07.魔術士ハルト2
パチリ、と焚火の炭が崩れ落ちた。魔術機関"蒼の塔"の外部調査員、ハルトは街道沿いの草原で野営をしていた。幾分か間を置き、朝日が昇る。
まぶたに朝日を受け、ハルトは目を覚ました。毛布を体の脇によせ、軽く丸める。立ち上がり、外套に付いた土埃を払う。頭の上で手を組み、野営で強張った体をぐ、と伸ばす。
ハルトは首元の紐を手繰り寄せた。胸元から丸い石を半分に割ったようなものを取り出した。手のひらに収まる大きさで色は全体的に黒く光沢感が有る。丸い曲面には呪術的な模様が刻まれており、平面側は鏡のように磨かれている。曲面側を手に持ち、鏡のように磨かれた平面側を顔に向けた。
(定時連絡は……)
ハルトは脳内で魔術回路を構成した。魔力が手のひらに流れるよう意識する。手のひらに収まる曲面の、呪術的な模様に沿って不規則な光が流れ出した。不規則な光の流れが徐々に規則的な光り方になり、鏡で磨かれたような平面が薄く発光した。ハルトが見つめる平面に光る文字が流れ始めた。
ハルトが手にしているのは魔力を伝えて通信を行う、魔導通信機である。"蒼の塔"からの調査指令もこの魔導通信機で伝えられる。"蒼の塔"の情報分析部から、前日夜に定時連絡が送られ、日の出とともに確認する運用になっている。魔導通信機を操作し、定時連絡を確認する。
<<聖獣"ヤム"はヴァール大樹海に入った。樹海の浅い位置を移動している>>
ハルトは"蒼の塔"の指令により、耳長族を守護する山ヤギに似た聖獣"ヤム"を追跡していた。ヴァール大樹海。複数の世界樹が競うように生い茂った魔境だ。単に樹海と呼ばれる事が多い。樹海の中でも人族・亜人種の支配圏と接した一帯は樹海浅層と呼ばれる。
<<樹海浅層に、魔素濃度の変化を観測した。樹海内で正確な範囲は計測しきれないが、おおよそ街がひとつ収まるほどの範囲が有るようだ。聖獣の進行方向と一致している。聖獣の目的地で有る可能性が高い。樹海に入り、魔素濃度の変化を観測した地域に向かって欲しい>>
魔素。魔力を産み出す素であり、魔術回路を通じて世界に変化を起こす素である。魔素は空中のみならず、水中、地中、あらゆる空間に存在する。魔素濃度の変化。ハルトは術士大学校での講義を思い出す。
魔術で世界変化を起こす際、魔素を消費する。大規模な魔導機械や儀式魔術では魔素を大量に消費する。結果として空間の魔素濃度が変化する。空間の魔素が枯渇する場合も有る。空間の魔素が枯渇しても、周囲から魔素が流れ込む。この際魔素の流れが発生する。時間が経てば一定の魔素濃度に戻る。
この魔素濃度の変化を"蒼の塔"は観測したのだろう。
(超魔法帝国の遺跡が起動したか)
遥か昔、栄耀栄華を誇った人族の理想郷が超魔法帝国だ。超魔法帝国は見渡す限り街が広がり、常春の暖かさと常秋の実りで人族は繁栄を謳歌したと言う。
永遠に続くかと思われた超魔法帝国の繁栄は、魔導機械の暴走によって一夜にして滅びたと言われている。超魔法帝国の滅びた地は、残留魔素を糧にし複数の世界樹が競うように生い茂り、世界樹層が折り重なる樹海と化した。この樹海が今で言うヴァール大樹海だ。
ヴァール大樹海から溢れる魔獣・魔物により樹海に面した人族・亜人種は滅びに瀕した。しかし、超魔法帝国が残した魔導機械と魔術を使い人族・亜人種は生き延びた。樹海の薄い地域を縫うように国家が生まれ、現在に至っている。
時折、樹海から魔導機械が発掘される事が有る。何かのきっかけで大規模な魔導機械が動き出した結果、広い範囲で魔素濃度の変化が起きてもおかしくは無い。
(教国か王国による儀式魔術実行の可能性も有る)
ハルトの国、共和国は3つの国と面している。北方に位置する魔導機械の技術に優れた軍国主義の帝国。西方に位置する宗教を利用した強固な統治を行う教国。南方に位置する人族至上主義を唱える封建国家の王国。目的地は帝国から距離が離れている。消去法で教国か王国の関与を疑う。
儀式魔術は戦術級、戦略級の世界変化を起こす。世界変化の結果は様々だ。例えばハルトの師にあたる魔術士は儀式魔術で山一つを吹っ飛ばすし、ある魔術士は万の軍勢を押しとどめる石の壁を築いた。単なる他国の実験か、共和国に敵意を持った世界変化か。目的が不明の聖獣"ヤム"よりも優先的に調査が必要だろう。
(強大な魔物や、神の使徒が顕現した可能性も有る。要注意だな)
魔導通信機を操作し、定時連絡の続きを確認する。
<<目的地の座標を送る。「◇」で示している点だ>>
ハルトは魔導通信機の鏡のように磨かれた平面に触れ、指を何度か滑らせた。すると、魔導通信機上に簡素化された地図が表示された。簡素化された地図上に、3つの光る点が表示されている。一つはハルトの現在位置が「〇」で表示されている。一つは聖獣"ヤム"の現在位置が「▽」で表示されている。最後に、樹海内で広範囲に魔素濃度の変化が有った地域が「◇」で表示されている。「◇」の位置は、現在のハルトの位置から7日ほどの距離だ。
<<知っての通り、魔導通信機は街道付近でしか通信できない。樹海内では魔導通信機が通じない。魔導通信機上の聖獣の地図表示はこれから更新されなくなる。多少誤差が出るが、現在位置は樹海内でも更新される>>
<<仮に聖獣と遭遇しなかった場合は、魔導通信機上の表示を道しるべにし、魔素濃度が変化した原因を調査して欲しい。調査結果は街道付近に戻って報告してくれ>>
定時連絡の最後に、ハルトの師から伝言が有った。
<<不確定要素が多い。気を付けろ。腕輪の確認を怠るな。命を最優先にするんだ。健闘を祈る>>
ハルトは左腕につけた腕輪を見た。腕輪は鈍い銀色で光沢が有る。指二本分ほどの太さが有り、複雑な模様――魔術式が刻まれている。腕輪の中心には親指大の深い青色の宝石がはまっている。青色の宝石は時折紫のまだら模様が波紋のように広がっては消え、複雑な色合いを見せている。
(わかってますよ、先生)
青色の宝石は魔物や魔獣から採れる魔石である。通常は深い青色で、体外に漏れる魔力が多くなると紫を経て赤に染まる。ハルトは定期的にある種の魔力暴走を起こす体質だった。腕輪は魔力暴走の時期を知らせ、ある程度魔力暴走の影響を抑える。魔力暴走の影響は完全には無くせず、注意が必要だった。
魔導通信機を外套の内側にしまい、出発の準備をする。干した果物と肉を食べ、魔術で出した水で口をすすぎ、顔を洗う。焚火に土をかけた。毛布を畳み背荷物袋に入れる。木につないだ馬の手綱を持った。街道を外れ、草原に入る。樹海方面へ手綱を向けた。