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フロントから預かった鍵が示した部屋番号は、34377という他のホテルでは聞くことがない番号だった。
「いや~。入場許されて良かった~。ところでさ、俺たちがこのホテルに入った時はお昼過ぎぐらいだったよな?」
「あぁ。1時半ぐらいだろう」
「だよな。いや~しかしなんでだろうな? そこに壁掛けられてる時計がさ、バカみたいな時間を指してるんだけど、あれって壊れてるのかな?」
ダブル達は通路の分岐点である踊り場にいた。
その踊り場は単なる通り道という訳ではなく、寛ぐことを想定されているらしく大きなソファーや、マッサージチェアなどが設置されていた。
「どうやらアレは壊れていないらしい。私の時計と時間はあっている」
ダブルは踊り場の壁で時を刻む針と自分の持つ懐中時計の針が一致していることを確認した。
「ふーざーけーるーな! やっぱり迷子じゃないか! 何時間だ…もう6時間もホテルの中を彷徨ってるぞ!! アホか!」
「まだ5時間半だ」
「今が7時ってことには変わんねーし! 迷子ってことにも変わりはねぇ!」
ダブルとアカツキはホテルの中で自分の所在地を見失っていた。
「まぁ落ち着け、直ぐそこが34300だ。77番を探すだけだ」
「ぐぉぉぉぉ……気が狂う…ッ!」
ホテルの中はあまりにも変化がなく、感覚で歩いた人物全てを彷徨わせる。
このホテルの中を地図なしで進むことは、広大な砂漠をなんのサポートも受けずに歩くことと同義であるが、しかしここがホテルという場所であるため、その事実に気付くことはない。
「さすが観光都市。ホテルの中すらもしっかり見て進まなくてはならないようだ」
「もうなんでも良いから早くしてくれ…」
アカツキの気力を磨り減らし、ようやく部屋にたどり着く頃には、時計は無慈悲に7時半を告げた。
「イヤッホーー! やっと! やっと! 空想拡張現実世界に入れる! ヤッター!」
部屋に入るや否や、アカツキは唐突に叫びだし、磨り減った元気を取り戻した。
「うるさいぞアカツキ」
「叫ばずにいられるか! こんな訳の分からん迷子タイムがやっと終わったんだぞ!」
「だからなんだ。私は既につかれた。あまりはしゃぐな」
「疲れたのはお前が悪いだろ」
ダブルは気分が酷く落ち込んだ。肉体的にも精神的にも疲れているのに、それら全ては自業自得だと突きつけられれば気も滅入る。真実だとしても、いや、真実だからこそ黙っていてほしい。
「はぁ…ポンコツが」
ダブルが腰からアカツキを外し、持ってきた鞄から寝巻きを取り出した。
「は? まてまて何をしようとしている?」
「シャワーだが?」
「シャワーを浴びてから外に出るのか?」
「なにを言っている? シャワーを浴びたら後は寝るだけだが?」
「…は? なにを言っている? 夕食は? つーかここは観光都市だぞ? 夜が本番って説明聞いてた? これからが最も賑やかなんだって。聞いてた?」
もちろんその話をダブルは覚えている。しかし──
「私は疲れた。明日にしろ」
「いや、それはお前が悪いじゃん。俺は空想拡張現実世界に入りたいんだけど?」
「そうだな。私が悪いな。悪者は責任を取って寝ることにするよ」
「ごめんごめんごめん! 怒ってるのは分かったからごめんって!」
「私は怒ってない。疲れているだけだ」
ダブルは有無を言わせないほどにキッパリとした声音で断言した。
「うぐ…夕食は? 夕食はどうする? お腹すかないのか?」
「1食抜いても問題ない」
「いやいやいーや! 美味しいご飯を食べるって約束だろ! そもそも遊ぶために、楽しむためにここに来たんだ! 寝るなんて…せめてご飯を食べよう! な?」
