第10話 過去への払拭(2)
「まったく、ひどい目にあったぜ」
「誰のせいよ、まったく」
トラブルをくぐり抜け、ようやく現場へと到着した私と蓮也。
何やら隣で呟く蓮也を一睨みし、既に交通規制がかかるエリアで警察官に挨拶をしながら奥へと進んで行く。
「ん? 何か様子が変ね」
「みたいだな。もしかしてアレは……北条家の人間か?」
「えっ?」
今回現場となっている多摩川の河川敷へとやってきたのだが、そこに居られたのは先に到着していた結城家の方々と、それに対立するよう北条家の術者が立ちふさがっている。
「おいおい、何処かで接触するとは思っていたが、いきなりかよ」
よく見れば既に両者での言い争いが始まっているらしく、術者の中には相手側を警戒をして、臨戦態勢にはいっている者までいる。
結城家からしてみれば多摩川の北側はこちらの管理下だし、北条家からしてみればこの依頼はもともと北条家が受けたもの。
お互い命をかけたお仕事なので、気が張り詰めているのはわかるのだが、正直この殺気だった雰囲気は妖魔退治の前にはよろしくない。
「どうするの?」
「どうするって言われても、止めないとダメだろ」
「でも向こうも譲る気はないみたいよ」
今までも似たような縄張り争いで、他家同士がぶつかり合った事は何度もある。ただ近年は術者の一族が日本各地に散らばった事と、術者同士の中で管轄のエリアを区切った事で、このような揉め事はずいぶんと減ったとは聞いていたのだが、このルールは明確に取り決められたものではないため、いざ現実に術者同士が揉めた場合、現場の指揮官がこれを収めなければいけないという決まりになっている。
「頑張ってね、指揮官様」
「お前、ちょっと楽しんでないか?」
「ふふふ、たぶん気のせいよ」
乙女の下着を覗いた罰よ、とか、己の行動に罰が当たったのよ、とか、多少ざまぁ見なさいという気持ちは無きにしもあらずだが、そこは些細な問題であろう。
「ホント今日は厄日だな。とことで沙……じゃなかった、システィーナ。あの先頭に立っている術者、随分と若いみたいだが……」
「ん? げっ、なんでアイツがここにいるのよ」
遠くてよく分からなかったが、蓮也に言われ北条家側の現場指揮をとっていると思われる術者に目をやれば、そこには見知った一人の男性が目に映る。
「俺たちと同年代のようだが、やっぱり知って奴なのか?」
「……えぇ、よく知っているわ」
一瞬蓮也には誤魔化そうかと思ったが、別に隠しておく必要も全くないし、下手に隠して後々変な誤解をされても困るので、軽く目の前の男性の素性を説明しておく。
「名前は正木 茂、年齢は確か今年で19歳だったかしら?」
家族構成は両親と兄一人、弟一人の5人家族。北条家とは長年の付き合いで、その歴史は安土桃山時代頃まで遡れる。
「性格は横暴で傲慢、他人を見下すことしか出来ず、自分は選ばれた人間だと勘違いしているような人間よ」
言うなれば、最低のクズ野郎といったところか。
私がそうであったように、北条家の中では精霊の力をそのまま自分の実力と思い込み、強いものは弱者を罵り、弱い者は強者に従うしか出来ない、そんな環境が出来上がってしまっている。
そんな人状況を作ってしまった原因は、100年に一人の逸材と言われる兄の存在であり、一族は今世こそ北条家を日本最大の一族にのし上がろうと必死にもがいているため、力の強い術者がどうしても必要以上に傲慢となっているのだ。
「なるほどな。それにしてもやけにあの男のことに詳しいな」
「まぁね、不本意ながら私の許嫁だったのよ」
「!?」
私の言葉を聞き、蓮也に驚きの表情が浮かぶ。
まぁ普通は驚くわよね。近代文化を多様に取り入れいる結城家では、既に過去の遺物となっているが、未だに過去の功績にしがみ付き、より強い術者を生み出そうと必死になっている北条家では、親同士が決めた結婚は珍しくもなんともない。
唯一の例外を挙げるならクリスのご両親なのだが、あの方は親が決めた婚姻をかなぐり捨て、当時日本へ留学中だった女性と結婚して、お子様まで儲けられたのだ。
当時の事は私はよく知らないのだが、随分一族内で揉めたのだと聞いている。
「誤解される前に言っておくけど、私にその気はサラサラないわよ。それに私は既に北条家の敷居から出ているのだし、今更戻れと言われても戻るつもりもない。第一あんな最低なクズ野郎に下るなんて、舌を噛んで死んだほうが何十倍もマシっていうものよ」
正直勘当された身とはいえ、実家を出るその時まで許嫁の話は継続中だった。
