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ダブルテイル・ブラックウルフ  作者: 甘味感
1章 迷い狼
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 その都市は大都市とは言えずとも、それなりに栄えた都市である。


 名の知れた建築家が建てた幾何学的な図形を用いたバランスの取れた建物が、新たな流行に沿って変わり行く建築様式の訪れを知らせてくれる。


 それはシンプルを追求しつつも、ガラスの美しさを際立たせたり、建物を対称的に作り上げたりして、バランスや調和と呼ばれるような概念を建築の中に持ち込んでいる。


 そんなガラスとバランスの街を魔道具の明かりが照らし、夜暗を彩る。


 そんな華やかな光に刺されながら、彼女は街の隅を目指して歩いていた。


 見るもの全てを魅了してやまない色とりどりの美しいステンドグラスは、しかし決して彼女の心までは届くことはない。


 彼女は都市の全てを拒絶して歩き、やがて街の外周にたどり着いた。


 そこは墓地。その場所を彩るものはなにもない。


 ただ、冷たい墓石が等間隔に並んでいるだけ。


 そんな死の群れを掻き分け進み、やがて彼女は1つの墓石の前で歩みを止めた。


 そしてその墓石に刻まれた文字を悲しげに、眺めるように読んだ。


 名前はリースリート。種族は狼の耳と尻尾を持っている黒のビークス、ギーツ。歳は12。


 愛称はリリィ。3年前に彼女が拾い育てた。


 リリィはギーツの種族的特徴である黒髪をショートカットにしており、彼女の青い目とは異なる緑色の瞳を持っていた。


 彼女と娘に血の繋がりはない。共通点は種族が同じであるという点のみだ。しかし確かに親子であった。


 墓石の前で思い出に項垂れていると、夜空から雫がポツポツと降りてきた。


 次第にその雨足は強くなっていく。それは彼女の長い黒髪と尻尾、耳に重くのし掛かり、萎れさせていく。


 とめどなく押し寄せてくる後悔が、鋭い痛みとなってのし掛かり、彼女の心を磨り潰していく。


 彼女は自らの手を目前に持ってくる。そこには娘を殺めた感触がベッタリと残っていた。それは目には見えず、触れることすら出来ない。だからこそ拭いきれない。


 広げた手のひらに雨水が貯まっては弾けて、また貯まっては弾ける。しかし徐々に雨が手のひらの中で湖を作り上げた。


 その小さな水面に雨水がぶつかり、弾け飛んだ時。


 彼女の頭上から雨が消えた。


「……なんのつもりだ」


 彼女に傘を差した男は、どこか怒りを滲ませながら言った。


「俺のセリフだ。なにをしている」


 彼女は振り返ることなく突き放す言葉を重ねる。


「呼んでいない筈だが?」


「呼ばれないと来てはいけないのか?」


「私の娘だ。貴様には関係がない」


「3年も話をしたというのに、関係がないとお前は言うのか?」


 彼女は男の話を聞きながらも、墓石から片時も目を離さずにいた。リリィはそこで冷たい雨に打たれているというのに、自分は傘の下にいて良いものだろうか。


「消えろ。レオンコート」


「なら、傘────」


 彼女は振り返ると即座に、レオンコートの腹部へ回し蹴りをお見舞いした。


 レオンコートは墓地を転がり、持っていた傘は飛んでいった。


 曇天の下で荒い呼吸を吐き出しながら、レオンコートは腹部を押さえて蹲る。


 その姿を彼女は見下し、それからリリィの墓石に背を向けた。


 薄暗い墓地から抜け出て都市の出口へ向かう。すると夜に咲く花のように都市の彩りが夜の黒を遠ざけていくのを感じた。


 彼女の黒髪が嫌に目立った。


(雨の中で傘も差さずにいるギーツなど、目立つのは当然か)


 黒のビークス。恐ろしきギーツ。それが雨のなかでずぶ濡れになっている。しかしどこか頼りない雰囲気とは無縁の顔で。それはまるで獲物を求めているような鋭さを持って歩いている。


