第18話 未熟な精霊術師(5)
「ここが沙姫さんのご自宅……」
部屋に入るなり、感動のあまり瞳を輝かすクリス。
「感動しているところ悪いんだけど、胡桃の家でもあるんだからね」
一応持ち主は私という事にはなっているが、胡桃も間違いなくここの住人。本人はお世話になっているだけだと言いそうだが、そこは私の気持ちが多分に入っているためとご理解いただきたい。
「えぇ、もちろんですわ」
全員がリビングのソファーに座り、胡桃が買ってきたばかりのお菓子や飲み物をテーブルに並べてくれる。
「それでさっそくで悪いんだけど」
「琥珀を呼び出せばいいんですわよね?」
「えぇ、念のため私が感じていた霊力が琥珀のものかを確かめたくてね」
「構いませんわ」
そう言いながら、クリスが手のひらサイズのリス型精霊を召喚する。
「キュピー」
「これでいいんですのよね?」
「ありがとう、それで大丈夫よ」
可愛い鳴き声の琥珀に興味津々な凪咲ちゃん。契約主であるクリスを含めた全員が私の行動に注目する。
私はクリスから琥珀を受けとり、手のひらに乗せて意識を集中。そして先日も微かに感じた感覚と照らし合わせ、改めて自分の記憶が間違えていなかった事を確認する。
「やっぱり違うわ」
「違う? すると私たちが知らない中級精霊が学園にいるということですの?」
前にも説明した事があるとは思うが、精霊には術の媒体となる下級精霊と、その下級精霊からたまに生まれる中級精霊と呼ばれるものが存在する。そして中級精霊は年月を追うごとに力を蓄え、次第にその自我もしっかりしたものへと成長していく。
その中で術者と相性の合うものが、精霊召喚の儀式で契約する事になるのだが、当然誰とも契約をしない場合、野良精霊として存在し続ける。
つまり私がしたかったのは、以前感じた気配がクリスの精霊かどうかを確かめたかったのだ。
「学園にいる、というのとは少し違うかもね」
「学園ではない?」
「えぇ、さすがに中級精霊クラスの精霊がいればすぐにわかるわ。でも私が感じていたのは微かな霊力。言い換えれば誰かの体についた残り香みないなものかしら?」
精霊には得意とする属性があるように、霊力の気配にも特徴というべき個性が出る。そして精霊が別の誰かが触れ、霊力が衣服などにしばらく留まるような事があるのだ。
恐らく私が感じた霊力も、その類ではないだろうか。
「では沙姫さんは、その霊力の持ち主である精霊が、未夢さんの近くにいるとおっしゃるので?」
「確証ないんだけど、その精霊の気配を感じる時は決まってクリスがいる時だったのよ。私はてっきり琥珀のものだと思っていたんだけど、どうも気になっていてね」
学園初日の時もそうだったように、クリスの側にはいつも未夢さんが一緒についていた。
それが今、琥珀の霊気ではないとわかったのだから、その発生源が未夢さんだったと考える方が自然だろう。
琥珀の霊力はその見た目の愛くるしさからもわかるように、決して強いものではなく、普段からあまり呼び出していないため、その絆も現役の精霊術師と比べると非常に弱くなっている。だからこうして呼び出してもらえるまで、霊力を感じる事が出来なかったのだ。
「ねぇクリス。貴女はずっと未夢さんの側にいたんだよね? いままで精霊の気配とかは感じた事ないの?」
クリスだって元は精霊術師の一人。精霊の気配を感じる事があったんじゃないかと尋ねるも。
「すみません。私はそれほど感知する力は持ち合わせておりませんの」
「そうなのね……」
クリスが感じたのなら、私の考えは間違いではいと思いたかったのだが、残念な事にそれはわからないという。
確かにクリスが術者の修行をしていたのは11年も前の事。当時の年齢からしてもそうだが、長年のブランクも術者としての完成度も、過剰な期待は酷な話であろう。
「でもよ、仮に彼女が精霊を匿っているとして、あそこまで頑なに隠す必要があると思うか? 別に俺たちみたいに政府からの制約があるわけじゃないんだ。ならば相談するぐらい問題ないんじゃねぇか?」
それは私も気にはなっていた事。
蓮也の言う通り、彼女にはそこまで頑なに隠す必要はどこにもないのだ。私や蓮也に話せないにしても、長年の親友でもあるクリスにまで話せないとなれば相当なものだろう。
「わからない事だらけですわね」
「えぇ、ここで私たちだけで話し合っていても解決しないわね」
やはり最終的には未夢さんから直接事情を聞き出すしか方法はないだろう。せめて私たちに話せないのなら、警察へ相談してもらえればそこから情報を得る事が出来るのだが、今日のあの様子じゃ一人で抱え込む道を選ぶだろう。
「ねぇお姉さま。もし未夢さんが精霊を匿っているとして、なんの問題があるんですか? いっその事こちらの事情を説明して、お仕事を手伝ってもらう事も……」
「それはダメよ。未夢さんは私たちのように、妖魔退治の見返りで育って来たわけじゃないわ。仮に彼女が私たちと同じ道を選んだとしても、それは私たちが誘導していいものでは決してないの」
別に望んだわけではないが、少なくとも妖魔退治の報酬で私も蓮也達も育てられて来た。私は運命だとか使命だとかいう言葉は好きじゃないから、例え術者の家系に生まれたからといって、必ず術者の仕事をしなければ言えないという考えはないが、未夢さんは間違いなく普通のご家庭で生まれ育った女の子。それを私たちがこちらの世界へ引き込んでいい筈がないのだ。