アカツキがそう捲し立てた。ダブルはそれでも押し切って寝てもいいかと考えていたが、しかしそれをするとアカツキがうるさく、面倒くさく拗ねると確信した。
「夕食を食べたら寝るぞ」
「ヤッター! ありがとう! ごめんね!」
「もういい。いちいち謝るな」
タメ息と共にダブルはアカツキを腰に戻した。
「で、この鍵で開くんだったか」
「鍵なくしたら帰れなくなるから気を付けてって言ってたよな。ホテルの受付の人」
「まぁ内ポケットに入れておけば問題はないはずだ」
ダブルは部屋から出るためにドアの前にたった。しかしそのドアはこの部屋に入ってきたドアでない、もう1つの別の出入口だ。空想拡張現実世界へ入るためのドアにダブルは手を掛け、ドアを開いた。
瞬間、ネオンの光がダブルたちを襲った。
「うおっ眩しっ」
ダブルはしばらく光を手で遮っていたが、しばらくしてその光に目が慣れてきた。
「ほう。なるほど確かにデタラメだ」
空には建物がフワフワと浮かんでおり、同じく浮遊しているキングサイズのベッドほどの大きさのトランプカードに人が乗って移動している。
遠くにはその大きなトランプカードで出来たトランプタワーが逆さに立っている。
全くもって現実味がないかと言うとそうではなく、ビル群の中にそうした建物や物が存在しているため、現実の上から空想の書き足しがされたようだ。
ビルの側面から生えている噴水や、ビルと並ぶ超巨大なソファー、空を回遊する白鯨。もしそれらが存在しなかったなら、この空間はどこにでもありふれたビル群が並ぶ都市の姿を見せるだろう。
「なあ早く行こう! めっっっちゃ面白そう」
アカツキの期待に満ちた声を耳にして、ダブルは未知の上塗りがされた世界に一歩踏み出した。
「空想拡張現実世界という名前に偽りはないな」
周囲に目を向けながら、ダブルはそう口にした。
「テーマパークに来たみたいだ。つーか事実そうなんだろうな。強制的に触ることができるARを見せられている感覚か? いや~スゲー異世界感あるわ~。サイコー」
なにやら満足そうなアカツキの声を聞き、ダブルは少しだけ不安を感じていた心を落ち着けた。
(満足してくれたようだな…)
空想拡張現実世界は人の往来こそ非常に激しいものがあったが、しかし空飛ぶトランプカードのお陰か、人の数に比べてそこまで息苦しくはなかった。
「空も使えるってのは画期的だな。人の群れに潰されねーし、テーマパークでパーソナルスペースを確保できるってのはスゲーよ」
「乗ってみるか?」
「いいね! 魔法の絨毯トランプカードバージョン。乗り心地はどんなもんか気になるし────ダブル!後ろ!」
アカツキは突如として、危機感を多分に含んだ声音を発した。
それによりダブルの意識が臨戦態勢に切り替わる。
アカツキの言葉を耳にした瞬間に、ダブルは無駄を極限まで排除した動きで後ろを振り向いた。
そこにあったのは巨大な影。頭上から降ってくる正体不明の巨大な物体。
あまりにも大きすぎて、視界にそれの全体像が収まらない。しかしそれがいったいなんなのか分からないが、この場にいることはよろしくないと判断したダブルは、すぐさま辺りを一瞥し、人とぶつからない方向へ飛び、その巨大な質量の影から抜け出した。
それからすぐにその影の持ち主へ目を向けた。
近すぎるため相変わらず全体像が視界に収まらないが、文字通りに上から下、頭から足先まで首を動かしてそれを見た。
「巨人…?」
「デッケー人間!」
白いスーツを着た1つ目の巨人が満面の笑みを浮かべていた。
「これも…空想なのか? 危ないだろう?」
ダブルの感想に、クスリとした笑い声が返ってきた。