 街中で猛獣に出会うようなものだ。それに話し掛けるような勇者はいない。


 ある人物は距離をおき、遠巻きに彼女の様子を注視している。


 ある人物はそそくさとその場を離れる。


 ほとんどの人物、いや全ての人物が彼女を危険視している。


 しかし彼女はなにかを仕出かすような危険な香りを漂わせつつも、その無遠慮な視線に興味を示すことはなく。まるで無人の野を行くがごとく、割れた人の群れの中心を歩いていた。


 もうこの都市に残る理由もなければ、帰る場所もない。


 借りていた家は引き払った。大切な娘はもう目覚めることはない。数少ない知人は今さっき蹴り飛ばした。


 彼女は娘を失った時。同時に全てを失ったのだ。


 心にポッカリと空いた穴は雨を素通りさせる。


 ─────死ぬか。


 無感情に、ただ1つの結末を目指して彼女は歩を進める。


 街並みは初めにこの都市にきた3年前よりきらびやかだが、それでも昔から通っていた飲食店などは消えてはいない。


 彼女は店の中でバーガーをモリモリと頬張っているリリィの姿を幻視する。


 ケチャップが溢れると気を揉んだことを覚えている。


 ─────進め。


 夜ということもあり閉まっていたが、果物屋を見つけた。


 リリィはなんでもかんでも美味しいと口にしていたが、特にリンゴを好んでいたことを思い出す。


 子供らしく甘いものが好きなようで、カットしたリンゴにハチミツを垂らした物を心底美味しそうに口にしていた。


 一口サイズに切ったバナナにチョコレートをかけた物も好んでいた。


 ────────振り返るな。


 やがて骨董品などを扱う胡散臭い店が見えた。客足はほとんどなく、それを見る度に、よくも潰れないものだと彼女は思っていた。


 埃っぽい店。リリィはその店が好きだった。物珍しいものが多く陳列されているからだろう。


 そこで妙な装飾が施されたスプーンを大層気に入り、可愛く控えめにねだったことを思い出す。あの頃はまだ少しだけ遠慮があった。


 ───────────その資格はない。


 服屋が見えた。この都市で最も大きな服屋であり、リリィの服を購入したことを思い出す。


 引き取ったばかりの頃はまるで着せ替え人形のようにあまり自我を出してはいなかったが、やがて年月が過ぎると可愛く悩みだし、彼女にどちらが良いかと何度も何度も繰り返し聞いてきた。


 母親に語りかけるような様子で。嬉しそうに。楽しそうに。


 ──────────────もう戻れない。


 なんの変哲もない道すらも思い出があった。


 引き取ったばかりの頃は手も繋がずに会話もなかった。それがやがて手を繋ぎ、会話が増えて、それから抱き上げた。


 最終的には彼女の前を楽しそうに駆け出して、笑っていた。


 12歳の小さな子供。よく覚えている。


 雨のせいか、目の前がボヤけて覚束ない。


 ──────────────────────進むべきだ。


 ようやく都市の出入口に、外壁に近寄れた。


 彼女はそこで立ち止まった。そして振り返りたいという強い衝動に襲われる。その衝動を無理矢理に理性で押さえつけた。


 振り返ってはいけない。そうなればきっと、苦しむことになる。


 しかしそれでも彼女は振り返ることを止められなかった。


 色々な思い出が幻視する。それに付随するように笑い声が響く。それらはあの日の残響。かつてあった、今はもうない過去の残滓。


 美しい思い出が都合よくリフレインしているだけ。


 そう、都合よく壊れたように繰り返しているだけ。


 リリィは死んだ。この記憶にはなんの価値もない………とは思いきれなかった。言い切れなかった。捨てきれなかった。


 だから彼女は振り返ってしまった。


 彼女にとってそれは、なによりも重く大切なものだった。


 視線を上に向けると街の中心近くに聳え立つ時計塔が見える。


 雨のなかで天を貫くように悠然とそこにある。


 あの時計塔が建てられたのは2年前である。新しい時計塔として見映えも良いが、観覧するための場所が作られており一般開放されている。


 建てられた当初にリリィを連れて観覧したことを覚えている。


 高い場所から見たこの都市にキラキラとした目を向けていた。あの時の無邪気な顔と目の輝きは彼女の中に深く刻まれている。思えばそれから急激に仲良くなったことを思い出す。


