上
世界の果てに、霧に包まれた森がありました。
どこまでも続く大きな森です。
ここに一度ふみ入った人はきっと、二度と外に出ることはできないでしょう。
それくらい深い森。
その奥に一軒の家がありました。
とても大きい家でした
そこには魔女が住んでいるそうです。
美しい女の人の姿をしたその魔女は、何十年も前からたったひとりでそこにいます。
なぜひとりぼっちなのでしょう。
それは彼女がこわい魔女だから。
昔はその魔女にもたくさん友達がいたそうです。
でもある時気がふれた彼女は、魔法でみんなから存在の根っこを引き抜いてしまったとか。
存在の根っこが引き抜かれると、その人は世界から引きはがされてしまいます。
魔女はそうやってみんなから形を奪って自分の召使いにしてしまったのです。
存在だけを消されて、ずっとはたらかされ続ける。
なんと恐ろしいことでしょう。
そういうわけで魔女はその日もこの世界の果ての森でひとりぼっちでした。
一人で森の道を、歩いていました。
目的地があったわけではありません。
ただ歩きたいから歩いてた。
「今日はやけに鳥たちが騒がしいわね……」
魔女はちらりと見上げて呟きました。
その肩にとまっている大きなカラスがうなずくように一声鳴きました。
魔女はその頭に手を伸ばして優しくなでます。
「いい子ね、バーナード。でもうるさいからって殺しちゃダメ」
カラスは少し残念そうでしたが、ふいに顔を上げました。
魔女もその視線を追って、振り向きます。
そちらには茂みがありました。
魔女が見つめる先で、その葉ががさがさと揺れて、よろめくように小さな人影が出てきて膝をつきました。
うずくまりながらも顔を上げて、魔女の方を見ました。
強い目。
魔女は何より最初にそう思いました。
何かを心に決めた人間の目。
でも同時にとても弱くてこわれやすそうでもある。
視線が交わったのはほんの一瞬。
少女はすぐに倒れて気を失いました。
そう、少女です。
ほんの十三、四といったところでしょう。
気絶して、ピクリとも動かない。
カラスがまた、一声鳴きました。
魔女はその背中をなでながら、少女をぽかんと見つめていました。
それが二人と一羽の出会いでした。
◇◆◇
天蓋つきのベッドの中で、少女は目を覚ましました。
体を起こして見回すと、がらんどうの部屋でした。
部屋の中心のベッドの他には何もない。
壁も床も真っ白で、申し訳程度にカーペットが一枚だけ敷いてある。
少女はしばらく部屋を観察した後、ベッドから下りて歩き出しました。
部屋の扉を開けると、外には同じように白い廊下が左右に伸びています。
少女は何も言わずに歩き続けます。
廊下を進んで突きあたりの扉を開けて、また現れた廊下を進んで同じように突きあたりの扉を開ける。
何回か繰り返した後、最後に古い木の扉にたどりつきました。
少女は迷わず開けました。
「……礼儀がなってないんじゃないかしら」
その部屋には今までの部屋と違って本棚がいっぱいありました。
粗末ですが机もあります。
その机で分厚い本を読んでいた女の人が、責めるような目で少女の方を見ていました。
「ごめんなさい」
少女はぺこりと頭を下げました。
それから、
「助けてくれてありがとうございました」
とお礼を言って、
「わたし、セラっていいます。わたしに魔法を教えてください」
と、もう一度頭を下げました。
魔女は思わず「はあ?」と声を上げました。
「お願いします。どうしても学びたいんです」
少女の目は、やっぱりまっすぐで強い光がともっていました。
とてもきれいで、でも悲しい光だ、と魔女は思いました。
魔女が何も言わずにいると、セラはもっと強く言いました。
「どうかお願いします。必要なんです」
「どうして?」
「わたしにはやらなきゃならないことがある」
「やらなければならないことって?」
「殺したい人がいるんです。いいえ、殺すんじゃ足りない。この世界にいなかったことにしてやりたい」
魔女は小さく息をのみました。
そして首を振ります。
「そんな魔法はないわ」
「うそ。知ってます。あなたが人の根っこを抜けること。そうやって人をいなかったことにできるんでしょう?」
「そんな魔法はない」
魔女はそう繰り返しました。
「何か変なうわさを聞いたのかもしれないけれど、わたしは誰にも魔法を教えるつもりはない。絶対誰にも。あんまりしつこいようだと、ひどい目にあわせるわよ」
そして出口を指さします。
「わかったら出て行って。そして二度と姿を見せないで」
セラはしばらくそこに立ちつくしていましたが、しばらくして諦めたのか、部屋を出て行きました。
魔女はほっとため息をつきました。
まだ何も終わってないとも知らないで。
◇◆◇
長い読書を終えて部屋を出た魔女が見たのは、どこから見つけてきたのか、ほうきとモップを手にかけまわるセラの姿でした。
「……なにやってるの?」
「おそうじ」
それだけ返事して、セラはあちこちをきれいにして回ります。
ていねいにていねいに。
廊下も部屋も広いのに、一か所一か所ちまちまと。
「もう一度きくけど何をやってるの?」
「きれいにしてます」
「なんで?」
「わたしにはそれしかできないから」
魔女は腕を組んで考えました。
その間にもセラは少しずつほうきで床をはきながら移動していきます。
魔女は歩いて追いかけながらようやく口を開きました。
「わたしの機嫌を取ってるの? そんなことしても無駄よ。魔法は絶対教えない」
「いいんです。わたしはできることをするだけです」
「帰りなさい」
「いやです」
「怒るわよ」
「それでもいやです」
セラはなかなか強情でした。
魔女は呆れてたずねます。
「あなたわたしがこわくないの?」
「こわくないです。もっとこわいことがあるから」
モップで床を拭きながら、セラはそう答えました。
魔女は気になってたずねます。
「わたしよりこわいものって何?」
今度の質問にはセラは答えませんでした。
ただ魔女の方を見て、にこりと一度笑いました。
そしてまたそうじに戻っていきました。
魔女はとりあえず諦めることにしました。
何を言っても無駄なように思えたのです。
それに、どうせしばらくすれば自分から出て行くでしょう。
そうしたくなるに決まってるのです。
手遅れになる前に間に合えばそれでいい。
そう考えることにして、元の部屋に引っ込みました。
こうして魔女とセラの二人の生活は始まったのです。