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究極の俳優  作者: 三笠蓮
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最終話

「先生は、今後も実体験できない役柄についてはすべて断っていくつもりですか」


「何が言いたい?」


「いえ、その……。今回の登山家のように、何らかの事情で先生が実体験できないことはいくつもあると思うのです。代表的なのは、殺人犯です。殺人を体験するわけにはいきませんから。そうなると、後々まずいことになっていくのではないか、と思いまして」


「なんでまずいことになるんだ?」


「俳優にとって、殺人犯というのは実にポピュラーな役柄です。そんな役柄を捨て続けるということは、仕事の幅が狭まってしまうことになり、非常に勿体ないような気もするのですが」


 先生は、無言で僕の言葉の続きを待っているようだったので、そのまま話を継いだ。


「もし仮に、どうしても先生が殺人犯の役をやらなければいけない状況になった場合、どうするのでしょうか。その場合は、さすがに想像力に頼って演技をするのでしょうか」


「さっきからお前は何を言っているんだ。知っているだろう。私は体験できない役はやらない、と」


「もし、仕事が無くなってしまう危機に陥っても、ですか」


 愚問だと思いつつも、つい聞いてしまった。

 先生ならきっと、「じゃあ仕事なんて無くなってもいい」と言うのだろう。


 しかし、先生の答えは予想に反するものだった。


「万が一そうなったのなら……引き受けるかもな」


「えっ?」あまりの意外な答えに、思わず頓狂な声が飛び出る。「つまりそれは、信念を曲げて、想像力に頼って殺人犯役を演じる、ということでしょうか」


「まさか。この私だぞ? 体験からしかリアリティは生まれない。想像力に頼っての演技などありえない。だから殺人犯を演じるのならば……なんとかして体験するように努力するよ」


 言っている意味がわからず、重要な部分をオウム返ししてしまう。「体験するように努力……?」


「わかるだろ。人を殺す体験、だよ」


 先生は、表情一つ変えず、抑揚のない声で言った。


「は? な、何をおっしゃってるんですか先生。だって、殺人ですよ? できるわけないじゃないですか」


「いや」少し口ごもった後、先生は意を決するように一つ大きなため息をついた。「それでも、私ならやる。体験に基づかない演技なんてするくらいなら、仕事は引き受けない。引き受けた以上は、満足のいく演技ができるよう、最善を尽くす」


「じゃあ、殺人犯を演じることになったら、本当に人を殺すってことですか?」


「そういうことだ」


「警察に捕まるんですよ? しかも、殺人となれば長い刑期になるでしょうし、刑務所から出て来れてももう仕事なんてありませんよ。元も子もないじゃないですか」


「ならば……私が犯人だとばれないように殺せばいいだろ」


 片方の口角を上げ、ニヤリと笑った。

 妙な厭らしさが滲み出ており、思わず背筋がゾクリとした。

 一刻も早く、この場から走って逃げだしたくなるくらいに。


 強張った僕の顔を見据えながら、先生は突如破顔した。「バカ。冗談だよ、冗談。お前がしつこく愚かな質問を繰り返してくるから、ちょっとからかってやったまでだ。何度も言ってる通り、私は殺人犯の役なんてやらない。たとえ仕事に窮しようともな。だから、もし殺人犯の役をやることになったら、なんてことを考える必要はないんだよ」


 先生の言葉が終わると同時に、全身から力が抜けていき、その場で崩れ落ちそうになった。


「おいおい、大丈夫か? ――あ、そうそう。そういえば、まだお前の携帯を借りたままだったな。返しておくよ」僕の携帯を手にしている先生の右手には、いつの間にか軍手がはめられていた。