それがその後どうなったかなんて、私が知るはずもないのだし、知りたいとも思わないので、あんなクズ男の事なんて今の今まで忘れてしまっていた。
向こうも当時から私の事を無能無能と蔑んですんいたのだし、こんなにも性格が歪んでしまった私の事など気にも留めていないはず。
ただ当時は、私との許嫁は北条家の当主が自分を選んだのだと勘違いしていたようなので、それが白紙になったとなれば、彼の自尊心を傷つけたのではないだろうか。
「まぁ私とあの男の関係はそんなところよ。ぶっちゃけ良い思い出なんて何一つないし、二人の間に恋愛云々なんて全くない。寧ろ私としては名前を呼ぶのすら鬱陶しいぐらいよ」
思い出されるのは辛く悲しい日々。当時の私は本当の意味で無能だったから、周りから投げかけられる言葉に怯え続けて来た。その中で特に酷かったのは実の兄と、この正木茂だったのではないだろうか。
「お前も随分と苦労してるんだな」
「私をなんだと思っているのよ。もしかして良家のお嬢様が家出ごっこをしているとでも思っていたの?」
「……スマン。悪気があっての事じゃないんだ」
蓮也にしてみればいつもの悪ふざけで返したつもりなんだろうが、苦悩だった過去を触れてしまい、高ぶってしまった感情を私は八つ当たりのようにぶつけてしまった。
それが伝わってしまったからこそ、蓮也は敢えて自分が悪かったと謝ってくれたのだ。
まったく、いつも同じようにもうすこし優しくしてくれたっていいと言うのに。
「私の方こそゴメン、切り替えるわ」
「あぁ」
過去を振り払うように今一度蓮也と共に現実へと向き合う。
まずは自分に与えられた仕事をこなすのだ。それがいずれ私を過去の記憶から解き放ってくれるのだと信じて。
私は改めて蓮也と向き合い、騒ぎを収束すべく術者が集まっている現場へと歩んでいく。
「お待ちしておりました蓮也様」
「どういう状況だ?」
さすが結城家の人間と言うべきなのだろう。先ほどまでのお茶らけていた雰囲気は姿を隠し、顔つきから言葉遣いまで結城家の人間に相応しい態度で蓮也が対峙する。
「実は北条家の者と管轄区分のことで揉めておりまして」
やはりそうか。私と蓮也が想像していた通り、互いの縄張り争いが収集つかないまま、膠着状態が続いているのだろう。
あちら側は現場の指揮を取る正木 茂がいるが、結城家側はたった今現場指揮を任されている蓮也が到着したばかり。結城家の術者達も指揮官不在で強く出られなかったのではないだろうか。
「なんだお前は」
「俺は結城蓮也、この現場の指揮を任されている」
開口一番お前呼ばわりとは、相変わらず他人を見下す事しか出来ないあの男らしい言葉。
一方年下だというのに、蓮也の態度は幾千も修羅場をくぐり抜けてきた強者の貫禄すら見え隠れしている。
「ふん、結城家の人間か。今頃ご到着とはいい身分だな」
「悪かったな。こちらも妖魔の気配を感知したと思ったら、まさか誰かさんの尻拭いだったとは思っても見なかったんだ」
「な、なんだと!」
売り言葉に買い言葉、蓮也と茂との間には実に二歳差があるとはいえ、その実力も経験の違いもまるで雲泥の差。おまけに蓮也の後ろには日本最強と言われる結城家が存在し、今は相棒とも言える私が側で控えている。
二人の遣り取りを見ただけで、何方に余裕があるかは一目瞭然であろう。
「そう怒るなって、誰もお前が取り逃がしただなんていってないだろう? それもに何か? 今俺の目の前にいる指揮官様が、その妖魔を取り逃がしたって事でいいのか?」
「……くっ」
あちら側にしてみれば、例え自分が直接逃した訳じゃないとしても、現在現場の指揮を取っているのは間違いなく正木茂ご当人。もし一度の失敗で指揮官を下ろされていれば、こんな場所まで乗り込んでは来なかっただろうし、執拗に現場を譲らないところをみれば、自ら失態を払拭しようと考えているとも取れてしまう。
蓮也もその辺りを遠回りに嫌味をぶつけているのだ。
「それでそっちは名乗らないのか? それとも名乗りたくはない理由でもあるのか?」
まったく蓮也も人が悪い。私から茂の話は聞いているのに、自分は何も知らないから名前を名乗れと煽ってくる。しかもその言い回しでは、妖魔を取り逃がした人間の名前を教えてくれ、とでも言っているようなものだろう。
「フン、貴様如きに名乗る名などない!」
「まぁ、いいけどな」
よもや年下相手にありふれた定型文しか返せないとは、どうやら私が思っていた以上に小物のようだ。