「あ……ぁ」


 彼女はその思い出に手を伸ばそうとして、やめた。


 それから手を握りしめてこの都市に背を向ける。


 乗り込んだ自分の魔動車に魔力を流し込み、急ぐでも、のんびりでもない速度で都市から遠ざかる。


 西へ、とにかく西へ進む。


 最も海が近い方向を目指して進む。


 やがて都市が見えなくなるほど進むと彼女は急激に寒さを感じた。


 それは物理的なものでもあったが精神的なものでもあった。


 どうしようもない感傷と孤独感。そして死への恐れ。


 彼女は車内温度をコントロールする魔道具を起動することはしなかった。この意味のない冷たさに心と体を預けていた。


 凍てついた心は暖かな記憶を閉じ込めておくには最適だったからだ。


 4時間の運転の末に、心ここに非ずな面持ちで彼女は魔動車への魔力供給を切り車内から外に出た。


 崖。


 崖の下からは荒れた波がぶつかり、飛沫をあげている音がする。目の前には1本の木が寂しげに海風に当てられて不気味に、不規則に揺れている。


 彼女は崖の先、海の向こう側に視線を投げた。


 どこまでも、どこまでも暗く、分厚い雲が途切れることなく続いている。それを眺めていると遠くのほうで稲光がした。


 彼女の耳がその雷を知覚したとき、全てを悟った。


 ─────これで終わりだ。


 崖の先に向けて歩を進める。


「神は御心のまま、我々の行く末を指し示すだろう」


 1人の男の声が聞こえた。


「誰だ?」


 彼女は振り返り、その人物を視界に捉えた。


 薄茶色の短髪に同じく薄茶色の瞳。耳は少しだけ上向きに尖っており、その外見が男が森のヒューニー、エルフであることを教えてくれる。


 ゆったりとしていながら、しかしキッチリとした礼服。神官だけが纏うことを許されるローブである。そのローブの袖口には高位神官を示す5本のラインが走っている。その色は赤。


「珍しいな。エルフで公平のオルフェア(血の女神)を信仰する高位神官とは。何用だ?」


 エルフは恭しい礼を彼女に向けた。


「失礼。警戒をさせてしまったのであればどうか不問とされたい。我はうぬを害する意図などない」


「そうか、であれば去るが良い。いかに公平のオルフェアに仕える高位神官といえども、私の邪魔をする権利はない」


「そうか、しかし我は神官であるゆえに、うぬの言葉を聞き届けねばならない。懺悔の神殿を開くこと、これを許したまえ」


「高位神官らしく、えらく尊大だな。自らを神の使徒であると本気で信じているのか? それであるならば失せろ。私に神は不要だ」


「我にはうぬが必要だ。故に言葉がいる。その氷結した心を溶き、我の言葉に僅かばかり耳を貸したまえ」


「ふん。余りにもしつこく厚かましいな。喋りたいのなら勝手に喋ると良い」


「好意に感謝を」


 高位神官の癖に皮肉を口にしたそのエルフに彼女は興味を引かれた。


 黙って言葉を待っていると、やがてそのエルフが口を開いた。しかしそれはあまりにも、あまりにも神官とした逸脱した言葉であり、場所によっては不心得ものと怒鳴られ、殺されても文句の言えないものだった。


「我々はみな、誰に理解されずとも自らの道を見つけることができる。それは善であり、悪であり、言葉に尽くせぬほどに様々であろう。しかし神は悪を許容しない。いずれ辿り着く楽園には、敬虔な善人しか許されないと言う。もし神がたった1度の過ちすらも許さぬと言うのならば、神が我々の我々だけの歩む道を狭めるというのであれば、我は神さえも薪にくべよう」


