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究極の俳優  作者: 三笠蓮
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第1話

「違う! もっと強く握って、力の限り引っ張れ。掌の皮が擦り剥けるまでやれ」


 昼下がり。

 先生の怒号が、街はずれにある古びた三階建てビルの最上階にある一室に響き渡った。


 部屋の中央あたりに四人用テーブルと椅子が四脚、そして部屋の隅に縦長のロッカーが二つ置かれているだけの、八畳ほどの簡素な貸し会議室だ。


「ほら、もっとだ! 気を抜くな」


「はい、先生!」


 指示通り、手にしていたわら縄をより強く握り、テーブルの傍らに立ちながら、両手の力を思いっきり外側へと向けた。


 先生は、正面に立って腕組みしながら、僕の姿を凝視している。

 もうすでに、十五分以上はこうした時間が続いていた。

 ただひたすら、わら縄を全力で引っ張るだけの時間が。




 今日の僕は、本来オフだった。

 ところが、そろそろ昼の十二時を迎えようかという頃に家のインターホンがなり、出ると先生で、「今すぐいつもの稽古場(けいこば)に行くぞ」と言われたのだ。


 いつもの稽古場とは、先月から先生が月極で借りている、この貸し会議室のこと。

 鍵は先生と僕が持っており、先生はもちろん、僕もいつでも自由に使っていいことになっていた。


 管理人すらおらず、僕ら以外に借りている人がいるのか心配になるほど人気(ひとけ)のないぼろいビルで、なぜ先生ほどの人がそんな場所を借りたのかは不思議だけれど、好きに使える稽古場があるのは嬉しいことだった。


 それにしても、今日の先生は今までとはまるで違う。


 今年で四十歳になるとは思えないほどの若々しいその顔面に、かつて見たことのないほどの鬼気迫る表情を貼り付けている。


 他を圧倒する卓越した演技力に惚れ、俳優である御崎(みさき)亮平(りょうへい)先生に弟子入りしてから約四年。

 普段から芸事には厳しかったが、今日の演技指導は度を超えていた。

 掌の皮が剥けるまでわら縄を引っ張らせるなど、過剰としか言いようがない。


 しかし、今回の事情を考慮すると、先生の厳しい態度も当然なのかもしれない。




 先生が嘆息した。「まだまだだな。いいか近藤(こんどう)。中途半端な気持ちでいるなら、今回の役をお前に譲るのはやめるぞ」


「済みません、先生! 必死でやらせていただきます」わら縄を握る手に、更なる力を込めながら言った。


 そうなのだ。

 四年間の苦労が実り、先生はようやく僕を認めてくれたのか、俳優デビューを許可してくれたのだ。


 しかも、まだどんな役なのかは知らないものの、先生が依頼された役を僕に譲ってくれるというのだ。

 これまで、数々の不満をグッと堪えてきた甲斐があった。ようやく報われる。

 

 御崎先生は、いわゆる『バイプレイヤー』という存在で、主役を演じることはまずないが、脇役でのキャスティングに関しては引く手数多(あまた)だとのこと。


 先生曰く、「この役は御崎亮平にしか頼めない」という難しい役柄を、あえて用意するプロデューサーや映画監督もいるほどらしい。


 そこまで先生が欲される理由は、持ち前の類稀なる演技力に他ならないのだろう。


 御崎先生の尋常ならざる演技力の源泉がどこにあるのかは、弟子入りしてから初めて知った。


 あの演技力は、『異常なまでのストイックさ』から生まれているのだと。


 その歪んだストイックさに、僕は幾度となく困惑し、苦しめられてきた。

 しかしその苦労が、ようやく報われる時がきた。


「わかってるよな、近藤。いつも口酸っぱく言っている通り、俳優に大切なのは『リアリティ』だ。それ無くして、良い俳優には成り得ない。いや、俳優に限らないな。表現者すべてに言えることだ」


「はい、先生。重々承知しております」


 僕は、握っていたわら縄を一旦放してテーブルの上に置き、先生の話へ耳を傾けた。


 それを見た先生が、手にはめていた軍手を外しながら話を継ぐ。


「例えば、マンガ、小説、映画監督。すべてに言える。よく覚えておけよ近藤。体験をもとにしていない表現なんて、クソだ。推理小説なんて書いている奴には特に言いたい」


 また始まった、という(おり)を心に蓄積させつつ、相反するようにはきはきと尋ねる。「なぜ、推理小説作家はクソなのでしょうか」


「あいつらは、特に表現者として失格だからだ」


 先生は言葉を止めた。

 いつもの流れだ。

 ここからは、僕が促さなければならない。


「申し訳ございません。不勉強な自分にはその理由がわかりません。ご教授いただけませんでしょうか」


「言っただろう。表現者には、リアリティが必須だと。推理小説ってのは、基本的に人が死ぬよな。でも推理小説家の中に、人を殺した奴がいるか? もしくは、実際に殺された奴がいるか?」


「いや、それは……」


「殺したことも殺されたこともないのに、人が死ぬことで成り立っているような小説を書いている輩なんぞ、表現者の風上にも置けないんだよ。人が死ぬシーン。人を殺すシーン。どれも、単なる想像で書いてやがる。それを、作家独特の想像力だと宣うのなら、とんでもない勘違いだ」