「え? あ、はい。どうも」


 そういえば昨日から、先生に携帯を貸していたのだった。


 先生の持っている二台の携帯が二台とも故障したらしく、一日だけ貸しておいてくれと頼まれた。


 だから今日は、僕に電話で連絡することができず、わざわざ僕の自宅まで迎えにきたのだろう。


「悪かったな。おかげで助かったよ。今はもう、私の携帯は二台とも直ったから」


「それはよかったです」


「じゃあ、私は一旦用を済ませるために出掛けるから。サボらずに稽古を続けるんだぞ」


「はい、心得ております」


「よし」そう言った後、先生は再びロッカーの方へと向かう。


 上着を取り出してからロッカーをバタンと閉め、先生はそのまま貸し会議室を出ていった。


 その姿を確認した後、大きく息を吐き、近くにあった椅子に掴まった。

 まだ少し、脱力感が残っている。


 うまく力が入らない。

 好奇心に任せて変な質問をするんじゃなかった、と軽く後悔すらしている。


 その時、僕の携帯が鳴った。


 着信画面を見ると、先生のマネージャーである高橋さんだった。

 早速、仕事の件で電話をくれたのかもしれない。


「はい、近藤です」


「あ、もしもし、高橋です」


 電話口から、聞き慣れた男性的なハスキーボイスが聞こえてきた。


「お疲れ様です」


「お疲れ様です。あの、近藤さん。今ちょっとお時間よろしいですか」


「ええ、もちろん」


 声を弾ませながら答えた。


 どんなドラマなのだろう。

 共演者は誰なのだろうか。期待が膨らむ。


「あの、近藤さんに相談すべきかどうか非常に迷ったのですが……」


「はい?」


「実は先月、御崎さんに『元妻を殺害する殺人犯』という役のオファーがあったんですよ」


「あ、そうなんですか」


 まったく知らない話だったが、特に驚きはない。

 先生にどんな仕事が入ったかを逐一把握しているわけではないのだから。


 どうせ普通に断って終わったのだろう。

 つい先ほども、先生は「殺人犯のオファーはすべて断る」と断言していたばかりだ。


 高橋さんが困ったような声で続ける。


 「それでですね……。ほら、御崎さんって、ああいう性格じゃないですか。極端なまでにリアリティを求めるっていうか」


「ええ、そうですね」


「だから、今回も変な行動に走らないか心配で仕方がないんですよ。万引き犯役の時もあったじゃないですか。実際に万引きしちゃった件」


「ありましたね。でも、そんなに心配はいらないんじゃないですか。どうせ断ったんですよね」


「いえ、引き受けましたよ。聞いてませんか?」


「はっ?」部屋中に響き渡るような、間の抜けた甲高い声が出てしまった。


「いや、俺も驚きましたよ。殺人犯役は今まであれだけ頑なに断っていたのに、『そろそろ仕事の幅を広げるべきだな』とか言って、引き受けたんです。最近仕事が減ってきてたから、仕事を選んでられないって考え始めたのかもしれませんね」


 言葉が出ない。一体何が起こっているんだ。


 次の瞬間、とんでもなく悪い予感に包まれ、おそるおそる尋ねてみた。


「た、高橋さん。あの、先生が僕に譲ってくれる登山家の役の話って……どうなってますか」


「え? 何のことですか」


 当たって欲しくなかった予感が的中してしまった。じゃあ僕は、さっきから一体何をさせられていたんだ。


 息を整えながら、努めて冷静に言葉を発する。「あの……もう一度確認させてください。先生が僕に登山家の役を譲った、という話はないんですか? あと、先生は本当に殺人犯役を引き受けたんですか?」


「ええ、登山家の話なんて知りませんし、殺人犯役は間違いなく御崎さんが引き受けましたよ。どうしました近藤さん。さっきから声が震えてますよ」


「そんな、バカな……」


「だ、大丈夫ですか? どうしたんです?」


 電話を持っていた腕がダラリと下がり、高橋さんの声が聞こえなくなった。


 電話どころではない。

 何がどうなっているんだ。


 僕の本能が答えを求めているのか、昨日から今この瞬間にかけて起こった出来事が、頭の中で高速再生された。


 その中で、今更ながらいくつかの違和感に気付く。


 先生は、なんでこんな人気(ひとけ)のないボロボロのビルにある貸し会議室を借りている?


 それに、なんで先生は僕の携帯を借りたのだ? 二台持ちしている携帯が両方同時に故障するなんてことが、そう簡単に起こりうるのか。僕の携帯で何かをするのが目的だった?


 そういえば先生は、わら縄を触る時には必ず軍手をはめていた。

 あと、僕の携帯を触る時も。


 なぜそんなことを? 素手でわら縄や携帯に触ってはいけない理由があった?


 気付けば僕は、多くの疑問を抱えつつ茫然と手を開き、掌をじっと見つめていた。

 そこには、わら縄を強く引っ張ったことでついた傷がある。

 まるで、誰かを絞殺した時につくような傷が。


 その時だった。


 キィ、という小さな音が後ろで聞こえた。


 そっと振り向くと、部屋の隅にある縦長のロッカーが少し開いており、白く細い人間の手のようなものがはみ出しているのが見えた。


 元妻を殺害する殺人犯役を、あの御崎亮平が引き受けた。


 そうか。そういうことだったのか。


 すべてを理解した僕は、ロッカーの中で冷たくなっているであろう、僕の携帯を使って呼び出された、首に絞殺の痕がある奥様の姿を想像しながら、四年前に御崎亮平という悪魔の懐に自ら飛び込んでしまった己の不運を呪った。


【了】

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