油断
次の日、事務所に訪れたウルエジの格好は昨日とは全く違った。ロッソから渡された軍服は見事に改造されている。袖はバッサリ切り落とされ半袖、胸ポケットも外されておりベルトは通常よりも低い位置で締められていて、股下まであった着丈も股より数センチ上、革手袋は付けておらずベルトに挟み込み、踵にくっつきそうなほどあったパンツはくるぶしの少し上まで裾上げされていた。
「うひゃ〜……改造ってよりは撤去だね……」昨日と同じく床で胡座をかいていたネーナはウルエジの姿を見るなり頭を掻きながら驚いた様な呆れた様な顔で言った。
「ていうか、軍服の特徴的なところだけ見事に削ぎ落としたわね……」
「そういうアンタだって全く面影がないだろ。」
「それを言われるとねぇ……ん?マントは?」
「ここ。」そう言って、自分の腰に指をさした。そこにはポーチが2つ付いていた。
「貰った物を速攻でリサイクルしたのね……」額に手を当てながら言う。
「使ったのは俺の金だろ。それより“他の“は?」
「ああ、みんなはもう見廻りに出かけたよ。ついさっきね。あなたはまだ担当区画が決まってないからしばらくここで………ん?」突然何かに気づいたように片耳を手で塞ぎ、目を閉じる。
「まずいわね。そこまで近くはないけど森の方から何かくる。まだ街に向かってるとは限らないけど心配ね。一番近くにいるのは……カラノスね。悪いけど、念のためカラノスと合流してきてくれない?隊長には私が連絡しておくから。(ウルエジにはとにかく実践から学んでもらわないと……)」
「分かった。場所は。」
「えっと……東区の家畜小屋前ね。そこで合流できるはずよ。」
聞くとウルエジはダッと走り出していった。
「なんでここまで簡単に無理矢理連れてこられた人達の言うことが聞けるんだろう……?」背中を眺めながら独り呟く。
家畜小屋の前まで行くと、昨日とは違い、森の保護色となっているギリースーツを着たカラノスが家畜の入っている柵を背にしゃがみ込んでいる。ウルエジが近づくと「ネーナの知らせか……」ヒソヒソと言った。
「何か来るらしい。」
「何となくは分かっていた。さっきよりずっと近くまで来ている。念のため、住民は避難させた。」
ウルエジがチラリと後ろを見ると家畜の羊達はおびえたように固まっている。その時、森の中から微かに足音が聞こえてきた。それなりの重量感があり、それでいて足音の間隔は段々と早くなっていく。それに連れて足音は大きくなっていき、同時に枝が折れる音も聞こえてきた。しかし、それがいきなりピタリと止まった。
「来るぞ……!」そう言うカラノスからは顔の出ている面積が少ないギリースーツからでも分かるほど汗をかいていた。次の瞬間、今まででもっと大きい足音と共に木を薙ぎ倒しながら4メートルはある毛むくじゃらな巨体が姿を現した。
頭はキツネやオオカミの様な肉食目と犬に類似した骨格をもっていて、胴体の大きさに対して不気味に長い脚で四足歩行しており、とてもさっきの様な重量感のある足音を出せるとは思えない。
臭いでウルエジ達に気づくや否や右前脚を振り上げこちらに突っ込んできた。2人は別々の方向に回避し構える。
「ウルエジ!家畜を守りながら戦えそうか!」どこに持っていたのか、自分の体程もある巨大な弓とその半分以上はある矢を構えながら叫ぶ。ウルエジは咄嗟にその言葉の意図が読み取れず返事が出来ずにいた。考える暇もあるはずなく、獣は向きを変えると同時に腕を横に振った。