「そこのギーツさん。もしかしてこの都市へ初めて訪れましたか?」
左斜め後ろへ振り返ると、そこには歳は20を越えていないと判断できる緑と青の境目の毛をもった少女のフェリオンが微笑んでいた。
ダブルはその笑顔に恥ずかしさを覚えた。
なぜなら巨人はそのまま通りを歩き去っていくのに、それに踏まれる者はいるが、潰されたものはおらず、その巨人に驚く人もいなかったからだ。
つまりあの巨人は触れることの出来ない物であり、この都市の演出で、避ける必要のない物。それを必死に回避するのは、この都市を知っている人からすればおかしい行動なのだ。
それを理解した故に、ダブルは目の前の少女に笑われていることに気付いた。
「あぁ、初めて来た。常識があまり通用しない場所だが、あなたは随分と慣れているように見える」
するとその少女はニッコリと笑った。
「私はここで生まれ育ったのですよ。それで…1つ質問しても良いでしょうか?」
控えめな態度をしつつも、好奇心を押さえられないというような気配を感じさせる少女に拒絶の言葉を告げることが出来ずに、ダブルは許可をだした。
「あの…その…誰とお話していたのですか? 先ほど、ギーツさんとは違う声が聞こえたのですけれど……」
ダブルは思案した。正直認めたくないが、アカツキという喋る魔剣の価値は非常に高い。なにせ他にあると聞いた覚えはない。そのため世界に1本しか存在しないはずだ。
(アカツキの情報はあまり話したくないのだが……)
「おっす初めまして、俺はアカツキ。よろしく」
ダブルは自分の憂慮を1秒でゴミに変えたアカツキに、呆れと失望の入り交じった感情を持った。
「え?」
声の主を探してキョロキョロと辺りを見回す少女に、ダブルは腰の剣を見せつけた。
「コイツだ」
「喋る魔剣のアカツキでーす!」
少女は驚きの感情に振り回されているようだった。
「喋る…魔剣? 初めて知りました。そんな物があったなんて……」
「あまり口外しないで貰えるか? 見ての通りに希少だ」
ダブルの憂慮に少女は頷いた。
「はい。分かりました。確かに危ないですからね。決して口外しないと約束します」
「ありがとう。それでは」
ダブルは少女から離れようとしたが、しかし少女はそれを引き留めた。
「待ってください。その、もしよろしければ、一緒に見て回りませんか? 私はこの都市の住人ですから、楽しむコツを知っていますよ?」
ダブルは遠慮したかった。話してみた感じでは、少女は決して悪い人間ではない。だからこそ、ダブルは少女と共に遊ぶと、やがて自分の異能力が暴走するのではないかと危惧していたのだ。
「…悪いが遠慮────」
空腹感を告げる間抜けな音がダブルの意思を遮った。
少女はクスリと上品に笑った。
「時間も時間ですからね。どうでしょう美味しい店の案内人は?」
「…」
ダブルはそれを良とも言えず口ごもっていると、アカツキが静かに告げた。
「なぁダブル。1日ぐらいでヤバかったらレオンはとっくに死んでるぞ?」
殺意は押さえつけることが出来る。しかしつい、うっかりといった物が絶対にないと誰が言いきれるだろうか。
(恐れすぎているのか? しかしその過ちは絶対に許されない)
ウンウンと考えていると、アカツキがトドメの一言を放った。
「この都市なら死すらも無効化出来るんだ。大丈夫だって。怯えすぎるとなにも出来なくなるぞ」
「……わかった。良いだろう。1日限りだがよろしく頼む」
たった1日だけ、しかしそれでも目の前の少女は大輪の花を思わせる格別な笑顔を浮かべた。
「自己紹介がまだでしたね。私の名前はレリーズ。レリーズ・ヴェル・ヤトメイズです」
その笑顔から繰り出された名前は、まさに特別。死すら無効化してしまう名だった。




