえば肝心なことを聞き忘れていました。戦闘競技の優勝者には何が与えられるのですか?」
戦闘慣れしている人物を集めたいならば、景品は戦闘行為を行うような存在が求めるもののはずだ。そうフレドリックは考えていたが、クルーズが口にしたのは予想外の物品だった。
「限定的な万能です」
「限定的な万能?」
なにを言っているのか理解できず、フレドリックはついオウム返しをしてしまった。
「はい。この空想拡張現実世界は私たちヤトメイズ家の魔法によって成り立っています。つまり私たちは空想拡張現実世界の中では極めて万能に近い力を持っています。その力の一端を優勝者に授けようということです」
「それは…もし優勝者が悪人であれば、空想拡張現実世界に致命的な問題が起こり得るのではありませんか?」
「それは考慮していますのでご安心ください。空想拡張現実世界を壊させるような真似は出来ないように制限を掛けます。だからこそ、限定的な万能なのですよ」
クルーズは副賞で賞金も出ると付け加えた。しかしフレドリックの耳には入ることはなかった。それよりも聞きたいことがあったからだ。
「その限定的な万能というのはどこまでの力を振るえるのですか?」
「制限内であればどこまでも、流石に永続する願いは不可能ですが」
「…それは例えば、人格の上書きを受けた人物の、上書きされて消えた人格を戻すことも可能でしょうか?」
空気が張り詰めた。無数の針に突き刺されるように、フレドリックにクルーズの鋭い視線が突き刺さる。
少しの間を置いてから、クルーズはフレドリックの問いに簡潔に答えた。
「…可能だと思います」
「そうですか、ありがとうございます。質問は以上です。それと、ここからはただのお願いなのですが、その戦闘競技に私も参加させて頂くことは可能でしょうか? 少しその限定的な万能に興味が湧きました」
クルーズは笑顔で口を開いた。
「教会の、特に未来運送部の部長である貴方にこのようなことをさせるわけにはいきませんよ」
「ただのフレドリックとしてなら可能なのですね? そしてそれによって起こり得る全ての問題は、私が責任を持って対処させていただきます」
「…戦えるのですか?」
「もちろんです。私は見ての通りに希少種族、ククルカンの血を引いているのでその魔法があります。黄金のコードネームはハリボテではありません」
「そうですか、分かりました。参加者に加えておきます」
人当たりの良い笑顔を浮かべたクルーズをフレドリックは警戒しつつも、すでに心は別の所に向いていた。
(もし、その万能が過去に消えた人物を甦らせることが出来るなら…)
「ありがとうございます。それと、空想拡張現実世界で私たち教会の者が魔道具の捜索を行う権利を頂けないでしょうか?」
「でしたら空想拡張現実世界の警察機構である、防罪庁と連携をとれるように計らいましょう。問題はありませんよね?」
フレドリックは教会の者共に好き勝手はさせないつもりなのだろうと、クルーズの意図を察したが、残念ながら断れる立場にない。
「ええ、ありがとうございます」
誠意に見せかけた首輪をくくるしかなかった。
(全く…厄介なことになった)
突然見えた希望により増えたタスクは、ハードスケジュールになる予感をフレドリックにひしひしと感じさせた。
それからフレドリックは屋敷から退出し、安息の息を漏らす。きつい山場を1つ乗り越えた、いや、これからその山場に上る許可を得ただけだが、しかし緊張感から解放されたのは事実だ。いかに黄金という役職に居たとしても、部長という責任を持っているとしても、人間としての気が緩むことは当たり前なのだ。
しかしそれも一瞬のことだった。フレドリックという人物は隙や休息を人には見せない。見せてはらならないからだ。
「ふう…さて、ここにあるのならば必ず探しださなくては」
次の目的、上るべき山場に向けてフレドリックは歩き始めた。
問題の魔道具、人核転写の仮面。それの捜索と回収。それが黄金に与えられた任務であり、成すべきことである。しかし今回、彼はその魔道具を回収するつもりなど無かった。
彼の目的は1つ。その魔道具の完全破壊だ。本来、それは許されざることであるが、しかしその意思が覆ることは決してない。
黄金の贋作は2度と同じ過ちを許すつもりはなかった。
◇
目に眩しい黄金の神官が退出した後、部屋には重い沈黙と強い心労が残った。
クルーズは体に残るその重さを息と共に吐き出すが、しかし部屋の空気の全てにその重さが残っているため、結局はその重さを取り込んでしまう。
あの神官、フレドリックとの交渉は何一つ間違った手を打ってはいない。空想拡張現実世界に人核転写の仮面がある確信など何一つ与えてなどいないはずだ。それなのに、クルーズはあのフレドリックから強い意思を感じ取った。
絶対に見つけ出してやると言わんばかりの力強さ。
「はぁ…教会とは敵対できませんし……勘違いだと去っていってくれるのが一番良いのですが…」
それは不可能なことだと、考えなくともクルーズには分かっていた。
あの神官は絶対に、この空想拡張現実世界をひっくり返してでも人核転写の仮面を見つけ出す。そんな確信があった。
(はぁ…それにしても、神官の捜索行動に首輪をつけることには成功しましたが、肝心なフレドリックさんには枷をつけることが出来ませんでしたね。全く…戦闘競技に参加するなどと……まさかそれも計算ずく?)