「それにね凪咲ちゃん。精霊に好かれているといっても、誰にでも精霊と契約できるわけじゃないの」
精霊との契約に必要なのは契約主の霊力と、お互いの相性だと言われている。
そして契約主の霊力が強ければより強い精霊が導かれ、霊力の弱い者が呼び出せば、生まれて間もない精霊しか寄ってこない。
それでもまだ精霊を呼び出せるだけでも適性はあるのだが、大多数の術者はその幼い精霊すら呼び出せないのが現状となっており、近年の術者不足に拍車をかけている。
私の場合、秘められていた霊力に白銀が反応したわけだが、当時の私はその幼なさから何らかの力でミッターがかけられており、それを自らの力を抑えるために、同じく生まれたての状態へと戻したのがシロというわけ。
「私が感じる範囲で未夢さんの霊力はほぼ皆無。もちろん修行次第で伸ばす事は出来るでしょうけど、既に体が成長してしまっている今では、かなり苦労するでしょうね」
霊力もスポーツと一緒で、幼い頃から続けているからこそ今がある。中には才能の塊で、未経験から成人した後に開花するってパターンもあるらしいが、それはホンのごく一部の人達だ。
残念だが未夢さんにそこまでの素質はおそらくないだろう。
「それじゃなぜ未夢さんのところに精霊が居るんですの? 沙姫さんは未夢さん自身には霊力を感じられなかったんですわよね?」
クリスがその疑問を抱くのはしかたがない。いくら誰とも契約していない野良精霊といえど、霊力がない未夢さんにはなんのメリットもないのだ。
「おそらくだけど、生まれたての精霊じゃないかと思うのよ」
「生まれたてですか?」
「えぇ、私が感じた霊力もすごく弱いものだったわ。未夢さんはその生まれたばかりの精霊を偶々見つけたんじゃないかしら?」
中級精霊と呼ばれるものは何らかの生き物の姿を模している。そしてその見た目は生まれたてであればあるほど、生き物の幼い姿と非常に酷似している。
おそらく未夢さんは、最初は精霊だとは気づかず拾ってしまったのではないだろうか。
「そういう事ですか。確かに沙姫さんの推理どおりでしたら一連の辻褄は合いますわね」
「だがよ、それってマズイんじゃねぇのか?」
「マズイ? それはつまり、私が昔琥珀と共に妖魔に襲われた事が、未夢さんにも起こると危惧されているんですか?」
「それもあるんだけれど、未夢さんの場合は別の問題があるのよ」
どうやらクリスは知らないようだが、蓮也が心配しているのは別の要因。
大多数の場合、精霊は気に入った人間に対して『守る』という意思が働くが、霊力を媒体とする精霊は人間以上に不安定な存在。そのため近くにいる人間の影響を受けやすく、マイナスの感情……つまり負の感情を長く当てられると、妖魔となってしまう。
それは精霊術師が契約する精霊たちも同じなのだが、私たちの場合は精霊を帰還させる事でこの問題を回避している。
もちろん完全な妖魔となるにはものすごい年月や、マイナスエネルギーの蓄積によるのだが、こと生まれたての精霊に関してはこれに当てはまらず、ほんの些細な事でも妖魔となってしまった前例があるほど、非常に不安定な時期なのだ。
蓮也がマズイと言ったのは、そういった経緯を知っているからというわけ。
「そういう事ですのね。ですが未夢さんは決してそんな弱い人間ではありませんわ」
「果たしてそうかしら?」
「どういう事ですの?」
「私が知る限り未夢さんは自己主張するタイプではないわ。寧ろ自分の考えを押し殺して、周りの流れに身を任せると言った方がいいかしら。思い出してもみて、今日だって私とクリスが話していた時、貴女が声をかけなければ入ってこうようとしなかったじゃない」
「それは……」
私だって友人の事を悪くは言いたくない。だけど気の弱い子ほど知らずに負の感情を溜め込んでしまい、その影響を近くにいる精霊が受けてしまう、なんて事例はよくあるのだ。
近年低級妖魔が多発している原因は、増えすぎた人間のそういった影響ではないかと言われている。
「とにかく今は情報が少なすぎるわ」
「そうだな、ここで話しているだけではらちが明かねぇ」
私たちは話し合っていた事はあくまで想像と仮定だけの話。実際のところやはり未夢さんに直接話を聞かなければ進めないだろう。
「わかりましたわ。今夜にでももう一度未夢さんと話をしてみますわ」
「えぇ、おそらく未夢さんの心を開かせる事が出来るのはクリスだけよ。私や胡桃では多分無理でしょうね」
残念だが今の私や胡桃では、どこまでいってもクリスの友達という領域を越える事が出来ない。
悔しいが未夢さんの心を一番に理解できるのはクリスだけであろう。
「クリス、さっきはごめんね。別に未夢さんの事を悪く言うつもりはなかったのよ」
別れ際、どうしても先ほど言ってしまった言葉が気になり、クリスに対して謝罪しする。
私たちと違って、クリスと未夢さんの絆が深い事は十分承知しているはずなのに、あまりにも酷い言葉を吐いてしまった。それが二人の為だったとしてもだ。
「大丈夫ですわ。これでも沙姫さんのお仕事も立場も理解しているつもりですから」
「そう……ありがとう」
友達というのはなんと有り難いものなのだろう。私と胡桃との関係とは違う、また素敵な関係。
私ももっと未夢さんと絆を深められていれば、こんなにも苦しむ事にはならなかったというのに。
この後クリスは送っていくという言葉を断り、いつの間にか迎えに来ていた車に乗り、帰路へと着いた。