01.彩佳1
机の上は綺麗に掃除した。さて。次は窓のサッシのホコリを掃除しようか。静かな夜だ。
窓際に置いた勉強机の前に座り、少女は物思いに耽っていた。何故人は争うのだろう……世界が疫病と大国間の政情と人種差別で混乱している。奇しくも潔癖同調圧力大国の我が国日本は他国に比べると疫病を抑えていた。民度の高さ。素晴らしい。我が国の偉業に比べれば、私の目の前の問題は些末な事なのだ。
温かみの有るデスクライトに照らされた、自分の顔が窓ガラスに写っている。誕生日まであと半年。17歳。背中まで伸びた髪を、後頭部でひとくくり。お気に入りのシュシュを添えてポニーテールにしている。
形の良い眉だが、細く手入れしていないので幼く見える。生真面目な印象を与える黒ぶちのメガネ。メガネの奥には長いまつげの瞳。もう少し高くなってほしい、小さくまとまった鼻。薄い紅をさしたような健康的な唇。自然なふくらみの頬。年齢の割に幼い顔立ちかな。この間中学生に間違えられたし。美少女とは言えないけど、普通かな……と少女は考えていた。
机の上には複数教科の教科書とノート、題名と名前だけ書いた読書感想文の原稿用紙が整然と並んでいる。400字詰めの原稿用紙には「戦場で燃える命と愛」「橘彩佳」と綺麗な字で書いてある。彩佳は頬杖を付きながらお気に入りのシャーペンを手中でくるくると回そうとしては机の上に落とし、はぁ。溜息をつく。
「学校始まる……読書感想文やらなきゃ……」
他の宿題は終わった。明後日から高校が再開する。彩佳は原稿用紙を前に現実逃避をしていた。
明後日というのが曲者だ。今日感想文が進まなくても明日一日が有る。ぎりぎりのモラトリアム。はぁ。溜息をついて部屋を見渡す。お気に入りの本とマンガが並んだ本棚。大きな引き出しが2つついた、座るのにちょうど良いベット。枕元のピ〇チュウ、カ〇ゴンのぬいぐるみに癒される。
クローゼットの中はごちゃごちゃ。整理整頓しなきゃ。勉強机。机の周りは綺麗にしたけど、引き出しの中がごちゃごちゃ。一番下。3段目の大きい引き出し。引き出しの奥に隠したUSBメモリ。USBメモリに記録された、尊い作品の数々……。
彩佳は引き出しの奥の作品の事を考えながら、読書感想文の課題図書に目をやった。第二次世界大戦前のスペイン内戦の報道写真を撮る戦場カメラマンの本。戦場で燃える命と不条理をレンズに写しながら、二人の「男女」の戦場カメラマンは、迫害を逃れて互いに亡命の身を支え合う恋人となり……。
(はぁ!?なんで「男男」じゃないの!第二次世界大戦前に女が戦場カメラマンなんてやってんじゃないよ!!文芸部に所属する私の読書感想文が1行も進まないのは、課題図書の内容が悪いからだ!!)
艶めかしくも繊細な心情の機微が織りなす、バラ色の物語。彩佳は男性同士の恋愛が好きな腐属性を持っていた。禁じられた男男関係に思いをはせる、選ばれた人種なんだ……と女性率100%の文芸部内では盛り上がっている。
読書感想文を前にした現実逃避は、どこまでも彩佳の思考を深くしていた。小学校低学年の時に、同じクラスのタケルくんにいじめられていた。事有るごとに肩パンチ、こめかみをぐりぐりされたり、胸を突き飛ばされたり。大柄な男の子で抵抗も怖かった。
当時かなり悩んだ気がする。地震の次に男の子が嫌いになった。そんな彩佳を助けたのが細身だがしなやかな印象のカオル君だ。カオル君ともっと一緒に居たいと思った。親友になりたかった。きっと好きだった。初恋だった。しかし、初恋は実らなかった。
二次成長期前で気付かなかったが、カオル君はカオルちゃんだった。カオルちゃんは彩佳がタケルくんにいじめられている時だけ、彩佳に話しかけた。ややこしい事にカオルちゃんは彩佳をいじめていたタケルくんが好きだった。さらに後年になって知ったのだがタケルくんは彩佳のことが好きだった。
性愛が絡まないからこその、純粋だが歪んだ愛情表現。人は言葉というものが有るのに、なぜ素直な気持ちが伝わらないのだろう。男女の関係性とは、恋愛とは難しいものだ。幼いながら彩佳は恋愛そのものより、恋愛を難しい状態にしてしまう男女に興味を持った。と同時に普通の男女の恋愛関係というものに苦手意識を持った。
彩佳が腐属性になったのは、近所に住む年上のお姉さん……貴腐人の影響だった。当時引っ越したばかりの彩佳家。目鼻立ちが整っているが化粧や服に気を使わない、長身小太りざんばら髪のパワフルお姉さんとは町内会のご近所付き合いで知り合った。母親と近所のお姉さんが仲良くなり、有名大学卒のお姉さんが彩佳の家庭教師をする事になった。お姉さんはわかりやすく、彩佳の地頭が良くなるよう、かみ砕いて本質的な考え方を教えてくれた。
単なる家庭教師としてではなく、年齢の離れた友達として、時には学校での出来事を交えて相談した。彩佳は逆にお姉さんのお悩み相談を受ける仲になった。「タ〇バニがー」「相棒がー」「黒〇のバスケがー」よくわからずお姉さんの相談に乗っていたが、今思えばこれが腐海の入り口だった。
お姉さんは2次元、3次元に関わらず雑多で広く作品を鑑賞し、大学院で量子コンピュータの研究をしていたという優秀な頭脳を使って機智に富んだ深い考察を交えた上で学術さながらに分類整理。再構築し彩佳に年齢相応のBLの教えを授けていた。義務教育の保健体育の内容に合わせてBL密度は年々高まったが、ここでは詳細な記載を省く。
彩佳の学力は学年真ん中からTOP 10に上がると同時に、腐属性に染まっていった。お姉さんと彩佳は匿名掲示板で協力し、類まれなる対人討論能力を発揮。レスバ300連勝を達成するに至る。人気SNS「つぶやいたー」では気配を絶妙に察知し「┌(┌^o^)┐ホモォ・・・」とつぶやけば50RTと1000いいねを獲得。最もバズった会心のつぶやきは5万いいねに達した事も有る。界隈で権威を持つに至っていた。二人は公私ともに師弟の関係であり戦友だった。