限定的な万能にやたら食い付いて来たのも、もしかしたらそれを捜索に使うことを思い付いたからなのか。
考えても答えはでない。
しかしどちらにせよ、クルーズは絶対に人核転写の仮面を渡すつもりはなかった。
(どんな手を使ってでも、あの魔道具は誰にも渡さない。あれは唯一の希望なのですから)
例え、無関係な人を殺してでも、例え空想拡張現実世界の評判が下がろうとも、死後に先祖や血縁者から後ろ指を指さされても、裏切り者として断罪されようとも、この身の全てを犠牲にしても、守るべき者を傷つけるとしても、クルーズは絶対にその意思を覆すことしない。
「弱気になって勝てるものはありませんね」
もう一度短く息を吐き出すと、クルーズは強い意思によって再度武装した。
すると丁度そのタイミングで、少しだけ勢いのあるノックの音が部屋に響いた。音の感覚と強さから、かなりの案件だとクルーズは察した。
(やれやれ、気の休まる時間もありませんね)
「どうぞ」
許可を得て入ってきたのはクルーズの第一秘書であるフェリオンの女性だ。メガネをかけ、どんな物事にも動揺しない強い心を持っているクールな人物だが、珍しく焦った表情を浮かべていた。
「クルーズ様。レリーズ様が何者かに襲撃されました」
「は?」
普段動じない秘書が焦っているもの珍しさを、おもしろ半分で眺めていたクルーズの思考が、その一言で完全に停止した。
「な、なにものですか!」
「現在調査中です。レリーズ様にもお聞きしましたが、分からないとのことです」
クルーズはすぐそこにあるソファーに崩れ落ちるように腰かけた。
思考が乱雑に行き交い、統制がとれなくなっている。クルーズは何とかしてその状況を素早く飲み込み、物事の優先順位を改めて作り上げた。
「妹は無事なんですね?」
「はい。問題ありません。ただ…良く分からない存在を握りしめています」
「良く分からない存在?」
この秘書にしては珍しく情報の正確性が低い。だが、それだけ急いで来たのだと理解できるため、特にクルーズに叱責の気持ちはない。むしろ最優先で妹の無事を確保し、それを伝えに来たことに好感すら覚える。
「喋る魔剣のアカツキという人物? だとレリーズ様は仰っています」
剣が言葉を喋り、自分は人間だと吹聴している。その事実を確認したクルーズは、確かに秘書のいう通りだと感じた。
「確かに良く分からない存在ですね。害はありますか?」
「今のところはありません。どこで手に入れたのかにつきましては、ダブルという人物から預かっているとのことでした」
クルーズが冷静さを取り戻すと、つられて秘書も落ち着きを見せ始めた。クルーズが欲しがるであろう情報を、まるで心を読んだかのように提供してくる。
「ダブルという人物は呼びつけているのですよね? 私が直接話をします。その間、貴女は事件の詳細を調べていて下さい」
いつものように、いやいつもよりもテキパキと物事が進み始めた。
秘書が退出してから数分後、少し慣れていないようなノックの音がクルーズの耳に届いた。
「どうぞ」
扉の向こうからは、いったいどんな人が現れるのか、クルーズは強い好奇心と警戒心を同居させた心情を持って備えた。
やがて扉が押し開かれ、その人物が外から部屋に入ってくる。
(男…? いや、女か)
不吉と凶兆を煮詰めたような黒髪を、これ見よがしに長く伸ばしてる女性。その青い瞳には、絶対的捕食者が持つ鋭さがあった。
その眼光に睨まれ、クルーズは強く意思を持ち直すべきだと、心の中にある余裕を捨てた。ダブルを明確に敵として認識し、意識を切り替える。
「はじめまして。貴女がダブルさんで間違いありませんね?」
「そうだ。それと早速で悪いが1つ聞きたい。レリーズは無事だろうか?」
クルーズはレリーズの状態をこのギーツに言うべきか迷った。しかし空想拡張現実世界の中では、死が無効化されることは周知の事実だ。嘘をつくことは出来ない。そしてその質問に答えないという選択肢は、明確に敵対していると言うようなものである。その場合、目の前のギーツが暴力的な手段を取らない保証はない。
「ええ、今のところは何の問題もありません」
「そうか」
安心した様子どころか、感情の動きすらないような、素っ気ない返事だった。
(分からない。敵なのか? 味方…ではない)
どちらとも言えない。ダブルのグレーな立ち位置は、ギーツの黒髪によってやや黒よりの判定を下された。
それからクルーズは慎重に慎重を重ねつつ、ダブルから情報を聞き出した。
その話は真摯であったが、ことの起こりから終わりまで、全てを話してくれた訳ではないと、クルーズはなんとなく直感的に理解した。
(なにかを隠している。レリーズ関係?)
