02.彩佳2
彩佳が中学受験の準備に入る頃、師弟関係は突然終わりを告げる。
「彩佳ちゃん、私結婚する事になったんだ。ごめんね……勉強はもう、彩佳ちゃんなら大丈夫」
魔法が使える年齢になっていたはずの師匠は、世を忍ぶ仮の姿に身を包みお見合いに成功。心の奥底に情念を隠し、人並みの幸せを手に入れていた。
彩佳は家族とともに、師匠の結婚式に呼ばれた。花嫁姿の師匠は美しかった。まるで浅瀬すずのお姉さんみたい!とは母の言葉だ。結婚式は二人の馴れ初めのビデオから始まり……ビデオの内容が普段の師匠とはかけ離れていた。世俗とはこのようなものか。世知辛い……彩佳は小学校6年生の時点で色々悟りを開いていた。この後の式の詳細は覚えていない。師匠のうれし涙が美しかった事は覚えている。あと、伊勢海老のホワイトソース焼きは美味しかった。
彩佳は無事中学受験を乗り越え、大学までエスカレーター式に進学する学校に入学。師匠は旦那さんと同居するため、引っ越す事になった。引っ越しの前のあいさつ回り。彩佳宅はあいさつ回りの最後らしく、彩佳の部屋で師匠と別れを惜しむ事になった。
彩佳は師匠からUSBメモリを受け取った。
「これは私の宝物……良かったら大切にしてね」
「深く伝えられなかったけど、オメガバースについての作品と、私の考察も入れておいたよ」
オメガバースとは、オオカミの生態を参考にした階級社会+男性でも妊娠可能な特殊な世界観設定の事だ。
「ありがとうございます、大切にします。私がここまでこれたのも師匠のおかげです…!」
師匠は遠い街に旅立った。師匠の「つぶやいたー」のアカウントも無くなっていた。師匠の幸せを壊してはいけない……彩佳は師匠への連絡を断った。
彩佳は涙を拭い、師匠から引継ぎがれた厳選された尊い作品の数々と向き合った。彩佳の原典とも呼ぶべきもの。繁殖の無い、次代に物理的に繋がることの無い、けれども無償の愛。現実は儚くも非情だ。非情な現実に対する、男同士で妊娠できる癒しの世界設定。オメガバース!
師匠が残した原典と考察を元に、スコラ学さながらに自己の価値破壊と建設を繰り返した。別れは出会いの始まり。中高と文芸部に所属し、熱い想いを文芸部のみならず美術部、写真部など文化部連合会(略して文化部連)の同志と分かち合う日々を送った。3段目の机の奥に有る原典は、師匠から受け継いだもの以外に作品数と考察を増やし、彩佳は文化部連BL四天王と称されるほどに趣味に没頭していた。
(来年は即売会イベント出来るのかな……)
彩佳が属する文芸部では、時事ネタや話題の作品に絡めた、先鋭的な作品作りに定評が有った。文芸部の作品は文化部連の相互協力が有った。小説には挿絵イラストが有るし、エッセイには写真が付く。漫画作品は原作・プロットを文芸部が担当。作画は美術部の協力の下完成させる。夏休みと冬休みは文芸部の活動が活発になる時期だった。イベントでの作品発表、ひいては布教に勤しむ日々。しかし去年、今年と疫病の影響で即売会は中止されていた。
ス、と窓の外で光の線が斜めに走る。
(あ、流れ星)
流れ星と言えば、数年前の文芸部の作品……アニメ劇場作品の「君の呼び名は。」を改変した作品を思い出していた。「僕たち」「俺たち」「「入れ替わってるー!?」」男の娘と男の子が入れ替わり生活を送る現象と、架空の彗星「フブル彗星」に関した出来事にオメガバース要素を加えた意欲作だ。SNS上でバズりにバズって薄い本が大量に売れ、税務署から学校に連絡が有ったのには驚いた。過去にも同じような事が有ったらしく、文芸部の顧問と部長・副部長で穏便に事を済ませた。
彩佳は「税務署がー」といった話をうっかり自宅で話してしまった。表向きは文芸作品の小冊子がなぜ、これほどまでに売れたか父母が疑問に思うのも当然だ。まっとうな感性を持ち、その方面には疎い父と母。匿名掲示板と「つぶやいたー」で師匠とともに磨いた饒舌すぎる弁術を使い、全力で煙に巻いて話をうやむやにした。今となっては良い思い出だ。
(また流れ星だ)
窓の外を、ス、スと光の線が走る。零れるように星が流れる。窓を開け、夜空を見上げた。大きく光の尾を引いた流れ星が視界の正面、地平線から弧を描いて現れわずかな角度を保ちながら左に進んでいる。流れ星の光の尾は夜空を2分しようとしていた。青や紫の寒色を基本としながら、緑の光が混じり、所々虹色に揺らめいている。
(まるで……夢のように美しい夜空……うほ……)
彩佳の脳内では「君の呼び名は。」の主題歌の替え歌である「男男男子」が軽快な曲調で鳴り響いていた。思わずにやける。かなり大きい流れ星のようだ。大きな光の尾から派生した、複数の小さな流れ星が地上に向かう角度で光の線を作っているのが見える。そのうちの一つ、大きめの流れ星が光の尾の一部から分かれ、灼熱した赤い色になり、地表に落ちている。
(隕石って高価なんだよね。近くに落ちたら拾えるのにな、遠いから無理か……と思ったらこっちに向かってる!)
空を2分する勢いの光の尾から、大きめの破片が弧を描いてこちらに向かってくる。どうせ大丈夫でしょう―などと考えていた彩佳だが、周辺が昼間に近い明るさになるにつれ、目を見開いて慌て出した。
「え、え!やばい!逃げなきゃ……どこに!?私が死んだら机の奥の原典が……嗚呼!!」
隣家がわからなくなるほどの光に包まれ、彩佳の意識は途切れた。