 遠く、海の先で雷が落ち、その轟音が彼女とエルフの間に響いた。


「なにが、言いたい?」


「我々は過ちを犯す生き物だ。だというのに、神はそれを赦さない。過ちこそが人の本質であるというのに、それを否定する。人が許せるものしか赦さない」


 エルフは天を見上げる。


 彼女はエルフのその姿に、途轍もない激怒が渦巻いているように感じられた。


「うぬは、神とは何かを考えたことはあるかね?」


「知らんな。私は先日、神に見捨てられたのだ。興味などない」


「そうか。では聞け。神とは赦しを与えることが出来る存在だ。赦しを与えることが出来ぬものなどは神ではない」


「…許されざる罪もあるとは思うが?」


「それこそ神が神たるべきものだ。許されざるを赦すことが神なのだ。決して罰を与える存在ではない」


 そのエルフは淡々としか語らない。それが逆に不気味だった。


「とてもじゃないが神官が言うべき言葉ではないな。あなたは本当に神官か?それとも私が生み出した幻か?」


「どちらでも構うまい。うぬが我の言葉に耳を傾ける限りではな」


「確かにそうだな。ここまで偉そうな不心得ものを私は知らん」


 するとエルフは少しばかり笑みを浮かべ、すぐにそれを消した。


「うぬのために神を否定しよう。それこそが神官がするべきことだ」


「はは。これから逝くものの為に信仰を貶すのか? 実に笑えるな。あなたはなんのためにその法衣を身につけた?」


「愚問。より多くを救うためだ。我はより多くを救うために神にすがり、神の狭量にほとほと愛想をつかせたのだ」


「傲慢だな」


「神には劣る」


「悪魔め」


「人を救えるのならば構わぬとも」


 彼女はつい笑みを浮かべる。いつの間にかこの高位神官の不神論者との会話に面白さを感じていたのだ。


「まさか人生の終わりにあなたのような不心得ものに出会うとは。神は余程私が憎いようだな」


 彼女は神官に背を向け、歩きだした。


「待たれよ話は終わってなどいない。うぬはいったいどこへいくつもりか?」


「見れば分かるだろう? 終わりに向かうだけだ」


「うぬはなぜ死へと向かう?」


「神がそれを望んだからだ」


「そうか、うぬは逃げ出すと言うのだな」


「なに?」


 思わず彼女は足を止めた。


「ふむ。生きることとは抗うことだ。それをやめ、神の名を騙り、誤魔化している。逃げると言って差し支えないはずだ。そしてうぬは…我が思うに大切な者を亡くしたな?」


 様々な疑問が彼女の胸中で渦巻くと、エルフが答えを告げた。


「顔に出ているぞ。『私は家族を守れませんでした』とな?」


「貴様になにが分かる?」


 明確な怒気を込めて、彼女は振り返りエルフを睨む。


 しかしエルフは涼しげな顔を浮かべていた。


「なにも知らぬよ。我はなにも知らぬ」


 その姿に怒りは消え、侮蔑に変わった。


「ならば───」


「なればこそ、なにも知らぬからこそ、うぬは生きねばならぬのだ」


 彼女の言葉を遮り、エルフは初めて力強く言葉を吐いた。


 エルフその目には確固たる意志が宿っていた。


 そして彼女が言葉を吐き出すより先に喋り出す。


「我は知らぬ。うぬの大切な者のことなど知らぬ。知らぬが、うぬが極端な選択を選ぶほど大切に思っていたことは分かる。それだけしか知らぬ。その姿、形、名前、種族、なにも知らぬ。知っているのはうぬだけだ。そのうぬが消え去るのならば、誰がその者に花を手向けよう? 誰が思い馳せよう? 誰が涙を流そうか? 我は神官だがその資格はない。死者を悼むことが許されるのはその死者を知るものだけだ」


「……ならばどうしろと? 誰がこの罪に罰を与える? 貴様は言ったな? 神だけが赦すことが出来ると。私には赦しなど、神など不要だ」


「安心せよ。そして理解せよ。赦されることなどない。うぬが神を許さぬように、神もうぬを赦さない。だからこそ、うぬの罪を我が認め、そしてうぬに罰を下す。人である我がうぬに罰を下す。生きよ。その死者の想いを背負い。罪を背負い。歩き続けよ」


「生きろだと?」


「そうだ。救いを求めぬというのならば、死へと逃げることは許さぬ」


 彼女は笑みを息と共に溢す。


「言っていることが滅茶苦茶だな」


「我の主張は初めから一貫している」


「破門されてしまえ」


 エルフは短く笑う。


「ふっ。もしよろしければ我の移動教会で話をせぬか? うぬの想いの重みを、罪の重みを我に語って聞かせよ」


「罪の測量か? まるで審判だな」


「これでも高位神官なのでな。その権限はあるのだよ」


「あなたの名前を聞いても?」


「名前はとうに捨てた。我を呼びたければウェルギリウスと呼ぶが良い」

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