立場が不透明な存在を手元に置いておきたくはないが、しかしダブルから溢れでる歴戦の戦士として気配がレリーズを大いに迷わせた。
(ほどよい距離感に居てもらう方がいいか)
敵でも、味方でもない立ち位置にダブルを押し込めようとして、そこでレリーズは閃いた。
「ダブルさん。貴女は現在企画している戦闘競技に参加して貰いますがよろしいですか?」
「なぜ?」
「正直に申し上げますと、私は貴女を信用しきれません。そのためここで貴女を解放することは出来ません。しかしお客様である貴女を捕らえ続けることもしたくありません。ですので、この企画に参加して貰うことで貴女を監視下に置きたいのです」
「…なるほど制限をつけたいのだな? 私が逃亡することを危惧して。ふむ、拒否権は無さそうだな。好きにしてくれ。ただ、1つだけ頼みがある」
「なんでしょうか」
「アカツキを返して欲しい。アレは私の友人であると共に武器でもある」
どんなお願いをされるのかと、クルーズは内心警戒していたが、レリーズが持っているらしき喋る魔剣の返却を求められただけだった。
そのことに安堵し、クルーズはダブルへ了解の意を返した。
「感謝する。それと、なにか私に出来ることはないだろうか? アカツキにとっても私にとってもレリーズは友人だ。案内してくれた恩には報いたい」
「分かりました。でしたらなおのこと、貴女はこの戦闘競技に参加するべきですね。今回私の妹を襲った人物の目的が、この空想拡張現実世界を害することであったなら、きっとこの戦闘競技に参加すると思いますから」
「なぜそう言いきれる?」
「この戦闘競技の優勝賞品が、この空想拡張現実世界での限定的な万能だからですよ」
クルーズは神官に説明したことをダブルにも説明した。
「なるほど、意味は分かった。しかしその限定的な万能が空想拡張現実世界を害することが出来ないのならば、犯人が参加することはないのではないか?」
「限定的な万能で空想拡張現実世界を害することが出来ないという事実を伏せて発表してしまえばいいのですよ」
「確かに、それならば優勝されても、そんな願いを叶えようとした途端に捕らえれば良いからな。しかしそうなると私が参加して勝ち上がることは好ましくないのではないか?」
「いいえ、貴女は犯人を見ている。戦いの中で犯人を見つけることが出来るかもしれません。なので貴女には、この戦いに参加しつつ、同時に捜査も行って欲しいのです」
「もし私が犯人を見つけられずに優勝してしまったらどうする?」
「別に問題ありませんよ。貴女の身の潔白をそれまでに証明しますので」
「どうやって?」
「この都市の警察機構である防罪庁から1人選りすぐりの保安官を貴女に付けます」
「監視役か」
「そうでもありますが、協力者でもあります」
「敵対的ではないのならば、気が楽だな。助かる」
「こちらこそ。ではこれからアカツキさんの返却と保安官との面会を済ませます。別室に案内しますので、しばし待機してください」
クルーズは執事を呼び出し、ダブルを一等応接間へ案内させた。
そうしてクルーズの部屋に再び静寂が訪れた。
(これで、あの目障りな神官が優勝する確率を下げることが出来る)
思わず握り拳を作りたくなるほどに上手くいったと、クルーズはほくそ笑んだ。危ない気配を放つギーツに監視を付けつつ、妹を襲った犯人の捜索をして貰い。ついでに神官の優勝を妨害する。
「さて、妹を傷つけた者を探し出さなくてはなりませんね」
レリーズを守り、魔道具も隠し通す。やるべきことは単純だが、その難易度は高かった。
だがクルーズは兄として、妹を傷付けるもの全てを許すつもりはなかった。そこに自分自身が含まれていても。




