中
次の日も、やっぱりセラはそうじを続けていました。
魔女は何も言わずにそのわきを通りすぎて外に散歩に行きました。
セラも何も言わずに布巾で棚をふきました。
暗くなって家に戻ると、セラはやっぱりそうじを続けていました。
魔女は何も言わずにそのわきを通りすぎて部屋に引っ込みました。
セラも何も言わずにはたきで燭台のほこりを払いました。
ずっとそうじしていたのかな、と魔女は少し気になりました。
見てないところで休んでるのかな。
じゃないとさすがに疲れるものね。
魔女がベッドに入ってからも、たまに外から小さく音がしました。
もしかしたらまだセラがそうじを続けているのかもしれませんでした。
その音を遠くに聞きながら、魔女は眠りに落ちました。
次の朝、部屋を出ると、やっぱりセラはそうじをしている。
またほうきを手に持って、廊下の向こうでほこりを集めてる。
魔女はそばまで歩いて行って、「早起きね」と言いました。
「はい、うるさかったですか?」
「別に」
「それならよかった。おそうじ続けますね」
「食事はとってるの?」
別に心配になったわけじゃない、と魔女は自分に言い聞かせました。
情を見せれば付け込まれるかも。
だからなるたけ慎重に言ったつもりです。
「はい。お台所にあったものを食べさせてもらってます」
「そう」
「ご心配ありがとうございます」
違う違う。そうじゃない。
そう言いたいのをがまんしたのは、もし言ってしまえば照れ隠しに聞こえるかもと思ったからです。
ぷい、と魔女はセラに背を向けて、その場から姿を消しました。
その夕方のことです。
散歩から帰ってきた魔女の耳に、ぎゃあぎゃあという騒ぎが聞こえました。
「まさか……」
魔女があわてて家のそばにある小屋に走っていくと、そこかしこに黒い羽根が飛び散っていました。
そしてうずくまったセラに、カラスがおそいかかっている。
その小屋はカラスのバーナードのすみかだったのです。
バーナードは、勝手になわばりに入ってくるよそものを許さない。
つつきまわされてセラの袖はやぶれて、腕からは血が流れていました。
バーナードのくちばしはとてもするどいのです。
「バーナード!」
魔女の声に、カラスがセラから離れます。
魔女はセラにかけよりました。
「ちょっと、大丈夫?」
「ごめんなさい、ごめんなさい……っ」
セラの体は、おびえて小さく震えていました。
魔女はその背中をさすります。
「大丈夫。もう大丈夫だから」
顔を上げると、森の木の枝から、バーナードがきまり悪そうに魔女たちを見下ろしていました。
◇◆◇
手当てが終わって、魔女は小さく息をつきました。
「はい、終わり。これで大丈夫」
「ありがとう、ございます」
どこかぼうっとした顔でセラが言います。
魔女は頭を下げました。
「わたしのバーナードがごめんなさい。ひどい目にあわせたわね」
「いいんです。ひどい目にあうと言われたのに残ったのはわたしですから」
傷にあてた布に目を落としたセラは、落ち込んでいるように見えました。
魔女はたずねようかどうか迷いました。
と言うのも、傷んだ服を替えさせた時に、彼女の背中に大きなやけどのあとを見たのです。
とてもとても痛ましいけがのあと。
彼女はここに来た時言いました。
殺したい人がいる。世界にいなかったことにしてやりたい人がいる。
それが、なんとなく、そのやけどのあとと関係しているのではないかと思ったのです。
でも、なんときけばいいのでしょう。
魔女は迷いました。
迷って、迷って、やっぱりきくのはやめました。
代わりに別のことを言いました。
「あなたはやっぱり帰った方がいいと思うわ。わたしは魔法を教えてはあげられないし、ここにいるとあなたにもよくないから」
セラが顔を上げました。
魔女はその顔を見てぞっとしました。
こわい顔、ではありません。
ではどんな顔だったのか。
一番近いのは、見捨てられておびえる迷子の顔でしょうか。
「わたしに帰る場所なんてありません。どこにも」
消え入るようなその声に、魔女は何となくわかった気がしました。
彼女は生きるか死ぬか、それぐらいの覚悟でここに来たのだと。
◇◆◇
魔女が部屋の机でぼんやりしていると、扉が小さくノックする音がしました。
大きすぎず小さすぎず、なんだかやさしい音でした。
扉を開けて入ってきたセラは、右手の小指をしめしてほほえみます。
「曲げた小指でノックすると、ちょうどいい音になるんですよ。思いやりのあるやわらかい音に」
それから魔女の正面まで来て頭を下げました。
「ごめんなさい」
「なにが?」
「昼間、ご迷惑をかけました」
「別にいいわよ」
魔女は首を振ります。
「それで、帰る気になってくれた?」
「いいえ。ここに置いてください。それをもう一度言おうと思って」
そうだろうとは思っていました。
「そこまでして魔法を学びたいの?」
「はい……といいたいんですけど、本当は違います」
魔女はこれにもあまり驚きませんでした。
これも昼間のあの時に、何となくわかっていた気がしたからです。
だから、ため息をつきながら言いました。
「あなたが殺したがっているのは、あなた自身よね?」
「はい」
セラは小さくうなずきました。
「わたしはわたしにいなくなってほしい」
魔女は静かにセラの目を見つめました。
そこには、初めて出会った時から変わらない、強い光がありました。
少女は身の上話を始めます。
「わたしはここから遠く離れた村で生まれました。生まれたと同時に母が死にました。わたしは母を殺してこの世に産声を上げたんです。わたしはそのことを五歳になるまで知りませんでした。でも、うすうすは気づいていたかもしれません。父や二人の姉や村の人たちのわたしを見る目やわたしにかける言葉、その呼吸。すべてが何かをわたしにほのめかしてたように思うんです」
セラは淡々と続けます。
「この人たちが知っていることをわたしは知らないんだ。だからわたしは必死になって彼らに溶け込もうとしました。こういうといじわるされていたように聞こえるかもしれませんが、別にそういうわけではないんですよ。ただ、わたしは浮いていた。わたしは異物だった。わたしはがんばったつもりです。でもだんだん、わたしもわたしが邪魔に思えてきた」
彼女は天井を見上げます。
「事故に見せかけて自分を殺そうとしました。火事を起こしてその中で死のうとしました。でもだめでした。わたしは父に助けられ、おそろいのやけどを負いました。父にもけがをさせてしまったんです。その時にわかりました。わたしは死ぬだけじゃだめだ。初めからいなかったことにしなきゃだめなんだって」
「だからわたしのところに来たのね」
「はい」
魔女の言葉にセラはうなずきます。
「存在を根こそぎにする魔女。その人ならわたしたちを救えると思いました」
「そんな魔法はない……っていってもきかないわよね?」
「ええ。もうわたしは消え始めていますから」
セラは手を開いて見下ろします。
「もう、わたしの体に触れても触れた感触はないんです」