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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

江戸怪奇譚集

からくり扉

作者: 大野 錦

「次の投稿予定は夏のホラーだと言ったな」

「そうだ大佐。た、助けて…」

「あれは嘘だ」

「ウワアァァァァァ……!」


 前回投稿の『隣の鰹』の後書きで、「夏のホラー」を次の投稿予定と書きましたが、ウソでした。

 ご一読よろしくお願いします!

からくり扉



 明治六年(1873年)六月九日。東京は高輪地区のある無人の武家屋敷にて、男の惨殺死体が発見された。

 この男は四十後半の人物だが、維新前まで、長らくこの武家屋敷にて働いていた者で、斃れていた場所は、広い屋敷のある一間、箪笥が置かれているだけの場所だった。

 死体は頭部を斧の様な物で砕かれ、この一間は男の血に塗れていた。


 処で、何故この武家屋敷は無人だったのか。

 維新で江戸の武家屋敷の大半は無人と為り、其の後幾つかは商家が買い取っていたり、官公庁に姿を変えたりもしたが、長らく放置された屋敷も多く、後の関東大震災での被災でほぼ姿を消した。


 一般の武家屋敷に住むのは、主に旗本や幕臣だ。

 江戸が無血開城されたのは周知の事だが、多くの新政府に反対する幕臣たちは江戸を出て行って、主に関東や東北の諸藩に拠り、新政府軍と戦う事に為る。

 幕府中枢側としては、新政府との交渉に対する、抗戦派の邪魔者たちが江戸から居なく為るので、この彼らの動きを黙認していた。


 さて、この武家屋敷も主人の幕臣が新政府軍との戦いの為に出て行き、彼は北越戦争(1868年)で戦死する。

 彼は1832年(天保三年)の生まれなので、数え年で無ければ、三十六歳に為る年で死んだ事に為る。


 屋敷を出て行く時、妻と幼い娘を、親類に預け、彼はこう言っていた。

「若し、俺が死に、生活に困窮する事が有ったら、あの一間に在る頑強な箪笥を開けろ。開錠方法は知っているよな」


 そう、例の惨殺死体の男は、開錠に失敗し、からくりから斧とも鉈ともが飛び出て、其の頭部が砕かれたのだ。



 箪笥は外側から壊されない様に、ぶ厚い木材で造られ、更に鉄で補強されている。

 この幕臣が先祖代々受け継いだ箪笥で、この中にいざと云う時の貴重品を納めていたのだ。

 造られた時期も江戸の中期とも、或いは初期ともされ、代々の当主がからくりの開錠の暗号を変えるのだ。


 箪笥の高さは175センチ、幅は120センチ、奥行きも120センチ。扉は二つ在り、上部に両開きの扉で、此処から失敗した場合の斧や鉈やらが飛び出る。

 下部も両開きの扉が在り、縦に幾つものダイヤルの様な物が設置され、其の横にダイヤルを回した字が表示される小窓が在る。

 この全ての字が合ってない場合に、開錠のスイッチを押すと、上部の両開きから例の斧が飛び出てくる仕掛けなのだ。


 事件から十数日後、官警により、戊辰戦争で戦死した主人の妻と娘が、この屋敷に現れた。

 放置しておくには危険なので、開錠方法を知っている妻を、当局は探し出したのだ。

 妻と娘は、千葉の中部、上総国の住む縁類の家でずっと世話に為っていたが、持ち出した財貨もほぼ底を尽き、面倒を見てくれるこの縁類に対する金銭を必要としていた事も有り、曾て住んでいたこの無人の屋敷に戻って来た。



「これはほとんど合っていますね。ひとつだけ間違っているだけです」

 妻は縦に並んだダイヤルの小窓の字を見て言った。

「正しく合わせますが宜しいでしょうか?」

 妻が言うと、一人の官警は妻の隣で、失敗して斧の様な物が飛び出たら、護る様に位置し、十歳位の娘には、別の官警が少し下がって、この子供を守る様に位置した。


 暗号とは設定した当主の生年月日だ。

 妻は一番上の小窓が「壬辰」と為っている事を確認し、二番目を飛ばして、三番目の小窓が「十一」、四番目が「三十」である事を確認し、こう言って二番目のダイヤルを回した。

「二番目が合っていません。『閏』としなければ為りません」


 そして開錠のスイッチを押すと、見事に下の分厚い扉が開いた。

 大判小判が大半だ。其れも金含有率の高い物ばかりである。

 内部は全面の分厚さとからくりが施されている事を示す様に、縦60センチ、幅と奥行きは40センチほどしかない。



「主人はたまに言っていました。自分の誕生日を『壬辰の十一の月の三十日だ』だと。処が十一月でも実は閏月の十一月なのです。これは多分、当の主人以外では私だけが知っている事でしょう」


 太陰暦における月の日付は三十日と二十九日と、二つに分けられる。但しこれだと、(30日×6カ月)+(29日×6カ月)で、一年の合計354日だ。

 これだと当然ずれが出てくる事が当時から分かっていた為、数年に一度「閏月」を設けて、一年を十三月とする。

 三十日の月は「大月」、二十九日の月は「小月」と云い、年に因って大月と小月は変わる。

 閏月も大月だったり、小月だったりするのだ。

 つまり、この主人の正確な誕生日は、『壬辰の閏十一月三十日』と為る。


 この年に太陽暦が採用されている。

 明治五年(1872年)十二月二日(旧暦の天保暦)の翌日が、明治六年(1873年)一月一日(グレゴリオ暦)だ。


 さて、あの不気味なからくり扉を持つ箪笥は、中の物全てを妻と娘が所有する事を許され、からくり扉は妻の生年月日で閉じられたが、誤って誰かが開かないようにと、翌年に設立された警視庁内に保管されたとも、からくりを収集していた物好きの手に渡ったとも、焼却処分されたとも、今では判然としていない。

 然も、程無くして、其の様な怪しげなからくり扉の箪笥など在ったのか、と訝し者も出て来て、誰かの作り話だろう、とも謂われている。


 1874年に設立された警視庁は、旧津山藩の江戸藩邸を庁舎とし、この様に東京の武家屋敷は様々に変化し姿を消して行った。


からくり扉 了

「箪笥を調べろ」

 って大佐ネタしつこいですね。

 次は本当に夏のホラーの投稿です!

 よろしくお願いします!


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