 その考え方はさすがに極端なのでは。

 こういった言葉がいつも喉元まで出かかるが、なんとか必死で呑み込む。


 この人は一体何を言っているのだろう。

 想像だって、立派な表現の一つだ。


 表現は、リアリティを追及することだけじゃない。

 先生は明らかに屈折している。

 自分の価値観以外はすべて攻撃対象となっているのだ。


 今の話に限らず、いくら何でもそれはおかしい、と思うことは多々ある。

 でも、僕に許されているのは首肯(しゅこう)のみ。


「おっしゃる通りです、先生」


「よし、よくわかってるじゃないか近藤。お前は知っているよな。私が、どんな時でもリアリティを追い求めてきたことを」


「もちろんです。先生のストイックさは他の追随を許しません。コンビニ店員の役がきた時は、先生ほどの名俳優がコンビニでバイトをしましたし、長期入院患者の役がきた時は、マネージャーの親戚がやっている病院に実際に長期で入院しました。さらに万引き犯の役を演じる前には本当にスーパーで万引きをし、不倫して妻と別れる役を演じる前には、本当に不倫をして奥様と離婚されました。凡人にはできない所業でございます」


 口にしながら、反吐(へど)が出そうになった。


 演技力や俳優としての実力は今でも凄いと思っているが、人間としてのこの人は愚劣極まる。

 いくら仕事のためとはいえ、罪を犯したり、家庭を壊したりすることが許されていいはずがない。



***



 先生がスーパーで万引きをした時は、真っ先に僕が呼びつけられた。


 そして先生に代わり、スーパーの店長相手に平身低頭謝り続け、最後は土下座までして先生の罪に対する許しを乞うた。

 先生が犯した罪のために、なんで僕が土下座まで……という不満を噛み殺しながら。


 結局、初犯な上に一応名の知れた俳優だし、世間を騒がせるのが忍びないという店長の配慮で警察への通報は無しにしてもらえた。


 ところが先生は、


「なるほど、スーパーの裏側はああなっていて、万引きした時にはああやって責められるんだな。勉強になった」


 と、帰りの道すがら、満足そうにぶつぶつ呟いていた。

 反省の色など微塵もなく。


 あの時は、軽く殺意が沸くほどの怒りを覚えた。


 奥様と離婚した時など、さらにひどい。


「この御崎亮平が惚れても不思議ではないほどの美貌を持ち、かつ、私に抱かれたいという女を大至急探してこい」


 そう命じられた僕は、三日三晩駆けずり回って、なんとか該当する女性を見つけた。


 先生は仕事を選びすぎる個性派俳優なので、知名度としては「知る人ぞ知る」程度。

 寝ないで探し回ったとはいえ、たった三日で要望に応えられたのは奇跡だ。


 そして、その女性と先生がラブホテルへ入るところを撮影するという芸能記者のような真似をさせられ、挙句、撮影した写真や動画を先生の奥様のところへ持っていく役回りまで強要された。


 結果、先生の望み通り離婚が成立した。


 財産分与や離婚にかかる経費などを考えると、経済的には明らかにマイナスの方が大きいのだが、先生にとってそんなことは些末な問題らしい。

 僕からすると、もはや狂人の域だ。


 写真や動画を見せた時に、美しく可憐なあの奥様が絶望のあまり顔を大きくひしゃげて号泣したあの姿は、僕に大きな衝撃を与えた。


 見るに堪えず、「もしよければ」という形で連絡先の交換をお願いし、それからしばらくの間、メールや電話で奥様を慰め続けた。


 奥様に好意があったわけではなかった。

 罪悪感に押しつぶされそうな自分を救うための行動だったのだと思う。


 一度、奥様にメールを送っているところを先生に見つかってしまい、「そんなことをしている余裕があるなら演技の勉強をしろ」と怒鳴られてしまったことがある。

 あの時は心底腹が立った。あんたの尻ぬぐいをしているのに、と。


 でも僕は、俳優への憧れから二十六で脱サラして弟子になって以降、四年もの間ズルズルと御崎亮平に付いてきてしまった。


 人間性の面でどれだけ軽蔑しようとも、今更後には引き下がれない。

 もう僕は三十なのだ。


 人生の貴重な修行期間である二十代後半を演技のみに費やしてきた人間にとって、今から別の道でリスタートするには、途轍もないエネルギーが必要になる。


 それに、俳優への夢をどうしても捨てきれない。

 であるならば、このまま意地でも先生にしがみつき、俳優デビューのきっかけを待つしかない。

 そう覚悟を決めていた。



***



 ストイックさを褒めた僕の言葉に気をよくしたのか、先生は、満足気に口を開いた。


「凡人にはできない所業、か。上手いことを言うな」


「はい。先生ほど真剣に俳優の道を極めんとしている方は見たことがありません。素晴らしい、の一言でございます」


「お前は俳優の真髄をよく分かってるな。さすがだ近藤。ここまで手塩にかけて育ててきた甲斐があったよ。やはり、今回お前に役を譲ったのは間違いじゃなかった」


「ありがとうございます!」


 ここで機嫌を損ねるわけにはいかない。僕は立ったまま深く頭を下げた。

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