毛に覆われた巨大な棍棒はウルエジに向かって飛んでくる。すぐに防御に入るがそれでも衝撃は凄まじく、ウルエジは全身に力みを入れ踏ん張る足で地面を抉りながら押された後に軽く数メートルは跳ね飛ばされた。すぐに空中で体を小さくかがめて、衝撃を吸収しつつ着地。攻撃を防いだ右手からは血が滴っている。獣はもうウルエジに興味はなく、目の前の家畜を涎を垂らして見定めていたいた。その時、強く空を切る音がし直後、獣は横にのけぞった。カラノスの放った矢が獣の肩に突き刺さっていた。
「クソ、心臓を狙い損ねた。臭いで分かるんならギリースーツなんて着てなくても一緒か……」そう言いながらフードを外し、ギリギリと弦の音をたてながら次の矢を引き絞る。
しかし、カラノスにも興味がないらしく、今度は身を屈めて完全に飛びかかる体制に入っていた。
今度はウルエジが行動を起こした。獣が地面を蹴り地面から飛び上がった瞬間、地面からたった数センチ足が浮き上がった瞬間に尻尾を掴み、自分の体ごと連れて行かれそうな力がかかっている中、無理矢理相手の体を引き戻し地面に叩きつけた。
その瞬間を狙い、カラノスが矢を放つ。矢は空気を裂く音を残して獣の右目に突き刺さる。
獣は叫びながら地面を転がり、ウルエジの脇をすり抜けて森へ入っていった。
「待て!追うな!」ウルエジを止める。
「な、なんで……」
「なんでじゃない……!自分の体をよく見ろ!」
ウルエジの胸には破れた服の隙間から血が滝のごとく出ていた。自分の体の状態に気づいた瞬間、膝から崩れ落ちた。
「動くなよ……!」カラノスはかがみ込み、ウルエジの後ろ首を支え、服を破り捨てた。次にポケットから銀製のスキットルを取り出して傷口にドバドバとかけた。ウルエジは痛みで暴れるがカラノスが力尽くで抑え、スキットルと同時に取り出していた包帯でキツく縛った。
「お前、俺の矢が奴の目に刺さった時に“勝った“と気を抜いたろ。その一瞬が奴がお前とすれ違った瞬間だ。内臓をぶち撒けられなかっただけ運が良かったと思え!」腕にも包帯を巻き、強引に立ち上がらせながら言う。
「もうすぐ隊長とカーリーもここに着く。後は俺達に任せて、お前は先に事務所に戻ってろ…!」厳しく言い放つ。
丁度そこにロッソが駆けつけた。
「どうした。家畜小屋の裏まで怒鳴り声が聞こえた……なるほど…」ふらふらと立ち上がるウルエジを見ながら言う。
「はい、一応、応急処置はしましたが出血が心配です。ウルエジは一旦事務所に返しましょう。」
「いや、駄目だ。ウルエジ“だけ“に行かせる。」
「え、しかし!」
「今、こいつを街に返すのはまずい。お前は弓を使うが、こいつは素手だ。つまり、ウルエジにだけ奴の臭いが染み付いている。それを追って街まで入られるとコトだ。森の瘴気に体が犯されんとも限らん。」
「しかし……奴を逃したのは俺の狙いが悪かったからで……いえ、分かりました。」
「どう言うつもりだ……」苦しそうに喘ぎながらロッソを睨む。
「奴は近いうちにまた来る。しかし、今度ここで奴と戦闘をして家畜を守り切れる保証もない。だからこちらから攻めるということだ。幸い足跡も臭いも残っている。少し休んだら出発しろ。いいか、確実に奴を仕留めろ。お前がだ、お前1人がだ……!」
「……!」
指示通り、しばらくした後にウルエジは一人で森に向かった。
「本当に大丈夫なんですか。大袈裟かもしれませんがこの先人類の盾にも矛にもなりうる若い世代を……」
「ここでウルエジに生半可な試練を与えても遅かれ
早かれ魔空生物に殺られるだけだ。ここで死んだら俺の見る目がなかった、それだけの事だ。」冷たい態度を取るロッソだが、その目は小刻みに揺れていた。恐らく、ロッソ自身も難しい賭けなのだろう。
そんな2人の視線を受けながら森の中へウルエジは入っていった。