砕ける鏡と、ゆがみを知る発電所員
私はあなたの心の中で、輝いているあなたが愛さずにはいられない、娘のイメージとシンクロさせてほしいと祈る~同じ雨粒、見つけて2人で乾かせたら。
「女の子は自分のお父さんに似た人を好きになる。それを愛情だと思うからやねんて。」
そんな言葉を誰かから聞いたことがある。
頭と心から離れてくれない彼。母親に似たひとに愛を感じ、永遠の愛を誓い子どもの顔が見たいと思うのだろうか。
ただ、今私に言えることがあるとしたら「愛とはどういうことかよくわからない」ということだ。
恋愛は今までにもしてきた。それは、烈しく光るような恋だった。流れてゆくのを見送ることが風流だと言わんばかりに、心が散らされるたびにますます相手の男性のことから離れがたくなるようだった。
背骨が割れそうになり、手がもげそうになっていく。
いっそのこと、麻婆豆腐の豆腐のようにくだけてしまうか、ところてんのように網状のかごに注がれ、上から押し出して食べ物になるなりをして完結してくれたらいいのに。と天をあおぎたくなるぐらいに。
私が彼に惹かれる瞬間、絵画から水が一瞬にして消え去り、澄んだ空気だけが冴え渡るような気分になったのだ。
私は、悲しく思う。
恋とは大量の水を空気へと昇華させる感覚について著述する言葉であり、これが恋だとするならば、失うためには氷結させてしまわなければいけないのだろう。そして、それは大量の水となり…をくり返してゆく。
失恋するためには、大量の水となり氷となった瞬間をみはからい、うまくその場に居てくれなければいけない。そのときには、実在する存在を必要とするのだ。
このままでは身体が熱くなり、心が再び砕けては外部へと拡散されてゆく現実を迎えかねない。
胸がときめくこととか、身体で感じた記憶をたちさらなければならない現実。美しく氷が燃える様子に恋をするような高鳴りを大切に、これからも続けていけばいい。って信じていたけれど、これじゃあ生きていけない。そんな現実の壁が目の前に現れたような恋をしている私。
「あなたには父親がいないから」
それを突かれているのを感じ、どうしようもない今私が生きている状況を回顧せざるをえない恋だ。
彼の家はエリートで、父親が社長である。本人が社長を引き継がなかったのは、自分の好きな道を生きて選んできたから。そう推測した。
大学では、サークルに入ったり、友達と学園祭に楽しんだり。そんな中でゆっくりと好きなことを探そうとしていたんだろう。そして、いくつかの選択肢の中から、父とは違う職種についたのだと、生い立ちを聞きかじったときに推測した。
私の経験を結び付けて想いを馳せてしまったのだ。「父親に背いた」のだと。早計にも。
私の生い立ち。大学を出るまでは叔母夫婦の恩恵を十分にうけていた。
叔父の会社の展開する外国の会社で働いたらどうかとか、オーストラリアでファームステイを1ヶ月して語学の道を進むのはどうかとか、頭で思うと悪くはない選択肢が多かった。東京で、就職活動をして味わった、あの雲にふれたいと望むような元からなかったかのような目的地。
今もその夢の一部をなかなか形にすることも出来ずにいる。
私はキャッチコピーの職人になり、鮮烈なイメージを与える人気者になりたかったのだ。放送局を通して、あるいは新聞紙上のイラストを通して。
大人は、出身地とか生い立ちをも気にするし、それら引っ括めてを私自身の価値だと測るらしい。
挫折は心に鏡があることを教えてくれた。光を生うんだのだ。挫折は光の別名。
それは、自分と外界とを遮断する。
目や耳から入る情報は、すべて挫折が少しの揺れを与えるため、鏡にはなかなかあるままの素直な実体を映そうとはしない。
時には、誰か私以外の人間により発生してしまった強風により光(挫折)を作り出してくれる発電所すらもグラグラと歪んでしまうので、なおさら、鏡にのっかってはくれない。
私は、今、遮断されたい。
彼と私は大きく違う。
父親と温もりを育ててゆくことも、ときには「私は娘で、生意気かもしれないけど、ここをやめてほしい。
でも、それはお父さんにとっては変わりにくいことなのかもしれない。でも、こうしたら良くなるよ。」とか「みんなが幸せになるためのヴィジョンを描く努力」をするとか、なかった。酒を飲んでいるか、ギャンブルに出かけているか。
「こんな風にはなりたくはない。」としか考えていなかった。
将来自分の挫折を生む発電所(それは二つ以上ある。)のうちの一つであり、私の心の一番底まで沈んだ。さらには、その発電所を揺らす強風を生んだのは信仰深い母親であったり、あるいは叔母であった。
自分の好きなように生きるということには色んなロマンや幻想を限界まで追い風として強く吹く風になってくれた。それは、心が響くように震える時にようやく気づけるような薄い鏡にうつる外界の形相をかえた。
わたしの記憶は歪んだ。
いつの間にやら、社長のお嬢様となり、父親の愛って何だろうかということを映すスペースをつぶしてしまったのだった。
鏡から消えた父親。発光所から発光されるも、注ぐ場所をなくした光。それは、関わる人間の寂しさとか、不安とか、崩れやすい部分につけこむように、私の内臓から爛れおちるように重なり、レクイエムを刻むかのように狂気じみた旋律を奏でる腐食物だ。
事件やトラブルが発生し、そのものからは次々と悪い水が生成されてしまう。
「占いはもうやめよう。」ある時誓ったのだ。
綺麗なものを、見たことないものを具体化したい。そんな想いから始めた占いだった。始めたときは、興味本位だったし、宇宙の誕生をロマンチックだとか思っていた。占いは私の心をbyする昔の処刑道具のような本体を隠して入り込み、あと少しで自分が生まれたときから持っている本当の薄い鏡と似た贋物を作り出すところだった。
左腕がもがれ、骨から血がしたたる幻覚を覚えるほどまでに浸食してしまっていた。
私は、覚醒した。
生きている彼、困って泣いていて、地獄にいて「死にたい」とつぶ
やきたくなるほどのときに、目からは涙がこぼれそうになるほどにキラキラとした瞳が私の心の本物の鏡を救ってくれたのだ。
たしかに、偽物の鏡は綺麗なものだけ乗せるため、素敵だった。それよりも、そんな鏡が砕け散るときの音がサイレントだったことを意外だと思った。
心の宇宙の闇に光っていると感じる星はくだけちり、綺麗に感じている瞬きのひとつひとつは幻想になって、結局すべては空気となってしまった。
もしかしたら、空気すらないのかもしれない。
大切な心の発光所を危うく断たれてしまうところだった。それは、心を食べられたと表現することが出来るだろうか。
この、本物の鏡が存在することを邪魔する敵を今日も探している。
そして、その実体を持たないソレ自身と闘っているのだ。きっと明日も。